メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済に備え“社会の茎”・・・(6/6)−1  2019/03/07


■チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex.BI型“社会的共通資本”」
金融への展相が必須!(6/6)−1

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

5  準汎用AIロボ「スキル偏向機械」経済化に備えるため、「 社会の茎 」(広義の社会的共通資本)を介し“新次元”マクロ経済
へ展相することが必須

 ・・・準汎用AIイノベーション、スキル偏向機械経済化だけではデュナミス(潜在的な高度付加価値創造)の次元に止まるため、圧
倒的な多数派の人々と未生のための“幸せ”をもたらすことはできない!マクロ金融政策が「社会の茎」(広義の社会的共通資本)
であることへの気付きこそ、準汎用AIロボ時代に我われが新たに希望を持って生き抜く条件となる!・・・

  

(1)社会の茎(socio-scapes)

(植物群落の遷移における草本の茎の役割から得られる“社会の茎”のイメージ)

f:id:toxandoria:20190220125746g:plain・・・添付画像は、
www.max.hi-ho.ne.jp より転載

 一般的に言えば、高等植物において葉や花を支える部分である茎の役割は「根から吸収した水分や栄養素(ミネラル等)を植物体の
各所へ運び、それと共に主に葉の部分で光合成されたもの(光エネルギーを化学エネルギーに変換する生化学反応で作られたもの)
を光合成ができない部分へ運ぶ、ということである。

 光合成は光エネルギーで水と空気中の二酸化炭素から炭水化物(糖類であるショ糖、デンプンなど)を合成する一方で、水を分解す
る過程で生じる酸素を大気中に供給している。そして、年間に地球上で固定される二酸化炭素は約10の14乗kg、貯蔵されるエネルギ
ーは10の18乗kJと見積もられている。http://www.tkd-pbl.com/book/b298034.html 

 ここでは余談となることだが、「特に生命力が強い草本」は、ヒトの社会に喩えると東アジア漢字文化圏の中で意識されてきた、
草莽(グローバル環境の激変の時などに一般国民層の中で傑出した強かさを発揮する人々)に似ているようだ。幕末期の日本におい
て、特別な役割を担った吉田松陰らの草莽の正しい意味(いわば草本の茎の役割)は必ずしも未だ正しくは理解されていないようだ
が、彼らが歴史的に重要な役割を担ったことは確かである(当論点の委細は↓★を参照乞う)

 ★幕末「普遍の自生史」隠蔽は正統保守に非ず、松陰「白日」の削除を謀るアベ独裁は戦前構造災の再来/敗者と異論への寛容(思
想)の回復が必須2018037toxandoriaの日記、・・・新たに判明した歴史「事実」である<維新政府が隠蔽した「白日=啓蒙思想の普
遍観念に匹敵する観念」の発見>を安倍晋三・内閣が毛嫌いする不可解!その「白日」とは、カント「情念統制、論理構成」の二理
念とも呼応する<自律的な吉田松陰ら幕末期“草莽の獅子”たちのリベラル共和的な“普遍”への覚醒>であった!http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180307 

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・・・この「秘密の思い出」の花言葉を持つネジバナの画像は、ブログ「Tatehikoの独り言・No.2」さんから、お借りした。https://49173758.at.webry.info/・・・

ところで、草本とは背が高い木になれずその生涯が短い植物群を指すのだが、木になる植物の茎の場合は、その殆どの場合で先の部
分を除く大部分が堅い幹となっている。一方、背が高くなれない草本群はその代わり生活上の融通が利くように可成り自在な戦略を
身につけているが、特に、その茎の主な役割は草本の主柱的な形をした個体内の生命環境の基盤インフラであると共に、この茎こそ
が個体生命の全体をシッカリ支えるネットワーク構造の要となっている。

比喩的に言えば、人間社会の草莽(いわば生命力が強い“社会の茎”たち)は、特に雑草に近い「地這いの植物の茎」と酷似してい
る。それは、彼らが「高い木にはなれず、植物体が小さい代わり生活時間(生涯)が木に比べ短く、しかも個体数が圧倒的に多い多
数派であるから(又は多数派を動員できるから)こそ、いくらグローバル環境から大きな攪乱を受けようとも、些かも怯むことな
く、逆に、空いた場所があれば素早くそこへ侵入し、そこで強かに世代交代を繰り返す」という地這いの植生と似たような行動の特
徴を持っているからだ。

 いわば、一般に植物群落の遷移では、まず草(草本)が生え、それから木が侵入して森林化へ進むという順番が見られるのだが、
グローバル環境の影響で断続的に激しい攪乱が行われるような場合には、必ず、多数派の草本が長期にわたりその場を優占する。
、草原の状態が長く続いたり、雑草で覆われ尽したりするのがその一例であるが、結局そのようなローカル環境には一定地域の自然
環境を激変させる樹木が外部からなかなか進入し難いことになる。

