メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[暴政]安倍内閣(偽愛国)の決定的誤りは、正統保守に必須の二理念・・・(3/6)  2014/09/03


[暴政]安倍内閣(偽愛国)の決定的誤りは、正統保守に必須の二理念『情念統制、
論理構成』の相互補完性と国民主権ナショナリズムの無理解を恥じもせず露骨メ
ディア支配で国民扇動に只管“精”を出すこと(3/6)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140901

2 “世界最終戦争の覇者”が日本(軍国日本)であるとする田中智学の八紘一
宇の思想/平泉澄と共鳴する「強力な日本型悪性カルト」の柱

(潰えた日本型正統保守の源流1)そもそも自由民権運動は“国民主権ナショナ
リズム”であった

自由民権運動は、1874 (明治7) 年1月の「民選議員設立建白書」を契機に始まっ
たとされるデモクラシー(憲法制定や国会開設)の確立を目指す、日本で最初の
下から民主主義を求める運動であり、10数年間におよび続いたこの運動の中か
ら各地で数多くの政治結社が誕生した。そして、この流れの嚆矢は1874(明治7)
年1月12日に結成された「愛国公党」(“明治6年の政変(朝鮮・アジア政策に関
わる西郷隆盛らの征韓論をめぐる政変であり、その真相は未だに不明の部分が多い)”で下野した板垣退助らが副島種臣邸に同士を集めて結成した)であるとさ
れるが、この愛国公党は余り活発化せず自然消滅する。

そこで、板垣退助は同年4月16日に高知で「立志社」(西日本の氏族層が中心と
なった組織)を設立し、再び、反政府運動に乗り出した。やがて、全国に拡がる
自由民権運動に関わる結社を糾合すべきと考えた板垣は1875(明治8)年2月に大阪
で「愛国社」を創立したが、やがて1877(明治10)年に西南戦争(西郷隆盛を担
いだ鹿児島士族の反政府武力蜂起/士族反乱の最大で最後のもの)が起こる。

西南戦争が終結した直後の1878年9月になると、武力闘争に限界を感じて“言論と
大衆組織の動員で明治政府の専制政治(君側の奸らによる超然権力を当然視する、
異様な文化・歴史観念に囚われた政治!)を批判することの意義”に漸く目覚め
た人々が、大阪で「愛国社」を再興する大会を開催した。そして、これ以降の自
由民権運動は、政府側からの様々な弾圧を受けながらも、次第に勢力を拡大して
国会開設を要求してゆくことになった。

この自由民権運動が開始された頃の歴史で注目すべきは、その時に作られた政治
結社に「愛国公党」、「愛国社」など“愛国”の名が付けられていたことである。
現代の我々は“愛国”といえば、いわゆる右派ないしは<安倍「日本会議だら
け」内閣>を強力に後押しする偽装極右派(日本会議など)の独占であり、とて
も左派的あるいは中道的あるいは穏健保守的な活動に相応しいものとは思ってい
ないはずだ。

しかし、よく考えてみると<“歴史の教訓などは知らぬが、ありのままの日本が
好きで何が悪いのか!”と絶叫する極く少数の思考停止型“ネト・ウヨ”>らは
論外とすれば、“愛国の感情”が極右派ないしは、偽装極右派の独占だという固
定観念は可笑しなことである。例えば、「正統保守」のスタンスを重視する筆者(toxandoria/いわゆる左派でも右派でもなく(強いて旧来の分け方からすれば
中道左派か?w)に愛国心が似つかわしくないと糾弾されるのは論外である!
(w)むしろ、“ネト・ウヨ”や偽装極右派よりも遥かに深くて篤い“愛国”心
を持っていると自負している(w)。

そこで、想起すべきは第1章で取り上げた<近年、根本的に変わりつつあるフラ
ンス革命への評価>ということだ。つまり、「愛国社」を創立した板垣退助や
「愛国社」再興大会を開催した人々らが果たしてライシテやフランス革命の意義
をどのように理解していたかはともかくとすれば、これら自由民権運動の創始者
たちが、その意識の片隅に“国民主権ナショナリズム”的な考え方(正統保守へ
発展する可能性を秘めたイデオロギー!)を持っていたことは、ほぼ毎違いない
と考えられる。

しかし、残念ながら、自由民権運動の嚆矢におけるこの“国民主権ナショナリズ
ム”的な考え方の芽生えは、爾後の<偽装極右/現在の安倍“日本会議だらけ内
閣”と安倍晋三一派に重なる君側の奸(靖国顕幽論に因る“国民=戦争ロボット”
論(これが英霊・軍神靖国顕幽論の正体!)を深く信奉する狂信徒)>一派が席
巻する日本現代史のプロセスで抑圧・抹消され、今に至っていることになる。

