|
■カルト可視歴史観とネオリベの野合、安倍国家主義がもたらす日本の危機! /国民主権(日常生活と未生・未来)を守るため「原発、格差、非効率税制 (min.10兆円/年当の税収取漏れ)」切り口の財政改革が急務(1/3) <注記> お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20150302 (プロローグ)「レーゲンスブルク大聖堂、シャルトル大聖堂、シャルトル・ ブルー」を 人間的「可視歴史観」で想像する ・・・ドイツのゴシック教会の代表であるケルン大聖堂と似ているとされるレ ーゲンスブルク大聖堂(左上画像)は、二本の尖塔(高さ105m)を持つゴシ ック教会だ。同じドイツのケルン大聖堂の重厚さよりもフランスのシャルトル 大聖堂のような軽快さを感じさせる。この大聖堂の建築は13世紀に始まってお り、16世紀には大体の形ができたが尖塔が完成したのは19世紀に入ってから。 大聖堂・内陣の窓は14世紀のもので、その美しいステンドグラス(Ex.上右 画像)の前ではレーゲンスブルク少年合唱団のミサが行われている。 ・・・円形切抜きの画像はシャルトル大聖堂の薔薇窓で、そのシャルトル・ブ ルーとも呼ばれるコバルトブルーの美しい発色は13世紀のステンドグラス職人 が創ったとされる。現代の科学技術を駆使すれば、シャルトル・ブルーと同じ 発色を再現するのは可能だろうが、800年を超える歴史と自然環境の影響を受 け風化した美しい発色をいま目前にする、その感動を味わうのが正しい意味で の「可視歴史観」(つまり、それがヒューマンな可視歴史観であり、今のとこ ろ人間が許されている“直感的イメージと歴史経験イメージの含意的統合”に よる「文化の創造(結合的イメージの想像)」ということではないだろうか? ・・・無論、直感的イメージの世界だけで生きていると思われる犬・猫・猿・ 鳥などの生き物たちも、それはそれで真に愛すべき存在であるのだが・・・ (《注》想像力についての直感的イメージと結合(心)的イメージの区別は、 実験心理学の父と称される独ヴィルヘルム・ヴント(1832 - 1920)による)。 ・・・そして、喩えるならこれは「コトの経緯を理解する人間は雁作(絵画 等)と修復作品(同)の違いを判別できるが、おそらく一般の動物にはそれが 不可能だ」と思われる状況に似ているのではないか?ただ、人間の場合は“な まじ、話し言葉や文字が縦横に使える”分だけ、その良し悪しは別として、キ ャラが立つ贋作的人物にはとても騙され易いので注意が肝心と思われる。 D Anna Netrebko - Zdes' khorosho, Op.21, No.7 (Rachmaninov) D Anna Netrebko singing DVORAK ・・・当動画は当記事内容とは無関係(単に気分転換!w) 1 安倍政権は「関東軍の復活(太平洋戦争敗戦の拒否)」をリアルに意識す る“非人間的「可視歴史観」”の囚人たち/その恐るべき時代錯誤(追憶の カルト)の核心にあるもの 1−1 異常妄想を現実視する非人間的なカルト「可視歴史観」と二つの「歴 史修正主義」の違い (1)二つの「歴史修正主義」とは?/学術的検証の可能性の意味で未だ逃げ 道が残る観念が歴史修正主義であるが・・・ 歴史とは、ある過去に起こった世界現象(リアリズム/0次情報)のごく一部 を透視図的に仮に掬い取ったものである。だから、それがそこで起こった現実 の全てだと言いきれないのは、普通の常識的な感性を持つ人間であれば、わざ わざ社会心理学や歴史教育論などを持ち出さなくとも殆ど直感的に分かること だ。そして、そこでのカギは限りある生命(未生の連鎖)を未来へと繋ぐ、ご くあたりまえの人間の「謙虚」さに尽きる。 一方、「歴史修正主義」(Historical Revisionism)というコトバがある。こ れは、元々は歴史学における用語で、新しく発見された記録・資料・史料や、 証拠的な既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直す仮説設計的な試みのこと を指す。