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59章 音楽をする理由について、清原美樹は語る 10月26日、晴れわたった暖かな日曜日の正午(しょうご)。 さわやかな秋の風が、囁(ささや)きかけるように肌に触れて、 下北沢の街を流れる。 下北沢は、新宿や渋谷からすぐそばで、楽器やギターバッグ(ギグバッグ)とかを、 肩にかけた若者が多く集まる音楽の街として、東京都でも有名だ。 清原美樹と松下陽斗(はると)は、南口商店街の入り口にある、 総席数151席の、マクドナルドヘ向かって歩いている。 美樹は、ふんわりとした肌ざわりのピンクベージュのカシミアのワンピース。 陽斗は、サックスブルーのショールカーディガン、オリーブのカラーのチノパンツ。 商店街の入口の左にマクドナルド、右には、みずほ銀行がある。 その銀行側の横で、若い男性の二人組が、アコースティックギターで、 ヒット曲のコピーを歌って、ストリート・ライヴをしている。 この商店街には、現在、400メートルほどのあいだに、 ライヴ演奏ができる店が、11軒もあった。 「はる(陽)くん、下北って、なんでこんなに、音楽好きな若者が 集まったり、ライヴハウスがたくさんあったりするんだろうね!?」 美樹はそういって、陽斗に、無心な少女のように微笑んだ。 美樹は身長158センチ、陽斗は175センチ。 「そうだよね、なぜなのかなぁ、美樹ちゃん。下北には、下北沢音楽祭とか、 毎年あるし、そんな音楽を楽しもうっていう気持ちの人が多いし、 町の人や商店街や学校とか、みんなで協力し合っているよね。 だから、ここへ来れば、ひとりじゃないって心強さとかもあるしね。 こんな下北みたいな町が、ここだけじゃなくて、日本中、世界中に、 いっぱいあってほしいよね!美樹ちゃん!あっはっは」 陽斗は明るい声でわらった。 「いらっしゃいませ!」 マックの赤い帽子がよく似合う、女性スタッフが微笑む。 美樹と陽斗は、同じ、フィレオフィッシュと、ローストコーヒーと、 フライポテトを1つだけ注文する。 「わたし、きょうの下北音楽学校の授業で、何をお話ししていいのか、 ほとんど考えていないのよ、はるくん!どうしよう!?」 そういって、陽斗を見つめる美樹だったが、余裕の微笑みである。 「あっはっは。美樹ちゃんなら、大丈夫だよ。お金もらってする仕事じゃないんだし。 いつもの美樹ちゃんらしく、何か世間話でもして、終わりにすればいいじゃない」 「そうよね。でも、一応、ノートに話す内容はまとめたんだ。次の土日には、 早瀬田祭(わせだまつり)もあるから、いろいろ忙しくって」 「おれんとこでも、次の土日は、芸術祭だもんね。なんで、大学の学園祭って、 同じ日にやるんだろうね。ちょっとずらしてくれれば、ゆっくり楽しめるのにね」 「そうよね・・・。はるくん、久石譲(じょう)メドレーを編曲したんでしょう! すごいわ!日曜日の2時が開演よね。わたし絶対に、はるくんのピアノ演奏を 聴きに行くわ!トトロとか、宮崎駿(はやお)大好きだもの!」 「うん、美樹ちゃんが来てくれないと、おれ、たぶん、哀しくって 演奏できないからね、きっと来てね。あっはは」 「まあ、はるくんってば!わたしなんかいなくても、ガンバッちゃうんでしょう!うっふふ」 美樹は早瀬田大学・教育学部4年生、10月13日に22歳になったばかり。 陽斗は東京芸術大学の音楽学部、ピアノ専攻の4年生、21歳、 来年の2月1日が誕生日である。 清原美樹が講師を務める、第2回目の下北音楽学校の公開授業は、 午後2時に始まった。 場所は、下北沢南口から歩いて4分の、北沢ホールの3階の、 定員72名のミーティングルームである。今回も超満員であった。 美樹が立つ演台の横には、幅2メートルほどの大型ディスプレイがあって、 美樹の話の進行に合わせて、イラストや文字が映し出される。 このバーチャルな下北音楽学校を開校している、ソーシャルメディア(SNS)の 若者向け慈善事業、ユニオン・ロックの利用者は、わずか3週間で、 その使い勝手の良さから、パソコンとスマートフォンを合わせて、 200万人を超えた。このユーザー数の増加は世間も注目させた。 本日の授業も、インターネットで生中継されている。 「みなさん、きょうも、お忙しい中、2回目の公開授業にお集まりいただいて、 本当にありがとうございます!きょうの授業は、『わたしが音楽をする理由』 というタイトルです!」 ワイヤレスマイクを軽く握って、清原美樹が、余裕の笑顔で、語り始める。 ミーティングルームには、最前列に女子中高生や男子高校生たちがいる。 そして、10代から20代の男子たち、大学生や社会人の男女で、満席である。 