以上のことから、自然環境にせよ人間の社会にせよ、グローバル環境の保全には、特に生命力が強かな多数派の草本の役割が、人間
社会で言えば「草莽的な役割を担う人々が主役となリつつ各個体にとって最も基本となる生命・交流活動の場と手段を提供するイン
フラストラクチャー機能」(いわば社会的共通資本的なプラットフォーム)が非常に重要であることが理解できる。

 

 (マーティン・オルブロウの社会の茎(socio-scapes))

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マーティン・オルブロウ(Martin Albrow/英国の社会学者(ドイツ出身))は、<トランスナショナルな分業を巡って組織される、
国家など一定の地理的な領域を持たないコミュニティ>のことを「社会の茎」と名付けているが、ウルリッヒ・ベック(1944 - 2015
/ドイツの社会学者)は著書『世界リスク社会』(叢書ウニベルシタス)の中で、これを<グローバリズム時代における新しい「帝
国」(国際金融資本など)へ対峙し得る、“グローバル市民のための全く新しい共有基盤”(いわばグローバルな社会的共通資本)
になり得るもの>として注目している(オルブロウ画像は、martinalbrow.com より)

なお、このマーティン・オルブロウが定義した「トランスナショナルな分業を巡って組織される、国家など一定の地理的な領域を持
たないコミュニティ=社会の茎」は、今では必ずしも「コミュニティ」だけにかぎるものではなく、グローバルな繋がりの中でこそ
個体生命は存在し得るという意味での「生命(ないしは生物環境)モデル」の中核的な機能を意味する概念として理解されている。

ところで、scape(複:scapes)はタンポポや水仙などのような地這いの草本の茎(花茎)のことなので、各国家の如く強固な地理
的“領域”の意味はない(そもそもタンポポや水仙がカッチリした国や領土を主張するはずがない!)。しかし、一方でそれがロー
カルな意味での一定の自然環境に立脚している、換言すれば個々の生身の市民・住民らの日常的な生命活動が“土壌”となっている
という意味での「ヒトの社会のグローカル(Glocal)な概念/Think globally, act locally!」と相似しているのも当然と考えら
れる。

更に、概念をより拡げて連想すれば、これはヒト、家畜、昆虫などあらゆる動物の個体の内部にある、ホルモンなどの情報伝達物質
を分泌する「腺」(gland/内分泌腺、外分泌腺がある)に見立てることもできるだろう。因みに、ヒトでは腺の異常によって各種の
腫瘍やガンが発生するが、無論、植物にも密腺・油腺などの重要な働きをする腺が存在し、そこからの分泌物質は非常に広域におよ
ぶ動植物間のコミュニケーション等にも役立っている/出典:https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1809)

一般に草本はローカルな大地から直に生えている訳だが、その中でも特に生命力が強い雑草(そもそも外来種が多いが、そして既述
したことでもあるが、これはヒトで言えば草莽に比較すべきかも?)も含めて、それら草本の<茎(scapes)の役割>は、ローカル
からグローバル全体の、木々や動物・昆虫らも含めた意味での、いわば生命トータルの多様性を保全する役目を担うという意味で非
常に重要である。

つまり、それは各花々(“社会の茎”に比定すれば、夫々の場所で生きている世界市民の一人ひとり)の支えであるだけでなく、気
象・天候・外敵らに関わる情報収集と情報発信により(普通、ヒトの感覚でそれは殆ど捉えられない)、それらの花々や多くの木々
や諸動物らがそこかしこに群生する広域なグローバル世界、つまり究極的には全地球的な生態環境を保全することでもあるからだ。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=MvlrZKPxV1w)

老婆心でつけ加えるが、オルブロウとベックは「草本の茎」と「社会の茎」なる二つの概念を、世界中に存在する草本や社会と個々
に対応させる意図て使っているのではない。それは<個々の社会的事象については常にグローバルな視点で捉えつつ、リアルの実践
ではきめ細かくローカルな問題を最重視して取り組むべきだ!(Think globally, act locally!)という「Glocal」の象徴として、
比喩的に使っている訳である。

 

 (2)“新次元”マクロ経済への相転換(展相)が必須と見るべき背景

・・・それは、「第4次産業革命」(AI・準汎用AIを基本ツールとする革新的イノベーション)と、「普遍観念」(ルソーの一般意
志に因る/立憲主義に基づく現代『民主主義国家』のグローバル経済基盤)との統合は如何にすれば可能か?という問題・・・