だから、その意味での歴史修正主義は、歴史学の世界では、あって当 然のことだ。例えば、下の事例◆は、新たな考古学的資料の発見で、7世紀半 ば(“大化の改新〜壬申の乱”辺り)の歴史の一部が書き換わる(叙述し直さ れ修正される)可能性を示している。 ◆奈良・明日香村に新たな古墳か 石張りの巨大な掘割発掘 20150115朝日/ 只野親父FB http://goo.gl/78ZJbs ・・・奈良県明日香村の小山田遺跡から現れた未知の巨大遺構。50メートル 以上の石張りの掘割は、舒明天皇(百済宮を皇居としたこともあり、おそらく 百済系?←補足、只野親父)が最初に葬られた墓(初葬地)の一部なのか。た だ被葬者像には当時の権力者、蘇我蝦夷(おそらく新羅・前渡りの渡来系?← 補足、只野親父)の名前も挙がり、識者の見立ては様々だ。 ・・・ また、例えば「衆目の面前で現実に起こった殺人事件」を、自らの経済的利害 あるいは自らの社会的・政治的立場やイデオロギー等に利するように、瞬時に して過去のものとなるその事件に関する記述(1次情報)や目撃者による証言 などを意図的にある一定方向へ修正・改竄したり、あるいは証拠や偽証を捏造 しようとしたりすれば、それが「通俗的な意味での歴史修正主義」ということ になる。 (2)実は「可視歴史観」は両刃の剣!/歴史修正主義より危険な“非人間的 「可視歴史観」”は“ドグマ100%から成る色眼鏡”でしか歴史が見えない/ それは「激烈なカルト妄想の融合」が醸す全く逃げ道がないアウトの観念! ところで、“非人間的「可視歴史観」”という場合、それはこれら両者(歴史 学or考古学アカデミズムで、あるいは通俗的使用の歴史修正主義が意味するこ と)とは異なる、全く異常な感性の落とし子である。それを理解するには、た とえば「日常的、通俗的な使用の場合の歴史修正主義」が意味することを先に 考えてみればよい。 つまり、その日常的で通俗的な使用の場合に採る自己利益優先の身勝手な行動 は、そのことの良し悪しを脇に置くとすれば(また歴史学でそれは絶対に許さ れぬことであるが)、興味深いことにごく普通の人間が日常の社会生活を送る 場面では自己利益との絡みで、その種の「ある事件(そこで起きた事実)の大 幅な修正と脚色」はごく当たり前に起こり得ることであり、それが推理小説や サスペンスTVドラマないしは噂話などの格好の材料であることは周知のとおり である。 片や、非人間的カルト「可視歴史観」とは、完全に現実社会や現実世界と隔絶 した自らの内面世界で湧き上がる純粋に情念的、妄想的、夢想的、あるいは特 異な欲望やカルト(異常or病的観念)などのドグマに占拠された固執的・閉鎖 的心性に合わせて、つまり殆ど“100%に近い妄想の色眼鏡”に因って世界現 象の一環である現実の歴史(事件史)を書き換えようとする考えや意識状態、 つまりその種の強い意思を持つ非合理な心的傾向を意味する。 換言すれば、それは「正統保守」的な「漸次or順応変容主義」、つまりリアル の変化に対して徐々に時間をかけ馴染むべしという、均衡がとれた、そして寛 容を重視するごく常識的なものの考え方に必須とされる<二つの基盤である 『情念統制と論理構成』の相互補完的なバランスが崩れた、一種のアンバラン ス(異常)な精神病理現象>であると見なすべきだ。 因みに、実は「可視歴史観」そのものは“両刃の剣”的な存在である。言い換 えれば、それは用い方しだいで毒にも薬にもなる取り扱い要注意!の“毒物” の如きものだ。更に言えば、もし人間が一切「可視歴史観」を持たなければ正 統保守的な政治的立場や伝統や習慣という文化の概念(orそれを評価する価値 観というべきかもしれない)が成り立たなくなる可能性すらある。 問題は、そこに“人間的な”ないしは“非人間(カルト)的な”の何れの形容詞 が付くか否かのまさに紙一重が薬と毒の分かれ目になるということだ。