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■客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非の意識が日 本の命運を分ける/希望は量子論・AI・脳科学らの最先端で必然の流れ「自然 ・人文科学」融合(コンシリエンス)が生まれつつあること!(3/6 ) <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170104 2 日本会議・神社本庁らが国民の無意識層で再発現させた戦前型「客観“知” への激しい憎しみ」、それは異常な平田篤胤仕込の「顕幽論」(インテマシ− 過剰) ・・・文化の特徴を仕切る二つの重要な視点/インテマシーとインテグリティ ー(トマス・カスリスの独創的な用語から学ぶべきこと)・・・ f:id:toxandoria:20170104173111j:image:w250:left後述する著書『神道』 (ちくま学芸文庫、2014/原著『Shinto:The Way Home、2014)より先にトマ ス・カスリスは原著『インテマシーあるいはインテグリティー/哲学と文化的 差異』(法政大学出版、翻訳版2016/原著『Intemacy or Integrity、2002』 を著している。ところで、その用語インテマシーに「親密さ」という辞書的な 一般的訳語を、同じくインテグリティーに「完全無欠の状態」の訳語を当ては め、一応事足れりでは大きな誤解を招くことになる。しかも、現実的に両者の 概念を短く表現するのは容易なことではなく、ならば、これを正確に理解する には同書を読むしかないということになる。(苦w) そこで、同書の解説なども敢えて無視しつつ、カスリスがこの本を書いた主要 な目的(それは西欧文化と東洋文化の最もベーシックな差異について考えるこ とであり、特に前者と日本文化との差異は何か?について深く考察することで あると思われるので、敢えて、独断的な訳語を当てはめてみる。また、特に留 意すべきは、同書が後にカスリスが著すことになる『神道』(原著)の伏線で はないかと思われることだ。 以上から、ここでは両用語の概念を分かり易くするため「インテマシー:非分 析的感性に基づく共感優先の文化指向性」、「インテグリティー:分析的感性 に基づく契約概念的な文化指向性」という仮訳語を当てはめる。また、同書の なかで、インテマシーについてカスリスが最も簡潔に表現している箇所を抽出 すると以下の通りである。 ・・・ラテン語における語源が喚起するイメージに従うと、インテマシーとは、 心に秘めたもの(intimus)を親しい友人(intimusないしintima)に打ちあける(intimare)ことである。換言すればインテマシーとは、つまるところ心の奥底 にあるものを分かち合うことなのだ。そして、これと同じようなことは、例えば ある生態系における植物相と動物相のあいだ、あるいは素粒子物理学における物 質とエネルギーの間のインテミットな関係としても考えることができる。(驚く べきことに、量子生物学の分野では既にこのような考え方の科学研究手法が採ら れている!←補足、toxandoria)・・・ また、インテグリティーついてカスリスが最も簡潔に表現している箇所を抽出す ると以下の通りである(以下は、一部をアレンジして転載)。 ・・・ものの世界でのインテグリティーの事例を挙げるならば、例えば海中に おける水と塩の関係、つまり両者はどのような点で異なっており、かつ関係し 影響し合っているか?というようなことだ。人間の場合のインテグリティーで は、例えば自己充足的なアイデンティティーを備えている(各々が立派な人格 を備えた人である場合の)人間関係は美徳であり、それは基本的に堕落したり 無節操になったりせず、ある一定の行動規範や普遍的価値観を前提に分析的に 行動し関係者双方による契約関係を尊重することになる、というようなことだ。・・・ そして、東洋文化に比べると一般に西欧文化はインテグリティー的な文化指向 性へ大きく傾斜しており、特に日本文化はその逆のインテマシー的な傾向が強 く、又それこそが西欧文化とは本質的に異なるという意味で優れた日本伝統文 化の基盤を形成しているとカスリスは見ている。 f:id:toxandoria:20170104043441j:image:w180 [この絵は老女か若い女か?] 但し、ここで留意すべきは、東洋文化と西欧文化が夫々100%近くまでインテ マシーないしはインテグリティーの指向性に占有されているのではなく、両文 化は共にこれら二つの要素(異なる指向性)を併せ持っており、その両成分 (二つの自然・社会・感性的な空気)は絶えずせめぎ合いながら行きつ戻りつ の振動を繰り返す状態にあるという点だ。この両者の関係についてカスリスは、 ゲシュタルト心理学の「図と地の違いを説明する絵」を引き合いに出して説明 する。 つまり、インテマシーとインテグリティーの差異は、その時に、その絵を見た 人(西欧人か、東洋人か、あるいは日本人か)の関心が何処にあるかの違いだ という訳だ。当然ながら関心の有無によって同じ絵は「異なる絵」に見える (地と図が反転する)。だからこそ、異文化は初めからすんなりと外国人には 理解されにくいということになるし、逆に言えば、からこそ、異文化が交流し、 双方が理解し合うのも可能だということにもなる。 また、カスリスは日本文化のインテマシー優勢の文化指向性がホログラフィカ ルでアニミズム的な世界観を形成し易いことを指摘している。ホログラフィカ ルな世界観とは、部分と全体が入れ子構造(このカスリスの発想自体が西欧的 な科学哲学的なもので、それは西川アサキが取り上げたライプニッツのモナド ロジーを連想させる!)になった不思議な世界観である。そして、日本文化に は、例えば神社の鳥居や注連縄がそうであるのだが、これら鳥居や注連縄は包 括的な神道の世界(古来の神道スピリチュアリティー/委細、後述)への入り 口の機能を果たしている。 因みに、カスリスによれば、日本人の特徴であるインテマシーを代表する神道 スピリチュアリティーは「自己の外へ出るのではなく世界観をホログラフィカ ルに内部へ没入させよ!」と強く要求する傾向があり、それが客観「知」の分 析に因る契約ならぬ感情の最も暗い部分への無限の沈潜となって、遂には古来 日本の大和魂の如く「天皇(国体)のための自死」が「自己犠牲⇒完全な自己 保存体観念」へとホログラフィカルに反転する傾向が観察される。 従って、この点は日本文化のアキレス腱として冷静に理解する必要があるだろ う。但し、関連することは次章以降で詳述するが、著書『神道』のなかで、カ スリスは「古来の神道スピリチュアリティー」と「1801年(本居宣長の死)以 降の政治的に創作されたイデオロギーとしての神道スピリチュアリティー」を 明確に分けて考えており、ここでのアキレス腱の指摘は後者のことである(カ スリスは、この二つの他に“実存的スピリチュアリティー”も指摘する/委細、 後述)。 (参考情報) ◆【報告】トマス・カスリス教授講演会2016.08.25 中島隆博、川村覚文ほか、 文責:金景彩(東京大学大学院・UTCP)http://urx3.nu/AH4k |