メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:信濃古代エトノスの警告(2/n)  2016/06/28


■信濃古代エトノスの警告(2/n)/緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家
神道」と先制攻撃「軍事研究」の復活(国民が軽視する安倍晋三“感情構造の
病理”)は日本の未来をゲキ破壊する時限Bomb!20160627

<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160626 

1−2 長野県の特性

(現在の産業)
  
・・・右の画像は『安曇野の風景』/(以下、第三パラグラフまでの内容、お
よび添付画像(地図)の出典は、日銀松本支店『長野県産業の特徴』http://goo.gl/Fd9UIg より/二枚目の画像『安曇野市 (旧穂高町)』は、
ブログ「信州・安曇野穂高 『碌山美術館』 &穂高町の火の見櫓(長野県)」http://goo.gl/QADQHW より転載) 

戦前の長野県は養蚕・生糸中心の製糸王国で最盛期には工場数が800余を数え、
それは日本の生糸生産量の約3割、県下工業総生産額の約8割を占める隆盛を示
した。が、太平洋戦争期に至ると生糸輸出の途絶から急速な衰退をみることと
なった。しかし、代わりに航空機部品・光学機器・通信機・バルブ製造等の工
場約400社が相次いで疎開してきた。

この太平洋戦争期の養蚕・製糸王国の没落が主な要因となって、満洲への積極
的な移民政策を長野県は推し進めることとなり、満洲移民数が全国で一番多く
なったとされ、戦後には多くの悲劇が生まれた。

一方、戦後は適した風土条件が評価され、これらの工場の技術が地元に根づき、
諏訪・岡谷地区を中心にカメラ、腕時計、オルゴール等の精密機械工業が発達
し、県内各地にも電気・輸送用機械関連等の企業が定着した。

昭和40年代後半の第一次石油危機以降、重厚長大型産業に代わり、軽薄短小型
産業が全国的に急成長を示す過程で、長野県の電気・精密機械工業も技術革新
の波に乗り飛躍的な発展を遂げた。

(地理的特性)

県境には標高2000m~3000m級の高山が連なり、内部にも山岳が重なりあう急峻
で複雑な地形であるため日本の屋根とも呼ばれることがある長野県は全国の都
道府県の中で第3位の広さがあり、その面積は隣接する埼玉、山梨、愛知の三
県を合わせたものにほぼ相当する。加えて地理的にも歴史的にもきわめて変化
に富んでおり、しかも県内各地でも著しい地域個性の差が見られる。

長野県の地理的特性を見ておくと、中央部を高地が占める山地型の地形ではな
く、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈(長野県、山梨県、
静岡県に連なる山脈で、通称南アルプスとも呼ばれる。飛騨山脈(北アルプ
ス)、木曽山脈(中央アルプス)とともに日本アルプスとも呼ばれる。)の標高
が高く、それらの間のいくつかの盆地(伊那谷、松本盆地、佐久盆地、長野盆
地など)を中心とした集住地域が形成されている。

また、数多くの水源を擁しており、天竜川(南信濃、諏訪湖を水源とし伊那谷
を通る)、木曽川(中信濃)は南下し太平洋へ(岐阜県、愛知県、三重県を経
て伊勢湾に注ぐ)、千曲川(東信濃、北信濃)、犀川(中信濃)は長野市で合
流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ流れ、姫川(中信
濃)も日本海に流れている。

(木曽川の水運と江戸期の中山道)

(1)木曽川「水運」の役割

木曽川は飛舞山脈の南部、長野県の鉢盛山(2446m)を水源としており、ほぼ南
西方向に流れ伊勢湾に注いでいる。上流では寝覚ノ床、恵那峡、日本ラインな
どの峡谷をつくり下流では扇状地と三角州からなる濃尾平野を形成している
(画像は、環境省HP『名水百選』https://goo.gl/HE92FP より転載)。

