メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[暴政]安倍内閣(偽愛国)の決定的誤りは、正統保守に必須の二理念・・・(2/6)  2014/09/03


[暴政]安倍内閣(偽愛国)の決定的誤りは、正統保守に必須の二理念『情念統制、
論理構成』の相互補完性と国民主権ナショナリズムの無理解を恥じもせず露骨メ
ディア支配で国民扇動に只管“精”を出すこと(2/6)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140901

1 フランス革命は「国民主権ナショナリズム(正統保守理念)」の確立であっ
た!/“愛国”は<安倍「日本会議だらけ」内閣>の如く国民主権を無視する
“カルト偽装極右派の専売特許”ならず!

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今頃になり、日本会議ら「偽装極右派」(正統保守を騙り、かつ戦前型の狂想政
治の取戻しに拘る“追憶のカルト”の正体を隠す偽装極右国家ナショナリズム派)が、事実上、安倍自民党政権を操っていることが、漸く一般国民の間でも知られ
つつあるようだ(特に、地方紙である東京新聞・河北新報・北海道新聞・京都新
聞など、および一部の中央紙&共産党機関紙・赤旗などが関連情報を報じてい
る)。

つまりそれは、終戦後も続く「国体論(皇国史観)を巡る内ゲバ的暗闘」のプロ
セスで「正統保守」の芽が潰えてしまった(意図的に潰された?)という悪しき
状況の傍らで、自民党とその強固な支持基盤の中枢である日本会議(自民集票組
織のコア/自民基礎票1000〜1500万の約7割を固める/構成員:約3万人、加盟
団体会員数:約800万人)、神社本庁、神道政治連盟国会議員懇談会(安倍晋三
・会長/2014年7月7日現在、自民党を中心に289名の国会議員(衆議院211名・参
議院78名))、創生日本、国家基本問題研究所”など、いわゆる“詐称”保守団
体(自らの“追憶のカルト”の正体を隠しつつ正統保守を騙る一派)のなかに過
激な「国体論(皇国史観)/玉砕(このみいくさ)原理主義」だけが生き残って
きたことを意味する。

なお、特に国政選挙等で目立つ5〜6割棄権層(無関心ウロ・キョロ多数派国民
層/消極的選択で結果的に長い物に回収される“事大主義”派)は、これら“詐
称”保守(偽装極右派)を、言い換えれば日本会議らを基盤とする安倍自民党政
権を消極的ながら支持しているという自覚に欠けているようだ。従って、これら
無関心ウロ・キョロ多数派の国民層が覚醒せぬかぎり、小選挙区制の問題を脇に
置くとすれば、いくら国政選挙を繰り返しても、この悪しき日本の政治状況は変
わらぬことになる。

しかも、彼ら偽装極右派は、天皇の政治利用を良しとする、そして必要であれば
玉(天皇の首)のすげかえすらも良しとする非常に強欲な特権意識(天皇の政治
利用を当然視するご都合主義で身勝手な皇国史観を掲げる君側の奸に特有な)に
囚われた狂想カルトであるうえに、一般の日本国民を玉砕戦争(このみいくさ)
の手駒(靖国英霊配下の戦争ロボット的存在である一般国民に基本的人権はな
い!)と見なしている。だから、原発事故なども自らの身に大きな被害が及ばぬ
限り屁のカッパ!ということになる(安倍政権の背中を押し続ける日本会議ら
「偽装極右ナショナリズム派」の委細については、下記ブログ記事◆を参照乞
う)。

◆[暴政]「日本会議」問題! 強弁『国体の本義』(昭12)で天皇を現人神へ再
び祭り上げた超然クーデタそっくり!ムリくり『集団的自衛権憲法解釈』閣議決
定の安倍総理は美しい「このみいくさ」取戻しを謀る「追憶のカルト」http://urx.nu/aCs3

(フランス革命の歴史は、ライシテ(フランス型の厳格な政教分離原則=“国民
主権ナショナリズム”の受け皿としての公共観念)完成へのプロセス)

