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■啓蒙主義ルネサンスを説く『民主主義の内なる敵』著者、T.トドロフ『日常 礼賛』の多元的な眼差し/一方、<新国家観>欠落の偏狭『AI万能GDP600兆円 の未来=アベノミクス教』は日本瓦解のプロセス!(2/n) <注記>お手数ですが、添付画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20161107 1 ヒューバート・ドレイファス&チャールズテイラーのAI(シンギュラリテ ィ)批判 1−1 IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題(情報社会哲学の視点から) (“情報社会”哲学・倫理の視点) これは、情報社会論( メディア、情報社会の哲学・倫理・思想的研究)に携わ る大黒岳彦氏(明治大学教授)が著書(↓◆1)で提唱した、IOT、AIが席巻 しつつある本格的な情報社会化の時代を原理的に検証・批判するために提唱す る新たな視点である。 ◆1 大黒岳彦著『情報社会の<哲学>、グーグル・ビッグデータ・人工知能』 −勁草書房− 例えば、既に一部の特に過酷な“前線”で実装配備されているとされる「AI・ IOT軍装備&ロボット兵器」で派生する軍事技術暴走の問題(AI技術のマッド ・サイエンス化)がある。 具体的には、戦闘ロボット(仮想アンドロイド型ウエアラブル武装、あるいは 文字通りのロボット兵器)、あるいはAI「自動制御兵器」である。特に、後者 は“Go and Forget!”の大リスクに襲われる可能性もある。それは、AI制御 のコンマ以下秒の猛スピードに人間が付いて行けぬため尖閣、ウクライナら事 実上の前線で人的統制不能の状況が出現し予期せぬ開戦へ突入、の恐れがある からだ。その意味で、安倍政権の積極(偽装)平和主義なる政治理念の劣化、 および同関連防衛政策の混迷化と外交力の衰弱は日本を大国難のパニックへ叩 き込みかねない。 ともかくも、大黒岳彦氏によれば、IOT・AI技術の独占化(新たなAI装備型グ ローバルマネー・パワー構造に取り込まれる)による更なる経済格差拡大とそ れによる暗黒時代到来(絶望的なまで下部構造が拡大する)の予想も含め、こ のような「AIによる人間支配の恐るべき近未来図」が懸念される原因は、我々 が「情報社会の哲学あるいは情報倫理」の視点を無視し、ひたすら目先(自由 原理主義に因る今だけor短期の)利益にのみ目が奪われてきたことにあるとい える。 (IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題を凝視する/特に安倍政権はこの理 解が欠落!) コンピュータ自身が自分の自由意思で外部から知識を取り込むことは、事実上 できないが(遠い将来に人間そのもののアンドロイド(android)またはヒュ ーマノイド(humanoid)が実現すれば別だろうが!)、与えられた膨大なビッ グデータ(情報)の注入で自ら学習(深層学習/ディープラーニング)するこ とは出来るようになった。 なお、後述のE.O.ウイルソンが「AIの核心技術である回帰分析は「相加条件」 (リアル環境下での多様な後天的・双方的影響)を無視する一種の“情念的 ・観念的”設計原理主義(設計=あくまでも一つの観念、リアル=宿命的に 多元)なので、それによるリアル100%の予測は不可能だ!」と警告を発して いることは十分に傾聴すべきだ(だから、AI活用は積極かつ抑制的(冷静)で あるべき!)。また、AIには宿命的カルマン・フィルターの問題(多変量・ 特徴量の統計処理によるリーマンショック・自動運転車事故等の原因となった パニック・リスク発生が見過ごせないhttp://urx.blue/zoqH)もある。 つまり、問題はE.O.ウイルソン『ヒトはどこまで進化するのか』-亜紀書房-、 小林雅一『AIの衝撃』-講談社-らの指摘どおりで、ディープラーニングの正体 が“意外にも”旧来からある回帰分析等の統計処理であることだ。一方、最先 端の進化心理学(関連参照↓◆2)等では、同列技法である確率統計を利用し つつ、その限界をも絶えず十分意識して取り組むのが常識化している。 ◆2 進化心理学 ・・・社会心理学・発生生物学・進化生物学・ネオラマルキズム等との関係 が深く、また進化経済学らAIを抑制的に活用する先端知のルーツでもあり、身 体の自然エトノスへの適応と同様に、人間の心も生物学的な進化の産物である と理解する心理学。 ・・・21世紀に入り、特にAI研究の深化等と共振しつつ急速に発展する「文化 進化論」のルーツの一つになった(委細は、コチラを参照 ⇒2016-08-22toxandoriaの日記/『記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に 潜む偽遺伝子は文化進化論(遺伝的適応)上の追憶のカルト!新鮮な生命が持 続的に吹き込むエトノス対話の環境づくりが急務』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160822)。 ・・・ その意味では、例えば「人間がAIと違うのは高度な読解力があること」という 理解を前提に国立情報学研究所が教育関連企業らと共同で新たな研究所設立の 準備を始めたのは評価できる(読解力伸ばせ、産学連携 国立情報学研究所・ 教育企業、新研究所設立へ20161008朝日http://urx.blue/zoqX)。 なぜなら、根本的にAIと異種能力である「“環境・文章フレーム”の積極的読 解力」(自らの生命維持条件である内外エトノスへの高度な感受性を持続させ 得る能力、意志と感情が混然一体化した自然・生命意識とでも言うべき生きた 情念/関連参照→http://urx.blue/zoqZ)こそがAIならぬ人間の「節度ある自 由意思」のバックボーンと考えられるからだ。 (“人間のAIと異なる高度な読解力(エトノス&歴史意識)”の再発見がカギ、 そこで目指すべきは人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/ consilience)による啓蒙主義ルネサンス!) ところで、注意すべきはその自然・生命意識としての「情念」自体には、いわ ゆる倫理的ないしは社会契約論的な意味での善と悪の区別は未だなく(ルネ・ デカルトと共に17世紀・近世哲学の創始者の一人で、社会契約論による政治哲 学の嚆矢でもあるトマス・ホッブスの“万人の万人に対する闘争”状態に相 当)、「善と悪を区別する明確なエトノス的意識(冷静・客観的な自然観)と 社会的意識」が“生まれ”た(歴史的に見れば“啓蒙思想の誕生”!)と考え られることだ。 そして、ヒューバート・ドレイファス(人工知能に対して鋭い哲学的批判を続 ける米国の哲学者、チャールズテイラー(同じ立場、カナダの政治・分析哲学 者)、ツヴェタン・トドロフ(仏の文芸批評家・記号学者・社会思想家)、 E.O.ウイルソン(米国の昆虫学者、社会生物学者)、あるいは『文化進化論/ ダ―ウイン進化論は文化を説明できるか』の著者アレックス・メス−ディ(英 国の文化進化論学者)、ハーバート・ギンタス(米国の行動心理・経済学者) らが共有する最も重要な認識は、人間の意識の特徴である「因果(連続するリ アル)と論理(法則抽象化の能力)」を峻別(自覚的区別)するということだ。 「人間の意識の主軸は自由意思(感情と表裏一体の)であるが、それは絶え ず“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬリアル現象の連鎖である 現実の流れ)”と“理由の空間(神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える論 理)”を区別して観察している、ということだ。但し、この両者は対立するも の、との理解で止まるのも決定的な誤りと思われる。それは、この両者が合わ せ鏡の如く密接に結びつき、もつれた(entangleした)状態であることが人間 の意識の正体(それが、生きる意味でもある!)と見るべきだからである。 因みに、E.O.ウイルソンは『ヒトはどこまで進化するのか』で、前者(原因の 空間)について「連続性の視点で究極的説明が理解できる能力/なぜ、その機 能(例えば、手・足・指など)があるのか?」、後者(理由の空間)について 「機能的視点で至近的説明ができる能力/その機能をどのように使うのか?」 であると述べている。そして、その先に見据えるのが両能力を更に生かせる “より高度で多元的な意識”の誕生、つまり新たな人文・科学知の融和的統合 (コンシリエンス)による啓蒙主義ルネサンスである。 