木曾川の水は古くから灌漑用水として利用されており、17世紀初めには大野村
(一宮市浅井)に設置された大野杁(おおのいり/杁=水門)を源とする宮田用水
ができ、それ以降には般若、木津など多くの用水が設けられた。また、鬱蒼た
る美林地帯で名高い木曾山の木材の輸送路としても木曽川は重要な役割を果た
した。しかし、木材輸送路としての木曾川は明治末に国鉄中央本線が全通する
とともにその役割は小さくなった。

(2)江戸期「中山道」の役割

中山道は、江戸時代五街道の一つで中仙道とも書いたが、江戸幕府は1716年
(享保1)に中山道と定めた。また、東海道に対し山道(さんどう)とも書き、
木曾路とも呼ばれた。中山道は江戸北西の板橋宿を起宿とし武蔵、上野(こう
ずけ/ほぼ群馬県)、信濃、美濃を経て近江の守山宿を最後の宿として草津宿
で東海道に合流し、大津を経て京都に入る。板橋から守山まで67宿だが、普通
は草津、大津を加えて木曾街道六十九次(駅)とも言う(添付画像『寝覚の床
/長野県木曽郡上松町』の風景はブログ『ぶらり途中停車の旅 by
 Tommykaira tb』http://goo.gl/oqtWSK より転載)。

近年は、木曽路の三大宿場町として馬篭宿(2005年に長野県木曽郡山口村から
岐阜県中津川市に編入)、妻籠宿、奈良井宿が注目を浴びており(参照/冒頭
のCover Images)、人気の観光スポットとなっている。馬篭宿は、中山道43番
目の宿場(→中山道六十九駅)で馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽
郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。馬篭宿のほぼ中間地点には
旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。

妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道六十九駅)で現在は長野県木曽郡南木
曽町にある。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)とともに、馬籠峠を越える旧
中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として人気が高い。中山道34
番目の宿場(中山道六十九駅)である奈良井宿(長野県塩尻市)は、難所の鳥
居峠を控え、多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」とも呼ばれた。

1−3 古代ユーラシア・エトノス文化圏に繋がり、遥か西方からケルト・フ
レグランス(微風)すらが漂う「信濃の古代史」(概要)

1−3−1 諏訪大社・御柱信仰とカミカゼを繋ぐ深層/それは古代ユーラシ
ア・エトノス文化圏に繋がる縄文期文化の残照
 
信濃(信州/長野県)で最も古層に属する地域は何処かという視点で見ると、
それは諏訪地方である。一説によれば、天武・持統天皇が信濃(特に、古代か
らの風神(ユーラシア全体に共通する、風を鎮め統制するカミ)を祀る諏訪大
社(全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社/諏訪湖周辺で4か所の配置)が
立地する諏訪/そこでは須波と記述されている)への行宮(あんぐう/変事な
どの折に利用する一時的に宮殿を造ること)に拘り続けたことが日本書記(持
統天皇5年8月23日条)から読み取れる(添付の画像二枚、『諏訪大社(下社/
秋宮本宮)』と『御柱/上社の木落し』はウイキより転載/三枚目の画像『道
祖神/オンマラ・サマ』―松本市博物館(松本城内の展示品/これらに似た男
根様の道祖神は甲信越地方や関東地方に多く見られる)は、
http://goo.gl/6aTZXn より転載―)。

<参考>古代史ミステリー、数えで7年に1度の 「御柱」 〜最後の“縄文王
国”の謎〜(NHKスペシャル:初回放送20160626) http://goo.gl/BKAOLm 
・・・当番組は「古事記神話+考古学遺址+社伝」の解釈で構成されているが、
本記事は伊勢神宮ミソロジー重視の観点から「日本書記+考古学遺址」等の解
釈に依った。
 
