メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:新コロナの警告/ファシズム2.0「新自由主義と独裁」の癒着に抗って・・・(1/2)−4  2020/03/29


■新コロナの警告/ファシズム2.0「新自由主義と独裁」の癒着に抗って持続
できるイノヴェーションの培地はエトノスと一回性を共有的な自由で繋ぐ
『日常』(1/2)−4

<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

3  ハイエク、ミルトン・フリードマン、そしてモンペㇽラン協会に始まる新
自由主義の奔流


(ハイエクとミルトン・フリードマン)

・・・ハイエク、および宇沢弘文(ミルトン・フリードマンの天敵?)が紹介
する「米国における“共有的な自由(自由の共有)”の伝統」について・・・

シカゴ学派の自由主義経済(自由原理主義)とマネタリズムを日本へ紹介しハ
イエク全集とミルトン・フリードマン『選択の自由 』の日本語訳を手掛けて
自由主義哲学と新自由主義(思想)の普及に大きく貢献した人物は、西山千明(1924-2017/理論経済学者、立教大学名誉教授)であるが、同じ自由原理主
義と言っても、ハイエクとミルトン・フリードマンのそれでは、拠って立つ原
点における考え方は大きく異なっている。

ハイエクはデビッド・ヒューム (David Hume)の経験論の基盤たる感覚哲学
(観念連合(観念連想))を頂点とする 道徳哲学の流れ(スコットランド啓
蒙主義)、あるいはクヌート・ヴィクセル(Johan Gustaf Knut Wicksell/
1851-1926/スウェーデン経済学派)らの影響を受けており、特に初めのころ
は経済に止まらない幅の広い「非設計主義」的な視野が感じられる。

つまり、それだけハイエクでは各所において大いに矛盾点が目立っており、
例えば同じヒューム思想とクヌート・ヴィクセルの大きな影響の流れから、新
自由主義とは真逆の立場(“エトノス自然・文化環境論”的な)と見るべき宇
沢弘文(1928-2014/東大名誉教授/数理経済学、意思決定理論)の『社会的
共通資本』という非常に人間的な経済思想が生まれている!/関連参照↓★)
因みに、シカゴ大学時代の宇沢弘文はミルトン・フリードマンと同僚の立場で
あった
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60245?page=2)。

★宇沢弘文「社会的共通資本」から学ぶ、自由原理主義(金融市場原理主義/
サプライサイド論)の根本的誤謬の在り処、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938
・・・
もうひとつハイエクの矛盾点?というか興味深いところを拾っておくと、自ら
が主張する自律的な自由思想の拠りどころとしてハイエクも、ツヴェタン・ト
ドロフが“ヒトのための大きな合理主義”を重視する視点から新自由主義への
批判の拠りどころとして触れた、エドマンド・バークを取り上げていることだ
(関連で、第1章‐(ツヴェタン・トドロフが指摘する新自由主義の盲点)を
参照乞う)。

無論、表面的に見れば、バークが正統的な保守思想家の祖であると見なされて
いることから保守思想家であるハイエクがバークを引用するのは何ら不思議で
はないようにも思える。しかし、ことはそう単純ではない。むしろ、それだけ
「ハイエクが主張する新自由主義の自由原理(過激な完全自由原理に傾斜する
リバタリアニズム)」には大きな矛盾(キリスト教の解釈で異端とされたペラ
ギウス派に潜む陥穽/関連で(前置)も参照乞う)が内在することの現れだと
理解すべきであろう。

因みに、ハイエク(Friedrich August von Hayek/1899-1992)は、「第一次
世界大戦が終わるころから世界経済恐慌(1929‐1932)、独ナチスの欧州支
配、ソ連スターリン独裁、第二次世界大戦、東西冷戦期、ソヴィエト連邦が
解体(1991.12.25)しロシア連邦とCIS諸国が出現するとき(ベルリンの壁の
崩壊を目撃する直前)とき」まで、94年間の激動の時代を生きたオーストリ
アンの経済学者、哲学者である。

ナチスの脅威がオーストリアへ及ぶ前にハイエクはイギリスの LSE(London
 School of Economics and Political Science)で教授職に就き、第二次世
界大戦後はシカゴ大学(社会科学・道徳哲学研究所の教授)へ移り、 リバタ
リアニズム(libertarianism/新自由主義と一部は重なるが、それより更に
個人の自律的な自由を完全に徹底させる非常に厳しい立場/(前置)で触れた
ペラギウス派(@ツヴェタン・トドロフ)に近い?)に立脚する学者らが集結
した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織(1947)し、その初代会長
を務めた。晩年には欧州へ戻り、例えば ロンドンのIEA (Institute of 
Economic Affairs) の設立に関与する(IEAはラスキを徹底的に批判するサッ
チャー革命の理論的拠点となる)などで活躍した。

<注>The IEA is the UK’s original free-market think-tank, founded 
in 1955. Our mission is to improve understanding of the fundamental institutions of a free society by analysing and expounding the role 
of markets in solving economic and social problems.
https://iea.org.uk/about-us

<注>ハロルド・ジョセフ・ラスキ(Harold Joseph Laski/1893-1950)
・・・多元的国家論を唱えた英国の政治学者で労働党の幹部。フェビアン協会
を通じ労働党に入党した。マルクス主義に傾倒したが、戦時中の英国では極め
て評価が高く、戦後はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス政治科学部長
を務めた。

・・・

・・・ハイエクのカタラクシー(Catalaxy)・・・

市場には「自生的秩序」(spontaneous order)があると見て、ハイエクはそ
れをカタラクシー(Catalaxy)と名付けた(ハイエクの造語)。が、この「市
場で何かが自生する」という見方はミーゼス(Ludwig H. E. von Mises/
1881-1973/オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者で現代の自由主義
思想に大きな影響を及ぼした人物、ハイエクはその弟子の一人)の頃からオー
ストリアンの核心に明確な姿を現した伝統的な考え方であった。

根井雅弘『資本主義はいかに衰退するのか/ミーゼス、ハイエク、そしてシュ
ンペーター』(NHK出版)などによれば、世界が大恐慌に見舞われ、ルーズベ
ルトが1930年代にニューディール政策を導入した頃に、ハイエクは名高い<ハ
イエクVsケインズ『経済論争』>から身を引いたとされ(ケインズに敗れたと
感じたらしい?)、それ以降のハイエクは専ら社会・経済哲学の分野の著作を
手掛けるようになった。

言い換えれば、<ハイエクVsケインズ『経済論争』>とは<ハイエク(a小さ
な機能(合理)主義/おそらくハイエク自身は大きな合理主義を意識していた
つもりらしい?)Vsケインズ(b大きな機能(合理)主義/実は非常に数学の
才能に秀でており、かつそれに留まらず謂わば現代の“ロジャー・ペンローズ
的な意味で計算不可能なリスク(大きな合理主義=自然・生命論理を支える永
続性の原理、量子物理学の視座も取り込んだ自然計算ワールドについての理解
に匹敵する視座)”に強かったケインズは計算不可能なリスク、つまり大きな
合理主義の支配力(リアリズム倫理論的な意味での広大な視座)も十分に意識
していたと思われる?)の『経済論争』>と、見立てることができるようだ。

「大きな機能(合理)主義」とは、ムッソリーニのファシズムに回収された
イタリアの建築家ジュゼッペ・テラーニのモダニズム建築の特徴となっている
「小さな機能(合理)主義」と対比的な概念と見るべき(@田中 順『政治の
美学‐権力と表象‐』https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331)、フィンラ
ンドのアルヴァ・アールトが創造した言葉である。

それは「小さく、ひ弱な人間のための建築(一回性の命を日々に紡ぐリアルな
生命の論理を求める人間のための建築)」、つまり<「アールト建築の特徴で
ある大きな機能主義/人間性を包摂する、人間のための機能主義=エルゴンワ
ールド(ergon/蓄積不能なプレ・デュナミス生産性(潜在イノヴェーション)
の潜性ワールド/持続的な信用と生産性の培地=人々の自制心に基づく普段
(日常生活)の生命力の海」のことである。

因みに、「不確実性」の意味を、「a 予測可能性/計算可能なリスク(小さな
合理主義)」と「b予測不可能性/計算不可能なリスク(大きな(推定)合理
主義/自然・生命論理のベース=永続性の原理、自然計算・エルゴンワール
ド」の二つ(厳密に言えば、aは先見的(数学計算的)確率と統計的確率にな
る)に切り分けて定義した(“ナイトの不確実性”と呼ばれる)のはフラン
ク・ナイトである(Frank H. Knight/1885-1972/シカゴ学派の第一世代(道
徳哲学がベース)の経済学者/ミルトン・フリードマンと宇沢弘文の共通の師
にあたる)。