1−2 ヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラーによるIOT、AI万 能論(シンギュラリティ)批判(実在論の視点から) (現代的な意味での実在論の視点) ヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラー著『実在論を立て直す』 (法政大学出版)で、彼らは現代の新たな時代の実在論(古代ギリシャ哲学に 淵源する物的実在の根本を遡及して考える懐疑論/近代科学の基礎である物的 還元主義に繋がる“素朴実在論→科学実在論”の流れ)の立場からIOT、AI技 術が自らの深層に抱え込む根本的問題への批判に挑戦している。 つまり、両者は古典的「実在論」を新たな量子物理学の知見の時代(シュレ ジンガー波動方程式が表現する、物質・波動の両性質を併せ持つ(確率分布す る)量子もつれ(quantum entanglement/量子コンピュータの基礎を支える客 観的物理現象)などが常識化した)にも照らしリフレッシュさせつつ、IOT、 AI技術の深層を批判していることになる。 因みに、コンピュータで人間と同じ知能を人工的に実現する技術、人工知能(artificial intelligence/AI)の研究は1990年代から本格化したが、今や 自動車の自動運転が確実視されるほど急速に関連研究が進みつつある。が、 AIを巡っては現在も楽観論と悲観論が同時並行的にしのぎを削っている。 楽観論の代表者は、早ければ10年後にも訪れるとされるシンギュラリティ(技 術的特異点/technological singularity/人工知能の完成で人間が生命を 完全?に支配する時代w)の到来を主張する、米国の人工知能研究者、レイ・ カーツワイルである。ただ、カーツワイルは優れた研究者であると同時にベン チャー系実業家(野心家!)でもあるという二足の草鞋を履くことに留意すべ きだ。 一方、悲観論、つまりAIがAGI(Artificial General Intelligence/人間レベ ルの知能、つまり汎用知能が実現する)の段階に入ると、そのAI故の機械的暴 走を人間が制御不能になると主張する一派の代表者には、ビル・ジョイ(元サ ン・マイクロシステムズ社 チーフサイエンティスト)、スティーブン・ホー キング(ブラックホールの特異点などで著名な英国の理論物理学者)らがいる。 また、ヒューマニストの一人であるスティーブン・ジェイ・グールド(米国の 古生物学者、進化生物学者)が、AIの『物事の意味や価値(シニフィエ/意味、 記号内容、所記)を判断し、納得し理解することの限界』を指摘しているのも 注目すべきだ。つまり、あくまでもAIはシニフィアン(道具、記号表現、 能記)で、宿命的にそれは地球エトノスと共鳴・共感するシニフィエ(意味 論)的な存在の人間に成り代わることは不可能、との主張である。 (今も我々の深部意識に大きな影響を与える17世紀デカルトの「方法的懐 疑」/その二元論の描像を支える「4本の織り糸」の摘出) ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは、最終的に現在のコンピ ュータ技術にまで繋がる“現代科学の萌芽期において、その基礎となるべく、 そして未だにれっきとした影響力を我々の思考に与え続ける”の意味で重要 な17世紀ルネ・デカルトの「方法的懐疑」が我々にもたらす描像(“われ 思う=人間の意識、存在=外界世界の物的実在”という二つの明確な客観的 イメージ構造)を批判するため、この著書『実在論を立て直す』の中でデカ ルト二元論の思弁を支える「4本の織り糸」を摘出する。 a 媒介説(mediational theory)/基本的観念(カテゴリーファイル)の媒 介がなければ人間は理性的な考えを保持できないとデカルトは考えた! ・・・外界から人間精神の中に投影(抽象化)され、その時々に固定される 心象(個々の心的イメージと、その基礎づけとなる諸感覚情報)を受け止める 基本的観念(カテゴリーファイル)を指す。この「基本的観念」の媒介がなけ れば人間は理性的な考えを保持できないとデカルトは考えた。 ・・・なお、同時代のジョン・ロック(イギリス経験論の祖、『統治二論』で その自由主義的な政治思想は名誉革命を理論的に正当化し社会契約や抵抗権を 着想)も、17世紀の「啓蒙思想」の萌芽期に<単純観念(デカルトのカテゴ リーに相当)と複合観念(単純観念に精神の諸機能が加わり成立する複合的 内容)>なる独創的な考え方を提起した。 ・・・余談だが、バベッジ(19世紀英国の計算機科学者、殆ど設計・試作レベ ルで終わったが、現代コンピュータの祖型である階差機関、解析機関、あるい はプログラミングを着想・設計・試作した)の影響を受けたエイダ・ラブレス 伯爵夫人(ロマン派を代表する詩人バイロンの一人娘)が人類初のコンピュー タ・プログラマーである(出典:竹内薫『量子コンピューターが本当にすご い』-PHP-))こと、またそのバベッジが彼に先立つ18世紀カントから何らか の影響を受けた節があるのも興味深い。なお、カントは『純粋理性批判』で認 識構造の基本である感性、悟性、理性を定義し、図式・カテゴリー・構想のア ーキテクチャーでの分析方法を着想した。 b 明示的「信念」の在庫目録リスト(量子物理学の進化で“ゆらぐ”伝統科学、ニュートン物理学世界)をどう再解釈するか?の問題 ・・・リアル世界に在る人間の意識(文脈的意思)はエトノス環境との連鎖・ 往還交流の渦に宿命的に巻き込まれており、個々の生命体が終末を迎える時ま での制限内で潜在的に無限であるはずなのだが、しかしながら媒介説的な意味 で“理性的”な我々(人間)は一定の限られた明示的で科学・客観的な「信念」 、つまり一定の表出的「情報」の在庫目録リストの範囲で、(1)の媒介的カ テゴリーに頼りつつデカルト・バージョンないしはジョン・ロック・バージョ ンの知識内容(ロック定義の単純観念/コンピュータのデジタルバイト情報 との類似概念であることに注目!)から収集した合理的な「観念」(実は表層 的観念!?)で満足すべきとの明示的「信念」の自覚が当然視されている。 ・・・そして、科学実験・検証、数学論理(ゲーデル不完全性定理の問題は残る!)、あるいは司法判断・犯罪捜査らは此のプロセスに基づくのも事実では ある。しかし、絶えずそこから漏れ出るリアルの可能性を凝視する謙虚で懐疑 的で多元(人文科学)的な視点を有害、非効率と見て排除する傾向が強まって いるが、それら残余を強引に切り捨てて本当に大丈夫なのか?特に、<AI活用 ・新自由主義・アナクロが偏狭な意識の中で癒着する安倍内閣の暴走権力化> が、この悪しき人文科学排除の意味での非科学化(カルト化)傾向を強めてい ることが懸念される。 ・・・一方で、例えば量子物理学で言えば、量子効果の性質であるトンネル効 果、あるいは“量子もつれ”で発見された“光より速い伝達媒介性”を応用す る量子テレポーション(http://urx.blue/zotC)らの如き現象が科学的事実と して認知されている。なお、トンネル効果は波動性をも持つ量子が一定の確率 (数学論理)で通常は不可能な領域や壁を通り抜ける物理現象(シュレジンガ ーの猫、のリアル化)で、換言すれば量子の波動関数がポテンシャル障壁の反 対へ染出すことだが、微細な集積回路でのリーク電流の原因であり、かつこれ は宇宙の生成にも関わると見られている。 c 懐疑的な社会意識の希薄化を助長する、外界投影である内的「直接所与の カテゴリー」以前への非遡行性の問題/これこそAI・IOT時代の落とし穴! ・・・これは「(2)明示的「信念」の在庫目録」との関りが強いのだが、デ カルトの「直接所与」では、外界の投影である「直接所与」の認識が「基本的 観念(カテゴリーファイル)以前へ遡及することはあり得ないのが大前提であ る。同じことをJ.ロック・バージョンで言えば、17世紀の「啓蒙主義」萌芽期 の考え方の基礎ともなった「単純観念」以前への共同主観性(常識化した共通 認識)レベルでの遡及はあり得ないという思考パターンである。 ・・・ところが、ここで奇妙なパラドクスが出現する。それは、“実在を疑わ ぬ超素朴な時代(ホモ・ハビリス〜ホモ・サピエンス初期)→古典的素朴実在 論の時代→17世紀に始まる科学実在論と啓蒙・民主主義のプロセス→現代”と いう長大な歴史時間を辿った結果、漸く、素朴で蒙昧な古典的実在論から科学 的実在論(媒介説)の極致と見るべき非常に冷静かつ客観合理的なAI時代の入 口まで人間は到達した訳なのだが、肝心の政治権力およびメディア&アカデミ ズム意識の劣化、およびポピュリズム深化などによって、ふと気付くと我々は <一切の実在を疑わぬ超素朴な時代/啓蒙思想が始まるより遥かに前の蒙昧・ 無知の時代>へ、再び、一気に引き戻されつつあるのではないか?