|
■定常化を見据えるEU「Potenz経済学」の廻廊に無頓着な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道」必3選論 などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>直視から再出発すべき(2/n) <注1>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180806 2 人口と成長の間には、そもそも「人口だけが経済成長を決定する」の意味での相関性がない! 2−1 展相(Potenz)経済学の視座からすれば日本の人口減少はむしろチャンス! 「アベノミクス第二ステージ」(2015年10月〜)は、「少子高齢化社会に歯止めをかけ、50年後も人口1億人(一億総活躍社 会)を維持する」として、人口を重要な政策目標に掲げているが(https://judainews.jp/2016/06/16/786/)、一方で、国立社 会保障・人口問題研究所の将来(中位)推計では、約100年後(厳密に言えば、93年後の2110年)に、日本の人口は4,286万人 (現在の約1/3=ほぼ明治20年頃の人口規模)まで減少し、それより前の約50年後の2066年の人口規模でも8,711万人(ほぼ終 戦後の人口規模)まで減ることが予測されている(http://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp_zenkoku2017.asp)。 従って、「安倍政権が、突然、これまでの方針を180度転換し6月15日に決めた『骨太の方針』で“外国人労働者受け入れ”に転 換した」という<不可解な出来事(関連参照↓★)>と併せて色々と考量するまでもなく、そもそも「少子高齢化社会に歯止め をかけ、50年後も人口1億人(一億総活躍社会)を維持する」“という目論見(意図と目的)”で人口(この場合は、外国人 込みではなく純然たる日本人を主体とする人口と見ておく)を重要な政策目標にしたこと自体が大きな誤りだったと言えるので はないか。それよりも、安倍政権は「年平均で約0.6%(当然ながら、現在は約70万人規模だが此の縮小人数のスケールは次第に 逓減する)というスピードで日本の人口が減少する」という現実(そう推計されているという事実)を真正面からシビアに受け 止めた上で、展相(Potenz)経済学の視座(第三章で委細後述)から、それを大きな画期(チャンス)と受け止めたうえで、よ り有効な少子化対策と外国人の本格的な受け入れ策(決して彼らを低賃金の使い捨て材料と見るべきではなく、有能で有効な人 材(新日本国民)の育成策としての受け入れ対策と制度づくり)に、もっと早くから真剣に取り組むべきではなかったのか? ★安倍政権が突然「外国人労働者受け入れ」に転換した分かりやすい事情/結局、目先の利益か…20180731経済ジャーナリスト 町田 徹(GENDAI・MEDIA)http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56757 f:id:toxandoria:20180802171323j:image:w530:rightところで、世界人口の推計は非常に困難だが、国連は2年おきに最新推計 値「世界人口展望」を発表しており、2010年版では21世紀半ばの2050年迄に90億人を突破し、その後は増加ペースが鈍化するが 21世紀末迄に100億人を突破する(中位値)と予測している(画像はウイキより)。そして、『ドーナツ経済学が世界を救う』 の著者ケイト・ラワースは<世界規模で人口が増えるほど、すべての人のニーズや権利を満たすために使う資源も増えるから、 どうしても全世界の人口規模は安定させなければならないと主張する。 また、ラワースは、人口を世界規模で安定させるには、すべての人が窮乏から解放され、かつ地球環境が取り返しのつかなくな るまで破壊されぬように、世界中の国々は国連とEUらが既に視野に入れている未来経済へのコリドー(廻廊)を参考として欲し いと願っている。つまり、彼女が提唱する『十二の人間の幸せの土台』と、ヨハン・ロックストロームらが提唱した『九つの地 球環境の許容限界』の上限」の狭間にあるバイオスフィアを保全しつつ、少しでも早く「従来型の成長(GDP)神話」から脱し て、<グリーン経済→デカップリング(循環経済)→定常経済>の途へ踏み出すべきだと主張している。 