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安倍政権のアベノミクスなる「ピンクチェリー(好いとこ取り統計偽装)方式の嵩上げGDP/2020年度600兆円、必達!」が、(おそ
らく、よく訳が分からぬままの)多数派の国民から一定の高い支持を受けつつ?、今も堂々と行われている、その背景を探るのが当
記事の“隠れたサブ(副)”目標であったが、これまで見てきたことから理解され、特に重要と思われる点は下の4つ(a〜d)に集
約される。

a【GT1】現代資本主義の特徴である「市場原理主義(新自由主義)&技術イノベーション型」という二つの搾取構造の大きな流れ
(GT:グローバル・トレンド)に、殆ど気づかぬうちにドンドン飲み込まれ続けている。 

・・・具体的には「二つのワニ口」(搾取構造)があり、その一つは“近代産業革命に始まる技術イノベーション”、二つ目は
“1970年頃から優勢となる新自由主義(ネオリベラリズム)のそれである。

・・・然るに、その“新自由主義(ネオリベラリズム/先鋭的マネタリズム)には、数理論証明(R.ルーカス理論)に誤りがあった
ことが証明されている。 ←世界的に知られる数理経済学者・宇沢弘文らの指摘がある!(この論点は第2章で詳述した)

b【GT2】およそ2000年代に入り、aの上に、IT技術型の「スキル偏向技術進歩」(画期的イノベーション)に因り、新たなグロー
バル・トレンドの搾取構造(三つ目の“ワニ口”)である「Great Decoupling」が加わった。

・・・21世紀に入り、a【GT1】の中の「技術イノベーション」のそれがAIロボ-IOT型「機械経済化」の「第4次産業革命」へ向かう
IT技術に関わる必然の流れの中で更に搾取構造がより高度化しつつある。

・・・「IT技術が生み出す高度生産性」が、IT技術を支配・所有する一握りのエリート層(ITイノベーションを支配する資本家・経
営者層ら)へ過剰に傾斜分配され続ける限り、ヒトの日常生活の『実需』の基本である「生命の営みの一部でもあるヒトの生産性」
を圧倒することになり、より深刻な賃金「格差」が発生する。そして、それは「少しでも“幸せ”に生き抜こうとする、消費者で
あり、かつ雇用者(or生産者)でもあるという、ヒトとしての最低限度の生存条件」を着実に根底から脅かしつつある。

・・・言い換えれば、それは<究極的には生身のヒトが主役である「実需」には、消費者であると同時に生産者でもある雇用者(厳
密に言えば家計・家政)がマネー増加分、つまり(持続的に取り込まれるマネーエネルギー(エネルギー通貨)の活発な流通を媒介
とする日常の生活・生命活動(主に衣食住に関わる)によって、日々、新たに更に前向きに生き続けるため必要な何らかの付加価値(etwas)を絶えず、創造する必要がある」という重要な意味があることを改めて教えてくれている。

・・・だから、新古典派経済学的な意味での機械生産(技術イノベーション)的な付加価値(静態的)と後者(ヒトが関わる、いわ
ば生命モデル経済的な意味でのイノベーション)の付加価値(流動エクセルギー)を全く等値(等価値)と見る算術勘定(換算)が
誤りなのだ。

・・・なぜなら、前者が創造する付加価値はあくまでもデュナミス(潜在性)であり、生身のヒトが創造する付加価値はリアル(現
実)での生命エネルギー消費の対象なのであるから。

c【GT3】いまグローバル世界は「準汎用AIロボ型技術の高度イノベーション経済の本格的な出現」へ移行しつつある。(その本格
化は10〜15年後か?)

・・・これは、【GT2】が、おそらく“ミクロ・マクロ経済に関わる政策面で何も手を打たなければ、準汎用AIロボ型技術の高度
イノベーション経済の本格的な出現(準シンギュラリティの時代へ移行すること)によって、凡ゆる予想を超えるほど大きな賃金
「格差」”に襲われる可能性が高まりつつあること、を意味する。

d【 日本型『伝統“構造災”』の存在 】日本には全ての国民が覚醒し克服すべき日本型(JPN)伝統“構造災”のリスクが存在す
る。(この論点は第1章で詳述した)

・・・これがチェリーピンクGDP(アベさまのチェリー・ピンク病!)の病因となっている。その根源には実に厄介な日本文化の宿痾
(本態性高血圧ら本源性の病理に似ている)が潜んでおり、その完治には歴史・文化的な意識に関わる革新(例えば、エナクティヴ
ィズムに関わる覚醒)が必須であろう。(関連参照↓◆)

◆【“晩秋”の南都に漂う身体化された心(唯識的エナクティヴィズム)の風景】幼生期(古墳〜奈良時代)列島の住人は現代と異
なり「自分と違う存在を見ようとせぬ人々」ではなかった!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/12/17/044810

 

6 『人間の壁』(ヒトとデュナミス経済を分断する生産性の壁)を乗り越え、ヒトが少しでも“幸せ”に生き抜くための基本的な方
向性

・・・「準汎用AIが創造する抽象的デュナミス」(AIロボ・IT・ITOイノベーションが生み出す高度生産性)と「ヒトが生きるリアル
社会の実需(消費)」を遮る『人間の壁』(デュナミス経済化)を如何にすれば乗り越えられるか?・・・

