|
■信濃古代エトノスの警告(4/n)/緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家 神道」と先制攻撃「軍事研究」の復活(国民が軽視する安倍晋三“感情構造の 病理”)は日本の未来をゲキ破壊する時限Bomb!20160627 <注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160626 1−3−4 信濃古代史における養蚕・殖産興業文化への秦氏の貢献、それを 支えた安曇氏 (近世・近代の養蚕王国長野(信濃)の地盤を創った古代・秦氏の活躍) 長野県の「近世から戦前における養蚕・生糸中心の製糸王国(間接的な意味に なるが、それは現在における技術・知識集約型へのシフトを可能とする環境条 件ともなった)」の基盤を作ったのは古代における渡来系・秦氏の活躍であり、 それを無視することはできない(関連で、既述の『1−2 長野県の特性/産 業と地理的特徴』を参照乞う)。 ところで、善光寺(長野)の草創の年次は不明とされるが、『扶桑略記』(平 安時代の私撰歴史書)の仏教渡来の条は、欽明天皇の時(6世紀半ば)に百済 国の聖明王が献じた1尺5寸の阿弥陀仏像と1尺の観音・勢至像が善光寺如来(秘 仏)であるとされ、この像を推古天皇10年4月8日に秦巨勢大夫(秦河勝に比定) に命じ信濃国に送ったと記している。 このことは、善光寺を建立したとされる本田善光(ほんだよしみつ/古墳時代 の信濃国の人物)と秦河勝の関係を示唆すのみならず秦氏と信濃国の特別な関 わりの深さを推測させる。因みに河内長野の渡来人が信濃国・長野の渡来人と 関係が深いことは既に述べたが(前節『日本人と馬の文化史』)、その河内 (河内国志紀郡長野郷/河内長野市)が出自である渡来系(高句麗・百済系?) の長野氏は河川・土木工事の専門集団であり、秦氏と同じく信濃国の開拓に貢 献したと思われる。 また、その名が太秦の地名に残る秦河勝は、聖徳太子の仏教信仰と政治の指南 役を務めたが、また政商・先進技術・殖産興業の知恵袋として草創期の朝廷財 政にも深く関わった人物である。また、聖徳太子(本名“厩戸”皇子)の母・ 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、蘇我稲目の娘で武内宿 禰を祖とするとされるが、実はこの蘇我氏も渡来(百済)系との説が強まって いる(添付画像『秦河勝夫妻像(広隆寺・講堂、所蔵)』は http://goo.gl/wlsZie より転載)。 秦氏は、中国・秦の‟始皇帝“麾下の遺民(技術者集団)が朝鮮半島(高句麗、 新羅、百済、加羅)経由で列島へ渡って来たもので、おそらく5世紀頃から日 本各地に定住し始めた前渡り渡来系の一族である(一説では17〜20万人におよ び、当時の日本列島人口の5%弱を占めたとされる)。 その秦氏は「大和王権」以降の日本へ大きな足跡を残している。例えば、明法 (律令)学の研究と講義、申楽(能・狂言のルーツ/観阿弥・世阿弥=秦一 族)、宮中神楽・雅楽等(東儀家=秦一族)の創作、あるいは冶金・工芸技術 を活かした東大寺・廬舎那仏の建立などが典型だが、特に秦河勝は聖徳太子の アドバイザー役として松尾大社・伏見稲荷等の神社造営、あるいは広隆寺等の 寺院建立に貢献したと。 京都には秦一族の活躍に因んで、嵐山の葛野大堰(かどのおおい/桂川治水工 事/同じく嵐山の景観造形の基本も秦氏の功績)、太秦、蚕の社、大酒神社 (太秦/秦氏の祖、秦の始皇帝を祀った)、蛇塚古墳(太秦/河勝の墓?)、 広隆寺(河勝と聖徳太子ゆかりの寺)などの事績が数多く遺されている。また、 長野(市)・群馬・会津などにも養蚕神社が存在する。 3世紀末に渡来した弓月君(ゆづきのきみ/列島での秦氏の祖とされる)が養 蚕と絹織物の技術を伝えとされるが、秦氏と日本の養蚕技術発展の関係には無 視できないものがある。特に、信濃国に入った秦一族の活躍は重要であり、信 濃を経由した養蚕技術は関東(群馬など/江戸時代以降〜戦前まで、信濃国 (≒現、長野県)の蚕糸生産は日本一の地位を維持していたが、現代における 養蚕の市場シェアは群馬県が1位で全体の約4割を占める)を経て、東北の南端 に当たる会津地方(福島)まで伝播した。このため、北東北と北海道を除き全 国的に養蚕が行われようになり平安中期以降頃には産地ごとの等級が決まり、 それが税として朝廷に収められるようになっていた。 (安曇野の風景/秦氏を支えた安曇氏の名残り) 安曇野は、松本盆地のうち梓川・犀川の西岸〜高瀬川流域の最南部にかけて広 がる扇状地全体を総称する呼び名である。