ところで、そのころのハイエクは「19世紀末〜20世紀前半の社会主義経済論争
/関連↓★」のひとまずの決着が、「取引市場における価格はワルラス系の連
立方程式の解でしかあり得ないので、資本主義・社会主義の何れにせよ同じ解
(価格)になる」というポーランドの経済学者オスカル・ランゲ(Oskar 
Lange/1904-1965)の的確な証明(ランゲ・モデル/参照↓♨)が示された
ことから、この新しい議論に応じて自分の立場をさらに磨き上げる(政治哲学
的に社会主義を否定する?)決心をした。 

♨1   社会主義経済計算論争とランゲ・モデル、https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83
%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B2_%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E
3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
♨2   社会主義計算論争とは? https://cruel.org/econthought/essays/paretian/socialcalc.html

・・・

<補足>ワルラスを自由原理の祖の一人と考えるのは誤り

・・・ワルラス(Marie E. L. Walras /1834-1910/フランス生まれのスイス
の経済学者/シュンペーターが高く評価した人物。経済分析に数学的手法を活
かし一般均衡理論を最初に定式化した)は、個々人の力では及ばない大きな動
きという意味での自然現象として経済を観察分析しようというスタイルで、そ
の意味で経済学を自然科学と見立てていた。

・・・そのうえで人間的要素の介在のどの部分までをそこに含めるのか、どこ
から先を道徳科学など別の科学に委ねるのか、その線引きという微妙な問題に
取り組んだ。従って、ワルラスの理論経済学の最大の目的は自由競争が適用さ
れるべき範囲を画定することであった。

・・・だから、ワルラスを自由原理の祖の一人と考えるのは誤りである。そ
もそも、ワルラスは“限定合理主義”的で社会主義的な発想の持ち主であった
とも言える。(参照文献↓★)

★「ワルラスの経済学観と科学への視点」−英国モラルサイエンスとセイの間
で−/鈴木則稔・筑波学院大学教授、https://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2013/04-suzuki.pdf

・・・

そして、ハイエクは従来は与件(当然の前提条件)とされてきた資本財・消費
財・労働などをめぐる知識(現代的に言えば“情報”によるオートポエーシス
に似た自生的な秩序創生論の視点の重要性)に気づき、ハイエクの人生後半の
研究はそれに費やされることとなり(一連の重要な論文が1937、 1940、 1945、 1948、 1968)、その成果が『市場・知識・自由』(1986ミネルヴァ書房 /原著1973)で纏められた。ただ、その「自生論的」な視点は既に『隷属への道』
(西山千明訳 1992、春秋社/原著1944)のなかで既に見られるようだ(@根
井雅弘『資本主義はいかに衰退するのか』)。

・・・
 一方、ハイエクのそもそもの自由論は国家権力からの自由を意味する古典的
な自由論であり、その意味では革命期「欧州」の自由論の一つのタイプである
「貴族エリート層が上から与える自由」であった(ハイエク自身はオーストリ
ア=ハンガリー帝国の首都ウイーンの学者の家庭の生まれだが父方はボヘミア
 貴族の家系)。また、革命期「欧州」の自由論にはもう一つのタイプの民衆
の自然権への覚醒に因る「下から要求する自由」があり、フランス革命(大革
命期以降〜第三共和制までのプロセス)とは、この二つのタイプの自由論の葛
藤の歴史であったと見なすこともできる。

その意味での古典的な自由論からスタートしたハイエクの自由論は、モンペㇽ
ラン協会の設立(委細後述)などの影響もあって、しだいにその内容が変化
しており、自律的な節度ある古典的な自由をうたいつつも遂には過激な自由市
場原理主義(完全自由原理主義)へ過剰に傾斜するリバタリアニズムへ到達
し、やがてそれ故にこそハイエクは自由原理主義の元祖視されることとなる。

ついでながら、<ハイエクVsケインズ『経済論争』>の背景に<市民型自由
主義(ハイエク)Vsハーベイロード金融エリート新興貴族趣味
(ケインズ/↓▼)>の伏線を見る向きが多いようだが、「ハイエク自身が貴
族系の出自であること(後で触れる)、またハイエクの自由が古典的自由主義
から完全自由原理(リバタリアニズム)へ深化し、遂には啓蒙思想由来の自由
原理(市民型の下から自由)の真逆に位置する新自由主義(格差を当然視する
新しいタイプの“ごく少数派”のための完全設計主義)へ到達しているという
現実があること」などから、それは無理なようである。

▼ハーヴェイロードの前提(Harvey Road presumption)・・・「政府は民間
経済主体に比べ経済政策の立案能力・実行能力に優れている」という仮説。増
税と政府の裁量権拡大を正当化するケインズ経済学を批判する意味で使われ
る。経済学者ロイ・ハロッド(Roy F. Harrod/1900-1978/ケインズの弟子で
ポスト・ケインジアンの一人)が、『ケインズ伝』で、ケインズが生まれ育っ
たケンブリッジのハーヴェイ・ロード6番地(ロンドンの上流知識人が多く住
む街)にちなんで、ケインズの政治思想につけた言葉。いわば、裁量的な財
政・金融政策は、民間の一般人より賢明で合理的な判断ができるエリートが行
うことが前提条件だということ。

・・・
しかし、非常に残念なことだが(見方しだいでは、この重要な問題を末永く考
え続けさせてくれるハイエク!?という意味では有意義なことともいえる
が・・・)上で見たとおりハイエクの自由論には大きな欠陥がある。くり返しにな
るが、それは、ハイエクの古典的自由論の内容が時間の経過と共に変化してお
り、自律的な節度ある古典的な自由をうたいつつも、遂には過激な自由市場原
理主義へ過剰に傾斜する完全自由主義のリバタリアニズムまで到達してしまっ
たということだ。

そのため、ファシズム国家や社会主義の過剰「設計主義」を厳しく批判しなが
らも、肝心のハイエク自身の思想が「完全自由市場原理主義(リバタリアニズ
ム)という抽象的・普遍的な牽引力を公準とする」(@ツヴェタン・トドロ
フ)という<新自由主義の盲点の一つ>に嵌っていること(過剰な設計主義を
厳しく批判するハイエク自身がリバタリアニズムという完全設計主義の帝王と
なってしまうという、一種の自己撞着的な矛盾に嵌っているということ)にな
る、と思われる。

また、残念なのはそれらがすべて「市場」のなかに押し込められてしまってい
る、いわば「市場原理主義」であるということだ。しかも、そのハイエクの
「市場原理主義」の眼差しには、後述する『日常』に潜むエルゴン(潜性イノ
ヴェーション)の問題は入っていないようだ。

無論、更に厳密に言えば、根井雅弘が指摘するとおり自生的秩序の考え方は既
に『隷属への道』(1944)の頃に現れており、やがてハイエクはそれをケイン
ズとの『経済論争』に敗れた後の時代になって研究対象として明確に取り上げ
ることとなった。初めは市場における「知識(情報)の分散」を収斂させる方
法の考察の意味合いが強かったのだが、やがてその視野には社会制度の全般ま
でが入るようになり、現代で言えば複雑系の社会制度論(その中枢となるのが
市場原理、いわば一種の市場原理の崇拝に近い?)のような、あるいはその種
の社会哲学的な論考の方向性となった。

つまり、そのユニークなハイエクの「自生的秩序」の考え方は市場論を超えて
社会一般への社会哲学的な意味合いまで深化した訳だが、残念に思われるの
は、そのハイエクの「自生的秩序(Catalaxy)」論が飽くまでも、そもそも
課題であった「市場」論に内在すると見るべき「『日常』に潜むエルゴン(プ
レデュナミス潜在性/内需等に係る新しい生産性の培地)」の視点を欠いてい
るのではないかと思われることである。おそらくそのためと思われるが、ハイ
エクには先に触れた「大きな機能(合理)主義」(計算不可能なリスクを伴
う)と「小さな機能(合理)主義(計算可能なリスク)」の混同が窺われる
(ハイエク自身が大きな機能(合理)主義を意識していたこととは関わりな
く!)。

しかし、それにもかかわらずハイエクの「自生的秩序(Catalaxy)」 の着想
は、現在の「政治権力の在り方から科学技術に至るまでのことごとくが市場原
理主義に呑み込まれて然るべき」と見る人々が多数派を占めるまで増長化する
に至った、いわゆる<ネオリベラリズムの呪縛(@ツヴェタン・トドロフ)>
を乗り越えるためにも、また未生の世代を持続的に育む役割を担うべきと思わ
れる資本主義の未来のためにも非常に重要な視点を提供しているとも思われる
ので、そのエッセンスを下に纏めておく。

・・・以下は、[松岡正剛/フリードリヒ・ハイエク 市場・知識・自由 ミ
ネルヴァ書房 1986]https://1000ya.isis.ne.jp/1337.html ほかを参照しつ
つカタラクシー周辺の関連情報を纏めたものである。・・・

カタラクシー(Catalaxy)という言葉は「交換すること」「コミュニティへの
参入を認めること」「敵から友人にかわること」などの意味を持つギリシャ語
に由来している。ハイエクが自生的秩序(社会・市場における)として語るカ
タラクシーは、各人が当局に統制されることのない環境のなかで、主観的な情
報や意図・目的を自由に利用しつつ決定し、その帰結として導かれるところの
相互作用的な行為システムが織りなす(市場の)自生的秩序である。

