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133章 乃木坂(のぎざか)小学校・合唱団の子どもたち 11月5日の日曜日の午後の2時。 朝からは太陽のまぶしい青空だ。気温は14度と、肌寒い。 私立(わたくしりつ)・乃木坂(のぎざか)小学校・合唱団の子どもたちが、 ≪カフェ・ゆず≫に集まっている。 店ののオーナーは、24歳の独身の女性、高田充希(みつき)だ。 充希(みつき)は、名前も、その顔かたちも、人気の女優・歌手の、 高畑充希(たかはたみつき)にそっくりなので、下北沢では評判だ。 ≪カフェ・ゆず≫は、下北沢駅西口から200メートル、歩いて2分の、世田谷区北沢2丁目にある。 一軒家ダイニングで、店の入り口には、クルマ6台の駐車場がある。 店内は、16席あるカウンターと4人用の四角いテーブルが6つあって、キャパシティーは40人だ。 黒塗りのYAMAHAのアップライトピアノもあって、ミニライブができるステージもある。 自分の親の土地にある家を改装して、この夏の8月1日に開店したばかりなので、 テーブルも椅子(いす)も、フローリングの木の床(ゆか)も新しい。 店内は、私立・乃木坂小学校の子どもたちでいっぱいだ。 私立・乃木坂小学校という小学校は、現実には実在しない。 つまり、撮影が開始されたばかりの、超大作映画の『クラッシュビート』シリーズの、 第1作に登場する、架空の小学校なのだ。 撮影所は、この≪カフェ・ゆず≫から、歩いて5分ほどの、世田谷区大原1丁目にある。 撮影所には、乃木坂小学校のセットが建設され完成していた。 広い敷地の撮影所で、外食産業大手のエタナールとモリカワが、 共同で設立した映画製作会社の『ハイタッチ(high touch)』の所有だ。 「やあ、みんな、おそくなって、ごめんなさい!」 そう言いながら、すまなそうな笑顔で、 川口信也は、≪カフェ・ゆず≫の扉(とびら)を開けた。 信也の彼女の大沢詩織も、マンガ家の青木心菜(ここな)と、 親友でマンガ制作のアシスタントの水沢由紀も一緒だ。 4人は、≪カフェ・ゆず≫の駐車場にとめた、 信也のトヨタのスポーツタイプのハリアーに乗ってきた。 「乃木坂小学校の合唱団のみなさん、こんにちは。 わたしは、『クラッシュビート』の原作者の青木心菜(ここな)です! みなさんにお会いできる、きょうを楽しみにしていました!」 心菜が明るいさっぱりとした笑顔でそう言うと、 子どもたちの拍手や歓声でいっぱいになった。 子どもたちの中に混じって、合唱団のまとめ役で先生役となった沢口貴奈(きな)がいる。 沢口貴奈は、信也と同じ山梨県の育ちで、信也とは10年以上の付き合いだ。 ハイタッチ撮影所のスタッフの若い男女も、子どもたちの付き添いで店に来ている。 午後4時には、子どもたちを連れて、 親御(おやご)さんたちの待つ撮影所に戻(もど)る予定なのだ。 乃木坂小学校の合唱団の団員数は、30名だ。 3年生は6名、4年生は8名、5年生は7名、6年生は9名。 『クラッシュビート』のオーディション選考で、 そのモデルが川口信也の、主人公役の信也の役を射止めた、福田希望(ふくだりく)は、 小学5年の11歳だ。 映画の中の11歳の信也の、親友の女子生徒役の永愛(えま)の役に決まった、 白沢友愛(とあ)は、小学4年の10歳だ。 希望(りく)と友愛(とあ)のふたりには、ここに集まる子どもたちの中もで、 格別なオーラのような、スター的な輝きがある。 