(潰えた日本型正統保守の源流2)フランス革命と明治維新の根本的違いとは?
「自由民権運動の意義」に潜む未来への可能性の発見

既に述べたことと一部重なるが(参照、第1章)、日本の明治維新とフランス革
命を比較すると、その根本的違いは「君主」のあり方(革命に際しての処遇のあ
り方)であることが理解できる。つまり、フランス“革命”(Revolution)では
アンシャンレジーム(旧体制)を根底から崩壊させて「主権」を国王から国民の
側へ移行させるためルイ16世はギロチンで断罪された。

他方、明治“維新”(Restoration)では「天皇」の存在が前面に押し出されて
国家体制の“復活”(Restoration)が意図されたため、天皇が新国家「日本」
の「主権」者と位置付けられ、国民一般(万民)は主権者たる天皇の支配下にあ
る限りにおいて平等の権利を持つ存在と位置づけられた。従って、明治維新は
「革命」ではなく「王政復古」であり、いわゆる「一君万民」体制の定義づけ
(幕藩体制の完全否定)ということであった。

言い換えれば、明治維新では、「王政復古」を恰も「革命(革新)」であるかの
ように見せるために、擬装工作とまでは言えないとしても、敢えて“君主(天皇)
制をめぐる日本的曖昧さ”を遺すという政治的配慮が謀られたということになる
だろう。因みに、この明治維新に付き纏う日本的曖昧さを利用しつつ偽装極右の
正体を隠蔽して善良な国民層を誑かす意図で名付けられたのが今の「日本維新の
会」である。従って、彼らが同じく「次世代の党」らと共に偽装極右一派として
安倍自民党の補完役(or補完どころか擬装極右派の急先鋒!)であることは間違
いがない。

ともかくも、日本型の本格的な“国民主権ナショナリズム”の実現を掲げた自由
民権運動は、超然たる政治権力を独裁的に振るう明治新政府を<もう一つの可能
性としての「天皇の原理」(象徴天皇制というコトバこそ使わなかったが)>で
厳しく批判したのであった。つまり、その批判の矛先は明治新政府なる<一握り
の“君側の奸”が仕切る「天皇の政治利用」体制=本来あるべき正統保守として
の、“国民主権”による「一君万民」体制からの逸脱>へ向けられていたことに
なる。

そして、この根本的矛盾を内包した<一握りの“君側の奸”による「天皇の政治
利用」体制=本来あるべき“国民主権”による「一君万民」からの逸脱>は、明
治期〜戦前〜戦中〜戦後そして現在の<安倍「日本会議だらけ」政権下における
“美しい戦争(軍国主義)と原発一極型経済(軍需)政策の国民への押付け>に
至るプロセスに潜み続けており、それは今や日本の近未来の政治体制にも暗い影
を落としている。

因みに、自由民権運動の視野に入っていたと見なすべき<もう一つの可能性とし
ての「天皇の原理」>との関わりで想起されるのは、本居宣長と同時代の伊勢神
宮の神道学者(神職)、出口延佳(1615〜1690)の『天皇・人民平等論』(現代
のコトバで言えば、象徴天皇制に近い考え方!)である。近年は本居宣長の天皇
現人神論が神の代理人たるローマ教皇からヒントを得た可能性も指摘されている
が、伊勢神宮の神道学者・出口延佳は、宣長と全く正反対という意味で<神の前
での平等な恩寵というキリスト教思想>から大きな影響を受けた人物と見なされ
ており、それまでの神道学者より更に前へ一歩進んだ新しい考え方を構想してい
た。

なんと、出口延佳は日本古来の伝統神道を正しく伝える者としての誇りと使命感
から、一般的理解とは真逆の『天皇・人民平等論』を説いていたのである(出典
:小山悳子(神道学者、比較宗教学者)著『日本人の求めた元神(カミ)』‐日
本図書センター‐)。つまり、そこでは<純粋精神・多元文化主義としての皇国
史観>が現代でも通用する「正統保守/象徴天皇制下での国民主権デモクラシー
型ナショナリズム」へ深化する可能性が芽生えていたのである(関連、参照. ⇒ http://urx.nu/atS9 )。

また、このような観点は、プロローグで触れた「情念統制理念と論理構成理念」
の問題とも関わっており、それは未来への一筋の光(本格的な正統保守的な政治
観念へ発展する希望)を見せてくれることになるのだが、委細は後述する。

(潰えた日本型正統保守の源流3)自由民権運動の中核には、いわゆる“右翼″
と共鳴するという現実があった/創始期「玄洋社」の情熱の源はフランス革命型
の国民主権ナショナリズム意識!