6−1 近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク

・・・新自由主義に汚染した新古典派「マクロ経済」の流れの中で、もし<先端科学技術の典型,汎用AIロボに因る機械経済化に伴
う『人間の壁』の問題が放置されれば、特に“展相の民主主義&経済社会に関わる観念”が希薄な日本社会が世界で真っ先にデスト
ピア化するのは必然!・・・

 (一般に欧米では“科学技術が政治権力と結びつき易いことが理解されている)

 そもそも、<アベ神さま?w>が一強支配する今の日本が嵌った超リスクの真相は、自由の意味が混乱して、権力・経済力らの「強
制力」(アンシュタルト)と自律的な「自由」の間のジレンマ回避に失敗したことである。アンシュタルトとは、そもそもはM.ウェ
ーバーの“一定の強制力を持つ社会的な-団体、例えば学校・精神病棟など”のことだが、近年はそれが不可視の制度として強制権力
を行使するシステムの意味でも使われており、その典型が現在の世界で君臨する新自由主義(ネオリベラリズム)である。

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しかも、K.ポランニー「市場社会と人間の自由」(大槻書店)によれば、ポランニーの歴史的な検証で「一般的に科学技術は権力と
結びつきやすい」ことが理解されており、第4次産業革命をリードする準汎用AIロボ技術といえども、その例外とはなり得ないよう
だ。これは、そもそも資本主義(市場経済)の失敗による格差問題を解消する(市場経済の毒牙から市民を守る)という口実にファ
シズム誕生の淵源があることを想起すれば分かり易いはずだ(今の日本でも我われが目撃している“科学技術と軍事力が接近しつつ
ある傾向”を想起せよ!)。

因みに、科学・科学技術とファシズムの親和性について補足しておくが、それは根本的には「科学知の破壊的威力と政治的万能感の
野合」の問題と言える。例えば、311フクシマが象徴する日本の原子村(原子力技術コンソーシアム)の<『暴走インフラ→構造災』
化>の問題(今やこれは進退不能のデッドロックに嵌っている!)は、その典型である。

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加えて、渦中の『チェリー・ピッキング症/統計不正操作によるアベ・ピンクGDP』らの問題を考えてみれば分かり易い(統計学
は、れっきとした科学(科学理論)である!)。従って、宇沢弘文の「社会的共通資本」は、この問題に対する、最も有効な問題提
起(インフラ型構造災への有効ワクチンの発見)として理解することも可能である。(そもそも、この種の柔軟な観念の不在が問題
である!)

また、E.O.ウイルソン(米国の昆虫学者、生物 多様性・社会生物学研究者)が「AIの核心技術である回帰分析は「相加条件」(更に
リアル環境下で多様な後天的・双方的・パラダイム的影響を受けること)を無視する一種の“情念的・観念的”設計原理主義(設計
=あくまでも一つの観念、リアル=宿命的に多元)なので、それによるリアル100%の予測は不可能だ!」と警告を発していることは
十分に傾聴すべきだ(だから、AI活用は積極かつ抑制的(冷静)であるべき!)。また、AIには宿命的カルマン・フィルターの問題
(多変量・特徴量の統計処理によるリーマンショック・自動運転車事故等の原因となった突発的パニック・リスク発生が見過ごせな
いhttp://urx.blue/zoqH)もある。

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因みに、問題はE.O.ウイルソン『ヒトはどこまで進化するのか』(-亜紀書房)-、小林雅一『AIの衝撃』(講談社)らの指摘どおり
で、AIディープラーニングの正体が“意外にも”旧来からある回帰分析等の統計処理であることだ。一方、最先端の進化心理学(関
連参照↓◆2)等では、同列技法である確率統計を利用しつつも、その限界をも絶えず十分意識して取り組むのが常識化している。

◆2 進化心理学

・・・社会心理学・発生生物学・進化生物学・ネオラマルキズム等との関係が深く、また進化経済学らAIを抑制的に活用する先端知
のルーツでもあり、身体の自然エトノス(最広義の地球自然環境)への適応と同様に、人間の心も生物学的な進化の産物であると理
解する心理学。

・・・21世紀に入り、特にAI研究の深化等と共振しつつ急速に発展する「文化進化論」のルーツの一つになった(委細は、コチラを
参照 ⇒2016-08-22toxandoriaの日記/『記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に潜む偽遺伝子は文化進化論(遺伝的適応)上の追
憶のカルト!新鮮な生命が持続的に吹き込むエトノス対話の環境づくりが急務』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160822)。

