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■安倍内閣が仕掛ける「社会的集団恍惚催眠」へ誘われる多数派国民/今こそ 「歴史に学ぶ意義」の再発見で「正統保守」の確立を急ぐべき(暴政編)2/3 <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20141002 1 「社会的集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus」(ナチ式群衆恍惚催眠/ 独誌シュピーゲル)とは何か? ■多数派ウロ・キョロ国民層は<日本の靖国顕幽論式原発・放射能アニミズム &核武装式このみいくさ(自爆玉砕)軍事大国化>を謀る“イスラム国型パラ ノイア・カルト政治権力、安倍晋三一派”を高く支持(*↓)してドウスルつ もり?w あと待つのは本格的な<“あの太平洋戦争(神憑る全国民玉砕型の このみいくさ)”へ突き抜けた類のグロテスク・ジャポニズム精神とでも言う べき、かつ政治美学で言うところの“ナチ式恍惚催眠・エクスタシー(社会的 集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus/この用語の発出はSebastian Haffner 『ヒトラーとは何か』(日本版/草思社)であるが、同じ意味のことを独シュ ピーゲル誌は集団恍惚催眠と定義して使っている、http://urx.nu/bXH4 )が 創造される社会心理学的な悪徳のプロセス>へ見事に回収されるばかりだよ!w ⇒ 安倍を現人神と崇める稲田・政調会長も同じ核武装論者!(参照、添付画 像)http://urx.nu/bZr7 RT @kitahamamikiya:【安倍「原子爆弾だって問題は ない」】「憲法上は原子爆弾だって小型であれば問題ない」200205早大シンポ ジウムhttp://urx.nu/bZrG ・・・*新報道2001の最新調査(201409、第2週)で、改造・第2次安倍政権 の支持率が61.4%と極めて高支持率になった!http://livedoor.blogimg.jp/salaryman80/imgs/6/e/6e0d8ba7.jpg ・・・ 欧州で最も多い発行部数(毎週平均120万部)を誇るドイツのニュース週刊誌、 デア・シュピーゲル(Der Spiegel)が、およそ戦後70年となる現在に至るま でのあいだ、経年的にヒトラー・ナチス政権が全世界へ与えたダメージの深刻 さ(ドイツが仕掛けた戦争とアウシュビッツを典型とするジェノサイドなどに ついて)を心から反省する特集記事を書き続けてきたことは良く知られている ことだが、今夏も深い反省の記事を書いて(2014年は、この8月までに9本も !)いる(事例参照/◆↓)。 ◆World War IIRSS/Related articles, background features and opinions about this topic.(international/SPIEGEL ONLINE - August 28, 2014 et al)・・・An Endless Legacy World War II brought more suffering to humanity than any other event in the 20th century. http://www.spiegel.de/international/topic/world_war_ii/ おそらく、ドイツではこのデア・シュピーゲル誌だけでも、戦後の約70年間に、 少なくともmin.750〜800本もの「ナチス戦争反省記事」を書いたことが推測さ れるのは驚くべきことだ。ポスト・フクシマでの「脱原発」だけでなく、<正 統保守的価値観>を国民全体が共有しつつ、いまやそのドイツが、事実上、 EU(欧州連合)の牽引役を担う姿を見るとき、日本の安倍総理の<靖国顕幽 論のホンネ(靖国的な霊性に劣る一般国民の人権は否定されるべきとして日本 国民を見下すとともに、それら一般国民を“霊界から睥睨される下部構造に属 する戦争ロボット視”するという異様観念(“霊界⇔顕(人間)界”霊(人) 権バランスシート論)を隠蔽しつつ、「積極的平和主義」こと「偽装積極戦争 主義」(Fake-Pacifisam)を国連で堂々と演説する奇怪な姿>には暗澹とさせ られるばかりだ。 