因みに、ハイエクの場合も同じことが言えるようだが、自称“新自由主義”派
のエコノミスト(現代経済の主流派)らがエコノミー的な思考で設計主義(大
きな合理主義の論理を見落とすこと!)に堕すのはいわば必然ともいえるだろ
う。因みに(既述のとおり)、ハイエクは自由原理についても“古典的自由主
義→リバタリアニズム(完全自由主義)”という思想的な遍歴を経てミイラ取
りがミイラ(設計主義排除→完全設計主義者)になるプロセスを歩んでいる。

つまり、それはこういうことだ。歴史を遡れば、そもそもは人間行為を「より
満足の低い状態と、より満足の高い状態との交換」(恰も熱力学または統計力
学の相転移を彷彿とさせる考え方!) とするカール・メンガー(Carl Menge
/1840-1921/ワルラスらと共に限界効用理論の創始者の一人)は、既述のと
おりオーストリアンの開祖的な存在で、ハイエクはその弟子のひとり)が『政
治経済学』 に代わる用語として「カタラクティクス」を使っていた。

ハイエクは、この「カタラクティクス」の派生語として「カタラクシー(catallaxy)」という新語を考案する。それは、社会のために計画者が立案し
たものではなく、各個人がそれぞれの目的を追求するうちに、自生的に整う
市場秩序のことであり、ハイエクはこの語によってそのことを表現し、遂には
それを従来の「経済/economic」に代わる言葉とすることを試みた。

そして、その“カタラクシーという新しい言葉は、喩えれば恰もセザンヌ絵画
の重厚なリアリティの秘密(情感と自然、二つの実在の意識上の融合としての
実存)の如き実に興味深い、斬新な実在論(つまりカタラクシーというリア
リズム)の視座を発見したのではないか?と思わせる一方で、ハイエクには極
端なマルキシズム嫌いなどで見られるとおり、一種の政治・経済的なメシア思
想(原理主義的イデオローグ)へジャンプする傾向(つまり、その非常に観念
的な保守イデオロギーを現実社会の制度や仕組みで、かなり強引に実現させよ
うとする傾向)がある。

ハイエクの弱点とも見るべき、このように政治・経済的なメシア思想へジャン
プする傾向を脇に置くとすれば、<ケインズVsハイエク『経済論争』>の後に
ハイエクが発見した視点、いわば<玉石混交の知識(情報)が交差する
「市場」という名の坩堝から、経済的に意味のある「価値」が創生するとい
う「カタラクシー」>の考え方は重要である。それは、古典派の大前提では、
市場に参加するすべてが完全な知識をもっていると想定されているのだが、
現実には、そんなことはありえないと思われるからだ。

つまり、それ(市場が完全な知識をもっていない)にもかかわらず市場はうま
く動いているのだとすると、むしろ本当のところ、実は真逆であり<不完全な
知識が市場に参加することによって、うまく「カタラクシー」で分業されてい
る>のではないか。つまり、知識(≒情報)もまた、アダム・スミスが市場で
の「労働の分業」を説いたように、分業されているのではないか?とハイエク
は見たようだ。

しかし、おそらくハイエクは気づいていなかったようだが、この「カタラクシ
ー/自生的秩序」の培地と見るべきものこそが、個々の人々と内外の諸観念や
自然が目に見えない多様なルートで繋がり、共鳴しつつ活動し続ける現象とみ
るべきエルゴン(“プレ・デュナミス潜性生産性=潜在イノヴェーション”の
培地)であると考えられるので、<知識(情報)も市場で分業されている>と
いうハイエクの主張のくだりを、<市場のカタラクシー(自生的秩序)で経済
的に意味のある「価値」(リアル生産性)の創生が分業されるとともに、市民
の日常のカタラクシーではエルゴン・ファクター(潜在イノヴェーション)も
強化され続けている>と読み替えて理解するのが妥当かもしれない。

・・・ミルトン・フリードマンの市場原理について・・・

一方、ミルトン・フリードマン( Milton Friedman/1912-2006/マネタリズ
ム、市場原理主義・金融資本主義を主張しケインズの総需要管理を批判し、
1976 年にノーベル経済学賞受賞)の経済思想は同じ新自由主義とはいえ、そ
もそも当の新自由主義派の人々が忌避する「設計主義」的な空気(フリードマ
ンの場合は、超抽象設計主義的なもの)が感じられる(関連参照➾第1章‐
『・・・セイヤーの主張、<ミルトン・フリードマンの自由原理主義は「概念
飽和」が高度抽象化のうえ固着化したものである!>が意味する
こと。・・・』)。

ところで、マネタリ ズムと新自由主義の信奉者であることを誇りとされる山
田 久・元和光大学教授によれば(和光経済 巻 50 号 : 発行年 2018-03/和
光大学リポジトリ  https://wako.repo.nii.ac.jp/?)によれば、 安井琢磨
(戦後の日本で近代経済学の普及と建て直しに多大な貢献をした経済学者)、
福岡正夫、熊谷尚夫、荒憲 治郎、内田忠夫、篠原三代平、ミルトン・フリー
ドマン、市村真一、嘉治元郎、山田雄三、西山千明(執筆順,敬称略)共著、
西山千明ほか編『近代経済学講義』(1964/創文社)は、1962 年に米国(シ
カゴ大学) から帰国して立教大学の教授に就いた西山千秋が 帰国後すぐに
理論経済学セミナーを開催して出版 までこぎつけたものだ。

これがフリードマン自身の講演による「マ ネタリズム」の日本初上陸であ
った。その頃、マネタリズム に関する論文 はすでに日本でも知られていた
が、フリードマン自身が直接日本で新貨幣数量説について講演したことに意
義があると思われる。

・・・以下は、山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )の
部分転載・・・

山田 久氏(同上、和光大学リポジトリ )によると『米国貨幣史』はフリード
マンの「マネタリズム」の実証研究の基礎となったもので、それは米国の過
去 100 年の国民総生産と 貨幣の時系列の趨勢を丹念に拾い上げたものであっ
た。その全体の読み解きから貨幣の動きが国民総生産の動きの原因になってい
ることが分かったとされる。特に 1929-1933 年の大恐慌は,貨幣量の大幅な
減少が国民総生産を減少させ大量の失業を発生させたと理解できるとされた。

このようなフリードマンの主張は当時の経済学界にとって衝撃的であった。
それは、当時の主流派であるケインズ経済学は、 1930 年代の国民総生産が
減ったことが貨幣量の 減少を引き起こしたのであり,貨幣量の減少は  結果
でしかないという見解だったからだ。

つまり、それまでの経済学界の認識では経済が「流動性の罠」(金融緩和で利
子率が一定水準以下に低下した場合、投機的動機に基づく貨幣需要が無限大
となり、通常の金融政策が効力を失うこと)に落ち込んでいるときは 貨幣量
の変動は実体経済に影響を与えないという 解釈だったからであった。

フリードマンは自説のマネタリズムに対する批判に応えるため、米国の事実を
見ようということになり NBER(全米経済研究所)の研究として『米国貨幣
史』を著した訳であった。しかし、 NBER の理事会の評価は、米国の経験だけ
では不十分だということになったため、その調査範囲を英国と日本に拡大し
た。100 年以上にわたる貨幣の経済統計を有する国は米、英、日ぐらいしか考
えられなかったからだとされる。 日本には江戸時代末期からの資料が残って
いたうえ(大混乱期でもあった、此の時期のデータは信憑性に些か疑義を感じ
るが?/補、toxandoria)、幕末から明治時代にも各金融機関や日本銀行は詳
細な金融基礎資料を残していた。

そして、貨幣委員会の当面の目標 はフリードマン流のマネーサプライの作成
であった。 まず日本銀行の管理下にある、すべての金融機関 の預金勘定を流
動性の高い要求払い預金と流動性 の低い定期性預金とに仕訳けをした。次に
現金通貨と要求払い預金を合計して M1 とし、M1 と 定期性預金を合計して
 M2 とするというものである。つまり、 今では M1、M2 は常識であるが、当
時は革新的でマネタリズムと新自由主義とともに目新しいものであった。フ
リードマンが M1、M2 というマネー サプライの新しい概念を示したことで、
米国の連邦準備制度も日本銀行も時間はかかったが, それらを採用するに至
ったことになる。
・・・ここで、山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )の
部分転載は終わり・・・

・・・ミルトン・フリードマンの市場原理主義が批判的に検証されるべき
理由・・・

ただし、以上の山田 久氏“退任記念講演”のミルトン・フリードマンのマネ
タリズムに関わる紹介については、客観的に見て些か留意すべき点があると
思われる。それは、「貨幣量が短期的には実質経済に大きな影響力を持つ」と
する一方で、「長期的には実質経済への影響がなくなりインフレにのみ作用す
る」という考え方や、「政府の裁量より中央銀行のルールを重視すべきという
主張」は、ニューケインジアン(新ケインズ派/新古典学派と本質的に異なる
理論体系を主張する経済学者の総称)を含め現代のマクロ経済学に広く組み込
まれており、現在では多くの経済モデルが何らかの意味でマネタリズム的であ
るからだ。そのため、かつてのようなケインジアンかマネタリストか、といっ
た区別は意味を持たなくなってきており、「今日のマクロ経済学者の中で伝統
的なマネタリストを見つけるのは難しくなっている」と言える。

もっとも、ごく大雑把に言えば、マネー供給量が増えれば所得が増える、とい
う考え方はケインジアンも端からもっていた訳であり、ただ、その流通速度へ
の評価には違いがあるということではないか?従って、問題とすべきは<純粋
な伝統マネタリズム理論(ミルトン・フリードマンのそれ)よりも、<政治的
強者に媚を売ったり、理論の内容の是非は問わず“とにかく高名な理論”を私
益や出世のタネとして平然と利用するエセ学者(例えば、竹中平蔵氏?らw)
らに煽られて暴走する一方となってしまった自由原理主義の無条件賛同者>ら
の方である。無論、これら双方が深く癒着した金融・経済政策、例えばアベノ
ミクスなどは甚だ有害だと見るべきであろう!

