メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:政治的ネクロフィリア安倍内閣のオフィーリア・コンプレックス  2016/05/02


■政治的ネクロフィリア安倍内閣のオフィーリア・コンプレックス/バシュラ
ール・エトノス、「水のイマージュ」による批判(1/6)

<注>お手数ですが当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160501 

(プロローグ)ポスト・パリコミューンの風景、モネ『カピュシーヌ大通り』
/到来する市民社会に相応しく斬新な「視覚混合と水の想像力」の発見

Cover Images/Il symbolise notre vie!

・・・マネ『黒い帽子のベルト・モリゾ』1872/Edouard Manet (1832-1883) Berthe Morisot With a Bouquet of Violets 1872 Oil on canvas 55; W. 40 
cm Palais Musee d'Orsay

・・・Lara Fabian – Ma vie dans la tienne (暗喩的解釈/あなた(先住多
層文化エトノス、tienne =yours)の中の私の人生、だから私を離さないでね!)https://www.youtube.com/watch?v=vmt9peaZgCI#t=137


・・・


<注>『ネクロフィリア(necrophilia)』とは、死体性(偏)愛なる倒錯行為
に大きな興奮を覚える精神の病理を意味する。

・・・それは、いわば屍のスチール(固定)・イメージに異常固執する耽美的
偏愛であり、偽エトノス(国家神道・靖国顕幽論)で美しい愛国玉砕戦争への
アイロニー(没入、現実逃避)を煽った戦前型ファッショ政治にも通じる異常
感性の刺激への偏愛である。

・・・更に言えば、「永遠に変化し続けるのが宿命である物質的世界(いわば
リアル因果の世界)と人間の関わりが紡ぐその一回性の軌跡である代替不可能
な歴史(生と死の未了の連鎖のエクリチュール(ecriture))というリアリズ
ムを完全否定することだ。

・・・“あるスチール・イメージ(固定観念)化した超時間的思惑を、例えば
<英霊界に従属する国民のリアル生活を理想とする靖国顕幽論>らの如き異常
・異様な世界観”で現実を自在に書き換え(reecriture)たり修正・改竄する
のを当然視する、#日本会議 、#神道政治連盟、#神社本庁 、#安倍晋三・
首相らは「錯乱の“水のイマージュ”」である「オフィーリア・コンプレック
ス」の病理(委細、後述)に深く嵌っている。

・・・だから、その病理を克服することの意義に関わる無知・無教養を一切恥
じようともしない、これら歴史修正主義者こと狂信カルト一派に対する呼び名
として、そのおどろおどろしくも陰鬱で不快な用語ネクロフィリアを敢えて使
った。

・・・それは、政治的ネクロフィリア安倍政権が<古来の伝統神道を都合よく
改竄するため幽顕思想(半ば手慰みで平田篤胤が考案したw)を援用した靖国
顕幽論なる奇怪ミソロジー(英霊界頂点のエセ神話論理構造)がベースの国家
神道の復帰を謀っているからでもある。

・・・因みに、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ日本を代表する思想
家である、和辻哲郎(1889 – 1960)が、約100年も前に国家神道・現人神天皇
・靖国顕幽論らを奉じる戦前型ファッショ政治一派(今の安倍晋三、 #日本
会議 等の元祖)を政治的ネクロフィリアに相当する“変質者のイデオローグ”
と指摘していたが、その慧眼には驚かされる(和辻については、エピローグで
も再び触れる)。

<注>エトノス(ethnos)とは?