果たして、このデア・シュピーゲル誌のように真摯な態度で「太平洋戦争」の 反省記事を今も書き続けている日本のマスメディアは存在するだろうか?それ どころか、今の日本ではナチス・ヒトラーを崇拝するネオナチ・シンパの複数 の女性閣僚らを従えて、ヒトラーばり(似)の強面(タカ派)を自負する?安 倍総理大臣が靖国英霊「顕幽論」(『招魂社』ルーツの降霊術式神託、いわば “霊媒を介し降臨する英霊(特に、霊媒が排出する霊体(エクトプラズム)) と現人神天皇”に伺いを立てる戦前の軍神統治型“狂気の政教一致”)に基づ く戦前型アナクロ政治体制を取り戻すべく必死となっている有りさまだ。 しかも、政治権力側に取り込まれた記者クラブ制度にドップリ浸かる日本のマ スメディアは、この戦前型アナクロ政治体制に加えて「人権否定=“平田篤胤 ・六人部是香(顕幽論)”流の“国民=戦争ロボット”論」を信奉する自民党 が、その<憲法改正草案>から「第10章/最高法規97条・基本権(*)」を削 除しているという事実(安倍政権は本気で人権(基本権)削除の改憲を目指し ている!事実)を絶対に真正面から散り上げて報(論)じないため、国政選挙 における「5〜6割常在棄権層(約5〜6千万人)」に重なる多数派ウロ・キ ョロ国民層が、いわば彼ら自身が属する国家・日本の存亡の危機を殆ど自覚で きない異常事態となっている。 それはともかく、これらデア・シュピーゲルの一連の記事の中で、少し古いも のだが2008年(Jan.30号)に、ナチズムの本質を鋭く抉った特筆すべき内容 『ヒトラー神話の謎』(The Fuehrer Myth / How Won Over the German People)があるので、その最も重要なエッセンス部分を以下に紹介しておく (これは拙・意訳なので、ご関心の向きはオリジナル記事を参照乞う⇒ http://urx.nu/caUT )。 【The Fuehrer Myth/ヒトラー総統神話】 By Ian Kershaw (ナチスの劇的な台頭と総統神話の始まり=先ず自国民に対するメディア・プ ロパガンダと軍事力プレゼンス(軍備強化誇示)の成功が決め手であった) ●ヒトラーは、自らがドイツ国民を統合する偶像となるために“プロパガンダ (凡ゆるメディアを支配的に活用するための組織的宣伝活動)”と“国民に対 し外部からの脅威を煽りたてる軍事力プレゼンス(唯一の安全保障パワーとし ての自国軍事力の存在感)”を巧みに利用した。その結果、多くのドイツ国民 が偶像化したヒトラーに一斉に媚びへつらうようになった。そして“Today、 Hitler is All of Germany”(1934年4月4日の新聞ヘッドライン)という結果 をもたらした。 ●その二日前にヒンデンブルク大統領が死ぬと、間髪を入れずヒトラーは“ド イツ帝国”と“ドイツ国民”の総統(der Fuehrer)たる自らへの忠誠を軍に誓わ せた。この状況は<ヒトラーとドイツ国民が完璧に感覚・感触的レベルで癒着 した>ことを意味するが、それは論理性よりもセンチメントを介した恍惚催眠 (集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus←この用語の発出はSebastian Haffner『ヒトラーとは何か』(日本語版/草思社)的な結合!)であった。 <toxandoria補足>『“ヒンデンブルク大統領の大統領内閣”(ワイマール憲 法により大統領の特別権限で組閣した内閣)から“ヒトラー(内閣)”への権 限移譲の法的プロセス』 ・・・軍部・財界・ユンカー(東部プロイセン・ドイツの大地主層)を中心と するドイツの支配層は再軍備と恐慌からの脱出を求めて、ヒンデンブルグ大統 領の特別権限(ワイマール憲法48条の規定)の実行を強く要求して「大統領内 閣」を組閣させていた。 ・・・当然のことながら、いずれ「大統領内閣」は国民全般からの大きな支持 が必要であるので、そこへ付け入ったのが、すでに圧倒的な都市部中間層(現 代日本で言えばウロ・キョロ多数派層←toxandoria、補足)の支持を集めてい たアドルフ・ヒトラーであった。そのため、「ヒトラーは、必然的に、ヒンデ ンブルグ大統領か指名を得る形で、つまりワイマール憲法の下で“きわめて合 法的に”「ヒトラー内閣」を組閣することに成功した。 ●1934年8月19日に行われたヒトラー総統を信任するための国民投票では、全 体のおよそ2〜3割に相当する冷静な人々が存在したと推定できるにもかかわら ず、実際の投票現場では、彼等を含む殆どのドイツ国民が投票用紙に“Yes” (ヒトラー総統を信任)と“走り書き”で(内心で動揺しつつ)書いてしまっ た。