ともかくも、このマネーサプライの概念を世間に浸透させたことが「ミルトン
・フリードマンのマネタリズムの功績」であることは間違いがない。但し、そ
の肝心の「マネタリズムの実証研究」の有意性は未だに未完のままであるとみ
るのが、ごく冷静な経済学的視点ではないか?と思われる。

それは、マネタリズムの理論の有効な部分がある一方で、ケインズが『所得速
度』(同一の貨幣が一定期間内に何回持ち主を変えるかの平均)を最も重視し
た意義は決して失われておらず、それどころか昨今の新コロナ・パンデミック
(株価大暴落が発生、日常生活に関わるリスクが急拡大すると同時に現金(キ
ャッシュ)の重要(必要)性が条件反射的に?高まりつつある!)の到来で
は、マネタリズム(又はAI機械イノヴェーション、サプライサイド政策、AI型
投機・サービス金融、ビットコインなど)へ過剰傾斜すること(AI・金融傾斜
型の市場原理主義政策の暴走)の限界とケインズ派の意義が再認識されてい
る。従って、これを機に、今こそ市民の『日常』生活と表裏一体と見るべき
「潜在イノヴェーション」の重要な意義にこそスポットを当てるべきと思われ
る。
 
いずれにせよ、市民の安定的なリアル『日常』の持続と、それを支える安定的
な『衣食住の持続的なリアル生産・消費活動』(このリアルな日常は絶対に蓄
積ができない一回性の持続であることに留意!)、およびその培地とも言うべ
きローカルな地球上の文化・自然環境(エトノス)および内なる精神環境の充
実こそが経済的な「常態」(シュンペーター『静態⇄動態』モデル全体の意味)
のベースであり(この点は、およそ封建時代以前の素朴な経済社会でも同じコト!)、更にそのため最も肝心となる『物価安定』の要は、矢張り、ヒトのた
めの<信用>の維持であるということが、AI「シンギュラリティ」なる新世界
の熱狂的「信徒」はともかくとして(w)、我われ<リアルに生きる人類>へ、
再び、そのことが突きつけられていると見るべきだろう。(関連参照➾フィッ
シャーの交換方程式(古典的貨幣数量説)、https://www.findai.com/yogow/w00370.html)。

だから、「ミルトン・フリードマン/マネタリズム」の意義を再考するとすれ
ば、おそらくその最も重要なポイントは“一定期間におけるマネー量トータ
ル(供給量)の大きさだけでなく、その期間内に流通するマネーが人々の
『日常』生活のなかで<各「一回性」の関係=ヒトがヒトとして生き続けるこ
と>を十分に支えることが極めて重要だという認識に基づく、適切な量のマネ
ーが持続的に、適度な速さで供給できる仕組みを工夫するということである。
次に重要なのが「その各一回性の関係(=ヒトがヒトとして生き続けること)
が可能になるという意味で十分な量のマネーが供給できる仕組み」を工夫する
役割の中心的な担い手は、いくらグローバルAI‐Web時代になったとしても
「国家」以外には考えられないことだ。安定したグローバル・ネットワークで
その代替が可能だ!という理想を持ち続けるのは、それはそれとして重要であ
るだろうが(関連参照↓▼)、まず人々がリアルの『日常』生活を安心して持
続できるという<ヒトにとって最低限の必要条件を満たす生命の論理>を最優
先させなければ、あらゆる意味で本末転倒となる。
・・・
そして、その「国家」の<信用>を着実に支え続けるのが、先ず基本的には古
典的イノベーションによるエネルゲイア(ビジネス&金融活動がもたらし貨幣
に換算できる付加価値)の創造であるが、「そのヒトがヒトとして生き続ける
ことが可能になるという意味で十分な量のマネーが供給できる仕組み」を保証
するためには、一定期間におけるマネー量トータルの大きさだけでは不十分で
あると考えられるが、 この問題については、後の第3章と第4章へ送る。、
 
  (モンペㇽラン協会に始まる新自由主義の奔流)

 ・・・モンペルラン協会の創設・・・

 ・・・以下は、本山美彦・京都大学名誉教授(世界経済論)のブログ『福井
日記 No.170 ハイエク、シカゴ大学、モンペルラン協会』からの部分転載。
https://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/c47be2da63f00bb7414bb3e0f9e18217

◆モンペルラン協会(Mont Pelerin Society)は、市場経済と開かれた社会
(open society)の促進を目的として設立された国際組織である。

 一九四七年四月一〇日、フリードリッヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)がス
イスののモン・ペルランに世界から三九人を招待した。招待された人のほとん
どは経済学者であったが、歴史学者、哲学者もいた。国家の現状、古典的自由
主義(classical liberalism)の運命にならんで、世界を覆うマルキストやケイ
ンジアンたちとの闘争が会議のテーマであった。

 招待された人たちは、例えばヘンリー・サイモンズ(Henry Simons/シカゴ
大学教授、経済学)、ミルトン・フリードマン(後に会の会長)、元・米国の
フェビアン協会員でフェビアン社会主義者であったジャーナイスとのウォル
ター・リップマン(Walter Lippmann)、「ウィーン・アリストテレス協会」(Viennese Aristotelian Society)の指導者、『開かれた社会』の哲学者カ
ール・ポッパー(Karl Popper)、オーストリー学派の経済学者、ルードウィ
ヒ・フォン・ミーゼス(Ludwig von Mises)、一九四〇年〜四六年の英国王
立協会(the British Royal Society)会長を務めた後にイングランド銀行理
事(senior official)となったクラッパム卿(Sir John Clapham)、オースト
リー・ハンガリー帝国皇帝(the Austro-Hungarian throne)の末裔、オットー
・フォン・ハプスブルク(Otto von Habsburg)家に代々使えてきた、四〇〇年
の伝統をもつイタリア出身の大富豪「ツルン・ウント・タクシス」(Thurn
 und Taxis)家の末裔でバイエルン(Bavaria)に本拠をもつ同名の老舗企業の
マックス・フォン・ツルン・ウント・タキシス(Max von Thurn und Taxis)
等々、錚々たる顔ぶれであった。

 これらは中世の貴族、現在の上流階層、そしてオーストリー学派、つまり、
上流階級にとってのよき時代のよき伝統を継承する面々だったのである。古典
的自由主義とは、現代的な民主主義や共和主義を指すのではなく、貴族たちが
もっていた高尚な心の自由を意味する概念であるように思われる。・・・
途中、省略・・・
 もうお分かりであろう、ハイエクの理想とする自由主義(究極的には古典的
自由主義からリバタリアニズムへ変質した!/補、toxandoria)とは、ナポレ
オン以前の皇族たちも享受できる自由だったのである。

 ミルトン・フリードマンの義兄にアーロン・ディレクター(Aaron Director, 1901~2004)がいる。アーロン・ディレクターの妹、ローズ(Rose)とフリード
マンは一九三八年に結婚している。ディレクターは、経済学におけるシカゴ学
派を隆盛させた功労者であると言われている。

 一九〇一年、ウクライナ(Ukraune)のチャルテリスク(Charterisk)に生ま
れ、米国に移民した後、第一次大戦後、エール大学(Yale University)入学、
第二次大戦中は、戦争省(the War Department)と商務省(the Department of Commerce)に勤務、一九四六年シカゴ大学ロー・スクール(the University of Chicago Law School)に採用される。著作は少ないが、シカゴ大学の発展に
大きな貢献をなしている。一九五八年にはノーベル経済学賞受賞者(一九九一
年)ロナルド・コース(Ronald Coase)と協同してthe Journal of Law & 
Economicsを創刊した。シカゴ大学はすでに一八九二年からthe Journal of Political Economy をもっているが、ディレクターは、法と経済学の接合を目
指したのである。