しかし、その時代の諏訪社に目立つ建造物はなく、その神域には巨大な柱(西
域〜中国〜東アジア全体に拡がっていた風の神(おそらく中国の風伯のルーツ
?)を祀る巨大な御柱(おそらく石柱)が1本立つのみであったとされる。因
みに、風伯は風を支配する神とされるが、更に遡ればその特異な男性性器信仰
なるアニミズム・フレグランスのルーツは古代ユーラシア(欧州(アイルラン
ド・ブリテン島・ブルターニュらまで含む)〜東欧・ロシア・シベリア〜中央
アジア〜東アジア)全体に拡がっていた男性器トーテム信仰の神?であったと
考えられる(委細は下記★を参照乞う)。

★人文研究見聞録『古代の日本と世界に共通する性器信仰』、日本では神社神
事や民間習俗として各地で神社神事や民間習俗として性器崇拝の祭礼が行われ
ており、これは縄文期信仰(エトノス&文化)の名残りと考えられている。http://goo.gl/CYECAC 

・・・

なお、諏訪の周辺5か所に点在する千鹿頭神社(諏訪大社と同じく数えで七年
に一度(満6年間隔)の御柱祭が行われる!http://goo.gl/d0H76P)も、おそ
らく此の地域の狩猟・採集民の縄文期からの信仰対象であったと思われる(一
枚目の画像『井戸尻遺跡(長野県諏訪郡富士見町の縄文時代中期を中心とする
集落遺跡)にある石柱トーテム?』は㏋富士見町・井戸尻遺跡
http://goo.gl/do46pB より、二枚目『アイルランドのタラにある石柱(豊穣
の象徴?)』は、ウィキ:Hill of Taraより転載)。
・・・<注>米ジョージア州ジョーンズボローの近くにあるとされる(フィク
ション!)、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説『風と共に去りぬ』の
物語に登場する、主人公スカーレット・オハラ家の農園名がタラ。その主人公
の祖父の地アイルランドのタラ(Hill of Tara)に実在するのが二枚目の『ア
イルランドの石柱(ケルト文化/豊穣の象徴?)』。http://goo.gl/zOR6hl 

<補足説明>【7世紀後半に成立した、天武・持統期における『伊勢神宮』創
建に繋がる神話論理(ミソロジー)の基本構造】広瀬神(弥生期信仰の中核)
と龍田風神・諏訪風神(縄文期信仰の中核)なる二「祭神」の“和解”
・・・◆「広瀬神(伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御
魂神と同神とされ奈良県北葛城郡河合町川合の廣瀬神社(現在は廣瀬大社)に
祀られてきた/弥生期信仰の中核/ヤマト王権(天皇家)の精神基盤のルーツ)」と、「龍田風神・諏訪風神(縄文期信仰の中核)」なる二(厳密には、三)
「祭神(祀)」の和解/Cf.『広瀬・龍田の神』http://goo.gl/188PJU  

「広瀬・龍田の祭礼」は、天武4年4月の記事(日本書紀)が初見で、以後は
「神祇令」に規定され、後世の「延喜式の祝詞」で正式に祈願されることとな
るが、これは天武期に整備されたもの。また、この天武期(670年代)に伊勢
神宮の本格造営が着手されたと推定される(出典:新谷尚紀著『伊勢神宮と出
雲大社/日本と天皇の誕生』―講談社―)。http://goo.gl/UOzbBA 

『日本書記』持統天皇5年8月23日条に、「使者を遣して、竜(龍)田風神、信
濃の須波(これも諏訪の風神?)、水内等(信濃国水内郡にあったとされる神
社(水の神?)ほか)の神を祭らしむ」とある。

これは、天武・持統天皇が拘り続けた信濃への行宮の問題(既述)が関わって
おり、この時に信濃の須波(諏訪)の風の神(畿内にある龍田(奈良県生駒郡
三郷町)らの風伯より古く、欧州〜中央アジアも視野に入るユーラシア伝統の
風の神、つまり風を支配すると信じられてきた縄文期の男性器トーテム)と龍
田風神(中国より伝わった風伯)の両者を、爾後は中央政府(ヤマト王権/天
皇家)が統一(アマルガム化、https://goo.gl/Ah4fdp)して祀ることになっ
たと考えられる(出典:大和岩雄著『信濃古代史考』―大和書房―)。

