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■客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非の意識が日 本の命運を分ける/希望は量子論・AI・脳科学らの最先端で必然の流れ「自然 ・人文科学」融合(コンシリエンス)が生まれつつあること!(2/ ) <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170104 (西垣 通の情報基礎論) f:id:toxandoria:20170104040310j:image:w220:left西垣 通著『ネット社会の 正義とは何か』(角川選書)によると、軽く考えれば一見同じように見えるシ ステムである生命体と機械の決定的な違いを明快に示してみせたのがチリの生 物学者ウンベルト・マトウラーナとフランシスコ・バレーラが1970〜80年代に 提唱した「オートポイエーシス(自己創出理論/Autopoiesis)」である(関 連参照⇒プロローグ/ヒエロニムス・ボッス『荊を冠ったキリスト』の意味)。 これは生命体が自分自身を創り出す(個体で見れば子孫を残す)ことを意味す るが、脳細胞と脳内の記憶も、同じく過去の記憶をもとにして更新・蓄積され てゆく。それに対して機械システムの一種であるコンピューターは、人間の誰 かが設計し、回路を組み立て、プログラムを組み込んだものである。従って、 機械はそれに対してアロポイエティック・システム(allopoietic system/ alloは(外部から挿入される“他者・異物”の意味)と呼ばれる。 然るに、例えば米国のロボット工学者ブルックス、西川アサキ、川人光男(以 上、既述)あるいは後述の金井良太らAI関連フィールドの先端研究によって、Autopoiesisである人間(の意識)とAIマシン(の意識)の違い(差異)が分か らなくなる?という議論が出始めており、それどころか、そのトレンドのなか で最も急進的なのがレイ・カーツワイル(関連参照⇒『AIを巡る楽観論と悲観 論のジレンマ』http://urx2.nu/AGN7 )のシンギュラリティー(AIが人間の 知能を超える)論だ。果たして、AIマシンは人間を超えて神的な存在となり得 るのだろうか?(Cf.⇒ http://u0u1.net/AFCb ) が、西垣 通はそうはならないだろうと見ており、それよりも最適解がある一 定の社会・政治的テーマに絞ったHACS(階層的自律コミュニケーション・シス テム/ネットによる集合知民主主義の統合モデル)による国民層の多様な「集 合知」の発見と活用に更に取り組むべきだとしている(Cf.⇒ http://u0u1.net/AFEu )。それは、未だにSNS(ツイッター、フェイスブッ クなど)の活用の殆どが<商用広報or同好会的親睦ツール、うっぷん晴らし発 言の場、果てはウソ・ニュース発信源、非正規データベース化した非文脈的情 報の氾濫>などの段階に留まっている現状であり、主要メディアの代替役も未 だ道遠しであるからだ。 因みに、同書のなかでの西垣の議論で最も注視すべきと思われるのは下の二点 である。 (1)そもそも、従来の自然言語(話し言葉と文字や記号として書かれる書き 言葉)もデジタル(変換)言語(DB(データベース)レベルで言えば、正規D Bと非正規DB)も同じ「機械語」であるという発想転換が先ず肝要だ!(正規 DB=特定の目的で収集し体系化されたもの、例えば住所録・電話帳・顧客情報 ら/非正規DB=ツイート、メール内容などWebに氾濫する断片情報を集めたDB (一般のまとめサイトも此処に入る)で、嘘ニュース、悪質デマ、陰謀工作ネ タ等の情報源に使われる可能性が高い) (2)「AIの知(仮に、近未来においてAI意識が創出される?としても)」と 「人間の知(文脈的・エトノス環境的意識)」の違いを理解するには、先ず西 欧中世の「決議論」と近代啓蒙主義における「観念的な間主観性」意識の発達 &共有化(これが政教分離原則、議会制民主主義、現代憲法、現代の司法・裁 判制度、あるいは近代以降のジャーナリズムの成立などに繋がった)の問題に ついての理解が重要! ⇒ この視点が基礎情報学で言うネオ・フィードバッ クシステム(機械内部のフィードバック処理回路を越えた人間社会、人間の歴 史、自然・生命環境の全体、すなわち内外の全エトノス環境と相互交流する意 味での新しいフィードバックシステム)の概念である! 書物に記されると、途端にその意味内容は潜在化し、いったん機械情報化する。 すなわち、その意味ではデジタル(変換)言語も自然言語も同じである(そこ にある差異は書物等とコンピューターという、書き言葉、話し言葉などの“情 報”を収容するツールの違いだけ!)。 だからこそ我々は“書物・本・文書・言明などを(自分の意思、常識、あるい は権威ある一定の倫理・哲学的解釈、学説、科学合理的知見、司法判断らに照 らしつつ)文脈的に読み解く”という表現を使っている訳だ。当然ながら、こ の意味で(1)と(2)は深く繋がっていることになるし、また、このような 視点は「ヒューバート・ドレイファス(人工知能に対して鋭い哲学的批判を続 ける米国の哲学者)のコンピューター批判」にも通じるものがある!(関連参 照↓◆) ◆“人間のAIと異なる高度な読解力(エトノス&歴史意識)”の再発見がカギ、 そこで目指すべきは人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/ consilience)による啓蒙主義ルネサンス!20161107toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH4L 因みに、(2)の「決議論」(casuistry)について少し触れておくと、その 原義はローマ・カトリック教会の教父に与えられた「善悪を判断するための、 告解(神の赦しを得るための告白)の際の指針」のことであり、それは中世の スコラ学で特に重視された。