メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:先住多層文化エトノスはポスト・グローバリズムの希望・・・(1/4)  2016/03/02


■先住多層文化エトノスはポスト・グローバリズムの希望/「国民主権否定の
改憲で正しい立憲主義を!」の安倍政権は寛容のホスピタリティ(近未来の可
能性)をナチ式恍惚催眠で犯す政治的変質者の群れ(1/4)

*お手数ですが、当記事の画像は下記URLで御覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160301 

Cover Images
北野天満宮の梅、京都
・・・『北野天満宮の観梅は2月上旬から3月下旬までが見頃時期です。北野天
満宮本殿の南西にある早咲きの「寒紅梅」は毎年12月下旬〜1月上旬頃に開花
します。いち早く梅の花を観たい人におすすめです。』/HP「気になった話題」
さん、http://goo.gl/ZDJl8X より転載


Lara Fabian – Ma vie dans la tienne (暗喩的解釈/あなた(先住多層文化、tienne =yours)の中の私の人生)

 
・・・


(参考情報)


◆【米大統領選で民主社会主義者を自認するバニー・サンダースが仮に次点で
止まった場合でも、その圧倒的な米国民の格差批判の意思(特に45歳以下の国
民層の篤いバニー支持)を新しい米国大統領も、その支持者たちも無視できぬ
はず!その時、バニーの理念を現実化するのはカナダのJ.トルドー流の「寛容
のホスピタリティ」に基づく実践プログラム(実現可能な微細修正、最適応用
型政策)であり、長い目でみればコレは難民流入問題を強く批判する英国民の
一部または中欧諸国、あるいは日本とも決して無関係ではあり得ない!】

・・・しかも、同時にバニーorトマ・ピケティらが指摘する如く<究極的には
大格差拡大を梃に戦争と殺戮(テロや中東での代理戦争ら)に変身し暴走する
「ヘッジファンド型投機金融資本主義の悪性腫瘍的な過剰投機行動」(http://goo.gl/6w2oFV)>に対し、例えば国際連帯税
(http://goo.gl/g0yWDk)などの形で一定の歯止めをかける必要がある。

・・・英国、あるいはオーストリアの極右派国民らは難民規制をEUに要求中
の東欧6カ国と共にかつての植民地カナダのJ.トルドー首相が新たに取組み始
めた「寛容のホスピタリティ」政策の有意性を深く理解すべき!➡英、EU離
脱問う国民投票を6月実施 政府は残留支持20160220朝日http://goo.gl/bnB9tc  / ➡ オーストリアが難民制限、EU見直し要望「国際法違反」20160221朝日http://goo.gl/DeqO9v

◆安倍政権は #日本会議 らカルト汚染「露骨な災害・戦争利用ショック・ドク
トリンである戦前型・軍事国家主義経済(軍需傾斜のアベノミクス)」を止め
て、本来あるべき日本伝統の平和産業政策へ転ずべき!20160222@只のオッサ
ン➡ 世界の貧困と不平等、分配を共有できるか/世界で上位62人が下位半分36
億人匹敵の資産有す!20160221朝日社説、http://goo.gl/PBcaot

(プロローグ)「先住民アイヌの尊厳」(先住多層文化エトノス/ethnos)を
見事に描いた絵画、蠣崎波響『夷酋列像』が意味すること(先住文化=先住歴
史・文化)

<注1>ポスト・グローバリズム時代に必須の正統性たる「寛容のホスピタリ
ティ」とは?(関連で『第3章・・・』も参照乞う!)

・・・「寛容のホスピタリティ」とは、「先住多層文化エトノス」(委細、後
述)そのものと見て殆ど間違いではなく、日本が得意とする<伝統的ホスピタ
リティ文化(心の丈をつくし相手の立場への十分な配慮を大切にする伝統文
化)>の中核にあると思われる価値観で、toxandoriaが仮に名付けたもの。尤
も、そのヒントは坂本義和・論文「“ポスト・ナショナル”デモクラシー」
(田中 浩編『現代世界‐その思想と歴史(2)』(未来社)に収録)の中の
“地球はひとつのコスモポリタニズムとホスピタリティ”にある。

