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■信濃古代エトノスの警告(1/n)/緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家 神道」と先制攻撃「軍事研究」の復活(国民が軽視する安倍晋三“感情構造の 病理”)は日本の未来をゲキ破壊する時限Bomb!20160627 <注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160626 <span class="deco" style="font-weight:bold;">・・・山紫水明な大自然の 風土の下で稲作・穀物らの豊穣を祈願する弥生・縄文両文化系アニミズム信仰 の“和解”(縄文系自然の・狩猟・戦闘的で荒ぶるカミ(神話論理)の象徴化 =その典型が諏訪社の御柱祭)に基づく王権(天皇家の権力)を確立したとい う意味での神聖政治(平和・専守防衛)国家が、日本エトノスの原型であ る・・・</span> 【Cover Images】 [f:id:toxandoria:20160626152312p:image:w330:right][f:id:toxandoria:20160626152313j:image:w250:right]et al [f:id:toxandoria:20160626152314p:image:w290:right] [Nolwenn Leroy - Juste Pour Me Souvenir</span> ・・・私のスーベニール(大切な古代ケルト・エトノスの記憶)/ブリトン (ケルト)風の唄声とメロディー/男たちは荒れ狂う海に漕ぎ出し、女たち はその帰りを待ち続ける。独特の哀愁が漂い、こぶしがきいていて・・・(http://goo.gl/KxOMx6 より)。ブリトン民謡(ケルト・エトノス)の フィーチャー。 [f:id:toxandoria:20160626155908p:image:w550:right] (右=『半跏思惟像(木造、制作時は彩色?)/中宮寺 飛鳥時代・7世紀)』、 左=仏像『韓国国宝78号 半跏思惟像(金銅像/メッキ(滅金アマルガム技術)製) 三国時代・6世紀』)</span> ・・・“半島と列島が古代エトノスを共有する時代のスーベニール” (←“補足”、toxandoria)と、日韓国交正常化50周年を記念し、両国の文化 交流の一層の促進をはかるために企画された展覧会。今回は史上初めて、日韓 を代表する国宝である2つの半跏思惟像をあわせて展示。最初に韓国国立中央 博物館で披露されたのち、海をわたって日本でお目見えとなる(R25イウ゛ェント・カ レンダー、http://r25.jp/off/00051135/ より転載)。 [f:id:toxandoria:20160626160659j:image:w300] <span class="deco" style="font-weight:bold;">(古墳時代・騎馬兵(首長級) のイメージ)</span> ・・・当画像は、島根県出雲市上塩台築山「古墳」から出土した馬具・武具・ 装身具を元に復元した首長像。神戸市立埋蔵文化センターでの展示 (1999.10.23)を報告するHP、http://goo.gl/lPYTfS より転載。 [f:id:toxandoria:20160626160903j:image:w360] [f:id:toxandoria:20160626160904j:image:w340] (鞍作止利・作:釈迦如来坐像(飛鳥大仏)、法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像 ・・・その代表作が「法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像」(623年)とされる鞍 作止利(くらつくりのとり/生没年不詳/鳥仏師とも)は、飛鳥時代の渡来系 (百済系?)の仏師とされるが、元々は馬具の鞍を作る工(職)人であったら しい。その釈迦三尊像に先立ち飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村大字飛鳥)の本 尊、「釈迦如来坐像(飛鳥大仏)」の作者でもあると考えられる。577年には 百済の聖王の子・昌王が倭国へ造仏工・造寺工らを派遣しているので、それよ り先に渡来し倭国で活躍していた鞍作り工が造仏を命じられたと考えられる。 やがて、百済から伝えられた仏工技術は「倭国」風により洗練されて『半跏思 惟像(飛鳥時代・7世紀 奈良/中宮寺)』(↑Cover Image/右)などの美し い作品を生み出した。 ・・・ 木曽路の風景、アラカルト(20160618〜20160620) 妻籠宿(本陣跡ほか) [f:id:toxandoria:20160626162312j:image:w340] [f:id:toxandoria:20160626162313j:image:w340]et al 奈良井宿(島崎藤村ゆかりの徳利屋ほか) [f:id:toxandoria:20160626162838j:image:w340]et al 松本(中町土蔵街、松本城、旧開智学校) [f:id:toxandoria:20160626163724j:image:w340]et al ・・・ (プロローグ) 緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家神道」と先制攻撃「軍事 研究」の復活を謀る安倍首相、日本会議(日本青年協議会=隠れ、生長の家 “過激派”)、神社本庁らは世界の超リスク! ・・・戦前の「国家神道」(追憶のカルト)は終戦時に全日本国民を「本土 決戦」(愛国総玉砕戦)の瀬戸際に追い込んだ偽エトノス(感情構造に寄生す る閉鎖的カルト病)!因みに、英EU離脱もポピュリズムの赤字(反知性主義の 極大化)に因る一種の偽エトノス現象なので唯一のワクチンは理念再構築への 挑戦!その意義に一般国民が気付かぬのであれば国家滅亡も覚悟すべき! ・・・ [f:id:toxandoria:20160626165559p:image:w380]et al 1 縄文・弥生両文化『“和解”エトノス』の典型/古代ユーラシア文化圏に 繋がる「信濃の古代史」(概観)</span> ・・・一枚目の画像(ユーラシア大陸)はウィキより、二枚目(北・南・中央 アルプスと信濃)はブログ・湘南キット研究所、http://goo.gl/LtnVlQ より、 三枚目はHP長野県の地形・地盤 : ジオテック株式会社、 https://goo.gl/N7Ddyzより転載。 1−1 エトノスの視点で信濃国(長野県)の縄文・弥生両文化と古代史を概 観する (信濃国に遺る縄文・弥生両文化のエトノス的“和解”の残照) 近世〜近代〜明治期〜戦前・戦中・終戦期ころに至るまで、外部権力に容易に 妥協しない信濃人(信州人)は同時に信濃の内部でも群雄割拠しつつ各地域ご とに鬩ぎ合う歴史を繰り返しており、古代の一時期には諏訪国が分立していた こともある。それは、地域伝統の縄文文化に徹底的に根差し、ヤマト朝廷(中 央政権)の弥生文化の受け入れを拒否したからであった。また、同じく一時期 に国府が上田→松本へ移ったのも、信濃人のそのような個性形成プロセスの表 れと見るべきかもしれない。(以上の出典:大和岩雄『信濃古代史考』−大和 書房−)。 江戸時代の信濃国では、発生件数が全国一であった百姓一揆や数多の訴願闘争 が頻繁に起こり幕藩領主らを苦しめた。また、明治期以降の長野県(旧信濃国) では先進的な自由民権運動、やがて、それに引き続く普通選挙運動、農民運動 などのいわゆる社会運動が全国に先駆けて非常に活発化し、時の政府が社会主 義運動を弾圧した「大逆事件」(民主主義、共産・社会主義へ極刑で臨んだ政 治的弾圧)の発火地となった。 次いで、瞠目すべきは長野県出身の優れた出版人・編集者らが非常に多いこと で、例えば主な創業者を拾うと岩波茂雄(岩波書店/諏訪市・中州出身)、古 田晁(筑摩書房/塩尻市(旧東筑摩郡)・同)、大和岩雄(大和書房&青春出 版創業者・古代史研究者/伊那市(旧伊那郡高遠町)・同)、小尾俊人(みす ず書房/茅野市・同)、小宮山量平(理論社/上田市・同)等々という具合で、 その他の出版人、ジャーナリスト、作家らを加えるとそれは夥しい数となる。 ところで、ある地域の景観と風土は長い年月の繰り返しという膨大な時間の流 れのなかで積み重なった古い地層(その地で生きた人々の『純粋経験と感情構 造』(委細、後述)の積み重なり)の上に築かれたものである。だから、我々 は、そこで暮らしてきた多くの人々がその地域で培った個性的文化と現代の生 活にも繋がる古層(地域文化・社会・経済の空間・地層・岩盤環境としてのエ トノス)がどのようなものであったかを先ず深く理解すべきである。そのうえ で、それを未来へどのように繋ぐべきかという視点と、それらを正しく評価す る柔軟な感性(正統保守たるエトノスの視点)を保持することが肝要となる。 <注>エトノス(ethnos) ・・・エトノスは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル 地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴しつつ“人間性を未生(未来)へ繋ぐ 揺り籠”となし得る開放系の共有観念と風土、又は過去〜現在〜未来に渡り生 存環境の微小馴化を常に受け入れつつも、その伝統的な全体性の“持続”を最 重要視する幅広い寛容な集合意識、およびその受け皿たる風土』の意としてお く(委細/下記★参照)。 ★政治的ネクロフィリア安倍内閣のオフィーリア・コンプレックス/バシュラ ール・エトノス、「水のイマージュ」による批判/2016-05-04toxandoriaの日 記http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160504 ・・・ (エス(das es)と純粋経験について) [f:id:toxandoria:20160626172014j:image:w250] かつて、J. G.