フランス革命で「人権宣言/人間と市民の権利の宣言、フランス革命の基本原則」(1789)が書かれた後のフランスの政治体制は18〜19世紀をとおして共和制、帝政、
反動体制、復古主義、第二帝政、共和制・・・という具合で目まぐるしい紆余曲
折を繰り返す。そして、概ねこれは最高政治権力をめぐる<王党派と共和派の揺
り戻しと奪回の暗闘の歴史>であるが、その根底には.「キリスト教(カトリック)」と「政教分離の原則」の対立軸が複雑に絡んでいた。

このプロセスの終わりごろ、つまり1870年代(第三共和制の時代)になって漸く
“政教分離の原則に基づく政治と宗教の具体的なあり方を規定する言葉”として
ライシテが造語(ローマ・カトリック教会権力に対抗する“世俗的、俗人的”を
意味するlaiqueを名詞化してlaiciteとした)された。

この時に意図されたのは、“国民主権ナショナリズム”の受け皿としての公共空
間を法制的に確保することで、フランス国内で安定的に政治と宗教を共生・共存
させることである。そして、このライシテが初めてフランス共和国憲法の中に現
れ、「公共空間・公共意識と宗教の分離」が厳格に謳われたのは、パリコミュー
ン(1871)後に制定された「第三共和国憲法」(1875)が1884(明治17)年に改正さ
れた時であった。因みに、それに少し先立つ1880(明治13)には日本で「愛国
社」が「国会期成同盟」と改称しており、1881(明治14)年は国会開設の詔
(1890年を期して国会開設・憲法発布を約した勅諭)が出された(愛国社につい
ての委細は後述/参照⇒“第2章‐(潰えた日本型正統保守の源流1)”)。

(実は1884年のライシテ完成(憲法上)で決着するフランス革命の勃発は“正
統保守”的価値観の基盤となる“国民主権ナショナリズム”意識の誕生であった
/近年、根本的に変わりつつあるフランス革命への評価)

一義的に定義し難いとされる「ナショナリズム(国家主義)」であるが、ごく一
般的に見ればそれは“古代から続く一貫した国民意識である”とする“よく考え
るほど掴みどころのない定義”が常識とされてきた。そして特にその傾向は日本
の「皇統一系と純粋大和民族を前提とする皇国史観ナショナリズム」で強く意識
されてきた。そして、それこそが「皇国史観に基づく戦前型“国体論”の決定的
欠陥」である。

また、わが国における戦後の歴史学は、戦前を一括りに批判しつつ一本調子でバ
ッサリと「皇国史観」を糾弾する傾向が強かった。つまり、それがマルキシズム
の左派であるか否か、あるいは温厚な中道(欧米流民主主義(新しい社会の発見)
を尊重する派である)か、または内向的右派かなど立場の違いを問わず、ともか
くも<戦前の皇国史観、軍国主義史観、米英打倒史観が日本国民の合理的ものの
考え方を歪め、抑圧してきたのだから戦前の体制は全て誤りだった>という観点
で戦前を十把一からげに、かなり乱暴に批判してきた。

しかし、このように大雑把な視点から単純に一括りする批判では、例えば三井甲
之の思潮の変遷でその典型事例が観察されるように(関連参照⇒既出ブログ記事◆)、戦前の皇国史観(国体論)の中に、その後の展開しだいでは、現在の<安
倍「日本会議だらけ」内閣>の如き擬装民主主義(国民主権の否定を下心とす
る!)や偽装極右ではなく、多数派の一般国民層が率直に受け入れることが可能
な<立憲国家たる象徴天皇制の下で天皇家の精神基盤である伊勢神宮が象徴する
日本の伝統文化を尊重する「国民主権デモクラシー国家」が成立し得るという、
「日本型の冷静な正統保守思想」の創出に至る可能性が潜んでいた>ことは見落
されてしまう。