という懸念 が生まれているのだ。 ・・・そして、特に既得権益化した権力側からのアカデミズムと教育環境の操 作やメディア・ポピュリズム扇動での国民意識の分断化(ミクロ化)などに因 る無関心層(より根源的なエトノス観を求めて往還的に自ら遡及しようとする 懐疑的な社会意識の希薄化)の拡大が、この悪しき傾向がより深化するための 触媒作用となっている。 ・・・特に量子コンピュータ(深層学習とアニーリング(量子トンネル効果を 応用する非常に効率的な超ビッグ多変量回帰分析/量子コンピュータ駆使)で 最適解を求める手法、http://urx.blue/zoz7)等による超高速計算(天文学ス ケールの)が実現しつつあること、つまり<1%派と癒着し易いIOT、AI技術 がより強靭な社会プラットホームとして他の凡ゆるものを根幹部分から支配す る時代>に入りつつあるということは、即ち、我々がそのような意味でのパラ ドクスに見事に嵌まったことになるのではないか? ・・それは、些かの正しい根拠(エトノス交流によるリアル遡及的な根拠)も 意識されぬままに、“超科学的(実際には1%派との癒着で“名ばかり科学合 理”と化している!)”な目前のエセ現実(1%派ご用達グローバル資本主義 がうそぶく“今だけ目先だけ利益”)を、スッカリ騙されたままひたすら信じ て生きざるを得ないという意味である。 d 「心的←→物的」の二元論で分類・分断されミクロ化する社会へ如何にす れば歯止めがかかるか? ・・・そこから浮上する、節度ある自由意思と政治倫理の深い関係性の 問題!・・・ ・・・これは、殆どが「c 内的な直接所与のカテゴリー以前への非遡行性の 問題」と重なることだが、17世紀以降の近世〜現代という歴史の流れから俯瞰 すると、今も我々の心の中で作用しているデカルト的な概念の主柱である <「心的←→物的」二元論的分類>が、深く人間社会に浸透しつつ現在に至っ たことの影響は非常に大きく重い。従って、これまで見た「AI化による社会の 更なるミクロ化・分断化・分裂化トレンド」に如何なる歯止め策を講じるべき かが民主主義国家に共通する喫緊の課題である。 ・・・量子力学の知見によれば、「量子レベルまでミクロ(還元・遡及)化し た物質(つまり量子)は物質であると同時に波動性(確率論的分布)を持ち、 それが自由意思を前提とする「リアル観測」によって一つの結果として帰結 (量子もつれが壊れて現実化)すること(デコヒーレンス/decoherence)」 が科学的にほぼ理解されている。これを比喩的・象徴的に考えてみると、例え ば政治的な政策課題の役割はこの場合の「リアル観測」に似ていると思われ る。そして、そこから「宿命論ならぬ節度ある自由意思と政治倫理の間の強い 関係性」が推測される。逆に言えば、それは悲観的な宿命論に囚われた途端に 我われ普通の人間は不道徳な生き方を選択する衝動に誘惑されるはずだからで ある。 ・・・因みに、「マクスウエル電磁方程式→シュレジンガー波動方程式(ディ ラック方程式+アインシュタイン相対性理論)→ハイゼンベルグ運動方程式 (電磁・波動両方程式と相対理論を統一)」の研究プロセスによって、この物 的実在の根本が物性であると同時に波動性であるという矛盾(ニュートン力学 上の)は統一・理解されている(主流たるコペンハーゲン学派の立場)。 ・・・ (「4本の織り糸」のなかの枢軸、a媒介説(mediational theory)に対する 真っ向からの批判となる接触説(contact theory)の底知れぬパワー!) 共著『実在論を立て直す』の中で、ヒューバート・ドレイファスとチャールズ テイラーは本格的なAI時代へ確実に近づきつつある今だからこそ、未だに意識 の深奥で我々へ大きな影響を与え続ける「17世紀デカルト二元論の描像」なる 呪縛(これがAIの魔術師?wレイ・カーツワイルが唱える呪文、シンギュラリ ティの根拠!)、つまりその「4本の織り糸」の媒介説を批判するため接触説 を提示している。 それは、この接触説こそが既述の(1−1/IOT、AI技術が深層に抱え込む根 本問題)の“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬ全エトノス交流 下の連鎖現象であるリアル)”と“理由の空間(論理/神ならぬ人間の最小限 の自由意思を支える)”の違いの問題に深く関わっており、人間の意識の持続 性はこれら両者の統合感覚であると考えられるからだ。 