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150章 米津玄師(よねづけんし)を語る、信也と竜太郎 2019年2月1日、金曜日、午後7時。 店のドアの横には、インスタ映(ば)えもする、『Cafe and Bar ゆず』の、 LEDのネオンサインが青く輝いている。 仕事帰りの、信也と竜太郎が、カウンターの席で寛(くつろ)いでいる。 24歳の女性バーテンダーの沢井悠花(さわいゆうか)は、 手際(てぎわ)も良くシェーカーを振い、ふたりにマンハッタンを作る。 「悠花ちゃんのその笑顔を見ながら飲むマンハッタンは格別だからなぁ」と竜太郎は言う。 「竜さんは、褒(ほ)めるのお上手ですよね」 悠花は爽(さわ)やかな目元(めもと)で微笑(ほほえ)む。 「おれには言えないセリフですよ。そう思っていても、照(て)れちゃうし。あははは」 信也がそう言って笑う。竜太郎も悠花も笑った。 「米津玄師の話だけど、彼って、宮崎駿の作品のような世界が作れたら、それが理想だって、 『ロッキング・オン・ジャパン』で語っているんだよね」と竜太郎。 「ああ、それって、俺も読みましたよ。わかる気がしますよね。彼の音楽聴いていても、 米津さんも、子どものころの記憶とか大切にしていることが、よくわかる気がしますからね」 「米津さんは、ジブリみたいになりたいって語っていてね。ジブリって、間口が広くって、 子どもでも、オトナでも楽しめるわけだしね。ああいう間口の広い世界を作れるというのは、 人の潜在意識を呼び起こすものも、ちりばめられていて、それは難しいことだし、 世界一美しいことだから、そういうものを僕は作りたいって、語っているよね。 そんな米津さんには共感するけど」 「おれも、そんな米津さんの言葉には、まったく同感しますよ、竜さん。 彼って、音楽の素晴らしさは、ネガティブな部分からしか出てこないって言っているんですよね。 編集長の山崎洋一郎さんも、本当にそうだよねって同感してましたよね。 世の中も、実際には、ネガティブで、否定的、消極的、そのものですからね。あっははは。 米津さんは、『もの作りは孤独からしか生まれてこないって僕は思っていて、 結局自分の美意識を信じるしか道はないというか』なんて言ってるけど、それも同感ですよ」 「米津さんって、まだ27歳と若いのに、リアリストで、現実をよく見ているよね、しんちゃん。 その視点のユニークなところは、やっぱり『ロッキング・オン・ジャパン』で、 『ぼくは周(まわ)りにいる人間を常日頃バカにしているんですよ。 バカにすればするほど、自分をバカにするってことになってゆくって思うんですけど。』 なんて言っていて、笑っちゃうくらい、おもしろい発言だよね」 「米津さんは、『人と人とは絶対にわかり合えないものであるというのがぼくの根幹にはある』 って言ってますけど、まあ、そう考えて、人と付き合えば、対人関係で傷つくことも、 少なくなるんでしょうしね。そんなとこも、リアリストですよね。 芸術家としてみても、現実と夢を見ることとのバランスが非常に優れているって思いますよ」 「全(まった)くだよ、しんちゃん。あっははは」 「米津さんは、『Lemon(レモン)』を作れたおかげで、《普通にならなきゃならない》 《普通でありたい》っていうコンプレックスみたいなものが、 1個浄化したんだろうなっていうのがありますね。』と語ってますけどね。 また彼は、『上品と下品って、世の中にあるものを敢(あ)えてふたつに、 二項対立して分けた時に、下品な方向に恥ずかしげもなく行ける人間になりたいって、 思ったんですよね。そっちのほうが楽しいから。そっちのほが、もっと、 下品の中にあるいろいろなものが、自分の中に入ってきて、それが掻(か)き混(ま)ざって、 また新たな音楽になる。長く音楽を作っていくにあたって、 ものすごく大事な大切なプロセスっだと思うんですよ。』 なんて語ってますけど、この言葉なんかは、音楽作りの参考になりますよ。 『Lemon』の中に入っている『はい』らしい掛け声は、米津さんの声で、 そんな下品のプロセスから生まれたんでしょう。あっははは。 『自分のみっともなさのようなものを音楽で見せることはずっとしてきたんですけど、 それをもっとダイレクトにやることが1番必要なことかな、みたいに考えてはいて、 そう思いながら曲を作ってたら、ほんと何も考えていなかったんですけど、 《はい》とか自分の声を入れている自分がいて。』とか語ってますからね。 インタビューする編集長の山崎洋一郎さんが 『なんかクソみたいな気分の《はい》が入っていると思ったら、 そういうことね』って言って笑ってましたよね。 