しかも、 “非人間(カルト)的な”それは正統保守(つまり人間的な可視歴史観)とは全 く異質な代物であることが恐ろしいわけだ。 だから、その意味では、あまり意識的に考えない一般国民層が安倍一派を正統 保守と見間違いさせられて洗脳状態に落ちているのもそれほど不思議なことで はないともいえよう。なお、この問題は、“経済・財政・国民生活(未生)” 全体の視点を失った株高一点豪華主義は危うい!と指摘する、投資の神様と呼 ばれるバフェット氏の慧眼とも重なる(委細、後述)。 ともかくも、非人間的ないしはカルト的という意味での「可視歴史観」の “可視”は、リアルな現実世界ではなく虚構世界か100%ドグマの支配下にあ る色眼鏡を通してしかリアル世界が絶対見えないことを意味する。 例えば、その典型が人間は死ぬと「幽事の世界」(霊魂共同体)に帰属するこ とを前提とする「靖国顕幽論(戦前・戦中の日本全体を支配し“太平洋戦争” 突入を扇動した平田篤胤派神道(国家神道)の顕幽論、つまりリアル人間世 界での“人権”を否定して霊界(英霊を頂点とする位階構造内)での“人権 (霊権?w)”だけを認める異様なカルト観念の世界である。 従って、この「靖国顕幽論」によれば、国家のための愛国玉砕戦争ないしは愛 国カミカゼ自爆テロ戦争で死んでこそ初めて人間(日本国民)は本来の「人間」 そのもの(人権・主権を持つ存在になる)という。そして、この異様な考え方 こそが、基本的人権(国民主権)を削除した『安倍自民党・改憲(草案)』の 基本骨格に影響を与えたと考えられる(『現行憲法および自民党改憲案比較 表』はコチラ ⇒ http://goo.gl/Fr9Wq )。 今の日本でアベノミクスを掲げることで主要記者クラブメディアと多数派の日 本国民から篤く支持?されている安倍内閣の強固な支持基盤である靖国神社・ 日本会議・神社本庁(その内の多数派)・神道政治連盟国会議員懇談会(安倍 晋三・会長)らの主張こそが、実は、この“カルト狂人が棲む世界”でしか通 用しない非人間的な「可視歴史観」である。因みに、今上天皇・皇后両陛下、 皇太子殿下御夫妻、宮内庁(今のところ、その多数派)、伊勢神宮(前同)ら は、この余りにも奇怪な顕幽論の考え方を否定している。 また、靖国神社、日本会議、神道政治連盟国会議員懇談会、神社本庁(その内 の多数派)らの主張は「通俗的な意味(用語)での歴史修正主義」と見られて いるが、それは誤解である。なぜなら、その実像が現世での基本的人権を否定 するという意味で紛れもなく“非人間的カルト「可視歴史観」”であるからだ。 何と恐るべきことではないか?! また。日本を代表する思想家である和辻哲郎(1889 – 1960/『古寺巡礼』『風 土』などの著作で知られる)によって“変質者のイデオローグ”であると指摘 された靖国神社の偽ミソロジー(神話論理)、つまりこの顕幽論こそが、現代 日本における「凡ゆる超然カルト権力の中枢的病巣」なのだ(出典:吉田真樹 著『平田篤胤−霊魂のゆくえ』講談社)。そして、恐らくその病的な程度の深 刻さはイスラム原理主義の比ではないと考えられる(なお、可視歴史観と正統 保守の更なる委細については下◆を参照乞う)。 ◆20140301toxandoriaの日記/奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平 和主義を捨て、「反知性主義」で第三次グローバリズムの佳境を突き進む安倍 サイコパス一派/付、聖母の真実ならぬ魔女の受胎告知と化す日本の惨状、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140301 (関連情報) ◆稲田政調会長は安倍総理のお気に入りで、安倍が日本のジャンヌ・ダルク (救国の聖女)と持ち上げ、稲田は安倍を現人神サマと呼び敬っているようだ ?w、そして次期総理候補(日本初の女性首相!)であり、幅広く国民層に人 気があるとかだが、よくその特異観念を国民は凝視すべきだ。