また、その後の「異常に高い支持率が公表された選挙」では「より効果的 なプロパガンダ」とともに「投票結果の改竄」も行われたようだ。 ●その後も、ヒトラーへの批判が皆無であった訳ではない。例えば、1936年4月 にベルリンで出されたゲシュタポによる批判の記録がある。それは、当時まだ 多くの国民が極貧で苦しむ状態であるにもかかわらず、ヒトラーがナチ党のお 偉方の汚職や贅沢三昧を見過ごしていたことへの批判であった。ヒトラーが、 この危機を乗り越えることができたのはなぜか?それは、その時に進みつつあ った“ドイツ国家の危機(困難)に必死で立ち向かうヒトラー総統”(少なく ともヒトラーの支持層には、その様に見えた!)のカリスマと国民の意識(セ ンチメント)が激しい「社会的集団オルガスムス(Kollektiv-orgasmus)」で 結合していたからだ。かくしてヒトラー麾下のドイツ軍はラインラント非武装 地帯へ進撃することになる。 ・・・途中、省略・・・ ●ともかくも、この<総統独裁下の平和な時代(ヒトラー時代の前半)>にお ける目覚しいヒトラー業績の背後に何があったにせよ(多くの人々が、それを 見誤っていたとしても)、ヒトラー総統に対する大衆の圧倒的な支持を確立す るという戦略は確実に勝利を収め、その目的は達成されたのであった。 (更に豊かな地域へ侵略するための道筋の準備=恍惚催眠効果の本格的な始動) ●このヒトラー総統に対する大衆の圧倒的支持は(それに対して賛同できぬ少 数派の人々の存在という多少の例外はあったが)、明らかに作為的なコンセン サスづくりの賜物であった。それは、恰もコインの裏側のごとく、もう一つの 確かな現実が期待され得るという意味での「国家統一体」の宣言(それは、い ま安倍政権が謀る仕掛けとそっくりの“ヴァーチャル・リアリティの幻想”で あった←toxandoria、補足/その委細は第2章で後述)であり、それに反対す る人々には「民族の敵」などアウトサイダー宣言の烙印を押すというまことに 御都合主義的なプロパガンダであった。そして、その異様な二重構造の「国家 統一体」の中心に「超人ヒトラーのイメージ」が鎮座するということであった。 ●このプロパガンダは、ヒトラーが権力を奪取する前から用意周到に創りあげ られてきたもので、それを準備したのはゲッペルスである。ゲッペルスは、最 も現代的な意味で成功の可能性が高い“政治的マーケティング・リサーチ”を 実行した。そして、1933年に、いったん国家統一のためのプロパガンダ手法が ナチスの独占物となるや(ヒトラーが首相となり、ナチス党への全権賦与法が 成立し、ユダヤ人弾圧が始まった)、「メディア・プロパガンダを使ってヒト ラーのカリスマ性を猛烈な速さで広める手法」に対する障害はまったく存在し なくなった。 ●しかも、このようにしてヒトラーが権力を掌握するまでの間に約1300万人以 上の人々が(それは未だ全国民の一部ではあったので彼らは尖兵の役割であっ たが)熱狂的な「ヒトラー個人崇拝」を鵜呑みにする「恍惚催眠症状 (Kollektiv-orgasmus)」に罹患していた。このため、ほどなくナチス党に所 属する一般の人々と無数の追従者たちも「ヒトラー個人崇拝」の熱病に次第に 感染していった。従って、何よりも先ずこの「ナチスの組織的基盤」が、その 後のより幅広い「ヒトラー個人崇拝」への道を準備することになったと点に注 目すべきだ。 ●「ヒトラー個人崇拝」が急速に広まった“事実”については、それが“ゲッ ペルスの独創的なプロパガンダ戦略”の賜物であることは間違いないが、同時 に、このようなバックグラウンド(ナチス党の組織的基盤/現代日本で言えば、 擬装極右化した自民党の中核集票組織である日本会議などに匹敵する ←toxandoria、補足)の存在が大きく貢献したことを重視すべきだ。また、プ ラハへ亡命していた社会民主党『ソパード(Sopade)』までもが、“ヒトラーは「(1)雇用を創造した、(2)ドイツを強靭化した(軍事的・経済的に)」の 2点で多数派国民の支持を得る資格があると言明(1938年4月)していたことに は驚かされる。 ●このようにして、ゲッペルスの独創的なプロパガンダはドイツ帝国の1930年 代前半における急速な経済回復をヒトラー自身の業績と見せかけることに成功 したが、実はヒトラーの経済知識は貧弱なものであり、実際のところ、その急 速な経済回復は特別の複雑な事情によるものであった。