しかも、そのような意味で戦前〜戦中〜戦後期に一貫して存在した<正統保守的
(国民主権デモクラシー的)な“ものの考え方”の芽生え>が一般国民と主要メ
ディアの意識で明確に捉えられ、それが広く一般国民の中で着実に共有されるこ
とはなく、残念なことにそのまま見過ごされてきた。しかも、そのことが災いの
元となり、現代日本では<正統保守(国民主権を最重視する正統保守的な“もの
の考え方”)と偽装極右(安倍政権の背後霊となっている日本会議らの国民主権
否定派)>の区別がつけ難くなっている訳だ(委細は既述のブログ記事◆を参照
乞う)。

ところで、フランス革命に関する研究の深化とともにフランス革命に関わる根本
的見方が変わりつつある。その典型が「フランス革命の勃発には“国民主権ナシ
ョナリズム”の誕生の意義が関わっていた」という主張だ。そして、実はこのこ
とが「正統保守的な“ものの考え方”」と無関係ではない。というより本来であ
れば“国民主権ナショナリズム”こそ愛国的「正統保守」と見るべきなのだ(ラ
イシテ(フランス型の厳格政教分離原則)完成までのプロセスと、その委細はコ
チラを参照⇒2014-07-01toxandoriaの日記、http://urx.nu/boxR )。

もっと言えば、旧来の「ウヨVSサヨ」論争なるアナクロで視野狭窄な<左派or右
派の尺度(イデオロギー)に従うものの考え方>でリアルな政治・経済政策を計
画化する手法は、今や通用しなくなったと見るべきだろう。

しかし、残念ながら、現実の日本は<“歴史の教訓など知らぬが、コノありのま
まの日本が好きで何が悪いのか!”と絶叫する“過激ネトウヨ”シンパ(極く少
数派)、および“誤った皇国史観(追憶のカルト)の取戻しを謀る日本会議ら”
(安倍内閣の支持基盤/約1000〜1500万人規模の偽装極右)の如く特異な追憶の
カルト・イデオロギー(玉砕テロリズム意識)に被れた絶対少数派(全有権者対
比で高々10〜15%程度の少数派)>が篤く支持する<資本主義経済の核心(要諦
部分)を決定的に無視した原発一極推進型の異常な軍需経済政策/アベノミク
ス>が堂々と罷り通る<超異常な社会>となっている。

(“国民主権ナショナリズム”を論じた典型は、アーネスト・ゲルナーと、著書
『想像の共同体』でナショナリズムの常識的定義を覆したベネディクト・アンダ
ーソン)

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ところで、“国民主権ナショナリズム”を論じた典型は、アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner/1925-1995/チェコとイギリスで活躍した歴史・哲学者、パリ
生まれのユダヤ人)と、著書『想像の共同体』で“古代から続く一貫した国民意
識であるとするナショナリズムの常識的定義”を覆したベネディクト・アンダー
ソン(Benedict Richard O'Gorman Anderson/1936年- /アメリカの政治学者)
である。

ゲルナーは、著書『民族とナショナリズム』で「ナショナリズムとは、もともと
存在していないところに“国民”を発明することだ」と定義しており、片やアン
ダーソンは著書『想像の共同体』で、ナショナリズムの起源を「出版資本主義」
(プリント・キャピタリズム/出版の普及とともに国語化してゆく世俗語を重視
し、その誰でもが理解できる国語で“国家の宿命や将来”を説くことで、その国
の“想像の共同体”としてナショナリズムが喚起されると考えること)の中に発
見している(委細、参照下記▼)。

▼松岡正剛の千夜千冊/ベネディクト・アンダーソン:想像の共同体、http://1000ya.isis.ne.jp/0821.html

要するに、フランス革命では、“政教一致と王権神授説(絶対王政)に基づく国
王(国家の主権者)を頂点とするアンシャンレジームの論理”が完璧に否定され、
国民であれば誰でもが平等な主権者であり、彼らは皆等しく出自や身分に関係な
く政治に参加(自律的に、分に応じて物事を考えることが)できるようになった
訳だ。つまり、「国家は主権者たる国民のものだ」という新たな“国民主権ナシ
ョナリズム”の論理が、アンシャンレジームの論理に取って代わったことになる。