 ディレクターが、米国の出版社のことごとくが断っていたハイエク
(Friedrich Hayek, 1899 〜1992)の『隷属への道』(Hayek, F.[1944])をシカ
ゴ大学から出版させた。

 当時、ディレクターはまだシカゴ大学ではなく、上記のようにワシントンに
勤務していたが、シカゴ大学出版部とのコネクションがあったし、なによりも
すでにシカゴ大学にいたフランク・ナイト(Frank Knight)と親しかった。この
こともあって、シカゴ大学出版部にこの本を出版させたたのである。

 ディレクターは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London 
School of Economics=LSE)に留学していて、そのときにハイエクと面識
ができた。ディレクターは、同時にモン・ペルランの開催に協力することにな
る。とくにシカゴ大学のメンバーをこの会の会員に勧誘することに成功した。
シカゴ大学関係では、上記のフランク・ナイトとジョージ・スティグラー
(George Stigler)がいた。もちろん、ディレクターも会員であり、その強い
勧誘でフリードマンも会員になった。そして、フリードマンは、第一回のの会
議に招待されたのである(http://www.pbs.org/wgbg/commandingheights/shared/minitextlo/
int_miltonfriedman.html)。

 引用文献 Hayek, Friedrich[1944], The Road to Serfdom, Routledge 
Press; the University of Chicago Press.
     ハイエク、F. A.、西山千明訳『隷属への道』春秋社、一九九二年。

・・・ここで、引用おわり・・・

・・・日本における新自由主義の始まり・・・

「山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」(既出)に
よると、日本で初めてモンペルラン協会のメンバーになったのは木内信胤
(1899-1993/吉田茂らのブレーン・相談役を努めた経済評論家)であった。
それによると、木内信胤1958 年に ハイエクの勧めで「モンペルラン協会」
に 入会し、それ以後ハイエクに傾倒したためハイエクの理論に因る「新自
由主義」を熱心に説くこととなった。また、同「講演」はモンペルラン協会
の理念と目的(文章起草)が以下のようなものであることを紹介している。

<参考>木内信胤のプロフィールhttps://www.hmv.co.jp/artist_%E6%9C%A8%E5%86%85%E4%BF%A1%E8%83%A4_
000000000697201/biography/

・・・1899年(明治32年)7月30日、東京市牛込区にて出生。東京高等師範学
校附属小学校、中学校から、第一高等学校独法科を経て、1923年(大正12年)
東京帝国大学法学部独法科を卒業し、横浜正金銀行に入り、東京、上海、南
京、ハンブルグ、ロンドンに勤務、1945年(昭和20年)終戦と同時に、総務部
長兼調査部長を最後に退職して大蔵省に入り、勅任参事官終戦連絡部長を務め
た後、1952年(昭和27年)7月の占領の終了まで、外国為替管理委員会委員
を務め、その後1955年(昭和30年)から今日まで38年間、「財団法人世界経済
調査会」理事長の現職にあった。この間、日本国有鉄道理事、外務省参与、国
語審議会委員、臨時行政調査会第一専門部会長等を務め、また政治、経済、文
化、社会、宗教、農業等極めて広範な分野に亘る経済評論家として活躍、歴代
首相の経済指南役とも呼ばれた。1993年(平成5年)12月5日没(享年94歳)
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)『木内信
胤語録』より

<参考>財団法人世界経済調査会(情報源:Wikipedia)

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)所属のCIC(防諜隊)の下
請け機関として設立された、旧軍人による情報収集グループである特務機関
「河辺機関」(河辺 虎四郎、辰巳 栄一らの反共主義工作機関)がその後、
「睦隣会」に名称変更され、それを母体として、内閣調査室のシンクタンクと
して設立されたのが「世界政経調査会」である。そのため、初期の内閣調査室
には河辺機関出身者が多く流入している。「内外の政治、経済、社会事情等の
総合的な調査研究を行い、 内外事情に関する知識の向上普及を図ること」を
目的としており、内閣官房から情報調査委託費が交付されている。内外情勢に
関する情報調査や資料収集を行い、毎年「国際情勢の回顧と展望」という名の
レポートを刊行している。役員には警察庁や内閣情報調査室出身の元官僚が名
を連ねている。所在地:東京都港区赤坂2-10-8 設立:1961年7月1日 会長
(2013−):植松信一(警察官僚、内閣情報官など歴任)
<参考>「河辺機関」に関する米公文書の要旨、http://www.shikoku-np.co.jp/national/detailed_report/article.aspx?id=20060812000263

・・・

(理念)
モンペルラン協会は、市場中心の経済システム の働きを研究し、政府の関与
を最小のものとする リベラリズムを理想として、調和の取れた国際経済関係
を創り出すような国際秩序の創設や、市場の機能を阻害しない最小限の規制の
実現などを追求する。

(目的)
その唯一の目的は、自由社会の原則と実践を強化したいと考えて、志を同じく
する学者・実務家などの間での交流を促進し、市場中心の経済システム(市
場原理)の働き、利点、欠点を研究する ことにある。(そして、1947 年 4 
月 10 日に次のような目的を期した文章が起草された )

「現在、文明の中核となるべき価値観が危機に瀕している。世界の広範な地
域で、人間の尊厳や自由に欠かせない条件がすでに失われてしまった。 その
他の地域も、現在の政治的傾向が進展すると いう脅威に絶えず脅かされてい
る。専制権力が個忍耐の価値を人や自発的組織の地位をますます蝕んでいる。
思想や表現の自由といった、西欧人にとり最も貴重なものですら、少数者の立
場にあってを唱えながら、自らのもの以外の価値観を弾圧し抹消できる権力の
座を確立することのみを目指す信条が広がることによって脅かされている。我
々が思うに、こういった事態は絶対的な道徳規準を全て否定する歴史観や、法
の支配が望ましい ものであることを疑う理論(共産主義?)が発展したために、
さ らには私有財産や自由競争市場がもたらす権力の分散、及びそれに基づい
た社会制度なくしては、 自由が十分に保障される社会など考えられないから
である。 本質的にはイデオロギーに関するものであるこの 動きに対して、理
論的な論争を起こし正しい考え 方を主張する必要がある。この信念に基づき、
 我々は、予備的検討を行った結果、以下の点に関 して更なる研究の必要があ
ると考える。

1 現在の危機の本質を分析し研究することによ り、その教訓の本質や経済
的起源を人々に知 らしめること
2 国家の機能を再定義し全体主義とリベラルな社会制度との境界を一層明確
化すること
3 法の支配を再び確立し、それが個人や団体が他者の自由を侵害する地位に
なく、個人の権利が略奪的な権力の基盤となることが許容されていないことを
保証する手段
4 市場の機能を阻害しない、最小限の規制を確立する可能性
5 自由を害するような信条を推し進めるための歴史の利用に対抗する手段
6 自由と平和の保護や調和の取れた国際的経済関係、国際的な秩序の確立に
資する国際秩序の創造」

・・・因みに、同「講演者」である山田 久氏とモンペルラン協会の本格的な
関わりについても、下のとおり紹介されている。大変に興味深いので、その全
文を転載しておく。

・・・筆者(山田 久氏)とモンペルラン協会の本格的な関わりは「(財) 世
界経済調査会」(参照/上の<参考>)の専任研究員になってからですが、 
モンペルラン協会の名前は学生時代から知ってい ました。前述したように米
国から来日された経済学者は皆さん協会員でした。またフリードマン先生
(1970-1972 年 )、 ベ ッ カ ー 先 生(1990-1992 年)、西山千秋先生
(1980-1982 年)は会長経験者です。デューク大学での恩師、ブロンフェン
ブレン ナー先生も古くからの会員でした。2 年に 1 回総会が開かれ、毎年の
ように地域集 会が開催されます。日本では 1966 年 9 月に東京 地域集会
が、1988 年 9 月に東京・京都総会が、 2008 年 9 月に東京総会が開かれまし
た。

筆者が本格的に会合に参加できたのは、1986 年 9 月の イタリア総会(St. Vincent, Italy)でした。世界経済調査会理事西村光夫先生の鞄持ちでイタリ
ア総会に連れて行っていただきました。会合に参加するには会員からの推薦が
必要です。西村先生には推薦していただいた上に先生のポケットマネーで連れ
て行っていただきました。正式に会員になるためには複数会員の推薦と事前に
会合に出席していることが必須です。会員になるために、1997 年 9 月のバル
セロナ地域集会 (Barcelona, Spain)、1998 年 9 月のワシントン総 会(Washington DC, USA)に参加して、2000 年 11 月のチリ総会(Santiago, 
Chile)で入会を許可されました。2008 年 9 月、モンペルラン協会東京総会
の運営・実行委員として活動しました。2008 年 9 月 7 日から12 日まで、ホ
テルニューオータニで、モ ンペルラン協会 60 周年記念総会が 20 年ぶりに
東京で開かれ、現代社会の技術にかかわる諸問題と 自由市場、自由主義の関
わりについて討議がなさ れました。