・・・古代ギリシア語で、村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の周
辺に住み、その「民衆」以外の部族集団を意味したエトノスは、置かれた立場
が変われば正反対になるのは当然なので、そもそも決定的評価を伴うコトバで
はなかった。

・・・それ故、これは歴史的・政治的条件などに因って意味が肯定的あるいは
否定的に変化する非常に多義的用語であり、それを使用する時代によって真逆
の意味にすら変わり得る。従って、此処でのエトノスは、例えば今にも繋がる
伝統神道の如く「日本人の意識構造(平安中期以降の日本文化)のベースたる
古層文化の形成に大きく貢献した先住民・渡来人等の歴史・文化環境そのもの、
つまり地域住民、市民、国民を、言い換えるならそれは人間が存在する理由の
根本に関わる問題を十分に理解し評価する立場」の意としておく。

・・・因みに、シンギュラリティ(Singularity/技術的特異点/人工知能AI
では、それが人間を超える危機とされる2045問題http://goo.gl/IGlhSAが意識
されている)の克服でも、このエトノスが重要なヒントを与える可能性が高い。
なお、「エトノス」と「エトノスとしての国家神道/偽エトノスの問題」の詳
細については、下記(▲、★)を参照乞う。

▲先住多層文化エトノスはポスト・グローバリズムの希望(2016-03-01
toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160301

★松岡正剛『エトノス(正確に言えば、偽エトノス)としての国家神道』(村
上重良著:国家神道‐岩波新書‐の解説)http://1000ya.isis.ne.jp/1190.html


モネ『カピュシーヌ大通り』
Claude Monet,(1840 – 1926)「Boulevard des Capucines」1873-74 Type
Oil on canvas 80.3 cm × 60.3 cm Nelson-Atkins Museum of Art, Kansas 
City, Missouri

モネ『水連』1914(Related images)

Claude Monet「Water-Lilies」 1914. Oil on canvas. 200 x 200 cm 
National Museum of Western Art, Tokyo, Japan.

・・・

●【政治権力の倒錯(暴走権力のテロリズム)に追従するマスメディアの倒錯
/公権力(暴力的国家の)強化でテロ撲滅!を報じ続けるNHK報道の倒錯、ア
ンチ立憲主義への誘導?/安倍晋三の傀儡、籾井会長の指示!】クロ現、NHK
・BS国際報道等が、Tw等のNet洗脳で<普通市民による個別テロ>が拡散の危
機!と盛んに報じ続けるが、<桐野夏生氏、憲法を考える/前面の国益ならず
個があって公は育つ!20160412朝日http://goo.gl/XiP1F9>の慧眼は、だから
こそ「理念」(立憲民主主義)共有での個を尊重する啓蒙&教育を最優先すべ
きと指摘!(関連委細、後述)20160414只のオッサンRT to 20160317NHKオ
ンデマンド @nhk_ondemand<<クローズアップ現代>>軍や政府機関などではなく
警備の手薄な娯楽施設などの市民をネット洗脳された一般市民が狙うソフトタ
ーゲットテロ(普通の一般市民による個別テロ)が増えている。https://twitter.com/hanachancause/status/720513866900316160 

・・・但し、上で引用したクローズアップ現代での国谷キャスター(安倍政権
側の代理人、籾井NHK会長の圧力で3月末で辞任!)の報じ方に限り、上で指
摘したNHK異常報道の責任はない!ここでの問題意識は、昨今のNHKの報道姿勢
の流れが、安倍政権の作為に従う一種の“洗脳”報道の空気を感じさせる異常
事態であることを指す!(Cf.*)⇒ *20160412@Martin Fackler /Twクロ
現元キャスター国谷裕子氏が「世界」に寄稿:「同調圧力が強くなってきてい
る気がする。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい同調するのが当たり
前!といった圧力。そのなかでメディアまでがその圧力に加担していないか?
(Ex.テレ朝の新&Ntilde;ステーションが、安倍サマのスシ友こと後藤謙津次氏をキャ
スター起用)」
https://twitter.com/hanachancause/status/719762461017001984 


(“パリコミューンと立憲主義の意義”に無知な穴クロ安倍政権を戴く日本国
民の不幸)

一般にフランス革命は「1789年7月14日のパリ民衆によるバスティーユ牢獄襲
撃〜ナポレオンの政権掌握」までの歴史とされるが、そこでは「民衆蜂起〜ポ
ピュリズムと急進的な第一共和制の混乱〜王政復古〜ナポレオンの第一帝政
(独裁政治)」という具合に、いわば「フランス革命の理念」が弄ばれる如く
に前進〜後退の迂遠なプロセスが繰り返されている。