・・・

ともかくも、その悪夢の時代のデジャブが再び世界を覆いつつあり、アンシュタルト化した新自由主義が牽引するグローバル市場原
理主義は過酷な格差拡大を伴った20世紀前半頃と同じファシズムの再来を予感させる状況となっている(止め処なきワニ口の拡
大!)。そして、これを回避するカギこそが「社会の茎」である!それは<“自覚的に地球環境意識を持つ市民の自律的な自由意
識”を活力源とする「機能的民主主義」の可能性>ということである。

なお、そもそも機能的民主主義とは(ポランニーによる詳細な論証は省く)、左右派の論争の時代は今や終焉しているので(ランゲ
・モデルによる社会主義経済計算論争の決着)、科学技術のファシズムとの親和性については決して警戒を怠らず、また地球自然環
境への十分な目配りと限定合理主義(ヒューリスティックス)を一定の準則として「リベラル共和主義」(持続的な展相(相転換)
を前提とする民主主義社会)の実現を目指す」ということである。

EUのポテンツ経済は、これに気付いている? また。この視点は宇沢「社会的共通資本」および「米・制度経済学派」とも価値観
を共有していると考えられる。

 

(デッドロック化した日本の原発政策は“ファッショ権力と結びつきやすい科学技術”問題の典型!かつ、全世界に対する赤恥曝
し!)

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現代日本で最も問題視すべきは、日本会議の代理人たる「実に卦体(けたい)な“追憶のカルト”世界のゾンビ・アバター集団であ
る安倍政権」が、事実上、日本の権力をファシズム的な手法で一手に握ってしまったことだ。このため、ほぼ多数派を占める一般国
民と主要メディアも、今やまるで自主的に、あるいはいそいそと競い合うかの如く周囲へ目配りをしながら、かつ上目遣いで忖度の
瞬きをしながら、彼らゾンビ・アバターを必死に担ぐどころか、驚くべきことに恭順し平伏する姿勢をすら見せ始めている。

だから、安倍政権が、内閣人事局(20140530設置)に“一強”集中させた人事権をますます笠に着て配下の“優秀な官僚ら”に対し
殆ど恫喝的に“忖度”を強要するという、実に鼻持ちならぬほど居丈高で嵩に懸かる傲慢な態度を彼らが取り続けられるのは必然の
流れだとも言える。

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しかし、ただ単に威張り散らすだけの破廉恥な行動のレベルでは止まらず、安倍政権がその主要政策の柱である「アベノミクスの
失敗」あるいは「そのエンジンと位置付けた原発政策の完全失敗(アベ・トップセールス輸出全滅、核燃サイクル・デッドロック
他)」を巧妙に粉飾し胡麻化すためフェイクデータ操作によるGDPや雇用統計の嵩上げを配下の官僚らに強要したことは“犯罪行為”
そのものと言える実に不届き千万な権力の暴走である。

いわば、安倍政権はアベノミクスの失敗という大失態を内外へ向かって糊塗するため「大日本帝国」ならぬ「フェイクデータ帝国」(フェイク嵩上げGDPでっちあげ国家への誘惑)の罠に掛かったということだ。しかし、この「フェイクデータ帝国」(諸統計データ
改竄で日本経済が偽装的に成り立っていた?!)の問題は国内だけで済むはずがなく、海外市場関係者らの間でも日本経済に対する
不審の眼差しの悪しき波紋が次第に拡がりつつあるようだ(参照、下記★)少しでも早く内外の信用回復を願うばかりである。

★A Scandal Unfolds: Japan’s Impressive Growth Rates Were a Lie; 40% of Economic Data Faked/30190129 News, World 
Politics/CCN(Cryptocurrency News and Market Updates) 
https://www.ccn.com/a-scandal-unfolds-japans-impressive-growth-rates-were-a-lie-40-of-economic-data-faked 

★Abenomics under heavy fire after dodgy data hid apparent drop in wages across Japan in 2018 20190206 the japant
imes 
https://www.japantimes.co.jp/news/2019/02/06/national/politics-diplomacy/abenomics-heavy-fire-dodgy-data-hid-apparent
-drop-wages-across-japan-2018/#.XF3kYVz7TIU

 
(『人間の壁』、デュナミス経済化を助長する“間主観性⇔AIロボ・クラウド汎知”断絶問題)

  これは第4章で詳述したことだが、少しでも“幸せ”に生き抜こうとする消費者でありかつ雇用者(or生産者)であるにも拘わら
ず、「AIロボ技術が生み出すデュミナス高度生産性」が、AI関連技術を占有する一握りのエリート層(AIロボ・イノベーションを独
占する資本家・経営者層ら)へ過剰に傾斜分配され続ける限り、日常生活での『実需』を支えるべき「生命の営みの一環たる普通の
ヒトの仕事の生産性」を圧倒することに因る、より深刻で致命的な賃金「格差」が、更に深刻度を増して発生し続けることになる。