特に、臼井吉見の小説『安曇野』で 有名になり、この名称が一般的に広く定着してきた(画像『安曇野の風景』は、http://goo.gl/n8zBB8 より転載)。 安曇野の語源は古代に移住してきた渡来系・海人族の安曇氏に由来するとの説 が有力だ。元々、北九州の志賀島周辺を本拠地とした安曇氏は全国に散らばっ ており安曇野にある穂高神社(松本市安曇と上高地に奥宮が、奥穂高岳山頂に 嶺宮があるので日本アルプス総鎮守の通称もある/祭神は穂高見命、綿津見命 (海神、安曇氏の祖神)ほか)は信濃の安曇郡に定住した安曇氏が祖神を祀っ た古社で、志賀島から全国に散った一族の本拠地がこの安曇野だとされる。 また、安曇氏の支援を得て信濃国に入った秦氏が最初に定着したのは鷺沢(お みさわ)とされているが、それが現在の筑摩郡鷺沢嶽(松本市波田鷺沢)であ るのか?は未だ分かっていない。しかし、安曇野に限らず長野県全体(信濃国) における秦氏に関連する史跡等の発見は今のところは意外に少なく、これから の研究が待たれるところである。 ところで、一説では秦氏の列島全体への移動には海路または、河川路の移動を 得意として操船・造船の技術にも長けた安曇氏が貢献したと思われる。BC3−4 世紀頃から朝鮮半島経由で渡来系の人々が北九州に渡るようになるが、北九州 に定着した渡来系弥生人の一部族が安曇族であった。つまり、秦氏の信濃国へ の移動に安曇氏が大きく貢献したのはごく自然の流れであったとも言えるだろ う。 2 緊急事態『改憲』に隠れる真の狙い、「国家神道」(偽エトノス)と先制 攻撃「軍事研究」の復活/それは日本のエトノスと未生の可能性を完全消滅さ せる、確信犯的な感情構造の病理 ・・・伊勢神宮・式年遷宮式典への出席を実現した安倍首相、およびそれを準 備した神社本庁、日本会議らの真意は『改憲』に止ることではない!その正遷 御当日(20131002)への<総理大臣として戦後初の出席>は、彼らの究極の目 的が『国家神道』の復活であることを露呈している!・・・(添付画像は、http://goo.gl/PRzaN6 より転載) 「国家神道」が偽エトノスであるとは、<通過儀礼などの関係で神社参拝をす るのは我々の日常生活の一部であるが(つまり、各神社との親しみはエトノス 環境化しているのだが)、そのことと「国家神道」が相貌的にはそっくりであ り、強いて意識化しなければ(主体的に想像力を働かせ、理性(知性主義)的 に考えなければ)外見上は両者の見分けがつかない>ということである(委細 については、下記★を参照乞う)。 ★松岡正剛『エトノス(正確に言えば、偽エトノス)としての国家神道』(村 上重良著:国家神道‐岩波新書‐の解説) http://goo.gl/viIoqC ・・・ 伊勢神宮の式年遷宮は戦後四回行われたが、正遷御当日(20131002)の式典に 参列した総理大臣は安倍晋三が初めてである。この時には、麻生太郎副総理を 含む8閣僚(殆どが #日本会議 メンバー)も参列した。しかも、NHK始め主要 メディアは、このことの委細を報じなかった。しかし、安倍・自民党政権は、 #日本会議 、神政連、神社本庁、神宮大宮司(鷹司尚武氏)ら「国家神道」 復活派の希望の星である。 その当日の記者会見で菅官房長官は「これは恒例の私人としての参列で、憲法 の正教分離原則に反しておらず何ら問題はない!」と “恒例の粛々説明”を 得意気に述べたが、戦後初の「安倍総理と8閣僚」の正遷御当日の参列は、神 宮遷御(伊勢神宮の存在)に関わる「戦前回帰」の政治的メッセージを、不遜 にも、肝心の今上天皇のお立場(護憲主義)を一切無視する形で、日本社会へ 戦後初めて発信したことになる。 この安倍首相の政治的メッセージが意識的に隠蔽するのは『全国民が玉砕する 愛国自爆テロ戦争体制の取り戻し(あと一歩で実現できなかった太平洋戦争・ 本土決戦の再現)』ということだ。それは #日本会議、#神社本庁 など安 倍晋三・一派の強い「追憶のカルト」の決意の現れに他ならず、これは「愛国 戦争こそが国家神道の崇高祭儀だ!」とする稲田朋美・自民政調会長の発言の 真意であり、かつ<一億総国民の“追憶のカルト”化/異常“観念同時”なる 集団妄想の病理に全国民が強制的に連れ込まれる>ということである。(この 問題の委細は、下記★を参照乞う)。 ★先住多層文化エトノスはポスト・グローバリズムの希望/「国民主権否定の 改憲で正しい立憲主義を!」