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97章 信也たち、ジャニス・ジョップリンとかを語(かた)る 11月8日、土曜日。午後の2時を過ぎたころ。 気温は15度ほど。一日中、小雨(こさめ)。 渋谷のイエスタデイに、早瀬田(わせだ)大学、公認サークルの、 ミュージック・ファン・クラブの学生や、 その卒業生である川口信也や清原美樹たちが集まっている。 音楽が大好きな仲間たちで、ホールのキャパシティの100席は満席。 イエスタデイは、川口信也や清原美樹が勤めているモリカワが、 2012年の9月にオープンした、ライヴとダイニング(食事)のクラブスタイルの店で、 渋谷駅・ハチ公口から、スクランブル交差点を渡って3分、タワービルの2階にある。 「昨日(きのう)の、BS日テレの『地球劇場』は、感動しました。 谷村新司さんも渡辺美里さんも、ジャニス・ジョップリンが大好きと言ってました!」 南野美菜(みなみのみな)は、川口信也に、愛くるしく微笑(ほほえ)んで、そう言った。 美菜は、きれいな高音とボリュームのある歌唱力や明るいキャラで、 じわじわと人気も上がっている。モリカワ・ミュージックからの、メジャー・デヴューした、 ロックバンド、ドント・マインド(don`t mind)、通称、ドンマイのヴォーカルである。 「あの番組、おれも見てたよ。あっはは。 ジャニス・ジョップリンの伝記映画の『THE ROZE(ローズ)』を歌ったね。 谷村さんと美里さんで、すばらしいデュエット(二重唱)だったよね!」 信也は、南野美菜に、笑顔でそう言うと、スマートなグラスに入った山崎ハイボールを飲む。 「ジャニスって、歌手を目指す人なら、絶対に彼女の歌を聴いたほうがいいと思うんです。 『ジャニス・ジョップリンからの手紙』というジャニスの妹さんが書いた本の中には、 <ジャニスが見つけた真実は音楽にあった>とか、 <彼女は、歌っているときにこそ、ほんとうの自分があるということをみつけた>とか、 <そして、うまくその状態に持って行けたときには、彼女の歌を聴(き)いている人々に、 たくさんの愛を与えた>とか書かれているんです。 あと、<ファンとの接触によって、ジャニスは、愛とは、 ほかの人から何かを得ることではことを知った>とか、 <楽しくて幸せな気持ちとは、与えること、愛を与えることから生まれえるのだった。 ジャニスは、それを実践しようとした>とか書かれているんです。 その本とか、ジャニスの本は、わたしのバイブルなんですよ。しん(信)ちゃん!うっふふ」 「あっはは。美菜(みな)ちゃんも、よく、本の中の言葉を覚えているよね。 いまの言葉は、ジャニスの、本心なんだと思うよ。 ジャニス・ジョップリンの伝記映画の主題歌の『THE ROZE(ローズ)』の歌詞も、 いま美菜ちゃんが教えてくれた、ジャニスの心情のような歌詞だもんね。 I say love it is a flower. And you it's only seed. わたしは、愛とは花だと思う。そして、あなたは、その愛の花の種ですよ。ってね。 愛って、人から人に伝えて、育てるしか方法はないのかもしれないよね。 そして、そんな愛を育てるためには、音楽とかの芸術って、人間には大切なんだろうね」 「そうよね。しんちゃん。愛は花のようなものかもしれないわ。大切にしないと、育たないし、 すぐに枯(か)れちゃうものだもんね。わたしもジャニスは、好きだわ」 清原美樹が、テーブルの向かいの席の、信也と美菜にそう言て、話しかけた。 「愛と言えば、信也さん、ニーチェは、どんなことを言っているんでしょうかね」 美樹の隣の松下陽斗(はると)がそう言って、カクテルのカシスオレンジを飲む。 「ニーチェは、自分と同じように他人を愛せよという、美しい物語のような、 キリスト教などが説(と)く『隣人愛』が、人間の生を否定してきたと考えたようですよね。 人間は、自己の強力な欲望を捨ててまでして、他者を愛することはできないと考えたらしいのです。 つまり、簡単にいえば、自分を愛せない人間に他者を愛することはできないってことを、 ニーチェは言っているんですよね。 また、言い換えれば、自分自身の価値を信じたり、誇り高く生きていられるからこそ、そのように生きようとする他者の価値を信じられるし、相手の価値も認めることもできるってことですよね。 愛するとは、自分とまったく正反対に生きる者を、その状態のままに、喜ぶことだ、とか、 自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のまま喜ぶことだとも言っているんです。 あと、ニーチェは、こんなことも言ってます。<人を愛することを忘れる。そうすると、次には、 自分の中にも愛する価値があることを忘れてしまい、自分すら、愛さなくなる。 こうして、人間であることを終えてしまう>ってね。 愛って、心の中に咲く、花のようなもので、大切にしないと、 すぐに枯れて、無くなっちゃうようなものかもしれないですよね。あっはは」 信也は、そう言って笑うと、隣の席の大沢詩織と、目を合わせた。 「人間って、なぜだかよくわからないけど、自分ひとりでは、愛という花を育てられないのだろうし、 だから、友だちや、誰かから、愛という花を、受け取ったり、教えてもらう必要があるんだろうね。 いつ、誰から、愛の花という花束を受け取るのかって、人それぞれなんでしょうけどね。 そうそう、おれって、ジャニス・ジョップリンのアルバムや、 あの『THE ROZE』の映画音楽の総指揮をとった音楽プロデューサーの、 ポール・ロスチャイルドっていう紳士を尊敬しているんですよ。 1995年に他界したんですけどね。彼かも、愛の花束を受け取ったという気がしているんですよ。 あっはは」 「あっ、知ってます。そのポールさんのことは、 『ジャニス・ジョップリンからの手紙』にも書かれています。ポールさんは、 楽しいことが大好きな、ユーモアのある人で、プロデューサー仕事は、 ミュージシャンたちが、ベスト(最善)を発揮できるように、 快適な環境をつくることにあると信じていた、誠実な紳士で、 ジャニスも、ポールさんを頼りにして、たくさん教えてもらうこともあったそうですよね」 南野美菜がそう言った。美菜は170センチ、すらりとした美しい女性だ。 「しんちゃん、まさか、そのポールさんにお会いしたことがあるとか?」 美菜の隣の、美菜の彼氏の岡昇(おかのぼる)がそう言いながら、 身を乗り出して、信也の顔を見た。岡は173センチ、美菜とは、お似合いのカップルである。 「まさかでしょう?おれが5歳の時に、ポールさんは天国へ旅立たれているのですから。 ただ、いろいろ調べていて、ポールさんは、学歴は高卒くらいなのに、 独学で音楽を勉強して、1970年のジャニスの代表作のアルバム『パール』や、 ひとつの時代を築いたドアーズやニールヤングとかのプロデュースもしたりしていて、 音楽的なセンスも抜群だった人だし、いろんな意味で尊敬しているんですよ。あっはは」 そう言って笑うと、信也は、「まあ、まあ、きょうは楽しくやりましょう!」と言って、 テーブルのみんなと、元気に明るく、乾杯をした。 ≪つづく≫ --- 97章 おわり --- |