もし、それに貢献した 人物の名を挙げるなら、それは経済大臣のヤルマール・シャハトである。従っ て、ヒトラーの貢献があったとしても、それは精々のところ“社会の空気を変 えた”という程度のことだ。しかし、恍惚催眠状態に嵌った多くの人々は“ヒ トラーの業績であること”を当然視しており、彼らは「ヒトラーを歓呼で迎え る」ことになった。しかし、未だそれはヒトラーを批判する少数派の人々を殲 滅するための最初の一歩に過ぎなかった。 1936年までにヒトラーのドイツは完全雇用を達成していたが、それには『ドイ ツの未来に重大な危機を仕込む再軍備(軍需経済化)』が大きく貢献していた。 しかし、もはや殆どのドイツ人は『この雇用機会が何処からやってくるのかと いうこと、つまりヒトラー支配下での“完全雇用”の秘密の根本』については 全く気にかけなくなっていた(この現象も、現代日本の軍需・原発一極経済化 の現象とオーバーラップする←toxandori、補足)。つまり、それは「ヒトラー への信仰」が国民の現実認識能力を狂わせていたことに他ならない。 ●二つ目の社会民主党・ソパード(Sopade)の指摘、つまり「ヒトラーがドイ ツを強靭化した」も重要な「ヒトラー信仰」のファクターである。そこでヒト ラーが取ったのは、「1918年にドイツが蒙った屈辱的な出来事」(1918年11月、 キール軍港で起こった水兵の反乱/これが国内全体へ波及して革命暴動が続発) と、その翌年に調印された第一次世界大戦での敗戦の記憶、「ヴェルサイユ条 約による屈辱の追い討ち」を決してドイツ国民へ忘れさせず、絶えず思い出さ せるという戦術であった。 ●このため、“不公正”なヴェルサイユ条約への憎悪(現代日本で言えば、安 倍政権による中国等への過剰な敵愾心の扇動プロパガンダがこれに相当するか もしれぬが・・・)はドイツ国内では“政治的怨念”のようなものとなるよう に演出された。また、ヒトラーはたった10万人まで削減されたドイツの軍備が 国家ドイツの最大の弱点となっていることを国民へ繰り返して徹底的に認識さ せたのであった。 (“ヒトラーの鉄拳”への限りなき賛同、ヒトラー支持の急上昇=更なる恍惚 催眠効果の増大) ●国際連盟脱退(1933)、住民投票(1935)の結果に従ったザール地方のドイ ツ復帰、徴兵制復帰に続き、同1935年には巨大な「新国防軍の創設」が宣言さ れ、1936にはラインラントの再軍備が実現し、その2年後(1938)には「独墺 合併(Anschluss)」が宣言された。ドイツ国民は、これらの出来事の全てを 国家的大勝利とみなすとともに、それは敗戦(第一次世界大戦/1914-1918) いらいドイツを見下し続けてきた西側諸国の軍事力の弱体ぶりを暴露したもの に見えた。わずか数年前には、これらの全てが想像もできなかったことであり、 それは偏(ひとえ)に“政治の天才たるヒトラー個人の才能”によって成し遂 げられたと見なされ、社会民主党(Sopade)員の中にすら、その功績に賛意を 見せる者が現れ始めた。 ●1938年の「ズデーテン(チェコ国境地帯)危機」(4月、ズデーテン・ドイ ツ党がズデーテン地方の分離・自治を要求→8月、英米による調停→9月、チェ コが要求書に応諾の署名)は、世界におけるドイツの立場回復の“無血要求に 努めてきたドイツ国内右派”へのヒトラーによる、本心を隠したままの第一撃 (軍事進駐の本心をにじませた無血要求の否定)であった。なぜなら、この戦 略は、ヒトラーが早くから心の奥底で温めてきたものであり、1939年9月の 「ミュンヘン会談」(西側諸国がドイツ軍のズデーテン進駐に同意)でも更に 内心で不満を膨らませたヒトラーは、同年10月にドイツ軍をズデーテンへ進入 させたのであるから。 ●だから、ドイツ軍のズデーテン進駐はヒトラーにとっては“熱狂”の結果と いうよりも、むしろ“放棄”であった。なぜなら、それは「1939年の究極の出 来事」(8月、独ソ不可侵条約締結→ドイツ軍がポーランド侵入=第二次世界 大戦が勃発)に到達するための、事実上の「自覚的に戦争を仕掛けるプロセス」 であったからだ。そして、そのためヒトラーは「第三ドイツ帝国」の「前半の 平和な時代」に一般国民から熱烈な支持を得ておく目的で、彼らに対し『誤っ た見通しである平和の可能性への夢』を植えつける努力を惜しまなかったのだ。 