の安倍政権は寛容のホスピタリティ(近未来の可 能性)をナチ式恍惚催眠で犯す政治的変質者の群れ2016-03-01toxandoriaの日 記、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160301 ・・・ 我われが冷静に見据えなければならないのは、7月10日の参院選を目前とする 安倍政権が急に「改憲発言をトーンダウン」させた裏には、<メディア活用 (同調&洗脳)方式での参院選大勝 → 緊急事態条項付「改憲」実現 →「国 家神道(偽エトノス)」復活>という、恐るべきほど反知世主義的な戦略(感 情構造の病理)が隠されていることだ(【左・画像中の誤記訂正】核心犯⇒確 信犯 へw)。 そして、いったんチャンス到来となれば、#安倍晋三 、#日本会議 、#神社 本庁らの真の狙いは国家神道の復活なので、おそらく御用学者らを総動員して、 戦前同様に「国家神道は日本国民の絶対多数派が支持する伊勢神宮を本宗とす る超然宗教・非宗教たる日本伝統文化の根源だ!」という政治的「屁理屈=ネ オ・国体の本義(関連で下記↓★を参照乞う)」を騙るはずだ。 ★大正デモクラシーで昭和10年代に旧「国体論/天皇現人神論」は最大危機を 迎えた、しかし文部省が強弁『国体の本義(昭12)』をでっち上げ、軍事超然 権力は天皇を「現人神」に再び祭り上げ、「国家神道」体制を確立した! 2014-08-01toxandoriaの日記、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140801 ・・・ それは、既に、憲法の解釈変更で先制攻撃を可能とする「安保法(平和安全法 制)」が成立しているので、後は「国家神道」さえ復活できれば9条には一切 触れずとも、望みどおり国民の義務としての「愛国戦争」が<マッチポンプ式 で自在にできる>ことになるからだ。しかし、これは本来の国家安全保障とは 全く無関係であり、それどころか徒に国家滅亡の危機を招く、全く異次元のカ ミカゼ・カルト妄想の再現(取り戻し)である。 (関連情報) ◆余りの筋悪で専守防衛安全保障法の「精緻な理論」が理解不能(理解できな い!)の安倍晋三・首相への忖度の空気一色であるのが今の日本の超リスク だ!学問知の啓蒙はメディア本来の重責!もし、総メディアが努力尽した上で あるならば「民主主義の赤字(ポピュリズム原理)」で国家滅亡も覚悟すべき 鴨?20160622只のオッサンRT to Masaharu Adachi @HCEkobe/「政治的思いを そのまま違憲の結論に直結させることは、むしろその足元を危うくさせる」 「この社会は、学問が生み出す知を活用しようとする社会なのか」/安保法 「違憲」で議論 元最高裁判事・藤田氏「精緻な理論」求め一石:20160622朝 日http://goo.gl/WCyzLn ◆安倍“改憲”の真の目的が「国家神道の復活」であることは、日本の主要メ ディアはともかく、「G7首脳の伊勢神宮訪問・実現」との絡みで海外メディア が一斉に報じていた!(以下、その事例/情報源:20160624号・週刊朝日『日 本会議と安倍首相』、ほか/各( )内の記述は、toxandoriaの補足) ・・・安倍政権が進める神道復権(国家神道・復活を指す)の中心にある伊勢 神宮の役割を考えると、G7首脳の訪問は太古の森と清流を気楽に散歩する以上 の意味を持つ。(英ガーディアン)20160624号・週刊朝日 ・・・伊勢神宮訪問はいくつかの批判も呼んでいる。神道(一般の神社神道で はなく、G7首脳の伊勢神宮訪問を国家神道・復活の絶好の機会として利用しよ うとする安倍首相らの野望を指す)は日本の神話と歴史を国家主義と不可分に 結びついた宗教(歴然たる宗教、つまり国家神道)に一体化させており、世界 のリーダーが訪問するには不適切。(AFP通信)20160624号・週刊朝日 ・・・「日本会議」は安倍首相と彼の内閣の殆んどを含む3万8千人の会員を 持ち、日本は西洋の植民地主義からアジアを解放したのであり、戦後の憲法は 国の本来の特徴(エトノス)を骨抜きにしたと信じている。(英ガーディアン)20160624号・週刊朝日 ・・・G7首脳が日本で神社に訪問しないよう宗教指導者や宗教学者が警告し た。伊勢神宮は日本の平和主義憲法を変える運動を進める国家主義者・組織 (日本会議)に繋がる大きなリンクだ。(英ザ・タイムズ) http://goo.gl/D9Gyue ・・・安倍首相はG7サミットに先立って神道の聖地(伊勢神宮)を参拝してい る。戦争中の日本の指導者は「国家神道」イデオロギーを戦争遂行に利用した が、戦後の平和主義憲法は国家と宗教を分離した。(ロイター)http://goo.gl/JvBqiT |