テーマは「技術と自由」であり,今日世界が当 面する様々な問題に、次のよ
うな切り口から接近 しました。1. 地球温暖化、環境と自由市場 、2.人類
の技術、倫理、自由市場  3.自由における医療  4.IT の自由とコミュニケ
ーションにおける 影響  5.アジアの経済成長―自由市場はいかに重要であ
ったか?  6.技術の国際的波及  7.デジタル・デバイド・貧困、所得
格差、教育  この 7 つのテーマごとに午前中に 2 セッション が設定され、
各々のセッションで 3 人の報告者が 論文を提出しました。午後は、これら
の報告者の 問題提起を受けてテーマごとに分かれて討論する グループ・セ
ッションが開かれました。

モンペルラン協会での議論の内容は本人の承諾なしには公開できません。し
たがって、発言者はマネタリズムと新自由主義に関わる自分の発言に対して
何の拘束も咎めも受けない ルールとなっています。これこそが、モンペルラ
ン協会で発表される理念の純粋性、独創性を保証 するものであり、またそれ
だからこそ、出席者は 心からの満足感をもって、会議終了とともに再会 を
約束して、各自のスケジュールに戻っていくの です。通常、会としての議論
の要約も、ましてや 決議や共同宣言の発表などは一切行われません。 協会は
決してプロパガンダのグループではなく、 自由社会の維持と改良に貢献する
ことを目的とし、 相通じる理想と考えを持つ仲間と意見を交換する場なので
す。
 
筆者(山田 久氏)はマネタリストの端くれになりましたが、マネタリストと
新自由主義者であることは矛盾し ません。マネタリストの信奉するマネタリ
ズムは 「貨幣は重要である」というだけではなく、その 経済思想や経済政
策が新自由主義と一体となって いるからです。

日本で「新自由主義」という言葉に独自の意味を込めて初めて使ったのは、
西山千秋先生です。西山千秋先生は、1966 年 9 月のモンペルラン東京地域
集会以来、「フリードマンらが日本経済新聞社が主催する講演会に、いくども
来てくれたので、シカ ゴ学派の面々は日本の人々によく知られるように なっ
た。そして 1970 年代から、私はシカゴ学派の自由主義を『新自由主義』と呼
ぶことにした」と話されています。
 新自由主義(neoliberalism、ネオリベラリズム、 または libertarianism、
リバタリアニズム)とは、 国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政
府、民営化)と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想
といえます 。  
資本移動を自由化するグローバル資本主義は新自由主義を一国のみならず世界
まで広げたものと言ってよいでしょう。新自由主義は、国家による富の再分配
を主張する伝統的な自由主義(liberalism、例えばケインズ主義らのリベラリ
ズム)や社会民主主義(democratic socialism)とは対立する 考え方です。

第二次世界大戦後、1970 年代頃まで、先進諸国の経済政策はリベラリズム
(ケインジアン)が 主流でした。これは、伝統的な自由放任主義に内在する
市場の失敗と呼ばれる欠陥が世界恐慌を引 き起こしたとする認識のもと、年
金、失業保険、 医療保険等の社会保障の拡充、公共事業による景気の調整、
主要産業の国有化などを推進し、国家が経済に積極的に介入して個人の社会
権(実質的な自由)を保障すべきであるという考え方です。

このような、大きな政府、福祉国家と呼ばれる 路線は、1970 年代に入り石油
危機に陥るとマネタリストやサプライサイダー(供給重視の経済学)からの批
判にさらされるようになりました。

当時、英国は英国病と揶揄された慢性的な不況に陥って財政赤字が拡大し、
米国でもスタグフレー ションが進行し失業率が増大しました。新自由主義
は、こうした行き詰まりの状況を生み出した責任が、国家による経済への恣意
的な介入と政府部門の肥大化にあると主張しました。
  
こうして 1980 年代に登場したのが「新自由主義」です。その代表例が、英国
のマーガレット・ サッチャー政権によるサッチャリズム、米国のロナルド・
レーガン政権によるレーガノミックスと呼ばれる経済政策でした。

サッチャー政権は、電 話、石炭、航空などの各種国営企業の民営化、労働法
制に至るまでの規制緩和、社会保障制度の見直し、金融ビッグバンなどを実施
しました。グ ローバル資本主義を自国に適用して外国資本を導入、労働者を
擁護する多くの制度・思想を一掃し ました。レーガン政権も規制緩和や大幅
な減税を実施し、民間経済の活性化を図りました。同時期、 日本においても
中曽根康弘政権によって電話、鉄道などの民営化が行われました。
  
「社会といったものはない There is no such thing as society」と説き、国
家に対する責任転嫁をいましめたサッチャーの下、自助の精神が取り戻された
という評価や、各国に共通した双子の赤字の課題を残しつつも、英国が英国病
を克服したこと、米国が石油危機に端を発するスタグフレーションを脱し、
1990 年代にはクリントン政権下でインターネットなどの新産業が勃興して競
争力を回復したこと、南米ではブラジルが 1990 年代までの深刻なインフレの
制圧に成功しブラジル通貨危機までの安定成長を遂げているこ となどは、グ
ローバル資本主義、新自由主義の功 績であると評価されています。

(モンペルラン協会の理念の変質: “共有的な自由(自由の共有)”➾“完
全な個の自由”(リバタリアニズム)へ/ミルトン・フリードマンの影響に
よる)

ここまで、山田 久氏が紹介されたとおりに「ハイエクが創設したモンペルラ
ン協会の理念」が見事に開花して、グローバルな世界経済が調和のとれた成長
を見せつつ、より豊かになり、世界中の人々の社会厚生が遍く平等に充実して
きたかと問えば、現実はそれと程遠いというかむしろ真逆の方向へ、大格差の
時代へと進みつつある。

例えば、漸く決着しつつあるかに見えるBrexitと並行して明確になった「アイ
ルランド発のレプラコーン・ショック」、あるいは偽装看板「アベノミクス
の破綻」で一気に噴出しつつある「安倍長期政権なる日本型ファシズム2.0
(新自由主義と戦前型国家主義イデオローグが癒着する異常体制、それはあま
りにも異常な『事実上、特務機関と化した官憲・検察』をアベ私兵として重用
する一強“独裁”支配など)の矛盾の数々(例えば深刻な格差拡大のベースと
なっている“名ばかり働き方改革”の失敗)」、果ては「ポスト・トランプの
動向へ大きな影響を与えるかに見え始めた米国における二つのリベラリズムの
衝突/米大統領選に潜伏する地雷的な重要テーマ、若年層による熱烈なサンダ
ース現象の背景」などの諸問題がある(関連↓◆)。

◆アイルランド発のレプラコーン・ショックは「ネオリベ+科学(AI・金融工
学等)」の賜物。気付きが遅れたと自戒しつつクルーグマンはトランプ企業減
税(過激ネオリベ策)でも同問題を指摘。今や日本にとっても他人事に非ず!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1228938209679134720

◆すっかり色褪せたモンペルラン・ソサエティの目的を連想!w ∵偽装看板、
安倍内閣の政策の一例を挙げると、働き方改革の現状は殆どが目標と真逆!
 ➾加藤厚労相の化けの皮が剥がれた/320政界地獄耳:日刊スポhttps://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/20

・・・[参考]首相官邸のホームページには「働き方改革は1億総活躍社会実
現に向けた最大のチャレンジ。多様な働き方を可能とするとともに中間層の
厚みを増しつつ、格差の固定化を回避し、成長と分配の好循環を実現するた
め、働く人の立場・視点で取り組んでいきます」とある。←ところが、驚く
べきことに、どうやら加藤厚労相は“フリーランスとフリーターを混同してい
る”らしいのだ!もっとも、安倍首相が“経済そのものの意味を殆ど理解し
ていない”らしいので、当然のこととして“然もありなん!”であるが・・・whttps://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/
202003200000066.html

◆【アベ・ファシズム2.0】検察・官憲・内調ら手駒化の高圧“印象”操作で
官僚、新聞等、野党、国民を威圧!の手法は戦前〜戦中<特務機関>方式の再
現!法曹&主要メディアの奮起が絶対に不可欠! ➾近財局職員を自殺に追込
んだ森友公文書改竄は財務省・佐川氏だけの責任に非ず! 事実上、安倍の指
示だった320リテラhttps://lite-ra.com/2020/03/post-5320.html
因みに「レプラコーン・ショック」(又はレプラコーン経済/レプラコーン
=伝説上のアイルランドの妖精)とは、トランプ減税(過激な新自由主義政
策の一環)の問題点とは、クルーグマンが指摘する「企業減税の恩恵の多くが
海外のグロ−バル投資家らの手に渡ってしまう」ということだ。従って、国内
ではますます格差が開くばかりとなる。アイルランドなどでもGAFAらのグロー
バル企業がこの甘い汁を吸っている。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200210-00162477/   https://himaginary.hatenablog.com/entry/20171111/leprechaun_economics

・・・

ともかくも、モンペルラン協会の歴史を概観して感じられるのは、新自由主義
(ここでは特にリバタリアニズムを意味する)が各国へ導入される場面では、
その導入される国のなかでの政治的な要因のようなものが相当に大きく作
し、又それがかなり先行している空気が漂っていることだ。

また、これは特殊ケースと見るべきかもしれぬが、特に日本の場合はその新自
由主義「導入の尖兵」の役割を戦前・戦中期における「特務機関」の流れを汲
む研究・調査・シンクタンク組織(必然的に時の政権機構、つまり時の内閣の
中枢と深く相互に浸潤し合う関係にある組織となる/現代の日本で言えば内調
(内閣情報調査室)らhttps://www.weblio.jp/content/%E5%86%85%E8%AA%BF)
案外、これらの点は「本山美彦・京都大学名誉教授(世界経済論)が述べてい
る“もうお分かりであろう、ハイエクの理想とする自由主義(リバタリアニズ
ム)とは、ナポレオン以前の皇族(or貴族)たちも享受できる自由だったので
ある”という論点と重なるのではなかろうか?

