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108章 信也、吉本隆明の芸術言語論について講演する 3月27日の日曜日の午後2時。最高気温は16度、青空で暖(あたた)かい。 ユニオン・ロックの下北(しもきた)芸術学校の第18回の公開授業が、 下北沢南口から歩いて4分の、北沢ホールの3階のミーティングルームで始まるところだ。 ユニオン・ロックは、ソーシャル・メディア(SNS)を使った、 インターネット上の全国的な規模の学校で、 子どもたちや、夢を追う若者やオトナを対象に、 音楽からマンガまで、芸術的なこと全般を、 自由に学べる『場』の提供や、そのための経済的な援助、その道のプロの育成を展開している。 そんな長期的展望のユニオン・ロックは、外食産業のモリカワと、 外食産業最大手のエターナルが、1014年9月に始めた、共同出資の慈善事業だ。 「えーと、それでは、『吉本隆明(たかあき)の芸術言語論』というタイトルで、講演を始めます。 1時間くらいで終了の予定です。 このあとは、みなさん、この北沢ホールの芝生(しばふ)の桜の木の下で、 お花見(はなみ)をしましょう!飲み物やつまみも用意してあります。 桜もちょうど満開で、天気も最高の、お花見日和(びより)ですよ。あっははは」 演壇に立つ信也は、そう言って笑いながら、みんなを見渡(みわた)した。 定員が72名の満員の会場からは、拍手(はくしゅ)や歓声(かんせい)が沸(わ)いた。 ミーティングルームに並(なら)ぶ、3人掛けのテーブルは、 女子中高生や、10代、20代の男子たち、 大学生や社会人と、幅広い層で、満席となっている。 大沢詩織や清原美樹たち、グレイス・ガールズのメンバーや、 信也のバンドのクラッシュ・ビートのメンバーも後ろの席に集まっている。 エターナルの副社長の、信也の飲み友達の新井竜太郎もいる。 いまも信也に好意を持つ落合裕子や、 やはり信也を密(ひそ)かに好きなマンガ家の青木心菜(ここな)も来ている。 「吉本隆明(よしもとたかあき)さんは、、2012年、平成24年の3月16日に、満87歳で、 お亡(な)くなりになりました。詩人だったり、評論家だったり、 日本を代表する思想家ともいわれています。 しかし、その評価は、まだまだ低いなと、おれは思っています。 ちなみに、おれの父親も、吉本さんのファンです。 それと、ネットで知ったんですが、あの『ロッキング・オン』の渋谷陽一さんも、 『僕にとって吉本隆明の影響は巨大であり、 吉本隆明がいなければ、自分で雑誌を創刊しなかっただろうし、 いまのように出版社を経営することもなかっただろう』と言ってます。 そんな、こんなで、いつのまにか、おれも、 吉本に、すごい影響を受けちゃったのかと思ってます。 そんな、たぶん、おれの独断と偏見の吉本論ですが、聞いてください。あっははは」 信也はそう言って、ちょっと頭をかいた。 「吉本隆明さんは、脳科学者の茂木健一郎さんとの対談の本、 『すべてを引き受けるという思想』の中で、こんなことをおっしゃっています。 ・・・『約まり(つづまり)』の仕事として、行きついたところの仕上げとして今からやりたいことは、 集大成としての『芸術言語論』となります。・・・と。」 信也はそう言うと、みんなをゆっくりとしばらく見渡して、ひと呼吸おく。 「吉本さんの代表作は、『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』や、 『心的現象論序説』や『最後の親鸞』や『アフリカ的段階について』などがあります。 あと、『カール・マルクス』や『吉本隆明詩集』とかもあります」 信也のいる演題の左には、幅2メートルの大型ディスプレイがあって、 吉本さんの代表作の本の数々が映し出される。 「吉本さんのこれらの著作は、おれは、天才的な、世界に通用する思想家の仕事だと、 思っているんですけど、正直に言って、おれの頭では、なかなか理解が難(むずか)しいです。 あっははは。でも、『ロッキング・オン』の渋谷陽一さんも難しいって言ってます。あっははは」 「渋谷陽一さんは、『吉本隆明・自著を語る』の最後のほうで、こう言っています。 ・・・『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』や『心的現象論序説』において考えられていた、 『社会って何だろう』『言語って何だろう』『心って何だろう』という基本的な疑問を、 有機的に組み合わせながら繙(ひもと)いていくという、 今そういう状況になってらしゃるっていうのは、すごく幸福なことですよね。・・・と。 この渋谷さんの言葉に対して、吉本さんは、 ・・・ええ、我(われ)ながら、自分と自分の問答(もんどう)みたいなところでは、 相当(そうとう)幸福なのかもしれません(笑)。・・・ と言っています。この本は、2005年5月頃の対談だったようです。 吉本さんが亡くなる、7年前あたりですよね」 「さて、おれが、みなさんに、お話ししたい、吉本さんの芸術言語論なのですが、 なんと、それについて書かれた決定版のような本格的な著作は、どうも存在しないようなのです。 このことは、吉本さんにとっても、大変に心残りだったろうと思います。 まあ、でも、幸(さいわ)いなことに、ネットでは、コピーライターとしても有名な、 糸井重里(いといしげさと)が、『ほぼ日刊イトイ新聞』のHPで、2015年1月9日からですが、 『いつでも自由に、何度でも、お聞きください。』って、 吉本隆明さんの講演音声の無料公開をしているんですよね。 さすが、糸井重里さんって、おれは感謝していいます。あっははは」 信也が笑うと、会場からも、笑い声が上(あ)がる。 