また、諏訪大社の神(御柱トーテムが象徴する?建御名方神/たけみなかたの
かみ)が風神としての神業(かみわざ/仏教の霊験に相当)を現したとされる
事例を挙げれば、「文永・弘安役(元寇)」に際して大風(台風の発生)によ
って敵船を沈めるため両風神、伊勢神宮の風宮と諏訪大社に勅使が発(た)っ
たことがあり、これが、いわゆる「世界一の日本を絶対的に守護するカミカゼ」
と呼ばれる、カミカゼ信仰の起源である。

その後、明治維新期以降の日本の支配者たる『君側の奸』たち、特に太平洋戦
争へのプロセスを演出した山県有朋(日本国軍の父)の衣鉢を継ぐ軍部(中枢
は陸軍)が、本居宣長(1730 - 1801)の「古伝説」研究などに淵源する「他
国に優越する現人神たる天皇を世界万国の宗主と見立てる皇国史観と国家神
道」を高く内外へ向けて掲げた時に、「ミッドウエー海戦」での敗退を隠蔽
(大本営発表)までして、結局、この国民の深層に沁み渡った「カミカゼ精神」
が効果的に利用され、太平洋戦争の敗戦間際には「カミカゼ特攻隊」や「国家
神道(神国日本)下における愛国カミカゼ玉砕」の名に使われたことは周知の
とりである。

しかし、よくよく考えてみれば、「世界に冠たる(日本が一番!の)神国・日
本のカミカゼ(風神)」がアイルランドほか欧州全体に拡がるケルト信仰とも
繋がる可能性が濃厚な、ユーラシア系の風の神様だというのでは、これは実に
でたらめな神話論理である。何ゆえに、ユーラシア系の風の神様をそもそもの
根拠とするニッポンが世界で一番!なのか???w

この辺りは、非常に危険な日本製「原発」を絶対安全(安倍式アンダー・コン
トロール)だと言い張るため、現代の神社本庁が創出し(でっちあげ?w)た
「ウラニウム・放射能アニミズム論」なる奇怪ミソロジー(神話論理/ウラン
も放射能も自然の一部であり人畜無害だ!←でも、本当は危険なのだから日本
国民は原発事故でも『嗚呼、オンマラ・サマ〜!』で玉砕すべし、ということ
か?苦w)と、そのでたらめぶりが実に見事に露呈している。w

なお、天武紀・持統紀(日本書紀)の記述から『伊勢神道に関わる最古の祭礼』
(皇室行事・大嘗祭のルーツ/天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭/勅使
が伊勢神宮ほかに下向し幣帛(へいはく)を捧げる一方、宮中でも儀式が行わ
れる)と考えられる、「広瀬・大忌神祭」(広瀬神社/奈良県北葛城郡/治水
神祈願)と「龍田・風神祭(龍田大社/奈良県生駒郡三郷町/中国系の風伯が
諏訪のユーラシア系風神と合祀)なる二つの祭りの根本(創始、いずれも天武
4年(665))にある宗教・政治的観念(ミソロジー、神話論理)は、<漸く、
ヤマト王権(天皇家)が激しく荒ぶる抵抗を続けてきた諏訪大社(ユーラシア
系)の風神(および、その眷属たる中国系の風伯(風神))と“和合”しつつ、
山紫水明な大自然の風土の下で稲作・穀物らの豊穣を祈願する弥生・縄文両文
化系アニミズム信仰の“和解”、言い換えるなら縄文系自然の・狩猟・戦闘的
で荒ぶるカミ(神話論理)の象徴化(=その典型が諏訪社の御柱祭)に基づき
王権(天皇家の権力)を確立したという意味での神聖政治(平和・専守防衛)
国家・日本の誕生>ということであった(関連参照 ⇒http://goo.gl/cYF6wk 、http://goo.gl/rrF6gt )。

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