しかも、その過程では幾度となく凄惨なテロを伴う内戦が繰り返され、多くの
国民の血が流されてきた。この後も、ナポレオン没落(1815)〜七月革命(ル
イ・フィリップの王政/オルレアン議会制)〜二月革命(第二共和制)〜ルイ
・ナポレオン独裁(第二帝政)〜第三共和制(1870〜1945/普仏戦争〜パリコ
ミューン(サンディカリズム/1871)→以降、やや安定期へ)という激動のプ
ロセスを、いわば激しいテロが繰り返される歴史を辿った。

パリコミューンとはサンディカリズム(syndicalisme)と呼ばれる史上初の労
働者階級による革命政権であったが、それはティエール(第三共和制・初代大
統領)政府軍との間の凄惨な市街戦となり、やがて70日間で鎮圧され、第三共
和制フランスが、19世紀末になり漸く<授権規範>を定めた「第三共和国憲
法」(制定1875)で宿願の立憲民主主義の国家を実現したのである。

然るに、かくの如く近代啓蒙思想の具体化プロセスでもあった「フランス革命」
が、実はいよいよ本格的なグローバリズム時代である現段階のプロセス(本格
的な超格差拡大を伴うグローバル金融資本主義の暴走時代)に差し掛かったと
ころで、いまや漸く今度はフランス・ベルギー・ドイツ・イギリスら欧州から
全世界へと舞台を広く移す形で、再び、その迂遠で過酷なプロセスが再拡大し
つつあり、更なる立憲民主主義の深化が進みつつあるのだと見るのも可能であ
ろう。

市民社会の価値観を当然視するまで民主的な意識に馴れ親しんだ我われではあ
るが(しかも、これは逆説になるが)、我われはその日暮らし感覚の一般の動
物ならぬ知能(記憶・論理・推理力・歴史観らを備えているという意味での)
を持つ人間であるからこそ、残念ながらも、その過酷な闘争志向の本性(この
弱肉強食の傾向は政治権力、国家、一般市民、グローバル市場金融資本のそれ
ぞれに潜む!)が再び自らを暴発させる隙を伺い始めたという現実が目前にあ
るのだと自覚すべきである。

歴史的な意味でそのように過酷な時代に差し掛かった今だからこそ、益々「立
憲主義の保守」が特に重要となる。しかし残念ながら欧米諸国と異なり、現代
日本の安倍政権にはその意味で最も基本とすべき「中立的」視点と超長期的な
歴史観、ヒューマニズムに基づく正統なエトノス文化観が欠片(かけら)も存
在しない。そのため、我われは本来向かうべき新たな時代方向とは真逆の「反
知性主義的アナクロクロニズム」(18〜19世紀型テロリズム権力)への回帰と
いう奈落の底へ墜落しつつある(関連参照/↓◆)。

◆【国家(秘密主義&原発・軍事暴走)権力を「個」の前面に掲げる安倍政権
は「憲法」破壊(立憲主義否定)の公然テロリズム主義】左右別なく取り憑く
絶対理性神こと<カルトの祭典>で舞上がるアベ& #日本会議 式の最初に超
然国家ありきなる「完全設計主義(偽エトノス)の罠」を批判! &#10145;  桐野
夏生氏、憲法を考える/前面の国益ならず「個」があってこそ「公」は育つ!20160412朝日http://goo.gl/cyWpi020160413只のオッサンRT to @河村書店
@consaba(憲法を考える)公共のゆくえ、ファシズム的な動き:作家・桐野夏
生さん「予兆は必ず、明るく楽観的な顔で忍び寄ってきます」同・朝日 https://twitter.com/hanachancause/status/720096709561294848 