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・・・以下は、[中島岳志著『アジア主義、その先の近代へ』―潮出版社―]を参
照しつつ、「フランス革命型の国民主権ナショナリズム意識」について考えると
ころを纏めたものである。・・・

我々のようにごく普通の日本国民が、戦前〜戦中期にわたり皇国史観一色に染ま
った歴史を振り返るとき、それら国家主義(ナショナリズム)や天皇制の問題を
十把一絡げにして理解するという、一種の固定観念に囚われてしまいがちである
のは、ある程度はやむを得ないことかもしれない。しかし、“愛国”(および憂
国)は決して“右翼の特権”ではあり得ず、同様の意味合いで“平和主義”も
“左翼の特権”ではあり得ないはずなのだ。

だから、平板な「ウヨVSサヨ」論争の次元に止まるかぎり、我々は詐称「正統保
守」派が「1%派(原子村・軍需産業等の既得権益派)」のため準備した<狡猾
に天皇を政治利用するという悪しき詭弁論>に体よく騙されてしまい、彼らの、
詭弁論の術中に回収されてしまう恐れがある。それは、安倍晋三一派ら“追憶の
カルト”の恐るべき正体が、実は<愛国と正統保守>を騙る悪辣極まりない社会
的悪性腫瘍化した偽装極右集団であるからだ。

つまり、それでは何時まで経っても日本を仕切るのが日本会議、神道政治連盟国
会議員懇談会(安倍晋三会長)ら<社会的悪性腫瘍化した国民玉砕カルト(この
みいくさ)狂いの一派>であるということになる。しかも、留意すべきは<彼ら
偽装極右派の多くが、実は“愛国と正統保守”を自らの特権であるかのごとく巧
みに喧伝する一方で、彼らがホンネでは一般国民層を支配する方便として「軍神
・英霊靖国/その核心は“一般国民を戦争ロボット視”する平田篤胤の顕幽論」
を掲げているということだ(顕幽論の委細はコチラを参照乞う⇒
http://urx.nu/biUJ および下記▼)。

▼【関連情報/注目!“靖国問題の本質が幽顕思想(顕幽論)にある”ことを客
観的に指摘した珍しい番組!/2時間番組の<録画(動画)>付!】『BSフジ
・プライムニュース:靖国問題の本質とは?A級戦犯合祀したワケ 政治と神道
をひもとく/ゲスト井上順孝 國學院大學教授、原武史 明治学院大学教授』
2014年08月12日、http://urx.nu/bng7

そこで、<愛国と正統保守の真の意味>を探るため、どうしても避けられないの
は、日本右翼の源流とされる旧福岡藩(黒田藩)士が中心となり1881年(明治14)
に結成された、アジア主義を抱く政治団体「玄洋社」の問題である。戦後、彼ら
がGHQによって「日本の国家主義と帝国主義者のなかで最も気違いじみた一派」
と見なされ解散を命令されたこと、そして彼らが戦前〜戦中期においては、<軍
事ファッショ政権と化した日本政府>に取り込まれた挙句、内外で暗躍する政府
工作員の真相を秘した過激テロ極右集団へと堕落してしまったのは確かである。

およそ「日清戦争」以降の玄洋社は、軍事政権化した日本政府の論理に取り込ま
れつつ「過激テロ極右集団」として、逆に軍部・官僚・財閥および政界へ次第に
大きな影響力を及ぼすようになり日清戦争〜日露戦争〜第一次世界大戦〜太平洋
戦争で数多の情報収集や裏工作へ関与する一方で、大アジア主義を掲げる彼らは
中国の孫文、李氏朝鮮の金玉均(キム・オッキュン/李朝時代後期の開明派とし
て知られる政治家)をはじめ欧米諸国の植民地下にあるイスラム指導者らアジア
各国の独立運動家を強力に支援するという、自己矛盾的な鵺(ヌエ)の如き存在
と化して行った。

しかし、やはり自由民権運動の一結社として出発した創始期における「玄洋社」
のイデオロギーを少し腑分けしてみると、そこには軍国主義へ急傾斜した日本政
府の詭弁論に絡め捕られてしまうより前の、つまり彼らの<行動が激しく混乱し
始める時期より前の時代における非常にユニークで優れた「先進的理念」が潜ん
でいたこと>に気づかされる。しかも、それは近未来の日本にとっても十分に参
考となる重要な発想であったと考えられる。

つまり、<玄洋社が掲げたアジア主義>には「欧米諸国がアジア諸国に対し不平
等条約を押し付けて植民地支配を拡張するのは断じて許すべきでなく、その欧米
列強の横暴な帝国主義に対抗するためアジア諸国は手を結ばなければならない。
そのため、先ず中国や朝鮮国内の封建的旧体制(アンシャンレジーム)を打倒す
べきであり、“日本・中国・朝鮮は互いに“国民主権ナショナリズム”をベース
とする新たな民主主義体制を打ち立てるため連帯すべきである“という基本的な
考え方」があったのだ。つまり、彼らは<紛れもなく、その意味でフランス革命
型の「愛国自由民権運動」のイデオロギー>から出発していたのである(玄洋社
“国民主権ナショナリズム”の顛末については、中島岳志著『アジア主義、その
先の近代へ』―潮出版社―を参照乞う)。

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