メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:「民主主義=永久の課題であること」を理解し、・・・日本国憲法の新たな役割を・・・(1/3)  2018/05/05


■「民主主義=永久の課題であること」を理解し、本格的OTT産業化に適応すべく
AIナルシス社会のリスクを制御する日本国憲法の新たな役割を発見するのがポス
ト・アベの課題(1/3)
 
* お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180503 


<注>OTT産業(化)の委細は、(2-3)「米国法思想史の概観・・・」を参照乞う。

(Cover Images)

…(一枚目)ハッブル宇宙望遠鏡から撮った地球、(二枚目)地球上のミクロコス
モスの一つ(出典:いずれもpinterest-Japan)


【動画】Debussy - Arabesque No.1 and No.2
【動画】Lara Fabian – Ma vie dans la tienne (Official Video)

(プロローグ)AIデジタル・ナルシスの天敵?「ルドン(アルマン・クラヴォ−の
慧眼に因る)“因果リアリズム美”」の発見はプラグマティズムの先取り?


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【プロローグ画像の説明】

[一枚目の画像]

オディロン・ルドン「レオナルド・ダ・ヴィンチ礼賛」ca.1900 板ハ゜ステル 116×
50cm アムステルダム市立美術館(Stedelijk Museum Amsterdam)https://www.stedelijk.nl/en 

・・・このハ゜ステル画はレオナルド『聖アンナと聖母子』の聖アンナを思わせる。幼
児キリストを慈愛に満ちたまなざしで見つめる聖アンナの傍らにある大きな瞳のよ
うな図像は、我われ鑑賞者の驚きと畏敬の念をイメージ化したような不思議な感覚
を呼び起こすが、それらは美しい花々と混然一体化しており、そこには紛れもなく
ルドン的な生命のリアリズムが満ちている。


[二枚目の画像]

同『グラン・ブーケ(大きな花束)』 1901 作品所蔵©三菱一号館美術館 
(Mitsubishi Ichigokan Museum, Tokyo)/出典:在日フランス大使館HP)  

https://jp.ambafrance.org/article12727 

・・・「ルドン−秘密の花園」展が2月8日(木)から5月20日(日)まで、東京・丸
の内の三菱一号館美術館で開催中。本展はフランスの画家、オディロン・ルドンが
植物や花をモチーフに描いた作品に焦点を当てている。

・・・ルドンの花の絵には、18世紀ロココ様式時代のフランス絵画を代表する巨匠
シャルダンらの花の絵の特徴であるヨーロッパ風の装飾的な美しさよりも、なぜか
日本的なアニミズム風の空気が漂うように思われる。それにしても、この大作グラ
ン・ブーケには何という大きな生命力が満ち満ちていることか!


[三枚目の画像]

同「夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)」 ? 1891 リトグラフ(素材:紙) 21.0×15.8cm 岐阜県美術館 http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/221801/1 (文化遺産オンライン)

・・・この一連の作品は、「黒の時代」から「色彩の時代」へルドンが移行し始め
た頃のものである。そのため、それまでの「黒の時代」の特徴であった幻想的なミ
クロの生物や神話的な人物(アルマン・クラヴォーの世界?)とともに花々や植物
のイメージが現れている。

・・・そして、この石版画でも、その細部をよく凝視すると殆ど漆黒で塗りこめら
れた室内空間のあちらこちらには、数多くの微小な生命体のようなものが浮遊して
おり、窓の外では清涼な空気の中で、それはもはや心象風景であるが<緑の木の
葉>が風にそよぐ。

・・・恰も「実はこの二つの空間がミクロ・マクロの両世界を代表しており、更に
それを凝視するルドンと鑑賞者の精神が幻想空間(これぞエトノス環境!)を創造
する」が如きである。


[四枚目の画像]同

「『ゴヤ讃』:(2)沼の花、悲しげな人間の顔」1885 リトグラフ(素材:紙) 
 27.5 x 20.7? 国立西洋美術館 http://collection.nmwa.go.jp/G.2009-0029.html 

[五枚目の画像]

同「幼児のようなものたちもいた(石版画集、『ゴヤ礼賛』4)」1885 23.8×
19.7? 東京、個人増(出典:Bunkamura http://www.bunkamura.co.jp/old/museum/lineup/07_redon/works.html )

・・・これら四枚目・五枚目のモチーフも、まさに(後述するとおり)ルドンが探
求した“中間の媒介的生命”たる「アルマン・クラヴォーの世界」のイメージであ
るのだろう。


[六枚目の画像]Flore de la Gironde by Armand Clavaud(1828-1890)/
Published 1882 by G. Masson in Paris

・・・このアルマン・クラヴォーの原著、関連情報はコチラ↓

https://openlibrary.org/books/OL25199470M/Flore_de_la_Gironde

[七枚目の画像×2枚]

ミズハコベ(水繁縷)のイメージと種子(直径、約1?)/前者(水繁縷/イメー
ジ)の出典= http://mikawanoyasou.org/data/mizuhakobe.htm、後者・同種子の
出典=File:Callitriche palustris capa52 002 php.jpg(ウィキペディア・コモ
ンズ画像)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Callitriche_palustris_capa52_002
_php.jpg 