・・・また、この「寛容のホスピタリティ」は神道・宗教学者、小山悳子(と
くこ)氏の著書『日本人の求めた元神』(日本図書センター)が説く伝統神道
の中核となる文化要素でもあり、それは #日本会議 、神社本庁や安倍晋三首
相らが取り戻しを謀る明治期以降に創られた「国家神道」の全く対極にある価
値観だ。小山氏によれば弥生期〜古墳時代頃の伝統神道の最古の思考が潜む神
道書『神令』の中に「日本伝統の寛容かつ謙虚な正統保守的な神話論理が、言
い換えれば「日本文化の個性といえる非常に魅力的で寛容なホスピタリティ文
化」が発見できる。

・・・他方、安倍首相らが取り戻しを謀る戦前型の神話論理(ミソロジー)は、
自己中心的ニヒリズム(or強烈な自己愛のエロス)に起因する軍事ファッショ
国家主義、原発一極利用原理主義らとの相性が良く、それは“ポスト・ナショ
ナル”デモクラシー(又はポスト・グローバリズム)が求めるものと全く正反
対の異常な<狂の価値観>だ。逆に言えば、「日本古来の伝統神道と伝統文化
は東西の宗教・文化(一神教VS汎神論)の対立を解消する可能性をすら秘めて
いるという訳だ(関連参照⇒20160109toxandoriaの日記、
http://goo.gl/LyJwr2)。

・・・また、安倍政権が掲げるキャッチ「戦前を取り戻す」を聞くや、その途
端に適切な批判の言葉を見失う主要メディアと多数派国民層(安倍支持層)の
心性は可笑しなことだ。それは安倍政権が言う「戦前を取り戻す」の対象が軍
事国家主義、国家神道(そもそもの伝統を無視する異常ミソロジー)、天皇大
権(国民主権の否定)など、戦前の最もマイナーな部分だけを意味するからだ
(自民『改憲案』はコレがベースとなっている!)。

・・・言い換えれば、それは<維新期・富国強兵策の誤りの部分、具体的には
<日露戦争の勝利でも、当時の国家財政危機に因る重税救済のための巨額賠償
金を獲得できなかったことへの国民層の怒り(悪しきポピュリズムの暴発)が
動因となり、結局、その後の日本は大政翼賛で軍事国家主義〜戦争へ雪崩れ込
んだ>という事実があることだ(参照⇒日比谷焼討事件、
http://goo.gl/iODhdV)。

・・・しかし、実は旧東京大学の初代綜理・加藤弘之が幕府・蕃書調所の時に
著した『鄰艸(となりくさ)』には西欧の議会制度(天賦人権論、国民主権論)
について詳しく書かれており、当時の指導的立場にある多くの日本人は既に明
治初期の段階から、かなり深く立憲主義の知識を得ていたのである(http://goo.gl/NujljK)。

・・・また、井上毅(この頃は未だ参事院議官・内閣書記官長兼任で、保守漸
進主義の考え方から先ずプロイセン型国家を構想すべしと主張していたが)は、
司法省の西欧使節団(8人)の一員として1872年(明治5/フランスでライシテ
(厳格政教分離原則)が定着した頃)に渡欧しており、フランス中心に司法制
度の調査研究を行った。

・・・このため、井上は法治国家と立憲主義の原則を重んじる考えで、その原
則で保障される国民の権利(国民主権)は国家と雖も正当な法的根拠がない限
り奪うことは出来ないと主張しており、これを否定する反動的主張(“国民=
戦争道具化”論)に対しては毅然と立ち向かった。そのため維新期・藩閥政治
の“君側の奸”らの「超然権力主義」(明治憲法のムリくり解釈による政府の
反国民主権主義)に対しても、それは議会軽視であると厳しく批判し、法制局
長官の時には議会に有利な判断を下した。

・・・従って、安倍晋三・一派( #日本会議 、神社本庁ら)が、日本伝統の
寛容かつ謙虚な正統保守的<伝統神道のミソロジー>の存在はおろか、戦前の
日本でも「正統な立憲主義」を実現するため心血を注ぐ先人たちの努力があっ
たこと(これが平和憲法へ結実した事実さえある!)を一切無視し、ただ「戦
前の日本を取り戻す」の一言で、戦後70年におよぶ「敗戦經驗等から学び取っ
た平和主義と国民主権(立憲主義)」を無視するのは怪しからぬことだ。つま
り「近代〜現代におよぶ日本の歴史の光と影の直視」を忌避しつつ、戦前の反
立憲主義的な軍事国家体制だけを一気に取り戻そうとする本心を隠蔽しつつ、
もっぱら耳障りが良い「時代に見合った改憲が必要だ!」というコトバを騙り、
無辜の日本国民を誑かすのは噴飯ものである!

<注2>エトノス(ethnos)とは?