美樹のバンドのグレイス・ガールズのメンバーや、美樹の親友の小川真央も来ている。 松下陽斗や川口信也たちクラッシュ・ビートのメンバーたちが後ろの席に集まっている。 美樹の姉で、弁護士をしている美咲も、弁護士の岩田圭吾と仲よく来ていた。 「わたし、すごく緊張するかと、きのうの夜から心配だったんです。 すぐに寝つけなかったらどうしようと思ったり。でも、ぐっすりと眠れました!」 会場からは、明るいわらい声。 「そして、いまは、そんなに緊張してないんです!そんなわたしって、 おかしいですよね、きっと、性格が鈍感なんです」 「そんなことないです!」 「美樹さんは、敏感で、センス、抜群にいいでーす!」 会場の最前列にいる女子高生や男子高校生たちがそういう。 会場のみんなは声を出してわらう。 「みなさんは、夏目漱石は、『坊(ぼ)っちゃん』や『吾輩は猫である』とかで、 よくご存じだと思います。でも、彼が、なぜ、ノイローゼといいますか、 神経衰弱になったのかは、ご存じないかと思います。 彼は、1893年、帝国大学を卒業して、高等師範学校の英語教師になるですけど、 日本人が英文学を学ぶことに違和感を覚え始めるんです。 そんな漱石に、1900年5月、文部省から英語研究のためにと、英国留学を命じられるんです。 でも、これは、実は、正しくは英文学の研究ではないようなんです。 わたしも文学の研究とばかり、最近まで思ってましたけど・・・。 さて、漱石は、イギリス人が考えている文学というものと、 自分の頭で考えている文学というものとは、まったく別なものであることに気づくのです。 それである以上、自分は、もう、英文学研究に何の貢献できない、 そういう状態に追い込まれちゃうんですよね。漱石はその結果、ノイローゼになるんです。 いままでは国のために英文学を研究するという目標があったんですけどね。 その目標を見失うし、自分が何のために生きているのかもわからない状態になるんです。 そんなノイローゼ状態の中で。漱石が最も深刻に考えたことは何だと思います?」 最前列の女子高生に、笑顔で、そう尋(たず)ねる美樹。 「わかんなーいです。美樹先生!」 そういって女子高生たちは、明るい声でわらった。 「そんなノイローゼ、神経衰弱の時に、漱石が、最も痛切に感じたことは、 人間の自我といいますか、自己といいますか、つまり、意識や行為をつかさどる主体としての、 私(わたくし)の問題だと言われています。 こんな自我意識に悩む体験というものは、人間という存在の認識の問題でもあるわけです。 漱石という作家のすごいところは、そんな悩みや苦労を、まるでおいしいお酒やワインのように、 発酵させてしまうとでもいいますか、それを原動力にして、小説の創造に向けて、 前人未到の大文豪になってしまうという、特別な才能といいますか、 能力があったというとことなんだと、わたしは思っています。 といいましても、わたしって、学校の教科書で『坊ちゃん』を少し読んだくらいで、 本当は漱石の作品って、ほとんど、まったく、読んでいないんです! 好きな音楽ばかりやっている、ダメなわたしなんです!」 「美樹先生、ダメなんかじゃないよ。わたし尊敬してまーす!」 最前列の女子高生がそういうと、会場は拍手とわらい声に包まれた。 「自我意識を問題にした漱石が、いかにスゴイかということは、1901年から始まる、 20世紀になって、特に第二次大戦のあとに、ヨーロッパで、 実存主義という思想が展開されることでも、わかるかと思います。 実存主義とは、人間の実存について考えることを中心におく、 思想的立場、哲学的立場の、文学や芸術を含む思想運動のことです。 漱石は、1916年に満49歳で亡くなっているんですから、 世界的に見ても、すごい先見性のある作家だったことがわかる気がします。ね、みなさん!」 「うん、うん」と、最前列の女子高生たちが、笑顔で頷(うなず)く。 「きょうの授業のタイトルは『わたしが音楽をする理由』ですので、そのお話しに入るため、 ここからは、漱石はやめにしまして、ニーチェのお話しなんです。 なぜならば、ニーチェも実存主義の哲学者とは言われていますけど、 ニーチェは、まるで、漱石のあとに続く、自我意識を問題にした人でもあったと考えますけど、 ニーチェは、見事に、『自我なんて、実はただの思いこみでしかない』とか、 『すでにある、既成の真理といわれている論理や観念、それらはイデアとも呼ばれますが、 要するに現在ある、すべての既成の価値観などで、世の中を見わたすと、何事においても、 どんなことを行っても、いつまでも自分の人生を肯定できないし、 満たされた人生を送ることができない』と言っているんです。 