・・・アルマン・クラヴォーが特に研究に没頭していたとされるミズハコベは湿地
・水田・湖沼などで多く見られるが、オオバコ科の植物であり水田雑草としても知
られている。

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・・・以下、https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x537877687 より部
分転載(開始)・・・

f:id:toxandoria:20180429165941j:image:w200

オディロン・ルドン(Odilon Redon/1840-1916)は、フランス南西部のボルドーで
生まれたが、たいへん虚弱な体質のため生後2日で、ボルドー近郊のペイルルバード(有名ボルドーワインの産地)の保母のもとに預けられた。「寂寞として不毛の原
野」とルドンが読んだメドック地方のこの土地と孤独癖の少年時代との記憶が、彼
の内向的な性格を深め、あの「黒」の時代を形成するに至る(画像は同地シャトー
がラベルの『シャトー・ペイル・ルバード 2012』/出典、https://item.rakuten.co.jp/kbwine/c/0000002659/ )。


その「黒」が結晶していくのは、最初の石版画集『夢の中で』を出した1879年、39
歳のころからで、画家としてはむしろ晩成型の方に属する。それまでルドンはいろ
いろな曲折を経ているが、モローからの影響のほかに、いくつかの大きな転機があ
った。


20歳の折に知り合った微生物研究の植物学者アルマン・クラヴォ−(A. Clavoud/
1828−1890/ボルドーの植物園で働いていた人物)の影響がまずあげられるだろ
う。クラヴォ−は自分の研究のほかに、ポー、フローベール、ボードレールなどを
ルドンに教えた人だが、ルドンはこう書いている。


「・・・彼は無限に極小なものの中で仕事をしました。彼は、うまくいえません
が、知覚できない世界の果てで、動物性と植物性、この花やこの生き物の、「中間
の媒介的生命」を探求し続けたのです。日中の数時間、ただ光の作用によってだけの“動物”である、この神秘的な要素を探したのです。」


・・・以上、[東野芳名:ルドン、人と芸術/週刊朝日百科・世界の美術、17号]よ
り、部分転載(了)・・・


我々は、このようにルドンが書いたことの中で<クラヴォ−が「中間の媒介的生命を、日中の数時間、ただ光の作用によってだけの“動物”である、この神秘的な要素(実は、科学的に見ればそれは植物であるのだが、それら植物の中で確かに観察される
“動物”的な要素を、つまり恰も動物の如く蠢き、動き回る要素)を探していた」>
という部分に注目すべきであろう。


無論、このような感覚は現代人の高度に科学的な視点で理解すれば幻想にすぎない
はずだが(実は、そう思わされているだけなのだが・・・)、なぜか我々は日々の
日常生活の中で、今でも何気なく、時折、そのように感じることがある。


この種の幻想的な感覚、あるいは科学の道具であるはずの顕微鏡ら観察機器を通し
て新たな現象を発見したり、あるいは体験するような時の驚きの感覚について、な
ぜかそれがとても懐かしいと思われるような不思議な感慨、ないしは新鮮な感動や
喜びをさえ感じるのではないか。おそらく、ルドンはそのような意味での<幻想>
体験を描き続けたのである。


オディロン・ルドンの絵や版画が、美しく、いつまでも新鮮で、こよなく魅力的で
あり続けるのは、我われ人間(人間の意識)が、そのような意味で常に何かを幻想
できる生き物であることの証である。つまり、そのような感性(特に、エトノス環
境と深部共鳴する(審)美的感性など/例えば、エピローグで触れる俵屋宗達の繊
細で壮麗な美学!)があるからこそ、我われ人間は、紛れもなく自律的で、より自
由な人間として、しなやかに生き続けられることになるのではないか。

  

更に、この論点(特に、1960年代後半〜のネオ・プラグマティズム)には、人工知
能(AI)&ビッグデータ(BD)の融合が創造する「AIデジタル・ナルシス(超類型
化AI社会)」が「個人、つまり個々の人間として尊重されるべき国民の権利」(我
が国でいえば日本国憲法第13条と同25条が規定する)を脅かしつつあるという新種
の巨大リスクに対する強力な天敵となる可能性が期待される(委細、本論で後述)。


・・・


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・・・(1)民主主義は“普遍を求める永久に未完(未了)のプロセス”である、(2)政体(constitution)の如何を問わず<常在的に多数派である「凡人」(草
莽=一般国民)の正しさの意識(信用)>を分かり易く「公文書」等で保証するの
が政治権力の役割である、という二点の理解を共有することが「リベラル共和制」
の前提となる。特に、(2)は民主制に限ることではなく政体の違いを問わぬ国家
統治の基礎的条件である。・・・


・・・


1「国体論」複合カルト(アベ国体カルト)の正体


・・・それは「民主主義は永久に未完である!」という現実に関わる無知と無関心、
その異様な空気に釣られた一般国民は<安倍「国体論」複合カルト(アベ国体カル
ト)をルソーの市民宗教(民主主義日本国民の紐帯)と同一視する>という悍まし
い罠に嵌っている!・・・