別に言えば、“原因の空間”と“理由の空間”の脳を含む体内エトノス環境に おける「進行形の現実」、つまり「その斉合(混合)状態」(関連参照↓◆3) こそが人間(Homo sapiens)の意識・生命の根拠(生きていることの意味)で あり、それが「AIフレーム問題」の原因と考えられるからだ。なお、フレーム 問題とは考慮すべき空間が有限でない限り無限の可能性を考えざるを得ないと いうパラドクス(簡単に言えば、AIは空気が絶対に読めないこと!)であり、 如何に高度化してもAIが人間に取って代われない根拠がそこにある。 ◆3 認知的斉合性理論(cognitive consistency theory) ・・・人々は自らの認知内容(自分や他人が知っていること、感じているこ と、やっていること、欲していること、又は社会や自然界に生じていること、 などについて自らがもつ認識内容のいくばくかが相互に無関係と思えないと き、それらの関係の辻褄が合うように行動するという仮定を置き、それに基づ き人々の社会行動を説明する理論。(http://urx.mobi/ze8A) ・・・ ところで、媒介説(17世紀デカルト二元論の描像/その核心が(a)媒介説) が近代(およそ17世紀)以降に大きなパワーを勝ち得たのは、主に近代科学 (及びそれを基盤とする啓蒙主義、立憲議会制民主主義、資本主義)の成立と 拡がりで伝統的な常識を批判しつつ世界の理解の仕方を客観視できる知的態度 が獲得された(世界が脱呪術化した)ためと考えられる。 一方、このような一種の離脱化した人間観に対し、接触説は「我々は常に一定 の社会、文化、そしてエトノス自然環境(個々の体内にも膨大なエトノス自然 環境がある)に深く関与していること、および無意識レベルも含め奥深く内外 のエトノス環境に巻き込まれつつ我々が今を生きているリアルを、そしてその 果てしない因果関係の連鎖と拡がりを特に強調」する立場である。従って、こ の接触説の立場に立てば、必然的に異文化や外国人も含む異なる考え方の人々 と如何なる相互理解の方法が可能かを常に考えつつ、絶えざる共存の方向であ る「多元主義」の模索こそが<世界中で個々の人間が生きていることの重要な 意味>だということが理解できることになる。 無論、このような立場があることを確認しただけで、そこから市民社会が格差 や排外主義で一層の「離脱化」を強める現代世界の悪しきトレンドに対する抑 止効果が生まれるとは考えられないし、同じくモノカルチャー化(人間意識の 同質的ミクロ化)へのスピードを益々加速するコンピュータ、IOT、AI万能論 (シンギュラリティ)社会を簡単に批判できる訳でもない。あるいは、更なる 『新自由主義』の暴走で資本主義と民主主義(啓蒙思想)が激しく劣化し、ま すます排外主義が広がり、多くの人々が孤立化するという近未来の悪夢の一掃 ができるとも思われない。 そこで、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは、「自己理解の 変化」(過去と現在との出会いという観念、つまり個々の我々は歴史性と地球 エトノス環境に内外で巻き込まれているという認識を前提とする/補足、toxandoria)があれば、身体的次元→言語的次元→全感性的次元のプロセス で、他者への理解が必ず生まれ、かつ深まるという、H.G.ガダマー(ドイツ の哲学者/解釈学(Hermeneutik)、言語テクストの歴史性に立脚する独自の 哲学的アプローチで知られる)の原理「地平の融合」を引用する(関連参照⇒ 『ガダマー思想の核心』 ガダマーの“テクスト(言説・言語記述)の意味の多義性と常なる新しさ(啓 蒙主義ルネサンスが持続することへの自信!)、およびトマス・カスリス(リ トアニア系米国人で哲学者、東洋学者/日本伝統文化の核心と見なす神道につ いての研究が専門)のインティマシー(intemacy/親近的文化)とインテグリ ティー(integrity/契約的文化)なる二種類の文化についての考察”もIOT、 AI万能論に対する強力な批判になると思われるが此処では触れる余裕がない。 接触説は「啓蒙主義ルネサンスの可能性」にも関わりツヴェタン・トドロフと も共鳴するので、これについては後述する。 |