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[暴政] フランス「原発依存大幅引下の決断etライシテ」とフクシマを無視し 「美しい戦争と世界一安全な原発」を取り戻す安倍政権の脳髄が「靖国&複合 カルト」汚染なる倒錯型「超リスク」の深層(11/n)http://urx.nu/9MQ1 3 「正統宗教・文化VSカルト」の闘いは、「人格系パ−ソナリティVS発達系 パ−ソナリティ」の投影 3−1 人格系パ−ソナリティVS発達系パ−ソナリティの投影とは 一般に世の中で起こる対立や誤解の直接的原因は様々であるが、各々の状況が 深刻化するプロセスで共通に観察されるのが、この「人格系パ−ソナリティVS 発達系パ−ソナリティの投影」という問題だ。つまり、それが高じると、いわ ゆる“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!/それに関わるすべてのものが憎くなる” ということになる訳である。なお、「人格系パ−ソナリティ」は、発達ととも に後天的に獲得形成される人格と言う意味でのパ−ソナリティ、つまり顕在意 識化した自我のことで、「発達系パ−ソナリティ」は、人格形成のベースとな る(自我発達の基盤となる、最深奥の無意識層から“より大きな統制”を受け る)、殆ど無意識に近い自我と考えておけばよい。 ところで、このときに憎む方が相手の中に見ているのは、相手の顔の表情や身 体全体という物的な存在や、いま其処にある実際の心の有り様などではなく、 憎む方が自分の「心の中のスクリーンに映る虚像」を見つめつつ、それを激し く拒絶していることになるのであり、これが「臨床(深層)心理学」でいう投 影または投影同一視ということである。 つまり、そこでは相手(実は自分の心)の中にある虚像を実体が実在するもの と錯覚されているのだが、この投影そのものは異常でも何でもなく、誰もが普 通の日常生活で見ているものだ。しかし、この投影そのものは殆ど無意識の中 で行われるので、その本人が相手の中に“自分自身の心の中の一部分”を見て いることには、なかなか気づきにくい。そのうえ、この虚像の中にあるのが、 自分の無意識の中にある何らかの対立と葛藤であるのだから厄介なことになる 訳だ。 そこで、このなかなか自覚しにくい自ら(無意識)の心の中の対立・葛藤のモ デルとして考えられるのが「人格系パ−ソナリティVS発達系パ−ソナリティの 投影」ということである。敢えて「人格系パ−ソナリティ」の特性を纏めると、 それは“将来に不安を感じたり、自らの過去や、そこでの“恥ずべき!あるい は失敗した!”と思うようなことに悩んだり・・・と、あれこれ葛藤し、それ を自覚しつつ、ともかくも目先の現実に対応できるように努め、周囲に気配り しながら、うまく現実的に生きてゆくという精神の有り方であり、かつ、その ような前向きの自分をどこまでも愛するという意味で自己愛的傾向が強く現れ るパ−ソナリティである。 他方、「発達系パ−ソナリティ」は、“目前のことにすぐに熱中してしまい、 ほとんど無意識の衝動に流され、ほどほどで切り上げることができず、その熱 中することに悩むことはなく、何よりも周囲に対する気配りが上手くできない (いわゆる、上手く世間や周囲の空気が読めない!世渡りがへたくそ!)とい う精神の有り様である。そして、ここで注意すべきは、これら二つのパ−ソナ リティそのものに±の評価を一概には付けられない難しさがあるということだ。 つまり、ここで言う「パ−ソナリティ」はモデル的概念であるから、100%そ うだという人はなかなかいないはずであり、普通はこれら二つの典型的パーソ ナリティ成分が程々に配分された混ぜこぜの人格となっている。しかし、ここ で言う何れかのパーソナリティへ大きく偏向していれば、それは異常人格障害 となる可能性が高くなる(以上は、老松克博著『人格系と発達系/対話の深層 心理学』―講談社選書メチエ―を参照して纏めた)。 ところで、少し見方を変えると、この二つの中で特に重要と見るべきは「発達 系パ−ソナリティ」である、と考えられる。それは、「発達系パ−ソナリティ」 が自分自身の中の無意識的で未分化な発達的側面の投影であると見なすべきだ からである。つまり、無意識的で未分化な発達的側面の投影であるということ は、更にそれが、ユング心理学で言う深層心理(個人的無意識)から社会的・ 集団的・伝統文化的無意識へと拡がり、広く社会全般、グローバリズム世界か ら森羅万象の根本までと、どこまでも無限に拡張する可能性を孕む概念(これ は単純に善悪の価値判断で捉えることが不可能な領域!)となるからだ。