・・・古代ギリシア語で、村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の
周辺に住み、その「民衆」以外の部族集団を意味したエトノスは、置かれた立
場が変われば正反対になるのは当然なので、そもそも決定的評価を伴うコトバ
ではなかった。それ故に、これは環境条件しだいで意味が±に変化する非常に
多義的用語であり、それを使用する時代によっては真逆の意味にすら変わり得
る。従って、此処では最新の解釈である「先住民とその文化の尊厳性を十分に
理解する立場」の意としておく(委細、第1章で後述)。

【画像】厚岸アイヌの夷酋イトコイ像(左)、国後アイヌの長ツキノエ(右)

・・・左の画像イトコイは「サッポロビール(株)/北海道Likers、HP http://qq4q.biz/qClm 」より転載。右の画像ツキノエは「HP学びの森、http://qq4q.biz/qCSc 」より転載。これらは共に12人の肖像画の一枚である
が、フランス・ブザンソン美術考古博物館が所蔵する(当館がこれらの絵を所
蔵するに至った経緯は未だ十分には分かっていない/Cf. 『夷酋列像』の文化
人類学的研究/国立民族学博物館、http://qq4q.biz/qD3b)。

20160117に放送されたNHK・Eテレ日曜美術館『藩を救った名画〜「夷酋列像」蠣
崎波響〜、http://qq4q.biz/qClF 』は非常にユニークで印象深い内容であっ
た。上洛の機会を得て円山応挙に師事したこともある北海道・松前出身の画家
・蠣崎波響は松前藩の家老でもある。因みに、松前藩の初代藩主・蠣崎慶広は
徳川家康と前田利家への臣従を示すため家康の旧姓・松平と利家の前田から夫
々一字を取ることを許され松前藩とした。

1789年(寛政元年)5月に国後島とメナシ(今の羅臼町・標津町周辺)のアイヌ
が商人(和人)の無慈悲な酷使に耐えかねて蜂起し(クナシリ・メナシの戦い)
、現地在住の71人の和人を殺害した。そのため松前藩は260名の討伐隊を派遣す
るが、その指揮官の一人が蠣崎波響であった。結局、アイヌの長たちが説得(説
得の中心となったのが厚岸アイヌの長イトコイと国後アイヌの長ツキノエの二
人)に当たり蜂起した者たちは投降し、蜂起の中心となったアイヌ37人は処刑
され戦いは鎮圧された。が、戦いの原因となったのはメナシ一帯を支配する商人
・飛騨屋が短期利益を強欲に追求するあまりアイヌを酷使したことにあった。

戦いを鎮圧した後に討伐隊は藩に協力した43人のアイヌを松前城に同行し、さ
らに翌年の1790年にも協力したアイヌ夷酋に対する二度目の謁見の場が設けら
れた。この折、藩主・松前道広の命を受けた蠣崎波響はアイヌで最も功労があ
ると認められた12人の夷酋の肖像画を描いたとされ、それが「夷酋列像」であ
る。

この絵は1790年(寛政2年)11月に完成し、波響はクナシリ・メナシの戦いで
失った藩の威信を回復するためとして、これらの絵を携え上洛し、夷酋列像は
光格天皇(第119代天皇、孝明天皇の祖父)の叡覧をも仰ぐことになったが、
天皇らは大きな感動を覚えたとされる。

近年の研究によれば夷酋12人を描いた波響には反乱を起こしたアイヌ人への「畏
敬の念」(現代のエトノス観に近い?)があり、彼らの威厳ある姿(唯一無二
の尊厳性)を時の天皇を始め国中の人々へ知らせること、また迫りつつあるロ
シアの非人道的な植民地政策とは異なる松前藩の徳政の正統性を皇室・幕府ら
の上位権力層へ示すことで松前藩の政治的威信を回復する狙いがあったとされ
る。が、この真偽の確定には更なる検証が必要と思われる(20160117NHK・Eテレ
日曜美術館はこのような視点で抉っていた)。

しかし、少なくとも松前藩の家老であり優れた天才画家でもあった蠣崎波響は、
非常に高い精神性に裏付けられた、ある意味で「ポスト・ナショナリズムの政
治意識」(現代日本の安倍晋三・首相らと全く異次元の、というより現代のポ
スト・グローバリズムにこそ相応しい高度な政治観念!)にさえ到達していた
と考えられる。つまり、この時の波響は既に「先進的エトノス(先住民文化の
尊厳性への深い理解)」の意識に達していたと思われる。

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