しかし、そのような超リスクが懸念されるにも拘わらず、刻々と高度な準汎用AIロボ・IOTらの先端技術が先導する「第4次産業革
命」の時代が<その深刻な格差拡大の矛盾(“AIロボ&ヒト、両生産性”の断絶)を抱えこんだまま>で近づきつつある。我われ
は、この極めてリスキーな時代に備えどのように対処すべきなのだろうか?そこで、「“間主観性⇔AIロボ・クラウド汎知”断絶問
題」の真相を概観しておく。

そもそも、シンギュラリティという用語の第一義的な定義は、<汎用AIロボが、それまでの経済の果実(ヒトの主観的欲望が需要
(消費)の主な成分であった従来の経済成長、GDP)とは全く次元が異なる機械化経済の抽象デュナミス(潜在)的な「高付加価値」
の創造(イノベーション)によって、<非常に高度な経済成長(機械自身の再生産フロー・プロセスによる供給/例えば、ドイツの
スマートファクトリーの如き、https://iotnews.jp/archives/53664 )をもたらす時代になる>ということである。

全ての仕事がAIロボに奪われるので大変だ!という単純な話ではなく、それは<資本主義の究極の宿命的段階である、ヒトの完全
“物象化(フェティシズム)”に因る”搾取ワニ口”の拡大>が抽象的なR.ルーカスの数理経済論の上で見れば無限大へ向かって拡
大する、いわばほぼ完全な機械経済化が実現するということだ。しかも、それはネオリベラリズムの市場原理主義で典型的に見られ
るようになった只の“物象化=労働力のモノ扱い”どころではなく、その機械経済化の時代において“多数派の人々はモノとしての
価値をすら失う”ことになりかねない。

つまり、それは非情にも僅か数パーセントのAIロボを占有するスーパー・エリートがその他大勢の有象無象のヒトを支配し、かつ限
りなく彼らをモノ以下の無価値な存在(高々で奴隷的ネオ・ルンペン層化?*)へと貶める可能性すらが高まるということだ。だか
らこそ、後述する<社会の茎(社会的共通資本)としての「新たな金融制度設計等の抜本的改革」による、“日常生活”における多
様なヒトのための需要(働き口と活発な消費のためのエルゴン(生命論的活力源))の取り戻し=生命経済モデルへの展相>が必須
となる。

 自然環境の中での果てしない対エントロピー(比喩で言えば、対アンシャンレジーム(絶えず、既得権化し陳腐化する!))抗争こ
そが<「自由原理をエルゴン(活力源)とする地球型生命」と「ヒトの社会・経済活動」>のレーゾンデートル(存在理由/raison d'être)である。また、「A:リアル因果と倫理」はその共通の自然環境のなかで、特にヒトにおいて発現するマッハ現象学的、生
命論的「意識」の「土壌と体性感覚的感性」(ヒトの基調ベース)であり、「B:(数学的)論理、イメージ、記号、象徴ら」は
「C:(抽象的)表象」のジャンルである、と言えるだろう。

 一方、ヒトの「意識」では「A」と「C」が共時的に脳内および体性感覚論的に共存し得るが、このヒトの「意識」下の「C」と、
コンピュータ(AI・ビッグデータ等)上の「C」の間には生命論的な意味で決定的な断絶がある。言い換えれば両者の間には生物学
的な意味でも自然環境を共有し得ない(コンピュータが機械であるから、そうする必然性がない)という意味で断絶があり、井上智
洋・駒沢大経済学部准教授は、これを「人間の壁」(デュナミス経済化)と呼ぶ(Cf.◆井上智洋・著『人工知能と経済の未来/
2030年雇用大崩壊』―文春新書―)

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これと同じことを、『情報社会の哲学』(勁草書房)の著者・大黒岳彦(明治大学大学院・情報学環教授)は、a「あくまでもヒトが
意識を持つ生き物として生きているリアルな文脈世界の一環であることと繋がる諸データ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッ
ハ感覚論的素材性/具体的には統計作業で現実社会の複雑かつ多様に絡み合いつつ生きている(or生きてきた)諸相と繋がる生
のパラメータら)」とb「機械言語上の情報知(一定の選択フレームで切り取った抽象的体系性)」との間には「断絶(アポリア化した)」がある、と言っている。

大黒氏によれば、そもそも両者はアリストテレスの潜勢態(デュナミス/dynamis)と現勢態(エネルゲイア/energeia)に対応して
おり、一般に我われは、その潜勢態(それはリアル因果の流れの中での流動的な可能性の謂いでもある!)をほどほど(限定合理主
義的)に実現し、その完成度の検証を持続的に繰り返している訳だが「仮想的な意味で、それを完全に実現して目的に到った状態は
エンテレケイア(entelecheia/プラトンのイデアに匹敵する/但しこれは永遠に到達できないアポリアでもある)と呼ばれる。