そし て、このことは「人間のインターフェースが100%自覚的であることの方が不自 然だ」という現実からも理解できる。 いずれにせよ、このような観点から俯瞰すれば、いわゆる「いじめ問題」、あ るいは今の日本が嵌っている「深刻な中韓との外交ジレンマ(明らかな外交交 渉の失敗)」や「レイシズムやヘイト・スピーチ問題」なども、臨床心理学 (or精神医学)でいうところの<人格系パーソナリティ(例えば正統保守的中庸 に共感する感性)VS発達系パーソナリティ(例えば極右・極左・カルト・テロリ ズムなどに共感する感性)が葛藤・闘争するパラドクス構造の克服>の失敗だ と、見立てることができることになる。 そして、特に括目すべきは、<「発達系パ−ソナリティ」へのカルトの影響> なる臨床心理学上の知見と、フランス政府が<カルト化したフランス原子村の 呪縛>を解いたこととの関わりということである。外形的に両者は全く無関係 に見えるかも知れぬが、そうとは言えないようだ。つまり、先に[1−3]で取 り上げた「カルト化したフランス原子村」の問題(今回、仏政府は、そのカル ト化したフランス原子村の呪縛を解くことに成功した!)は、次のように理解 できるからだ。 ・・・フランスが、「エネルギー転換法」で原発依存度の大幅引下げ決断!を 発表したことの背景にあるのは、<オランド政権が、ポスト3.11フクシマ原発 過酷事故における首尾一貫したフランス国民の意思(反・脱原発意思7〜8割 が持続している)に真正面から答えて、低迷する支持率回復へ打って出た>こ とを意味する。 ・・・過半超の日本国民も、ほぼ同じような「反・脱・縮原発の意思」を持ち 続けているものの、実際には<安倍政権によるムリくり原発再稼働&推進>を 止められないという現実に見られるとおり、全くフランスとは真逆に進んでい る。そして、それは何故かを考えるとき、無視できないのが、やはり<政治権 力に対するカルトの影響の問題>がある。更に、日本国民一般が仏ライシテ型 の厳格な政教分離原則の重要な意義について無頓着か殆ど無知であるという条 件も加わる。 ・・・カルトの問題が厄介なのは、それが人間(一般国民)の潜在意識層へ浸 透・介入して、臨床心理学でいうところの<人格系パーソナリティ(例えば正 統保守的中庸に共感する感性)VS発達系パーソナリティ(例えば極右・極左・ カルト・テロリズムなどに共感する感性)が葛藤・闘争するパラドクス構造の 克服>へ大きなマイナスの影響を与えることだ。 ・・・因みに、「発達系パーソナリティ」は、必ずしもマイナー価値と見るべ きものではなく、いわばそれは善悪が混然一体化した、どこまでも奥深く、そ して豊かな無意識の潜在イマジネーション活動の世界(絶えず、新しいものを 想像し、かつ創造するパワー源、生命個体としての人間が前向きに生きてゆく ための精神的エネルギー源)と見るべきものである。それに対して「人格系パ ーソナリティ」は、あくまでも現実に軸足を置く、自覚的かつ自己愛的なリア ル・イマジネーション活動である。 ・・・そもそも、サンディカリスム( Syndicalisme/経営中枢に対し組合の 影響力が大きいという仏革命以降のフランス資本主義の特性)とデリジスム(Dirigisme/国家が社会諸階層の利益対立のなかで一定の経済政策を打ち出 し、国民の.承認を得つつ国家統治の方向づけを行うシステム、言い換えれば 政府介入型の修正資本主義)の伝統を持つフランスでは、ライシテ(厳格な 観念同時的意味での政教分離原則)の観点から、政治権力のカルト汚染に対し ては非常に厳しい目を持ってきた。 ・・・それにも拘らず、事実上、原子力科学を一手で牛耳るエリート官僚層 (INSTN(国立原子力科学技術学院http://www-instn.cea.fr /ここは大学 やグランゼコールを出てから進む専門教育機関)卒の特権官僚)と政界・財 界・電力系大労組等の野合の上で増殖したフランス原子村も、日本の<靖国 &原発Wカルト>と同じく、政・財・電力(原子力系)大労組の野合の上でフ ランス原子村として絶対的に君臨してきた(日本と同じく、原子力科学が 「カルト勢力/カルトの呪縛」化してきたということ!)。 ・・・結局、<アベ靖国&原発Wカルト汚染政権>下における日本とフランス が決定的に異なるのは、以下の点だ。それは、あわや紙一重のところでフク シマ3.11原発過酷事故の原点を冷静に凝視しつつ、ライシテの伝統を絶対に捨 てない強固で健全な一般国民の意思が<人格系パーソナリティVS発達系パーソ ナリティが葛藤・闘争するパラドクス構造の克服>の場面で決定的な役割を果 たし、その結果としてフランスが、日本と真逆の現実的な<縮原発>の方向へ 確実に舵を切ったということである。 |