今のところ中・ 韓・米らは“歴史修正主義”として安倍・稲田らを批判するが、既述のとおり、 この考え方は“歴史修正主義”(学術検証可能性の意味で逃げ道が残る)なら ず“非人間的カルト可視歴史観”(全く逃げ道がないアウトの観念!)であ る。おそらくこれが日本政府の公式見解となれば、日本が米国はおろか世界中 を敵に回しかねない事態となる恐れさえある。 ⇔ 自民・稲田政調会長「東京裁判は法的に問題がある(私たち自身で 検証!)」 2015.2.26産経ニュース http://goo.gl/hYbaEa NEWS23/TBSの動画ニュー スURLはコチラ ⇒ http://goo.gl/eBHrl1 ・・・Cf.「判決を受け入れている」と予防線張っても無意味。サンフランシ スコ講話条約の「否定」と受け取られかねず、米国含め国際社会を意味なく敵 に回す行為。@junsantomatovia Twitter Web 2015.2.26 (3)「面妖でグロテスクな靖国顕幽論」の恥部を公然と露出し周囲に見せび らかし始めた「安倍政権の非人間的カルト『可視歴史観』」の不気味 ■【“戦犯の歴史”をリアル世界から消去しようとする安倍内閣の特異イデオ ロギー、それは『関東軍の熱河作戦を“軍事国家主義の象徴的理想”と見立て る“追憶のカルト”なる狂想』】萩生田光一・総裁特別補佐「すべての戦犯は 国会決議で名誉回復した」「(今年は)日本の名誉回復元年に…」2015.2.15sankei.com、http://goo.gl/ZS4Ckv ・・・萩生田光一・総裁特別補佐が曰く ⇒ “確かに東京裁判でABC戦犯 はあったが、日本の文化では死んだら神様仏様になる。全て戦犯と呼ばれる人 は、サンフランシスコ講和条約の昭和27年以降に、衆参両議院の圧倒的多数 で4回の決議をして名誉回復をした。関係11カ国の同意も得た上です。<行 政上(?意味不明←補足、只野親父)、国内に戦犯はもういない。Tこうした ことを戦後70年を契機に自信をもって国際社会に発信しなければならな い。>” [所見/只野親父] “戦犯の歴史”をリアル世界から消去しようとする安倍内 閣の特異イデオロギー、それは『関東軍の熱河作戦を改めて“軍事国家主義の 象徴的理想”と見る“追憶のカルト”』 ・・・「過激組織IS」による人質テロ事件の悔しさを思えば“仇(かたき)を とらねばならぬというのは人間として当たり前の話である”という改憲派らが 共有するノリ(空気)と、“安倍政権が国連へ常任理事国入りを強く働き掛け ている”最中での萩生田氏「発言」であるという昨今の状況を深読みすると、 そこに二つのこと(安倍政権のホンネ)が透けてくる。 ・・・その一つは<安倍政権は、積極平和主義なる用語で『積極戦争推進』の 必要性を語っていること、そのため自民党「改憲」案では『9条放棄』どころ か『国民主権の削除』で常時開戦へのフットワークを軽くするとともに、憲法 第36条『公務員による拷問および残虐な刑罰は、“絶対に”これを禁ずる』の 改定(“絶対に”を削除!)で戦争を忌避する受刑者や政治犯らの心身に非人 道的苦痛を与える刑罰、例えば磔、斬首、獄門(曝し首)、八つ裂き、火炙り、 釜茹で>なども可能にするという本音を隠し持つ>ということだ (関連/↓*)。 *『拷問・残虐刑』が許される場合などあるわけない!/自民党改憲草案「集 中講義」小林 節・慶大名誉教授、20150211日刊ゲンダイ/<補足>1999年、 日本も『拷問等禁止条約』加入している(外務省HP)。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/gomon/ ・・・現行憲法の第36条は「公務員による拷問および残虐な刑罰は『絶対に』 これを禁ずる」となっている。 ・・・対して安倍・自民党改憲草案の同条は「公務員による拷問および残虐な 刑罰はこれを禁ずる」だ。