わたしは、ニーチェのこの考え方に大賛成なんです。人は何で、誰か、人間が作ったのに、 決まっているような思想や宗教によって、争いごとをおこすのでしょうか? わたしにはまったく理解できないし、不条理なこと、つまり、筋が通らないこと、 道理が立たないことにしか思えません。不条理って、 わたしの好きな作家のカミュによって用いられた実存主義の用語で、 人生の非合理で、無意味な状況を示す言葉なんですよ。なんか、カッコいいと思いませんか? 高校生のみなさん!」 美樹が、最前列の女子高生と男子高校生たちに話かける。 「カッコいいでーす!」と高校生たちは叫ぶように元気に答える。 会場からは拍手と歓声が沸き起こる。 「ご声援、ありがとうございます。ニーチェの言っていることって、 簡単して言っちゃいますと、こういうことなんだと思います。 『結局、既成の価値観とかの、不条理を背負っている限りは、 自分の人生を謳歌すること、つまり素直に歓ぶことはできない』と ニーチェは、確信をもって言い切っているんですよね。 ニーチェって、既成の価値観に反抗するあたりは、現代の若者気質のようで、 ロック的といいますか、ロックンロール的ですよね。 わたしなんか、カッコいいなぁって思うんですけど、ニーチェの写真を見ると、 なぜか、がっかりしちゃうんです。ニーチェさん、ごめんなさい!」 会場からは、また明るいわらい声。 「世の中に絶対的な真理なんてないとか、自我なんて、自分で考えている世界なんて、 ただの思いこみに過ぎないなんて思うということは、すべては無価値であるなんてことにも、 つながりかねないことなんですよね。ですから、よく、人は、 ニーチェのことをニヒリズムの元祖、虚無主義者と、カン違いしているようです。 でも実際は、大違いですよね。そのニヒリズムを乗り越えて、力強く、誇り高く、 プライドを持って生きよう!って言っているわけです。そのツァラトゥストラとかの著作では。 あと、ニーチェは、こんなことも言ってます、『意欲は解放しよう!と言うことは、 意欲は創造であるからだ。わたしはそう教える。そうであるからして、 創造のためのみに、君たちは学ぶべきだ』と・・・。 さて、そろそろ、わたしの未熟なこのお話しの最期になります。 ニーチェは、この世界のありさまを、あらゆる事物の内に宿る『力の意志』のせめぎ合い、 であるととらえています。つまり、すべての存在は、『生きること』の充実を求めて、 より強く、大きく、高く成長しようとしていると言うのです。古い価値観や、 道徳に縛られて生きることは、自分の生そのものを否定することであると言うのです。 人は誰でも自分を信じて、性欲などの欲望も、すべて力の意志なのだから肯定的にとらえて、 ゆったりと悠然と生きていればいいと言うのです。 ニーチェの哲学の重要なキーワードのこの『力への意志』は、生命の根源的な力を信じる 純粋な明るさに満ちていると言われます。力への意志は、生成し終えることはなく、 ゴールはなく、無限大に大きくなろうとすると言うのです。見わたす風景、日々のニュース、 自分の身体(からだ)、何もかもが生きている。それこそが生きていることの本質であって、 そこには力の意志があるというのが、ニーチェの考えだそうです。 そして、力への意志を、身をもって実現することができる人間を『超人』と呼んでいます。 最期に、わたしの胸に響く、ニーチェの言葉を、簡単して、まとめさせていただきます。 『しょせん、人間は自分の視点からしか、物事を見ることはできない。したがって、 誰もが正しいと認めることなんて、ひとつもない。人生を全部受入れよう。そして強く生きよう。 自分の欲望を認めよう。それは自分のありのままを1番大切にすること。 自分が尊いことを認めること。超人とは、前例にとらわれず、変化を受け入れる、 創造的な人間である。ささいなことでも、まわりの人たちが明るくなるほど歓(よろこ)ぼう。 大切なことは、いつも歓びを抱くことであり、自分の人生に満足していれば、 他人への憎しみも薄らぐのだから…』 これらの言葉に触れていると、わたしも元気が出て、音楽をやっていこうという気になるのです。 まとまりがありませんでしたけど、これで私の授業を終わりにしたいと思います。 ニーチェについての出典は、別冊宝島の『マンガと図解でわかるニーチェ』なんです。 『幸せになるための哲学』っていう表紙のキャッチコピーと かわいらしい女の子のイラストに魅せられて、 コンビニでつい買っちゃいましたけど、とても、いい本でした! ご清聴、ありがとうございました!」 そういって、軽く頭を下げる美樹に、会場からの温かい拍手は鳴りやまなかった。 ≪つづく≫ --- 59章 おわり ーーー |