が、ここで特に留意すべきは、フランス革命で創造された新たな“国民主権ナシ
ョナリズム”の論理が、フランス語(その歴史は8世紀後半頃の古フランス語、
北部フランス(フランク王国の一地方)で一般の人々が使っていた言葉まで遡る
ことができる)とフランスの歴史、および「8〜9世紀頃のフランク王国由来のフ
ランス伝統文化」を否定するどころか、むしろ高度に、かつ個性的にそれらのレ
ベルを高めてきたということだ。

「国家は国王のものであるというアンシャンレジームの論理」はフランス革命で
完膚なきまで否定されたが、そこで「新たに創造された“国民主権ナショナリズ
ム”の論理」は、逆に、フランスの歴史と文化をフランス国民の豊かなアイデン
ティの中枢的構成要素として、誇り高く捉え直し、フランス革命から現代に至る
までの凡そ200年を超える時間の中でフランスの優れた伝統文化をより一層洗練
されたものとするため立派に機能してきたことになる。

つまり、ここで観察されるものこそがフランス流の「正統保守」の姿であり、そ
れは今や「サヨVSウヨ」なるアナクロで表層的なイデオロギー論(無論、左派・
右派の名称は残っているが)では理解できないものとなっている。因みに、メル
ケル政権下で強力な国民意思が<脱原発の方向性/良き「情念」統制理念>や
<法人税減税とバランスを取った一種(広義)のエロージョン(税収欠減構造)
対策(結果的に税収が増える!)/「論理」構成理念>を決定した「ドイツの正
統保守的なものの考え方」も、その意味ではフランスとほぼ同じである。

(関連情報)

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■これは、法人税減税とバランスを取った一種(広義)のエロージョン対策(結
果的に税収が増える)でもあり、ドイツ正統保守(メルケル政権)が勝利(社会
民主党の公正を求める価値感と調和し、ドイツの政治経済が進(深)化)した
証!⇒ドイツ初の最低賃金制導入、来年から時給1200円704AFP  http://urx.nu/axFO ・・・以下、同記事内容(704AFP)の転載(省略)

・・・

ともかくも、驚くべきことだが日本では「国民主権を前提として日本の歴史と文
化を尊重するという意味での正統保守的なものの考え方」、つまり“国民主権ナ
ショナリズム型の誇り高い愛国”の論理の意義については殆ど意識されていない。
それどころか日本会議ら偽装極右派の「国民ロボット視」戦略が見事に功を奏し
て、殆どの国民は「正統保守」と「偽装極右」(安倍様のお友達一派、日本会議
など、自らの“追憶のカルト”の正体を隠蔽して“正統保守”を騙る意味での偽
装極右)の区別がつかないという真に情けない、一種の非常にバカげた社会状況
の中に放り出されている。

そして、そもそも「大日本帝国憲法の“政教分離の原則(信教の自由)”」が明
治政府の強権的“憲法解釈”によって“国家神道”と矛盾しないとされたこと、
および文部省『国体の本義(昭和12)』(文部省(現在の文科省)が明らかな屁
理屈(神憑る皇統一系論)をムリくりに権威ある合理的“国策文書”と定義付け
たもの!)による昭和天皇の現人神への本格的“祭り上げ”こそが、今に至る日
本の全ての誤りの元凶であり、それを更にダメ押ししたのが<“太平洋戦争”開
戦直後の神憑り戦争への補強デマゴーグ>である。つまり、それは、これ又“文
部省”謹製の『日本世界観と世界新秩序の建設(文部省)/要は“日本こそが世
界の救世主である”とする文部省謹製の非常にバカげた国民洗脳ツール』
(参照、↓*)であった。