一見、両者は同じように見えるが、その意味は決定 的に違う! ・・・つまり、『絶対に』がない安倍・自民党改憲草案の同条では<過酷な拷 問と、受刑者の心身に不必要な非人道的苦痛を与える刑罰、例えば磔、斬首、 獄門(曝し首)>なども可能ということになる!原発由来の“放射能による茹 でガエルの刑”だけで沢山だ!(←toxandoria) ・・・ ・・・二つ目は、萩生田光一・衛藤晟一・稲田朋美・山谷えり子氏ら安部総理 のごく身近な側近らが折に触れ漏らしているとおり、<『太平洋戦争・敗戦否 認論』を国際社会へ、国連を舞台として公式に認めさせ常任理事国になる>と いう野心を持つことだ。 ・・・これら俄かには信じがたい安倍政権・中枢に潜む“狂想”の核心が<戦 前の満州における関東軍の熱河作戦を「軍事国家主義の象徴的理想」と見立て る安倍内閣の『追憶のカルト(戦前を取り戻すという異常な情念)』>である (参照、下・注)。 ・・・ごく普通の常識と健全な歴史観を持ってさえいれば、この<安倍サマの お友達一派の余りにも非常識でグロテスクな野望>を第二次世界大戦の戦勝国 側が受け入れるはずのないことは簡単にわかる。まさに、その意味で安倍晋三 一派の精神環境は「過激派集団IS」どころか、それをも遥かに超えた“お友達 ゾンビ仲間が醸す共同妄想”にドップリ耽溺する非人間的な「可視歴史観」に 囚われた<カルト狂人>のものだ。 <注>関東軍の熱河作戦を「軍事国家主義の象徴的理想」と見立てる安部内閣 の『追憶のカルト』なる狂想/安部晋三・首相の側近らが嵌っている狂信イデ オロギー『追憶のカルト(靖国顕幽論に因る)』の精神基盤たる石原莞爾『最 終戦争論』、および太平洋戦争の直截的な端緒となった、『関東軍の熱河作 戦』について、以下に纏めておく。 ・・・大日本帝国の公式イデオロギーとして公認された田中智学の「八紘一宇」 なる狂信イデオロギーが、平泉澄による「聖戦玉砕(このみいくさ)原理主義」 型の皇国史観と相俟って、更に関東軍の行動指針の原図となった石原莞爾の 『最終戦争論』を介して戦前〜戦中期の日本国民をカルト狂信的な戦争へと扇 動し駆り立てた。 ・・・これら二つのカルト狂信イデオロギーは、戦後になっても自民党、およ びその背後霊たる日本会議、創生日本、国家基本問題研究所、神道政治連盟国 議員懇談会(安倍晋三会長)ら“詐称”保守団体(自称“美しい”『“追憶の カルト 』の正体を偽装する極右)のなかに注ぎ込まれ、今に至っている。 ・・・1942年に石原莞爾が書いた『最終戦争論』では、“悠久の昔から東方道 義の道統を伝持あそばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の 天皇(全世界の救世主)と仰がれることになるのは我われの固い信仰でありま す”と述べ、更に“東洋の王道”と“西洋の覇道”の最終戦争に勝利すべし! と説く。 ・・・ここで観察されるのは、まさに<「情念」統制理念と「論理」構成理念 の相互補完的役割>を重視する、現実的な人間世界での調和と協心 (concordance)に関わる自覚(人間の傲慢を回避する知恵)の決定的不在であ り、同時に<国民主権(近年、厳格な市民意識を求めるフランス革命の心髄と して理解されつつある国民主権ナショナリズム!)意識>の決定的欠落である。 ・・・因みに、「熱河作戦」(1932(昭和7)年3月、関東軍が満州国の安定化 を口実に北京北部(万里長城の北)に接する熱河地方(現在は河北省、遼寧省 及び内モンゴル自治区の交差地域)へ侵攻した事件)の危険性に気づいた昭和 天皇が、いったん裁可した作戦承認の取り消しを指示したが、関東軍作戦成功 を誉めそやす<マスメディアの煽りと激烈な扇動>もあって、いったん舞い上 がった国民の熱狂(1万が40万の中国軍を蹴散らした関東軍への篤い支持)を 押し止めるのは不可能だった。 ・・・その挙句の果て「国際連盟脱退/全権・松岡洋介」(1933(昭和8)年 3月27日)⇒「日中戦争(盧溝橋事件/1937.7.7〜)」⇒「大政翼賛会発足 (1940.10〜)」⇒「太平洋戦争・開戦」(1941年12月8日)の流れとなった。 |