つまり、現代の我われは、(1)社会活動的に見れば「間主観性」(相互主観性、共同主観性)が、日々に、一定の許容範囲を持つ
振幅で微妙に振動しつつ更新され続けるリアルの場面である、自然・社会環境と無限に繋がる文脈的世界の一環としてのマッハ感覚
論的素材性(生命環境論的な意味でのエトノスと感情の海を漂うエネルゲイア)と(2)巨大WebネットDB(データベース)
汎“知”が刻々と更新し続ける新たなクラウド的世界(増殖し続ける抽象的データの海/抽象的デュナミス)、という全く異質な情
報空間の世界を跨ぎつつ生きていることになる。

 <注>エルンスト・マッハ感覚論的素材性(一般にはマッハの内面的表象と呼ばれる)

・・・内外のエトノス(自然・文化環境)と殆どアニミズム感覚的に交流・共鳴する「ノントリビアル・サイバネティクスの内部観
察者(obserber)」(自然環境内で生きる生身のヒト)の意識(正確に言えば意識滑動)に相当する。とすれば、それは生命論的、
ないしは人間論的な意味で時間の流れと同期して進行する「内外世界の因果連鎖」と直接的に繋がるリアル感覚(リアル意識)その
もののことである。

・・・

つまり、<事実上、もし我われがスマホという名の“Webネット型DB(データベース)ロボット”の操作なしでは一日たりとも日常が
生きられなくなっている>とすれば、今や、この“リアル意識obserber(同上の生身のヒト)”そのものである我われは、<抽象的
なWebネット型DB上に君臨するクラウドAI汎“知”>の支配下で完全にそれに組み敷かれるか否か?の瀬戸際の時代を生きつつあるこ
とになる(ソフトバンクのクラウドAI型ロボット、ペッパーの脱人間化『知能』の設計アーキテクチャは、その分野で前者(クラウ
ドAI汎“知”)へ傾斜した研究の典型事例、https://www.softbank.jp/robot/)

ともかくも、ウィーン大学で活躍したエルンスト・マッハ(1838 - 1916)は、哲学(現象学)、物理学、科学史、心理学、生理学、
音楽学など様々な分野で研究を行ったが、特にマッハ現象学がフッサール(事実上、現象学の確立者と見るべき人物)の現象学的還
元へ与えた影響は重要である。

 

  (“第4次産業革命”で期待できる『ヒトの“幸せ”のためのヘゲモニー争い』の行方/マクロ経済学的に何もせず放置すればデ
ストピア出現の可能性が高まる)

・・・それは、“AIロボ&ヒト、両生産性”の断絶を見据えて展相“新マクロ経済”で再統合を実現すること・・・化

これまで述べてきたとおり、准汎用AIロボ(純粋機械経済化システム)が創造する付加価値(生産性)はあくまでも「潜在(抽象
デュナミス)的付加価値」であるが、このことについて『人工知能と経済の未来』(文春新書)の著者・井上智弘(駒沢大学経済学
部准教授/マクロ経済学)は、凡よそ次のように説明する。

・・・「産業革命〜IT技術」期の投資は、機械と労働へ投入され生産活動が行われ、そこから工業製品ら生産物が生まれ、それが消
費者に渡り消費される」という流れで説明できる。然るに、AIロボ型「第4次産業革命」期の投資先は、(フェイク・アベノミクス
等のようにマクロ・ミクロ経済的に何も革新的な手当が行なわれずに今の流れのまま無意味に移行することになれば←補、
toxandoria)もっぱら「約90%以上の雇用を占める技術(研究・開発)部門」(高度専門技術や高い能力が求められるため雇用に占
める占有率は大きいが働き口の数(実雇用数)としては非常に狭き門!)ということになり、仕事の口数の消滅と分配構造の更なる
超劣化で極貧層と化した多数派の人々が、AIロボ機械経済システムで生産・創造された高度な生産物(生産性)を消費せざるを得な
いという意味で<倒錯構造>と化す!という全く<不可解な資本主義へ相転換(展相)>することになる。従って、必然的に、そこ
では供給(ごく少数派の高給生産者による、あくまでも潜在的な高度生産性の創造)と需要(おそらく9割超の圧倒的多数派貧困
(ルンペン同然化)層によるリアル消費の間に深刻な需給上のミスマッチが出現する。しかも、そこで殆どの人々はマトモな仕事を
失っているのだ。即ち、その“残余のごく少数派の高給生産者が創造する高付加価値の生産物(モノとは限らぬ!)”は、肝心の相
方であったはずの多数派層の人々の需要が殆ど“消滅”したも同然化するため、そのAIロボ機械経済システムが創造(イノベート)
する高度生産性はリアルな日常を生きる人々にとっては、只のデュナミス(潜在性/可能性)に止まらざるを得ないことになる。
・・・(この後は、toxandoriaの解釈的な補足)・・・従って、准汎用AIロボ(機械化経済システム)が創造する高付加価値(超ス
キル偏向イノベーションによる高度生産性)のデュナミス(そのままでは潜在性に止まる“准汎用AIロボ”が創造した高度生産性を
如何なるマクロ政策的な仕組みを介在させリアル化するか、が重要な問題となる訳だ。つまり、それは資本主義をどのようにすれば
ルンペン層と化した圧倒的多数派の人々(おそらく9割以上の占有となる?)の日常の生活が如何にすれば“幸せ”を感じる方向へ
相転化できるか?という問題なのだ。そこで、検討を急ぎ具体化を図るべきが“新しい金融インフラ(社会的共通資本)”としての
ベーシックインカムということになる。無論、同時に、一般的な多数派の人々の新たな仕事の口数を如何にすれば増やせるかも問題
となる。」 ・・・