f:id:toxandoria:20180802171949j:image:w180f:id:toxandoria:20180802172245p:image:w460:right因みに、吉川 洋著『人口 と日本経済』(中央公論新社)によれば、そもそも経済成長(GDP規模の推移)と人口の間には「人口だけが経済成長を決定す る」という意味での相関関係は見られず(参照、添付画像/http://blog.livedoor.jp/kazmas/archives/52242318.htmlより)、 ここには安倍政権が、「追憶のカルト(日本会議(生長の家“過激派”)&靖国神社)」とともに囚われているもう一つの病 理、「サプライサイドの論理の飛躍」ということが隠れているようだ。つまり、一国で1年間につくり出されるすべてのモノや サービスの価値(付加価値)がGDP(国内総生産)なのだが、その<成長率>は決して働き手(労働力人口)の増加率だけで決 まる訳ではないということであり、特に重要視すべきはイノベーション(+wtwas/←当記事で注視するA・シュッツ『日常性』 がもたらす“幸せを伴う豊かさ”の問題!)の役割だということになる。 f:id:toxandoria:20180802173322p:image:w360:leftf:id:toxandoria:20180802180341p:image:w650 <注>労働生産性を労働者の体力、敏捷性、精神力あるいは性別など、生物学的な属性と結びつける考え方は経済学的な意味で も誤りである。一国経済全体で労働生産性の上昇をもたらす最大の要因は「資本蓄積」(新しい設備や機械の投入)と広義の 「技術進歩」(イノベーション)である(同書より部分転載)。 2−2 将来年率0.6%(現時点で、年当・約70万人強)という急速な人口減の日本が参考とすべきA・シュッツ「人間ゆえの新 たな文化創造の多様なタネとしての日常性の社会学」とK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク」 ・・・サプライサイド生産性論の呪縛(限界)を解放する可能性が高い「A.シュッツ日常性」の意味・・・ f:id:toxandoria:20180803100946j:image:w350:rightいま、20世紀前半に米国で活躍した現象学的社会学の始祖、A.・シュッツ (Alfred Schütz/ウイーン出身)の「他者への想像力に基づく日常生活世界の意味」が注目されている。その理由は、この 「A.・シュッツによる日常性(生活)を凝視する視点(生命現象にも似た複雑な関係性のネットワークを慎重に観察する)」が、 近未来の「定常経済」社会のための「全く新しい生産性の定義」を提供する可能性があると思われるからだ。 つまり、それはサプライサイド生産性論の呪縛(論理の飛躍/参照、2−2)からの解放と、既成の科学技術型イノベーション 生産性論を乗り越える新たな生産性の定義を提供することになるのではないか、という意味である。因みに、吉川 洋氏は既述 の著書『人口と日本経済』のなかで“日本の人口が急速に減り続けるとしても、高度情報化が必至のこれからの時代において は、適切な移民受け入れ政策やハードな技術開発とともに、特にソフト技術イノベーションとビジネス・コンセプト開発型のイ ノベーションがあれば、旧来型GDPの成長を持続させることは可能だ”と論じている。 f:id:toxandoria:20180803102606j:image:w300:leftしかし、ここで言うA.・シュッツの「日常性(生活)の凝視」に期待され る「新しい生産性」創出の問題は、吉川 洋氏が言うところの“あくまでも技術レベルでの研究・開発をベースとするソフトパワ ー・イノベーション”を更に大きく補強する可能性が高いので、より重要と考えられる。そして、このことを分かり易く説明し てくれるのが、同じく生命現象(自然界における個々の生命維持現象の内外の大きな繋がり)をモデルとしつつ、ケイト・ラワ ースが「クズネッツ曲線の誤り」(委細、後述)の発見から着想した「自然界の繁栄を支えるネットワーク」である(添付画像、https://www.weforum.org/agenda/2017/04/the-new-economic-model-that-could-end-inequality-doughnut/より)。 また、A.・シュッツ「日常性(生活)」に期待される「新しい生産性」創出の問題は、「マッハ感覚論的素材性(マッハの内面 的表象)」(関連参照↓★)の問題とも深く関わってくるのではないかと思われるが、この点についての探索は又の機会に譲る こととする。 ★Google‐Webネットワーク時代の「AI・BD‐Web情報」とリアル社会情報の根本的な差異の問題/その前提には、先ずa「あくま でもヒトがリアルに生きている文脈的世界の一環であるデータ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性)」 とb「機械言語上の情報知(抽象的体系性)」の「断絶/アポリア」ということがある。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701 f:id:toxandoria:20180803142930p:image:w360:rightケイト・ラワースは「自然界の繁栄を支えるネットワーク」について次の ように述べている。 ⇒ ・・・前、略・・・自然界のネットワークの構造は枝分かれするフラクタルの繋がりでできている。 ・・・途中、略・・・川の支流も、樹木の枝も、人体に張り巡らされた血管も、植物の葉の葉脈も、そのようなネットワーク構 造だ。・・・途中、略・・・システムが目標を実現しようとして資源の流れを単純にするとき、効率性(従来型の生産性)は高 まる。言い換えるなら、大きな結節点から大きな結節点に直接資源が届くようになった状態だ。しかし、回復力(Potenz経済学 の廻廊上の新しい生産性)はネットワーク内の多様性と余剰から生まれる。従って、ショックや変化が起こったときには、沢山 の代替の繋がりや選択肢が求められる。効率性が高まり過ぎれば(その“廻廊”への目配りがなく、ひたすら従来型の生産性だ けが高まり過ぎれば←補足、toxandoria)システムは脆弱になる。・・・以下、略・・・ なお、A.・シュッツの「日常性(生活)の凝視」に関する説明で、最も重要と思われるくだりのサンプル(研究者による説明 文)を参考まで以下(↓)に部分転載しておく(出典:追手門学院大学人間学部紀要 1997年12月30日、第5号、61-78 生活世 界の社会学/矢谷慈國 www.i-repository.net/contents/outemon/ir/401/401971208.pdf)。 ・・・前、略・・・この論文においては,まず「自然的態度の構成現象学」という立場から独自の生活世界の社会学を展開した, A・.シュッツの生活世界論の大要を提示する。生きられた時間空間の構造の分析から出発して,生活世界の社会的構造と常識 的知識の特性,多元的リアリティ論の創発的意味とその問題点についてまとめている。・・・途中、略・・・以上のような社会 的関係の中で作り出される類型は個人独自のものもありうるが,大部分は相互主観的な類型として日常言語の体系の中に定着さ れている。このことは人間についての類型だけに言えるのではない。・・・途中、略・・・上に述べた諸点はシュッツ自身によ って充分に展開されないまま彼の死によって中断された。まことに魅力に富む彼の多元的リアリティ論を単なる静態的な類型学 に終らせずに,より具体的経験的な社会学的研究に生かすことができるダイナミックなものに改造することが筆者の課題となっ た。 筆者が考え出した方策は,個人主観の意識レヴェルで主として問題が取り扱われたシュッツの理論に対して,以下の諸点 を付加することであった。 ●「現象学的な身体論を導入すること、 ・・・つまり複数のリアリティ間の媒介メカニズムを「……しながら(地)……する(図)」という,ながら行為の現象を図地 分節の理論と錯図構造の理論に結びつけて解明すること。 ●多元的リアリティの相互主観的社会的次元を解明すること。 ・・・相互主観的な多元的リアリティの分化と統合のあり方を社会進化の観点と結合して考察すること。 ●リアリティ経験の深さの次元を考察すること。 ・・・他のリアリティから日常生活の現実にもどった時の異化体験をともなう「本来的で深いリアリティの体験」と「異化体験 をともなわない表層的ルーティン化的な経験を区別すること。 ●他のリアリティと日常的リアリティの間の媒介,移行メカニズムを,身体レヴェル(ながら行為),日常言語レヴェル,時間の スケジュール的区分の三つの観点から考えた。 ・・・近代社会の機能的分業の下では,多元的リアリティは,専門家の販売する商品となっており,貨幣によって,それらを自 由に買ったり消費したりできるという,貨幣の媒介メカニズムが働いていることを問題としている(特に、この種の帰納的分業 に関わる新たな活動の創造や発見をPotenz経済学の廻廊上の新しい生産性の付加と見ることができるならば、必ずしもその代価 は従来の通貨である必要はなく、例えば地域通貨、仮想通貨、ないしはマイクロファイナンスなど様々な方法があると思われ る。←補足、toxandoria)。・・・以下、略・・・ |