やがて近代(16世紀〜17世紀)になると個人の道 徳的な判断への指針の説明として発達し、やがて特に西欧ではそれが小説の各 ジャンル(多様で豊富な文脈的フィクションを固定化する文学技法)を発達さ せることになった。 また、この「決議論」を一定の言説(ある学説・司法判断・常識的解釈など) についての文脈的理解という観点から、欧州社会を歴史的・俯瞰的に概観する と非常に興味深いことが見えてくる。それは、混沌の時代→政教(祭政)一致 権力の時代→双方(教皇権・皇帝(王)権)権力抗争の時代→ローマ法・教会 法・決疑論が鼎立の時代(〜16世紀頃)→近代啓蒙主義時代→政教分離と現代 憲法成立、という「宗教権威・政治権力・司法に関わる三つ巴の絡み合い(権 威⇔権力闘争)の文脈的理解の発展プロセスが、殆どソックリ人間一般の歴史 に重なって見えてくるということだ。 おそらく此のことと関連すると思われるが、西垣 通は、同じ情報基礎論の西 川アサキが<人間社会についてのAIシュミレーションで、仮に全ての個人を完 全開放系(司法の威信が激劣化した社会環境)へ投げ入れると仮説したところ、 その社会が一気に不安定化して「行政独裁⇔アナーキー(無政府状態)」の間 を激しく彷徨する恐るべきループの罠に嵌る社会現象>を観察したと報告して いる。 1−2 人文・自然科学融合の地平(2)脳科学(+AI)研究フィールド 『脳の多層的な情報処理機構を取り入れたディープニューラルネットは、ビッ グデータの蓄積と普及に伴って、人工知能研究に革命をもたらしています。し かし、 意味の理解や自発的行動といった生物が持つ自然な知能を実現するに は依然として程遠いのが現状です。本研究では、意識と脳に関する理論的研究 を援用することで、人工システムに主観的感覚や意志を実装し、実生活環境で の多様なデータの処理に活用することを目指します。(金井良太:Araya Brain Imagingの活動について』http://qq1q.biz/AHM0 より転載) ・・・ f:id:toxandoria:20170104042334j:image:w250:leftベンチャー、Araya Brain Imaging(http://www.araya.org/ )で脳科学者の立場からAI「人工意識」の 開発に取り組む金井良太(脳神経科学者/サセックス大学准教授、アラヤ・ブ レイン・イメージングCEO)の著書『脳に刻まれたモラルの起源/人はなぜ善 を求めるのか』(岩波書店)によると、人間の脳の構造に「本能的な感覚とし ての倫理観を司る部位」(おそらく進化論的プロセスで蓄積!)があることな ど極めて重要な事実が確かめられつつある。 そして、このことが科学的・客観的に確認されれば(そうなる可能性は非常に 高い!)、ジェレミ・ベンサムの功利主義に基づいて「最大多数の最大幸福を 求める経済合理性」の問題が、それほど単純なものではないこと(→その終着 点が自由原理主義で本当に良いのか?)が説明できることになりそうだ。そこ で、この問題と関連するくだりを同書から以下に部分転載しておく。 ・・・人間は、他人と共感し合い信頼関係をもつことで、幸福感を得る。そし て、モラルファウンデーションの感情のように、自然と他人を傷つけたくない 気持ちや、穢れを身の回りから遠ざけたいという感覚が、脳には生まれつき備 わっている(Moral foundations theory/ http://urx2.nu/AGNu )。その ため、自分の不利益になるような状況でも、他人や社会のために行動を起こす ことがある。お金を儲けることよりも、世の中に貢献したいという気持ちは、 欺瞞ではなく人間らしい本能的感情の一種である。また、その延長でエウダイ モニア(eudaimonia/幸福を意味するギリシア語/原義は各個人の守護神とな る、よき euダイモン daimōnに守られている状態のことだが、 アリストテレス は『ニコマコス倫理学』のなかで魂のうちの理性的部分の活動、すなわち純粋 に観照的な生活をエウダイモニアとみなしてこれを最高善に位置づけた。http://ur0.biz/AG4m )のような自分の能力を発揮して徳のある行動をした いという欲求があり、人はそこに生きがいを見出す。・・・ 因みに、金井良太(Araya Brain Imaging)の手法でネットワーク内部の情報 の統合を定量化(意識のモデル構造が把握)できたとしても、それが人間並み の個性を身につけられるか否かの問題は永遠に残ると考えられる。無論、金井 良太の挑戦はそんなことは十二分に承知していると思われる。むしろ、おそら く西川アサキが指摘するとおりで、スピノザが積み残した「そのモナド論の未 来が不在であること」(西川アサキと異なり、スピノザは未来時間もその全て がモナド内に入っていると考えた)と関係する。 つまり、殆ど無限に近い大・中・小の意識内容のズレが遍く常在することこそ が人間個々人の個性(未来へ向かう時間の流れに沿った内外のリアル・エトノ ス環境と永遠に?共鳴する状況)を創り出しており、その個々の人間の<只一 回性(一期一会)の個性>のエンドレスの創発こそが、我々人類の未来である からに他ならない(エトノスの委細はコチラ参照⇒http://qq1q.biz/AHMh )。 なお、この種の人間の近未来に関わる論点は、[1−2 人文・自然科学融合 の地平(1)量子論・AI研究フィールド・・・/★3 ダ―ウイン進化論の限 界(矛盾点)を補完すると考えられる、「進化論的軍拡競争」と「(生物種 の)永続性の原理(仮説)=人文・科学両「知」融合の地平で立ち上がる新た な原理]と奥底で深く関わることになると思われる。 |