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96章 信也と利奈、セカオワや ニーチェを語る 11月1日、日曜日。朝から晴れているが、気温は14度ほどである。 「じゃあ、行ってきまーす!」 兄妹(きょうだい)三人で、朝食も済(す)ませた、団欒(だんらん)のあと、 信也と利奈に、美結(みゆ)は、愛くるしい笑顔で、 軽く手を振って、そう言って、マンションの玄関を出て行く。 ストライプ柄のワンピースが優雅に揺(ゆ)れる、171cmと長身の美結。 美結は、兄の信也の飲み友達の竜太郎が副社長をしているエターナルの子会社の、 芸能事務所のクリエーションで、タレントやモデルの仕事をしている。 美結は、きょうは午後から、東京の港区の赤坂にある民放の、 バラエティ番組に出演する仕事が入っていた。 「美結(みゆ)ちゃんって、いつも綺麗で、絵になるんだから。わたし、羨(うらや)ましいわ!」 妹の利奈は、座卓のロー・テーブルで、日本茶を飲みながら、 寛(くつろ)いでいる信也にそう言って、微笑(ほほえ)む。 「だいじょうぶ!利奈だって、充分、色っぽいよ。まだまだ、これからじゃない、綺麗になるのは。 美結ちゃんは、綺麗にしていることが仕事だし、そのため努力しているんだしね。あっはは」 「そうよね。モデルが、お仕事ですものね!」 利奈は、早瀬田大学に入学したばかりの、管理栄養学科の1年生。 利奈の身長は、166cm。兄の信也は175cm。 「しんちゃん、最近、わたし、SEKAI NO OWARI (せかいのおわり)が好きになっちゃったの!」 「ああ、セカオワね。紅白にも出たしね。 今、人気あるよね。あの子(こ)なんて言ったけ、あの可愛(かわい)い子、おれ、好きだな!」 「Saori(彩織)ちゃんね!すてきな人よね!才女で! TOKYO FMの番組で、Saoriちゃんは、 Perfume(パフューム)みなさんから『女優さんくらい綺麗(きれい)」って言われたんですって」 「Saoriちゃんは、作詞の才能があるよ。『マーメイド・ラプソディー』だっけ、それとか、 『RPG』のサビの歌詞とか、すごいと思うよ」 「『RPG』のサビの『怖いものなんてない もう僕らは一人(ひとり)じゃない』って、 すてきな言葉だわ。胸にジーンときて、励(はげ)まされる感じ! 人ってみんな、孤独なことが多いけど、でも、ひとりじゃないってことよね!お兄ちゃん」 「いまの世の中って、ニュースとか聞いていても、殺伐(さつばつ)として、暗いことが多いもんね。 インターネットとかで、どんどん、グローバル化が進んで、 そのぶん、企業でも、個人でも、競争が激しくなって、賃金の格差とか、 いろいろな弊害(へいがい)が起きているんじゃないかな? 確か『サンデーモーニング』だったかな? 『暮らしをよくするためのシステム(制度や仕組み)が、 逆に、生活を不自由にしている』とか、番組で誰かが言っていたけど、おれもそんな気がするよ。 フォルクスワーゲン(VW)が、違法ソフトウエアによって、 排ガス規制を不正に逃れていた問題とか、 旭化成建材が、基礎工事の際の、地盤調査のデータを偽装して、 欠陥マンションを施工(せこう)していたとかね。 世の中の、人や企業とかの組織も、みんな、なんだか、おかしいよね。利奈ちゃん」 「うん、そんな感じがする。そんな、夢や希望の持てないような世の中のせいもあるかしら。 『 SEKAI NO OWARI 』 の歌って、心に響いてきちゃうのよね。子どもたちにも、すごい人気よね!」 「今年の7月だったっけ、日産スタジアムで、2日間で、14万人動員のライブをやって、 チケットが即日、SOLD OUTだったって言うじゃない。すご過ぎだよ。利奈ちゃん!」 「みんなまだ若いのにね。しっかりとした、世界観を持っているんだもん! 『進撃の巨人』の主題歌の『SOS』って、 すべて英語の歌詞なんだけど、哲学的で、すごっく深いの! 歌詞には、<助けを求めている人たちの叫びは、毎日のようにあるけれど、 その音が続くと、どんどん聞こえなくなって、無感覚になっていく。>とか、 <そんな『SOS』に答えることは、『何のために生きているのか?』という疑問に、 答えることなんだ。>とか、 <そんな『SOS』に答えることは、『自分自身を大切にするためには?』という疑問に、 答えることなんだ。>とかが、表現されているんですって!」 「利奈ちゃんが持っている、別冊カドカワ、見たけど、fukase(深瀬)さんの、 ある密(ひそ)かな行いに感銘して、Saori(彩織)ちゃんは、 英語で、あの『SOS』の詩を作ったらしいよね。 おれも、お金に余裕があったら、fukase(深瀬)さんみたいに、人知れず、援助しようかと思うよ。 『SOS』は、歌詞も、曲も、fukase(深瀬)さんのファルセットの歌声も、美しいよ。利奈ちゃん」 「うん、セカオワ、いいよね。でも、しんちゃんの歌声も、歌詞や歌も、最高だわよ」 「あっはは。ありがとう、利奈ちゃん。おれ、最近、読んだ本で、改めて思ったことがあるんだよ。 人は美しいものを求めて生きるべきだってね。美しいものを見ると、人は元気になれるんだって、 その本では言っているんだよ。当たり前のことのようだけどね。 でもその本では、人が、美というものに、完全に閉じたような生き方をしているというんだ。 美術や音楽に限らず、美的なもの全般を、自分の生活圏に置いていない人もずいぶんいる。 って書いてあるんだよ。おれ、それ読んで、なるほどなぁって、共感しちゃったよ。あっはは」 「そうよね。わたしも、みんなが、美しいものや、芸術とかを、真剣に愛したり、 気軽でもいいから、楽しんだりすれば、世界は平和になっていく気がする!お兄ちゃん。 その本って何(なん)なの?今度わたしに貸してほしいわ!」 「今度持ってくるよ。斎藤孝さんの『座右のニーチェ』っていう光文社の新書だよ」 「あああ、ニーチェね!しんちゃんや、清原美樹さんが大好きな、ニーチェね!わたしも好きよ」 そういって、どこか悪戯(いたずら)っぽく微笑(ほほえ)む利奈。 テーブルの向かいに座る、そんな利奈を見ながら、 信也は清原美樹の笑顔を思い浮かべていた。 「そうなんだ。二ーチェは、美樹ちゃんも好きなんだよね。 ニーチェは、まるで、現代をいかに生きるべきか?を予見したように、 『美しいものや、音楽や芸術こそが、人生を可能にする』って言っているからね。 『ツァラトゥストラ』では、『子どもの頃の明るい笑い声を取り戻(もど)そう』とか、 『君たちは君たちの感覚でつかんだものを、究極まで考え抜くべきだ』とか言って、 感動できるやわらかな心と、困難をも反転させるユーモアでもって、 粘り強く、クリエイティブな人生を歩こう!って言ってるからね。 まさに、おれたちの先生って感じだよね。利奈ちゃん」 「うん。ニーチェって、わたしたちの先生って感じ!」 利奈は、天真爛漫な笑顔で、そう言った。 ≪つづく≫ --- 96章 おわり --- |