(モネ『カピュシーヌ大通り』は、到来する市民社会の印象に相応しい『“斬
新な視覚”と“色彩混合”、“水の想像力”(市民社会エトノス感)』の発見)

このような背景のなかで、我われがいま最もその批判対象と見て警戒すべきは、
エンドレスで格差の再生産へと大暴走し、もはや正統な資本主義とは言えぬま
で、そして殆ど統制不能のレベルまで怪物化した<グローバル市場金融資本主
義>に悪乗りして、自ら妖怪カルト守銭奴(その象徴がアベ・クロバズー
カ!)と化した、正統保守を騙る偽装極右(偽エトノス)派)の跋扈である。
日本でいえばそれは1%派の利権保守で原子村らと利権(カネ)絡みで深く繋
がる #日本会議 、神道政治連盟、神社本庁らを意味する。

一方、既に見たとおりで、血みどろの凄惨な戦いが繰り返されたフランス革命
など「市民革命」の意義(極言すれば応報・連鎖したテロ同然の内戦・闘争の
歴史的意味)を表層的or勧善懲悪的に理解するのは危険である。なぜなら、こ
こで正しい歴史認識と歴史への反省及び自由・平等・国民主権、あるいは憲法
の授権規範性や立憲主義の意味が正しく読み取れ(理解でき)ない限り、パリ
とブリュッセルの同時テロに与した過激派組織「IS」らの新たな世界規模の脅
威が囁かれる昨今の状況下では、ほんの僅かな情勢の読み違えから、我われ世
界市民が再びエンドレスの血みどろの応酬戦争を繰り返す、過去と全く同じ煉
獄の罠に易々と嵌りかねないからだ。

ところで、カピュシーヌ大通りはオペラ座を正面にして左右に伸びる大通り
(オペラ座とルーブル美術館を結ぶオペラ通りとクロスする)であるが、そこ
にはモネがこの絵を描いた1873年頃は未だ「パリコミューン(1871)」の惨劇
(内戦、テロの応酬)の生々しい空気が残っていたはずだ。しかし、このモネ
の絵から、その不穏な血生臭い空気は一切感じられず、それどころか急速に賑
わいを取り戻しつつある繁華街と、そこで未来への希望を手に入れたパリ市民
らの新たなエトノス感の発見に因る未生の活力と生命力が感じられる。

その「明るい希望」への急速な意識転換のエポックを感じさせるこの絵の秘密
はどこにあるのだろうか?まず考えられるのは、「ある種の心地良さを感じる
適度な俯瞰の視点(ふわりと浮いた適度な高さの鳥の目線)」ということだ。
具体的に言えば、それは1874年に第一回印象派展の会場となったナダール写真
館(3階)から俯瞰した構図の発見であり、その後これは活性化した市民意識
(特に中間ブルジョアジー層の)を感じさせる「大都会の群衆」を描く印象派
の一手法(後述する、形式的想像力による新たな発見)として定着する。

もう一つは、印象派の画家たちが創り出した色彩混合(視覚混合/並置した二
つ以上の色彩が遠くから見ると混じり合って一つの色に見える光学現象を応用
した)の技法だ。特に色彩の鮮やかさとイマージュ的感性で捉えた光の煌きの
一瞬の同定を粘り強く追及したモネはこの手法に優れており、周知のとおり、
それは漸くジヴェルニー庭園に落ちつき、そこで晩年に描かれた水連の連作に
結晶している(後述するバシュラールに通じる水に関わる物質的(環境的)想
像力の新たな発見!)。

この絵の色彩的な特徴を端的に言うなら、それは<その殆どが地味な黒とブル
ー、そして少々の茶色と白色で描かれているだけであるにもかかわらず、なぜ
か晩年の連作「水連」にも通じる「水」にまつわる瑞々しいバシュラール的な
もの、言い換えればエトノス的なイマージュの印象、いわばその奥深い背景に
潜む未生のパワーを連想させる生き生きと果てしなく広がる水の波紋の印象が
強く鑑賞者の心に残ること>である。

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