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143章 夏目漱石とロックンロール(その2) 6月23日の土曜日、午後の4時を過ぎたころ。 朝から曇り空。最高気温は23度ほど。 下北沢にある≪カフェ・ゆず≫に、川口信也と信也の彼女の大沢詩織(しおり)、 新井竜太郎と竜太郎の彼女の野中奈緒美、川口信也の妹たちの美結と利奈の6人が来ている。 「利奈ちゃんは、もう4年生かぁ。早いもんだよね」 ウィスキーのハイボールでご機嫌(きげん)の竜太郎が利奈にそう言う。 オレンジジュースのグラスに触れる利奈の細い指を、竜太郎は愛(いと)おしそうに見る。 「就職も近いんですよ、竜太郎さん。あっはは」と利奈は笑う。 「利奈ちゃん、管理栄養士になんだから、うちの会社のエタナールか、 しんちゃんの会社のモリカワの、どちらかで、就職は決まりでしょう。 その選択は、利奈ちゃん次第だけれど、よろしくお願いしますよ。あっははは」 「利奈は、山梨に帰って、就職しようかなって言ったりしてるんですよ。 山梨にも、モリカワとエタナールの支社があって、そこへ就職もできますけどね」 そう言って、信也も氷とソーダ水で琥珀(こはく)色のハイボールを楽しむ。 「迷っているんです。就職は、東京か山梨かって。あっははは」 「どちらに決まっても、エタナールもモリカワも、、利奈ちゃんを待ってますよ。あっははは」 竜太郎がそう言って笑うと、テーブルで寛(くつろ)ぐ、みんなも笑った。 「この前の、『夏目漱石とロックンロール』は、意外な切り口というか、話だったよね、しんちゃん。 おれも、夏目漱石は好きな作家だけど、彼をロックンローラーとは見たことなかったよ。あっはは」 竜太郎が、信也にそう言って、陽気に笑う。 「かっこいい、生き方したり、考え方をするのが、ロックンロールの原点だと思うからですよ、 竜さん。たとえば、ビートルズに敬愛され続けた、エルヴィス・プレスリーですけど。 エルヴィスって、その功績からキング・オブ・ロックンロールと呼ばれますけど、 エルヴィス・プレスリーの音楽のスタイルは、黒人の音楽の、 リズム・アンド・ブルースと、白人の音楽の、 カントリー・アンド・ウェスタンを合わせたような音楽といわれていますよね。 それはその当時の、深刻な人種差別を抱えていたアメリカではありえないことだったんです。・ ですから、エルヴィス・プレスリーの塑像した音楽は、画期的なことだったんです。 夏目漱石にしても、イギリス文化の研究で、イギリスに、留学に行ってこいってなったんですけど、 漱石は、イギリス滞在中、そのイギリスの工業や経済発展のために、 自然や労働者を破壊している現実に、幻滅して、絶望するんですよね。 イギリス文学にも、深く、幻滅して、絶望して、 よしそれなら、本当の文学を、おれが創造しようて、出世とかどうでもよくなって、 社会的な地位や名誉もない、なんの保証もないような、作家として、スタートするんですよ。 他人や社会的な価値観とかで、物事を判断するんじゃなくって、 子どもの時のような自分の澄んだ感性で、物事や真実を見て考えることが大切なんですよね。 そういば、子どものような目や耳を持っていたといわれる天才ピアニストのグレン・グールドが、 夏目漱石の芸術論のような小説の『草枕』を愛読してますけどね。 でも、グレン・グールドは、ビートルズを評価していなかったようで、それが、おれには不思議ですけど。 嫉妬のようなものもあったかもしれないですね。あっははは。 話は脱線しましたけど、ですから、音楽を愛してやまない、エルヴィス・プレスリーと、 文学を愛してやまない、夏目漱石には、おれは、生き方として共通性を感じたり、 かっこいいなあって思ったり、おれはこの二人を尊敬しちゃうんです」 「なるほど、おれも、しんちゃんの考え方には、まったく同感だよ。あっははは」 竜太郎が、そう言って、子どものように笑う。 「わたしも、しんちゃんの今の話に同感します」とか言って、 みんなも明るく笑った。 「そだね!」と、≪カフェ・ゆず≫のオーナー、高田充希(たかだみつき)が、 言ったら、みんなで、大笑いとなった。 高田充希は、人気女優の高畑充希(たかはたみつき)に似ていると評判の魅力的な女性だ。 ≪つづく≫ --- 143章 おわり --- |