おかしいですよね、竜さん。あっははは」 「わたしも、『Lemon』は大好きな歌なんですけど、あの掛け声は子どもの声かと思ってました。 カウンターの中で、ふたりの話を聞いていた悠花(ゆうか)が笑顔でそう言った。 白の開襟ブラウス、黒のベスト風エプロンが、女性バーテンダーらしく可愛(かわい)い。 去年の11月から悠花は、≪カフェバー・ゆず≫のバーテンダーをしている。 評判もよくて、女性客も多い。 「悠花ちゃん、おれ、マンハッタンのおかわりね!おれも、あの『Lemon』の掛け声は何!? って思ってたけど。そうなんだ、米津さんの声か。あっははは」と竜太郎は笑う。 「米津さんは、『ロッキング・オン・ジャパン』で、1ページを使って『かいじゅうずかん』という、 怪獣のイラストが掲載される連載を描(か)いてましたよね。 その28回の最終回のイラストの、その怪獣の名前は《かいじゅう》で、人間の姿をしていて、 横を向いて、姿勢もよく立っている、可愛(かわ)いくて寂しげな女の子の姿をしているんですよね。 『体のつくりは人間とまったく違うが、見た目は人間そのもの。 話す言葉も、感覚も人間と同じで、自分自身、自分のことを人間だと思っている。 自分が《かいじゅう》であることも知らずに死んでいくことも多い』という米津さんの解説があって。 その編集後記には、編集長の山崎さんが、そのイラスト見て、 『僕は本当に感動しました』と語って、『米津玄師は、怪獣の本質を知り、 人間の本質も知り、その上で、コミュニケーションを取り合いながら、 どこかへたどり着こうよ、という決意をしたんだと思います。 怪獣と人間とを分ける価値基準もない、未来の光景のようで廃墟でもあるような、 暗闇のようで光にあふれている。思い出の残像のようだけど何よりも確かな、 そんな世界へともう恐れることなく歩き出そうとしているのだと思います。』って語ってるんですよね。 そんなふうに、2015年ころに、山崎さんは、米津さんの才能を高く評価しているんですけど。 米津さんも当時、『自分が普通になって、幸せに暮らすためには、《サンタマリア》を作って、 普遍的な音で、普遍的な言葉で、何かを表現するってことしか残ってなかったんですね。』 と語っていますよね。こんな米津さんの生き方や発言からは、 やっぱり、米津さんも、心とでもいうのか、魂とでもいうのか、愛とでもいうのか 目には見えない、語ることも難しい、 そんな何かを大切にしていたんじゃないかと考えるんですけどね」 「米津さんは、『昔から人とのコミュニケーションがうまくとれない人間で、 そういう軋轢(あつれき)の中で暮らしてたんですけど、高校の時とかほんとにひどくて、 クラスメイトが外国人どころか、動物にしか見えない。 もしかしたら噛(か)み殺されるかもしれない。ヤバいからすみっこのほうでじっとしていよう、 ということをずっと思ってて・・・ほんとに嫌(いや)で。 専門学校は、高校に比べたら自由じゃないですか。別に行かなくてもいい。 そう思ってたから1年で辞めるんですけど、で、ボーカロイドっていう素晴らしい 砂場を見つけて、そこでずっと遊んでたんですね、誰の視線も気にせずに。 1年くらい遊んでいたら、やっぱり反動っていうか。自分はもともと、 人とコミュニケーションとれない、そういうところで生まれ育った人間であって、 だから、ブカロ界隈の友達もほとんどいないんですよ。』とか語っているよね。 2015年のこんな対談に対して、インタビューの山崎さんは、『米津君は生まれたときから、 疎外感と孤独感、その一方で、持っている巨大な才能のふたつを行ったり来たりする、 綱渡りのような半生(はんせい)を歩んできたんだと思うよ。』って言っているよね。 まあ、いまの世の中がこんなふうに、おかしいから、米津さんの考え方や、 生きる姿勢のほうが普通になっているよね。しんちゃん」 「やっぱり、米津さんを見ていても思うけど、子どものころのある時期のころが、 オトナになっても、忘れてはならない、幸福に生きるための原点なんだと思うんですよ。 現代社会では、そんな子どものときの心を、いつ日か、失ったり、不要なものとしたりして、 まったく無くしてしまう人間が多いんでしょうね」 「おれもそう思うよ、しんちゃん」と竜太郎。 「そうですよね、わたしも、しんちゃんの子どものころの心が大切、 っていう考え方が大好きです!幸せに生きるための原点ですよね!」と悠花も微笑んだ。 ☆参考文献☆ ロッキング・オン・ジャパン 2012年 7月号、8月号。 2013年 8月号。 2015年 11 月号、12 月号。 2018年 12月号。 ≪つづく≫ --- 150章 おわり --- |