フィヒテ(J. G. Fichte/1762 – 1814/カントから大き な影響を受け、自らもシェリング、ヘーゲルらに影響を与えたドイツ観念論の 哲学者)は「最もドイツ的な特徴はドイツ人の最初の文化的な流出(Abfluss) たる“ドイツ語”そのもの」だと言明したが、言い換えればそれは「ドイツ (ドイツ語)にはIch(自我)」と等値(同等に評価)と見るべきものとして 「それ(エス/das es)」を重視する伝統がある、ということだ(出典:互盛央 『エスの系譜』-講談社-)。 ドイツ語のエス(人称代名詞es/“Es gibt A(=There is A)”のes)は、我 々がこの世に誕生した瞬間の無垢の所与である純粋経験(前意識・無意識/Vorbewusste)と融合しつつ、現在の自己から未生へも繋げるべきエトノス環境(ethnos)を指すのだと理解することも可能である。ともかくも、そもそも我 々が生まれた瞬間の意識はおそらく「主語も彼我の区別もない世界」であった ことになるだろう(関連参照/既述の<注>★/バシュラール・エトノス、 「水のイマージュ」)。 ところで、我々が差別も敵意も殆んど感じなかった純粋経験の全てを主語が支 配する明晰なコトバ(文脈)で語ることはなかなか困難である。無論、その純 粋経験には真逆の敵意に満ちた悪の成分も潜まれる場合もあるのは当然のこと だが、まがりなりにもそれが揺籃環境であったからには、それは前者(差別も 敵意も殆んど感じなかった)の経験が些かなりとも優勢であったからだと考え られる。 そして、それはまさにその“純粋”の意義にはエスが司る意識の流れとして、 ある種の寛容な感情の漠とした流れ(この場合は、寛容な感情構造)が記憶さ れていることを意味するからだ。だから、あえてそれを明晰に語り得るとすれ ば、それは虚構ということになるだろう。 また、ドイツ・ロマン派の哲学、同文学、同美術らの分野で、あるいは戦前日 本の浪漫派文学(1930年代後半に保田與重郎らが中心となり日本伝統への回帰 を提唱する文学思想(委細、下記★参照)で使われたアイロニー(irony/この 場合は美的価値や宗教観などへ没入し現実逃避すること)に関して、あの漠と したエス(es)を政治・社会・経済の分野で政策的に実在化させようとする異 常な運動が起こったことがある。 ★「戦前を取り戻す」に潜む三島由紀夫と橋川文三が共有するアキレス腱(追 憶のカルトなる近世日本の伝統テロリズム)2013-08-22 toxandoriaの日記http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130822 ・・・ 言い換えれば、それは当時の日本の哲学・美学・文学世界がグローバル国際社 会(リアル世界)から観念的に完全遊離しつつ(舞い上がり、あるいは没入し て)、国民一人ひとりを国際社会から意図的に切断するという意味での現実逃 避(アイロニー)であった。また、当時の日本政府が、政治権力的に国民へそ れを強制することに対して、当時の日本の文学界およびアカデミズムが積極的 に同調することさえあった。 しかし、結果的にそれはドイツにナチズム(純潔ゲルマン民族主義、人種改良 優生学、過激ヘイト主義など)をもたらし、日本では偽エトノスとしての国策 「国家神道」原理式のファシズム(現在、#安倍政権、#日本会議、#神社本 庁 らが必至でその国家神道の復活の前提条件となる緊急事態条項付“改憲 ”の実現を謀っている)らを誕生させ、それが第二次世界大戦の大きな悲劇に 繋がったのは周知のとおりだ。 つまり、無理やりにエスの実体化(偽エトノスの創作)を謀れば、戦前日本の 如き「神霊支配型ファシズム」(偽エトノスたる国家神道に基づく靖国英霊主 義&純血民族主義)や、あるいはナチス・ドイツの如く純粋民族&血脈事大主 義でマイノリティー排除型の閉鎖的で狂信カルト的な政治権力に一方的に支配 される国家へ没落するリスクが高まる。 一方、もしその伝統をエトノスとして正しく理解できるならば、我われ一般の 国民層は、その同じ国家の岩盤であるエトノスから多元文化主義や共生・寛容 などの、開放系で未生に繋がる価値観を深く理解できるようになる。言い換え れば、我われはそのことによって初めて着実に未生(未来)へ繋げ得る開放系 の新たな政治・社会・経済の方向性を発見できるのである。 (関連情報) [f:id:toxandoria:20160626172015p:image:w450] ◆【現代世界でのIS化傾向の拡散と偽装極右(偽保守)化のトレンドはエトノ スの病理?】親子間のエトノスの断絶でイスラムのジハードだけが受皿化した が、それは安倍晋三首相らが目指す愛国玉砕に通じる!また、彼らが必死で取 り戻しを謀る国家神道(偽エトノス)は、神社本庁の本宗たる伊勢神宮に守護 された靖国式“このみいくさ”を国家神道の最高秘儀と見たてる異常な政治観 念である。 ・・・Cf. それは「過激派のイスラム化」と見るべきだ!この過激派(人間の 本性に潜む暴力性の過剰化)は世界の何処でも起こり得る。例えば、フランス の場合、親世代に対する若者の反抗に宗教(イスラム)的要素は薄いので、この 種の傾向をイスラム化(日本の場合は“右傾化”のコトバで←補足、 toxandoria)で単純に括るのは誤りだ!:欧州大学院大学教授、オリビエ・ロ ワさん2016611朝日https://goo.gl/QmtP0n |