「糸井重里さんって、思いやりのあるかたですよね。 この183もの講演は、聞くだけではなく、テキストを読むこともできます。 ダウンロードもできますから、パソコンでゆっくりと読むこともできるです。 吉本隆明さんの考えとかを知りたい人は、ぜひ、ご利用ください! さて、吉本さんの芸術言語論のことなのですが、 おれは、この芸術言語論こそが、もしも、完成されたのならば、 世界の人々に、平和や幸福や繁栄や希望をもたらすだろう、 ノーベル平和賞級の仕事になっただろうと、想像してしまうのです。 なぜならば、吉本さんの芸術言語論こそが、もしも、完成されたのならば、おそらく、 ≪芸術こそが、世界の人々にとって、楽しく幸福で平和な人生を実現に導(みちび)く、 源(みなもと)や根幹(こんかん)だ≫と言うことを証明する普遍的な理論書になるだろうと、 おれなんかは、予想するからです。 おれたちが、一生懸命に考えれば、芸術言語論の全貌も、想像できると思うんです」 「さて、みなさんは、何が理由で、こんなに、人の心も荒廃しているような、 殺伐(さつばつ)とした事件ばかりが多い、 明るい未来も描(えが)けない世の中になってしまっていると思いますか? その理由を、おれは、芸術というものが、軽視され過ぎいていることに、 大きな原因があると考えています。 吉本さんは、そんな衰退している芸術の復活を願っていたのだと思うのです」 「さて、では、芸術とは何か?ということが問題にもなります。 吉本さんは、芸術言語論で、こう言っています。 ≪ぼくが芸術言語論ということで、第一に考えたことは、言語の本当の幹と根になるものは、 沈黙なんだということです。 コミュニケーションとしての言語は、植物にたとえますと、 樹木の枝のところに花が咲いたり実をつけたり、葉をつけたりして、季節ごとに変わったり、 落っこちてしまったりするもので、言語の本当に重要なところではないというのが、 僕の芸術言語論の大きな主張です。 沈黙に近い言語、自分が自分に対して問いかけたりする言葉を、ぼくは『自己表出』といっています。 そして、コミュニケーション用に、もっぱら花を咲かせ、葉っぱを風に吹かせる、 そういう部分を『指示表出』と名づけました。 言語は、そのふたつに分けることができますよ、 ということが、芸術言語論の特色として強調しておきたいことです。≫・・・と。 つまり、芸術活動の価値や根幹(こんかん)には、『自己表出』が大切だと言っているわけですよね。 ですから、芸術とは、『自己表出』と『指示表出』とが、 織(お)りなす絹織物(きぬりもの)ような、その衣服のようなもので、 そんな価値の自己増殖でこそが、文学という言語の美の本質なのだと、吉本さんは言っています」 「さて、この≪言語の本当の幹と根になるものは、沈黙なんだ。≫ということですが、 おれは、ここで、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインという哲学者の言葉を連想するのです。 ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』で、 『語りえないことについては、人は沈黙せねばならない』と語って、 『語りえないもの』とは何か? を一生問い続けたともいえます。 オーストリア出身で、20世紀初頭のイギリスのケンブリッジ大学で活躍した天才哲学者でした」 「みなさんは、言語を使っても、語りえないものには、どんなものがあると思いますか?」 「信也先生!それは、たとえば、男女間の≪愛≫じゃないでしょかぁ?きゃっはははぁ」 最前列のテーブルに陣取(じんど)る、華(はな)やな私服の女子中高生たちのひとりが、 元気な声で、信也にそう言うと、グループのみんなは、明るく笑った。 「あっははは。そうですよね。≪愛≫は、語りえないものですよね。あっははは。 ウィトゲンシュタインは、≪神秘的なものは語りえない≫と言ってます。 ≪この世界があるということ、その事実が神秘なのだ≫とも言っています。 おれの解釈では、語りえないものは、いっぱいありますよ。 世界の存在も、生きている意味も、なぜ人の心はあるのかとか、神の存在のこととかも。 さて、おれも、難しい話は大の苦手なので、簡単に、そろそろまとめて、終わりにします。 ウィトゲンシュタインがこんなふうに言っているのです。 ≪哲学の最終目的は、語りえぬ存在を示すこと。 そして、そのことによって、その神秘的なものを、暗示することである≫と。 おれも、まったく、同感しますよね。みなさんは、どのように感じたり、 お考えになるでしょうか?」 「さて、ウィトゲンシュタインは、≪神秘的なものは語りえない≫と、 吉本さんの≪言語の本当の幹と根になるものは、沈黙なんだ≫という考え方は、 美しいほどに、一致していると、おれは考えるのです。 さて、では、わたしたちに、できることとは、どんなことでしょうか? おれには、こんなことしか、浮かばないのです。 つまり、ウィトゲンシュタインが語る≪神秘的なもの≫や 吉本さんが語る≪言語の本当の幹と根になるもの、沈黙≫とかを、 第一に大切にすることです。 つまり、自分の中の愛や心を見つめて大切にするってことですよね。 そして、愛や心が、原動力でもあって、また、愛や心を育(はぐく)むものでもある、 芸術的なことを、大切にして、楽しく元気に、日々を生きていくことです」 「ウィトゲンシュタインの哲学も、吉本さんの思想も、 人生が正しく見えるようにしてくれる、貴重な考え方だと思っています。 これで、終わります。 みなさん、きょうは、ご清聴(せいちょう)、ありがとうございました!」 信也は、会場に手を振って一礼する。会場の拍手は鳴りやまない。 ≪つづく≫ --- 108章 おわり --- |