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今や堂々と?<数多の嘘と改竄の山バカリ、そして全てが虚構の塊りという只の権
力亡者にすぎぬ>というブザマな実像を衆目に曝す、「国体論」複合カルトたる安
倍政権の正体を、白井聡氏の新著『国体論‐菊と星条旗‐』(集英社)が的確に抉
りだし注目を集めている。

その安倍政権の正体である現代の国体論は、白井氏が指摘するとおり<戦前の国体
(顕密二元論での天皇の政治利用)+米国流の強かな戦後日本統治のマヌーバ(maneuver/戦略)>であるが、実は、更なるその深層には、なかなか分かり難い
ことなのだが、 “これからの日本にとり非常に重要な課題になると見るべき” 二
つの問題点(悲観と希望の両面に関わる)が潜むことを見逃すべきではないだろう。

<注>ルソーの市民宗教および戦前の国体(顕密二元論での天皇の政治利用)につ
いては、下記★を参照乞う。

★[戦前の国体論と顕密二元論での天皇の政治利用]幕末「普遍の自生史」隠蔽は正
統保守に非ず、松陰「白日」の削除を謀るアベ独裁は戦前構造災の再来/敗者と異
論への寛容(思想)の回復が必須 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180307 

その一つが終戦時にポツダム宣言(敗戦)の受諾を拒否した「宮城事件」だ。これ
は天皇の首のすげ替えを謀り皇居を襲った“生長の家”過激派によるクーデター
(未遂)事件である。

つまり、“生長の家”過激派信者であった陸軍省勤務の一部将校と近衛師団参謀が
引き起こしたものだが、“同”穏健派が中心となり鎮圧された。しかし、生き残っ
たその過激派残党から日本会議が派生しており、紛れもなく彼らが安倍“国体カルト”政権の背後霊(戦前型国体論に因る内側からのマヌーバの黒幕)となっている
ことだ。

因みに、近年のことだが、“生長の家”は政治との断交を宣言しているが、それは
おそらく表向きのことであろう。なぜなら、今でも日本会議の中枢を占める幹部ら
の多くは生長の家の信者であるからだ(それは閣僚を務めた、あるいは現閣僚らの
中にも存在する)。そして、同“家”の中では過激派Vs穏健派の暗闘が今も続いて
いると見るべきである。

(参考画像情報/右端下)事実上、官僚の世界(首相補佐官や各省庁トップや幹
部ら)では天皇の首が既に、安倍晋三のそれへ挿げ替えられている!

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それに加え懸念されるのが、おそらく。これは選挙における自民党の票集めと各
カルト教団そのものの勢力拡大ニーズが、カネメ問題も絡みつつ都合よく一致し
たことに因ると思われるが、事実上のカルト、日本会議を凝縮・結晶のタネとし
て旧統一教会らを含む複数の実に妖しげな教団が安倍政権を支援するため癒着・
結晶化しており、事実上、安倍政権がカルト・コンソーシアム化していることだ。

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11,12,13

しかも、この「安倍政権の複合カルト化」なる病巣が、今度は、時代の先端ない
しは日本経済の救世主か?とさえ持て囃される「AIシンギュラリティ信仰」と絡
み始めており、そこから日本がデジタル専制国家(AIデジタル・ナルシス=超類
型化AI社会)と化すリスクが助長・暴走しつつある(添付画像にある『内閣府経
済財政諮問会議「2030年展望と改革タスクフォース」第1回会合資料』/齊 藤 
元 章(株式会社PEZY Computing・・・/「最強の科学技術基盤出現と、到来する
前特異点・特異点」・・・』、つまり此の由々しき<お仲間スペックイン(政府
主導の偽装合法談合)>には、その意味での暴走傾向が透けて見える(関連参照
⇒(3−2))。

もう一つは希望の方向へ繋がる問題点である。米国流の強かな戦後日本統治のマ
ヌーバ、つまり、これまで述べた事情から米国の統治戦略下で誕生した日本国憲
法という側面があるのは全否定できない。が、だからこそ同時に<それがニュー
ディール政策の柱となった米国リベラル共和主義の影響を色濃く受けており、
“格差拡大”で疲弊しつつある現代の日本経済にも良循環への途を拓く可能性を
日本国憲法は秘められている>という点を見逃すべきではない。より具体的に言
えば、日本国憲法には平和主義と共に「20世紀初頭以降の理想と掲げつつも、そ
の肝心の米国でも未了となっている、理想の文化資本主義・実現の条件となる先
進的思想」が存在するのである(関連資料:↓◆1、2)。

◆1 スティーブン・フェルドマン著、猪股弘貴・訳『アメリカ法思想史』―信
山社―(猪股氏自身も未だ研究途上らしいが、同氏は日本国憲法とニューディー
ルの関連性を指摘!)

◆2 リベラル共和主義の土壌、文化資本主義へ覚醒した歴史上の先進事例/マネ
ー資本主義(市場原理)の機能不全、「大恐慌」下の米国で取り組まれたTVA「テ
ネシー川流域開発公社」(文化資本主義政策)の再評価 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170713 

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