つまり、「多くのドイツ国民が平和を夢見る裏側で、ヒトラーは謀略的に戦争 を目指していた」ということである(←この辺りのプロセスも、国連で積極的 平和主義の演説を打つ傍らで軍事費増強を謀る安倍首相の政治姿勢に重なるの で不気味である!←toxandori、補足)。 ●ヒトラーは、このようなプロセスで一般国民を騙し、誑かすためには、彼ら が絶大な信用をおくドイツのジャーナリズム(新聞・出版関係者)を通して 「効果的な演説」による意志の表明(ドイツ・メディアのヒトラーさま化! ←現代日本における、NHKら各種メディの“オール安倍さま化”を彷彿とさせ るw)が必要であることを明確に自覚していた。このようなヒトラーの意図の 下で、1938年11月10日の『ジャーナリストと出版業者に対する談話の発表/下 記』が行なわれたが、既に、この時、ドイツのマスコミ人はドイツ社会に拡大 した大政翼賛的な雰囲気の中でヒトラーに対する批判の言葉を失っていた。 『・・・(前、略)・・・私は、この数十年間、周囲の状況によって、やむな く殆ど平和のことばかりを口にしてきた。軍備をドイツ民族に取り戻すことが できたのは、もっぱら私がドイツの平和への意志とその計画を何度も再確認し てきたからに他ならない。この軍備は一歩一歩着実にドイツ国民のために自由 を回復し、次の段階に進むための必要条件であることがますます明らかになっ てきた。・・・(途中、略)・・・私が、ここ数年いつも平和を守ると言い続 けたのは、強いられて不承不承そう言っていたに過ぎない。当時は未だドイツ 国民の心理を段階的に変えていく必要があったのだ。また、平和的手段で獲得 できない場合は力によって獲得すべきものがあることをドイツ国民に徐々に理 解させ教育していく必要があったのだ。』(1938年11月10日のアドルフ・ヒト ラーの演説!だが、これは今の安倍晋三にこそ相応しく見えないか? ←toxandori、補足) (マイノリティに対する強力な憎悪の醸成/現代日本「在特会」の にソックリ!←toxandoria、補足) ●一般に国家全体の統一意識というものは、まさに、そこから締め出された人 々の存在があるが故に自らの限定的な意味を獲得するものだ。従って、必然的 に、そのような概念はナチ的解釈の一部にも存在しており、そこからナチの民 族差別も生まれた。やがて、ヒトラー流の「民族の純潔」を創造する手段とし て「同質民族国家の強化」ということが目的になるが、その「民族の純潔」の ために利用されたのが、例えば“同性愛者、ロマ(ジプシー)、極端な自己中 心主義者(オタク)”など、既存の偏見対象となっている人たちであった。そ して、彼らは、強く非難すべき国家の敵として「ヒトラーの国家統一」のため の補強材料として利用された。 ●それに加えて、ボルシェビキ(少数左)派の労働者と富裕階層の人々、およ び最も目に付いたユダヤ人たち(彼らは両方の階層に跨る存在であった)も国 家の敵として利用された。特に、彼らはドイツ国家の存続に害を及ぼす内外の 脅威と対決するヒトラーの大仕事と、国家の擁護者としてのヒトラーの主張を 強化するために利用された(ヒトラーは、「軍備増強(軍需経済)」と「ユダ ヤ人や富裕層から資産を収奪し再分配する」などの経済政策を行ったが行き詰 まり、やがて侵略戦争(生存権の拡大)へ突き進む←toxandoria、補足)。 ●ヒトラーの反ユダヤ主義パラノイアは大多数の一般国民のそれとは明らかに 異なっていた。一方、過半の人々がヒトラーの長所を高く評価するあまり、そ のことが当時のドイツ社会へどれほど大きなマイナスの悪影響をもたらしたか についてはハッキリ自覚されていなかった。しかも、ナチス独占のプロパガン ダが「一定範囲のマイノリティ集団」に対する露骨な嫌悪感を国民の中に強力 に叩き込み始める前から、一般国民の心には嫌ユダヤ感情が広く潜在していた。 ●第三帝国の“平和な時代”(ヒトラー総統時代の前半)にヒトラー自らが演 出した“見かけ上の成功の連続”は、更なる強い副作用をもたらしていた。 1933年以降、NSDAP(国家社会主義労働者党=ナチス党)の連携ネットワーク は、その触手をドイツ国内の殆どすべての社会組織の中に忍び込ませていた。 そして、数多のドイツ人たちがワンパターンのナチス運動の方法で強固に組織 化されていたため各連携組織の中では、まるで『接着剤で塗り固めたような頑 強なヒトラー総統崇拝の囲い込み』から逃げ出すことが不可能であった。(ま さにオウム真理教などカルト新興宗教集団の組織化の手法ソックリに見えてく る!←toxandoria、補足) ・・・以下、省略・・・ |