・・・日本では殆ど意識されていない「米国における二つのリベラリズムの問
題/個の自由、共有的な自由(自由の共有)」・・・

ところで、当「第2章」冒頭の『(ハイエクとミルトン・フリードマン)・・・
ハイエク、および宇沢弘文・・・』でも触れたことだが、そしてこれは日本で
殆ど意識されていないのだが、若年層から熱狂的な支持を受ける、いわゆる
「サンダース現象」の背景でもある「米国における二つのリベラリズムの問
題」ということがある。
それは、米国ではプラグマティズムの伝統に因る「共有的な自由」(自由の共
有)と、啓蒙思想由来の「個の自由」の二つが区別されてきたということだ。
そして、「個の自由」を重視する流れはハイエク、ミルトン・フリードマンと
いう「市場原理主義の二大開祖のリバタリアニズム」(完全自由主義)へ帰
結した(関連/↓★)。
★アメリカのリベラリズムの発展 山本春義:大阪経済大学(哲学)、https://www.evernote.com/shard/s440/sh/743844a9-683f-46ec-8197-709224e27988/ec88f7ac7a5e8d607194ea499d43e8a4

他方、「共有的な自由」(自由の共有)の重視はデューイ(John Dewey/
1859-1952)のプラグマティズムで絶対に忘れるべきでない「一人ひとりの保
障された言明可能性」という考え方に由来する(@ルイ・メナンド『メタフ
ィジカル・クラブ』−みすず書房−)。デューイはチャールズ・サンダース・
パース、ウィリアム・ジェームズとならびプラグマティズムを代表する思想
家であり、20世紀前半のアメリカ哲学者のなかでも代表的且つ進歩的な民主
・民衆主義者(良い意味でのポピュリズム主義者)であった。

ところで、このデューイの「一人ひとりの保障された言明可能性」は「凡人
(日常を大切にする普通の人々)の正しさ」(その根底は、デューイ・プラ
グマティズムの限定合理的な世界認識にあると考えられる!)を保証する問
題とも呼ばれるが、それは<現在における“さしあたりの生き方としての民
主主義”を最大限に重視し、それを持続的に繋ぎ留めるよう努力し続けると
いうことであり、逆に言えば『民主主義』はヒトが存在し得る限りでの未完
の営為だ!という理解による。換言すると民主主義国家では『聖人・君子な
らぬ国民層の大多数を占める“凡人”の正しさの保証手段をシッリ政治・行
政的に確保して社会的信用を維持すること』を最大限に重視すべきだ>とい
うことだ。

更に、ここから二つの重要な政治的な原則が創生されることになる。その一
つは<公文書・ドキュメント資料、民間のビジネス文書(日本では、これら
を軽視する傾向がある!)あるいは歴史資料類は「法」に基づいて厳重に保
管・保存すべき>だという『公文書管理(法)』の大原則である。だからこ
そ、目下のところ<アベさまのウソの山>を糊塗するための<公文書に関わ
る改竄・廃棄・隠蔽そして作為的な記憶喪失(アベ様によるヤラセ記憶喪失
の政治利用?w)>なる大スキャンダルの“てんこ盛り”で揺れ続ける日本
は、事実上、れっきとした非民主主義的な独裁国家だ!と肝に銘ずるべきで
ある/関連↓▼)。

▼森友の【改竄】は財務省・佐川氏だけの責任に非ず!事実上【安倍の指示】
なので人道上からも<「安倍、麻生」=調査される側>は天網恢恢疎にして
漏らさずの自明の理では?w➾新型コロナでアベ会見が急遽中止された
「森友」追及避ける思惑か321東京https://twitter.com/tadanoossan2/status/1241455334167678976
 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1241296670240829445

◆「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判20190706朝日https://www.asahi.com/articles/ASM7644NNM76UHBI00V.html

そして、もう一つが「共有的な自由」(自由の共有/リバタリアニズムの対極
となる哲学的な視座)という概念になる。このデューイの「共有的な自由」は
ニューディール政策(ケインジアニズム政策の応用)へも大きな影響を与えた
ことが知られており(それは当然だと思われるが)、実は、このこともあって
か?<ハイエクVsケインズ『経済論争』>に敗れたハイエクが、ニューディー
ルを実施したフランクリン・ルーズベルト大統領を毛嫌いしていたのは、よ
知られたエピソードである。

つまり、実はこのような意味での「共有的な自由」の概念の不在が、「トラン
プ支配とは雖も民主主義の国アメリカと偽装民主国ニッポン(ファシズム2.0
/自由の概念が一つしかないアベの国)の決定的な差異」となって表れている
と思われる。しかも、必然的にその根本には“一人ひとりの保障された言明
可能性➾ドキュメント重視(改案等厳禁)”の概念が「アメリカ合衆国では
存在」し、「日本では存在しない」という問題が併存する。

従って、それらが根本的に不在の日本で「てんこもりの嘘の山が出現し、しか
もそれが放置されたままの状態である」のは当然と言えば、当然のことでもあ
る。つまり、このような日米民主主義の「根本的な違い」を端的に言えば
<「アベ・ファシズム2.0」政権下の日本の“自由”は芯が不在の玉葱の如き
状態であり、米国の“自由”には“プラグマティズム哲学の芯”があり、永続
的に論争が続いている、ということだ。

これは前にも触れたことだが、「 ハイエクがモンペルラン協会を創設
(1947)したホンネが“ナポレオン以前の皇族たちも享受できる自由を取りも
どす”(@本山美彦・京都大学名誉教授(世界経済論))ことであったとして
も、建前上は「山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」
が紹介したとおり、ある意味で当たり障りがない(あるいは両義的に理解で
きる)「第二次世界大戦で失われてしまった人間の尊厳と自由を復活させるた
めの理念と目標」が素直に謳われていたが、おそらく殆どの日本人(国民)は
そのように信じ込まされている。
ところで宇沢弘文によれば、そもそも同じ自由原理主義(リバタリアニズム
/完全自由主義)でもハイエクとミルトン・フリードマンのそれでは意味する
ことが些か異なる。

すなわち、ハイエクの自由主義は究極的には「市場経済の作用に神の手を見る
(その意味ではアダム・スミスの踏襲でもありつつ、それよりも過激な市場至
上主義である/ツヴェタン・トドロフによればスミスと異なり科学主義的とい
う意味で、それは科学的社会主義と同次元の“科学”自由主義(この“科学”
はアルバ・アールトの“か弱き人間のための大きな合理主義”の対極にある
“小さな合理主義”と同意!)」である(関連参照↓★)。

★マンデヴィル『蜂の寓話』は透明甲殻リバイアタン・安倍晋三ら出現への警
告!『日常』とホッブスに潜むエルゴン(内需等に係る新しい生産性(という
か、潜性イノヴェーション)の培地)の発見がアベ「サクラ怪獣」駆除のカギ https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331

因みに、道徳哲学に裏付けられた自由主義を主張したフランク・ナイト(既出
/ミルトン・フリードマンと宇沢弘文の師の立場にあった)は、シカゴ学派の
第1世代と呼ばれる経済学者であったものの自由競争(市場原理主義)に全幅
の信頼を置くフリードマンとは違い(周知のとおり宇沢はフリードマンを厳し
く批判している)政府による政策的な介入をある程度は是認する立場を取って
いた。
また、実に驚くべきことだが、宇沢弘文によれば「ミルトン・フリードマンは
投機的な動機による取引でを金融機関の利益の最大化を実現せよと主張したこ
とに止まらず、バリー・ゴールドウォーター上院議員(共和党大統領候補/ア
ジア系への差別意識があった)の『ベトナム戦争で水素爆弾を使えとの』発言
を支持し続けたとされる。

しかも、「山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」が紹
介していたとおり、モンペルラン協会の内部での討議や各メンバーの発言内容
は容易に外部へ漏れ出ないような仕組みとなっているが、 漏れ伝わる情報に
よれば、初めのころは市場原理主義による格差拡大などに対する懸念も大きな
議題となっており、かなり激しい議論が闘わされていた様子だが、なによりも
ミルトン・フリードマンが参加していたことで、次第に会合の雰囲気が完璧な
リバタリアニズムの方向へ変質してしまったとされる。