 

(純粋機械経済化に因る『人間の壁』(デュナミス経済化)のデストピア回避には“マクロ”レベルの相転換で新たな資本主義を構
想する発想転換が必須!)

f:id:toxandoria:20190223134247p:plain・・・この画像はwikiより。

これまで見てきたことを言い換えれば、汎用AIロボの機械経済システム(高度スキル偏向技術)が創造する高付加価値なる潜在的
「高度生産性」(デュナミス高付加価値)の出現で「価格を縦軸に取る需要曲線と数量を横軸に取る供給曲線を用いた分析による需
給均衡点E(マーシャル以来の伝統)が消滅する」というアポリア(大矛盾/市場原理上の根本的矛盾)が生じることである。

つまり、マクロ経済の相転換(展相)が必然である現実を無視して、この<潜在的「高度生産性」とヒトの間に出現>する分断を放
置すれば、資本主義の要である市場原理が無意味化して資本主義そのものが死滅するということだ。

あるいは、「圧倒的に少数の技術エリート富裕層と癒着した強権型政治権力による圧政の出現(例えば、ネオ・ファシズムのような
暴政権力の登場による圧倒的貧困(ルンペン化)層の弾圧支配?)で、おそらく名ばかりとなった民主主義と資本主義そのものが同
時にほぼ崩壊する」という“過酷奴隷社会”とでも見るべきデストピアが出現する可能性すらある。

だからこそ、この恐るべきデストピアを回避するには先ず第1段階として「マクロ経済レベルの展相(相転換)」と共に『“少数富
裕層Vs多数有産(ノモス)中間層”化という分配構造改革でリアル経済社会を再生し活性化する』ことへの取り組みが必須と思われ
る。そして、結論を先に述べておけば、その第1段階の要とすべきものが展相「マクロ金融の要」(“社会の茎”でもある社会的共
通資本の一環)と明確に位置付けた「ベーシックインカムの段階的導入」である。

同時に「生命モデル」で理解し得るヒューリスティック(限定合理)の意味」の再発見に因る「市場原理主義の物象化ならぬヒト型
雇用(短慮かつ表層的にはムダにも映るヒューマン・ファクターを再評価する職業の創造)、つまり現象学者、アルフレッド・シュ
ッツ流の日常生活の評価等に関わるルネサンス」で、AIロボ型「第4次産業革命」による雇用の消滅を補完するべきである(無論、
新たな雇用創出の可能性はあるが当記事ではスペース的にも委細を取り上げる余裕がないので検討課題として稿を改める予定!/関
連参照:エピローグ)。

因みに、この「AIロボ機械経済化に因る“何らかのマクロ的な工夫を施さぬ限りデュミナス(潜在的な高付加価値)が限りなく機械
的な再生産のループに嵌るという由々しき問題は、ある意味で“資本主義の死”というよりも、その前ステージである“資本主義の
ガン腫瘍化ないしは痴呆症か、あるいは老化現象に匹敵すること”として理解することも可能であろう。

しかし、個体生命内での 生体流動システムならぬマクロ経済システムの上で、その高度な経済価値を“異次元の受け皿(ヒトが生き
るリアル日常の世界)へ何かを介在させて転送し、そこで未生のために有効化させる”には、“そもそもヒトが生きる意味は何か?
という類の問題に関わる人文・社会分野の知見”をも十分に参照し、“生命モデル型”経済という「革新的なマクロの視点」で、未
生の人々の“幸せ”のためにも繋ぐことが可能な雇用の創造(仕事口数の増加)を促進するのがベストではないかと思われる。

このため注視すべきキーワードが、第4章でも触れたATP(アデノシン酸三燐酸)(個体生命内でのエネルギー通貨)、あるいは社会
の茎(socioio-scapes/マクロ経済が相転換するための基本条件)、社会的共通資本(宇沢弘文)などであるが、これらから派生す
る重要な観点については、以下の章で詳述する。

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