「しんちゃん、さっそくなんですけど、子どもたちに、歌の歌いかたのコツとかがあったら、 簡単でいいんですけど、教えてあげて欲しいんです」 みんなは好きなのドリンクとかを飲みながら、歓談して、落ち着いたころに、 合唱団の先生役の沢口貴奈(きな)は、テーブル席の隣の信也にそう言った。 「まだ、子どもたちは、変声期とかのからだの成長が激しい、 真っただ中かもしれないからね。無理をして、声を出したりしたら、ぼくも心配なんですよ。 まあ、そう思って、子どもたちに、歌いかたの教本を持ってきました。 今持ってきますね!」 そう言うと信也は、クルマから、福島英(ふくしまえい)が著者の、 『ヴォーカルの基礎』という本を持ってくる。 そして、子どもたちに全員に、プレゼントとして、その本を配った。 持ってきていた。 福島英先生は、東京都渋谷区千駄ヶ谷で、現在も、 ボイストレーニングのブレスヴォイストレーニング研究所を開設している。 信也は、ユーモアをまじえて、子どもたちを笑わせながら、歌いかたを話した。 お腹(なか)から声を出す感じで、大ざっぱにとらえて、 腰回(こしまわ)りが膨(ふく)らむようなイメージの、全身呼吸のイメージをしながら、 腹式呼吸で歌うとよいこと。 腰は、体をささえて、立つ、歩くという支点の要(かなめ)であること。 歌うときも、腰は軸(じく)や芯(しん)とイメージするとよいこと。 そんな深いポジションをイメージするとよいこと。 リズムも、腰で刻むとよいこと。 自分で吸うのでなく、空気が入ってくるようにするような、 鼻呼吸と口呼吸を分けない、そんな全身呼吸のイメージの自然体の呼吸がいいこと。 歌う際には、首や肩の力みに注意して、 常に上半身の力は抜くこと。猫背もよくないこと。 高い音域になるほどに、つい上がってしまう声帯やのどでは、 お腹から声は出ないのでよくないこと。 高い音ほど、のどを下げておくこと、 声帯も胸のへんにあるとイメージしておくとよいこと。 歌うときのポジションや芯(しん)は、常に、胸や腰のあたりの、 低い、深い位置にキープすること。そんなイメージが大切だということ。 高い音というものは、お腹の力をうまく使って出すものだということ。 そして、のどや声帯にけっして負担がかからないようにすること。 いつも気持ち良い範囲で歌うこと。 ギターの弦も無理に引っ張ると切れてしまうように、 のどや声帯も、無理は禁物(きんもつ)だということ。 ヴォーカリストにとっては体は楽器だということ。 声帯で生じた声を、体に自然な感じで共鳴させて、美しい音色を得ることなど。 日々の練習が大切だということ。 そんなことを、信也は子どもたちに、ユーモアをまじえて楽しく笑わせながら、話した。 日も暮れる午後の5時、子どもたちと信也たちの、楽しいひとときが終わる。 近い日に、必ず、「またこの店で会おう」と、再会を約束し合った。 詩織と二人だけの、家路へ向かうクルマの中で、信也は、ふと、こんなことを話した。 「乃木坂小学校って、かわいくって、いい名前の小学校名だよね、詩織ちゃん。 よく思いついたよね、心菜(ここな)ちゃんと、由紀ちゃんのふたりで。 現実にありそうな小学校名だけど、不思議と無いんだよね。あっはは」 「そうよね。かわいい名前だわ。心菜ちゃんと、由紀ちゃんって、『乃木坂46』が大好きで、 それで思いついたって言ってたわ。うふふ」 「乃木坂って、東京の赤坂にある、ごく普通の坂なんだけどね。 なぜか、おしゃれな感じの、かわいい名前だよね。あははは」 二人を乗せた、トヨタのハリアーは、イルミネーションにきらめく夜の街を走り抜ける。 ☆参考・文献・資料☆ 『ヴォーカルの基礎』 著者 福島英(ふくしまえい) (株)リットー・ミュージック ≪つづく≫ --- 133章 おわり --- |