(モンペルラン協会に透ける、ハイエク型カタラクシー『交換的正義』万能論
の限界) 

ハイエクは著書『隷属への道』(1944)で<「ファシズム政権や社会主義者が
主張する分配的正義は人間の意図せざる行為の結果として市場において自生す
る自生的秩序(Catalaxy)が実現する交換的正義には敵わない。なぜなら、仮
に金持ちから余剰なカネを奪い取り、それを社会的な弱者層へ平等に分配する
(分配的正義を実現する)ことが可能であるとしても、それは一強・強権独裁
化したファシズム国家でしかあり得ないことになるからだ。>という「趣旨の
こと」を主張する。
また、そのためハイエクは「長い歴史的な時間をかけ自生的に形成された言語
・慣習・伝統および市場の知識を遥かに超えた大いなる力が、つまり人間の
を超えた意図せざる結果として自生的な秩序が市場のなかで生まれる」ことを
最重視すべきだとも主張する。

たしかに、このような視点は重要であり、それは現代「知」の先端と見るべき
「エトノス(ヒト・自然・文化環境)論、新実存主義(@マルクス・ガブリエ
ル/↓▲)、批判実在論(Critical Realism)」などの先取りかと見紛うばか
りである。
▲マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel/1984 - /ドイツの哲学者、ボン
大学教授)の新実存主義/序論:穏健な(“普通の”のニュアンス/補、toxandoria)自然主義と、還元論への人間主義的 抵抗(廣瀬 覚訳、
2020.1.21/岩波文庫)

・・・以下は、当著書の序章「ジョスラン・マクリュール(Joceran Maclure
/ラヴァル大学教授/1973− )のガブリエル・新実存主義についての紹介文」
より部分転載。・・・

ガブリエルは、数々の形而上学の重要問題について、大胆な見解を唱えてい
る。たとえば、以前の著作では、存在論や認識論で構成主義(自然科学に似た
要素還元論的な)が乱用されるいま、新たな実在論が求められていると論じた。
我われの現実(日常的な)をかたちづくる対象領域―すなわち「意味の場」
(つまり『日常』/補、toxandoria)―の多元性(マッハ感覚論的
素材性(‐実在性)/補、toxandoria/関連参照↓★)を中心に据えた実在
論である。

★マッハ感覚論的素材性(実在性)について:再び、マッハ現象学とマッハ感
覚論的素材論(性)についての考察が必須、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1
★同上関連/西田哲学の形成に影響を及ぼした現代物理学の影響についての思
想史的考察:矢崎 彰(早稲田大学大学院博士課程)http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1994_21_hikaku_10_yazaki.pdf
★日本哲学という意味の場—ガブリエルと日本哲学/浅沼光樹:西田幾多郎と
マルクス・ガブリエル、特に「場所」以後の西田と『なぜ世界は存在しない
のか』におけるガブリエルの基本思想の類似を指摘する!
https://www.evernote.com/shard/s440/sh/10ae5d94-4fb6-444c-be2a-6f296cc224f0/1c472734a1d9d1ebdc7a6b98d0d387c6

・・・

心の哲学の研究者も、神経科学者や認知科学者も、ガブリエルとコメンテータ
ーの個々の議論に疑問を抱き、そこにある不備をとがめようと思う人は少なく
ないはずである。そして、それこそが健全というものだ。それでこそ、新実存
主義はより強固なものに育っていける。

だが、アカデミズムの有力な一角で、また文化の広範な領域で、還元論的自然
主義(特に、一部のAI系研究者やフィンテック系の投資コンサルタントらに見
られる素朴な!の謂いでの/補、toxandoria)が幅を利かせる現状に不安を抱
く者にとって、ガブリエルらの見方が抵抗の時の到来を告げるものであること
は確かなのだ。
私(ジョスラン・マクリュール)の目に映る「心は頭のなかだけにあるのでは
ないと考えるガブリエル」とは、抜き難い心の文化的・社会的側面に注意を促
す哲学的人類学者というものだ。

・・・ここで、引用転載おわり・・・

この哲学的人類学者のイメージが、ある程度まで後述する≪ハイエクのカタラ
クシーに特徴的な考え方≫に重なる点のあることが興味深い。

ただ、ハイエクの場合、それはガブリエルの所謂「ヒトの意識(心)の“絶え
ざる多様性と開放性”の創出の作用」(更に付言すれば、デューイのプラグマ
ティズムの共有的な自由(自由の共有)意識、つまり“凡人の厳言明の保障の
意義”なる暗黙知の重要な役割についての理解)という水準まで深まることは
なく、それどころか、折角のその貴重なエントランス部分への気付きが、結局
は、もう一つのハイエクの関心事であり、ハイエク自身の大きな拘りでもあっ
た自由市場原理主義(個の完全自由に基づく市場原理を崇拝するリバタリア
ニズム(その完全自由主義なる超設計主義(自己撞着)があらゆる埒外の余人
の自由を厳しく規制するファシズム2.0)、つまりリバタリアニズムという経
済計画論(完全な個の自由の絶対保全)による新しいタイプのファシズム国家
(開放系の多様性を排除し市場原理の埒外の一切の価値観を否定する方向)に
回収されている、と思われる。

片やミルトン・フリードマンについては、シカゴ大学時代に同期で同僚でもあ
った宇沢弘文の証言によるとフリードマン自身が金融投機のカラ売りで一儲け
することに熱中するタイプのリバタリアニスト( The Complete
 Libertarianist)であったようだ。だから、ミルトン・フリードマンはガブ
リエル哲学的な意味での実存主義的な理解とは程遠い世界のヒトであったよう
だ。

ただ、ミルトン・フリードマンの名誉のために補足しておけば、既述のとお
り<「重要論文F35」の読み直しから、実は<フリードマンが「諸経済理論
F・システム大系を哲学的視点でネットワーク化し、真の経済理論が完成する
迄のさし当りの道具としての市場原理である/道具主義(プラグマティズム)
の市場原理」>と考えていた節がある。>という説もある。天才とされる経済
学者フリードマンも、ハイエクに負けず劣らずの大いに迷える人間であったの
かもしれない。

とすれば、ハイエク、フリードマンら新自由主義の聖人たちの正体と欠点を或
る程度は知りながらも、それを巧みに政治利用して私腹を肥やし、他方では
管お仲間らの権力強化にうつつをぬかし我が世の春を謳歌する輩(例えば現代
日本の安倍晋三(ファシズム2.0政権の領袖)や竹中平蔵ら)の如き、余りに
も野蛮で狡猾で強欲な政治家や御用学者は、この<市場原理主義の二大聖人>
に対しても大いに無礼なのではなかろうか?w

 ・・・・・第一部:当タイトル記事(1/2)/完・・・・・ 

そもそも、経済史上でアダム・スミスの“神の見えざる手に委ねるべきとする
レッセ・フェール、つまりその自由原理の思潮(あとになると、その抑制的で
あったはずのスミスの自由原理と17世紀の科学革命後の完全合理主義が安易に
癒着することになる!)の流れを汲むことを自負する 「新自由主義」(シカ
ゴ学派・第二世代〜)の経済学者らは(上で述べたとおり、同窓の宇沢弘文は
彼らと袂を分かつことになった)、<悪徳のエルゴン(プレ・デュナミス潜在
性(生産性の培地)の悪徳の部分)を強調したマンデヴィル『蜂の寓意』の
“18世紀〜現代までの長きにわたる曲解”>の中に自らの市場原理主義の淵源
を持つと見ることもできる(当論点、マンデヴィル関連の委細は下記★を参照乞う)。

★マンデヴィル『蜂の寓話』は透明甲殻リバイアタン・安倍晋三ら出現への警
告!『日常』とホッブスに潜むエルゴン(内需等に係る新しい生産性(という
か、潜性イノヴェーション)の培地)の発見がアベ「サクラ怪獣」駆除のカギ https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331

・・・いずれにせよ、予定以上に長文となり、容量オーバーの警告が出された
ので、最も肝要な当記事のモチーフである「潜在イノヴェーションの培地とし
ての『日常』」(以下の第4章と第5章)については、暫く間をおいて、次回
の記事(2/2)へ送ることとする。・・・

・・・

4 オーストリアン派(ミーゼス、ハイエク、シュンペーター)に通底するもの

・・・それは、「主観的リアリズム」が創造する「潜在イノヴェーション」に
ついての気づきということ・・・

5『日常』は「潜在イノヴェーション」のエントランス 

・・・新自由主義の盲点がヒントとなり、『批判実在論の眼』(Critical
 Realism)が切り開く未来への確実な希望!・・・

(古典派〜新古典派の歴史に流れる“完全合理Vs限定合理”の通奏低音)

・・・新古典派のジョーン・ロビンソン「雇用の内容(質)」とカレツキ「
治的景気循環仮説」が抉った「民主主義のアキレス腱」・・・

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