<注記>*『日本世界観と世界新秩序の建設(文部省、昭和17)』

・・・明治末以降に冷静な古代史研究が進み、皇国史観の基礎となる神代と歴史
の間に境界線が引かれつつあることに危機感を持った時の「超然軍事政権」は、
これに反撃を加えるため『日本世界観と世界新秩序の建設(文部省、昭和17)』
を発表した。ここでもムリくりの屁理屈が展開されており、神代に始まる「皇統
一系万世不易」が国策理念として確定し、これが爾後の「このみいくさ(国民玉
砕型“聖戦テロ戦争”)」の絶対不可侵の指針とされた。http://urx.nu/b1li

また、この時には「単一大和民族(攘夷論の一つの根拠)」論が前提とされてい
たが、昭和10年代〜戦中期は軍部の露骨な政治介入で「天皇の政治利用」の傾向
が強まり、東アジア植民地獲得(帝国主義)を支える「日本人混合民族論」へ急
傾斜している。しかも、興味深いことに、終戦後は、再び左派・右派の別を問わ
ず「単一大和民族論」が主流となった。いわば簡単に科学的検証の結論など出そ
うもない「日本民族」出自の問題は、これもご都合主義的に、政治権力によるム
リくり解釈が繰り返されてきたことになる。

つまり、東アジアでの植民地獲得政策を積極的に拡大させたため、それ以降は、
今までの皇国史観に因る日本の歴史と決定的に異なる困難な事態を抱え込むこと
になった訳だ。その事態とは異民族の同化をめぐる伝統「国体論/皇国史観」の
有効性についての議論であり、その核心に潜むのは<近代日本の伝統トラウマで
ある『世界に誇るべき純血単一大和民族』なる妄想>と、<異民族統治の正当性
を主張するための「ネオ国体論」(次々と新たに獲得する植民地と異民族につい
ての同化政策を視野に入れた新たな屁理屈の要請」>の相克ということである。

ところで、終戦後におけるその最悪の終着点が<“平和憲法を破棄して、美しい
自爆テロ戦争(このみいくさ)ができる戦前の日本を取り戻すべし!”との驚く
べき平泉澄の主張>であり、その<狂信カルト>の囁きは、1954年(昭和32)6
月30日に首相(吉田茂)官邸で行われた「自民党憲法調査会第二分科会」におい
て自民党国会議員らの心の奥深くに流し込まれたのであった(具体的には、後述
する『3 田中智学「八紘一宇」は、安倍「日本会議だらけ」内閣(追憶のカル
ト)の中枢に潜む平泉澄「皇国史政治観(聖戦玉砕このみいくさ)」を補完する
もう一本の狂信の柱』を参照乞う)。

なお、この<超然たる行政権力が司法(司法の概念と天皇の位置づけ)と国民主
権に優越するという民主主義国家にあるまじき“悪しき近代日本の伝統(慣行)
=いわゆる『閣議決定万能論』や『玉(天皇の首)のすげかえも辞さぬ“天皇の
密教型政治利用”』>など“超然権力の行使を当然視する日本的で異様な考え方”は、直近の<安倍内閣のムリくり憲法解釈変更による集団的自衛権行使の閣議決
定、あるいは遣り放題の秘密指定を睨みつつ意図的に秘密指定の内容(指標)を
具体化せず、しかも骨抜き監視制度をゴリ押しした“アベ式特定秘密保護法の制
定”>などの特に異様に目立ったケースに止まらず、今もわが国の政治・行政の
凡ゆる局面で当然視されている訳だ!

そして、その戦前型の悪しき「追憶のカルト」の土壌を抜け目なく提供しつつ、
国民へ向けて悪徳に満ちた洗脳の風を執拗に送り続けているのが、事実上、平泉
澄と靖国顕幽論の受け皿である“日本会議、創生日本、国家基本問題研究所、神
社本庁、神道政治連盟国会議員懇談会”ら“詐称”正統保守団体である。

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