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[暴政] フランス「原発依存大幅引下の決断etライシテ」とフクシマを無視し 「美しい戦争と世界一安全な原発」を取り戻す安倍政権の脳髄が「靖国&複合 カルト」汚染なる倒錯型「超リスク」の深層(5/n)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140701 2−2 安倍さまのお友達らが必死で学ぶべきプレ『政教分離』のエピソード /コンスタンツ宗教会議(1414〜1418)におけるポーランド問題 (ポーランドの歴史から一貫して教えられること) 【参考画像/ショパンの生家】 ・・・ワルシャワから西へ50kmの小さな町、ジェラゾヴァ・ヴォラにフレデ リック・ショパン(1810 -1849)が生まれた家があり、今は博物館となって いる。 ピアノの詩人ショパンのことだけではないが、歴史文化的・政治(啓蒙)思想 的にフランスと関係が深いポーランドの歴史から一貫して教えられるのは、個 人と、その対極にある国家との非常に過酷な緊張関係が存在してきたというこ とである。言い換えれば、それは「私」と「公」との間の<歴史時間的スパン の苛烈な鬩ぎ合いの継続>がポーランド史の一貫した特徴であるということだ。 20世紀において「ポーランド国家」が成立していたのは僅か33年間(両大戦間 期21年、1989年以降は今年で漸く26年になる)のみで、同じく19世紀は驚くな かれ同0年(その全てが外国列強の占領・支配による三分割期)、18世紀は同 71年間(1772年の一次分割以前)だけである。 つまり大国であった「ポーランド・リトアニア連合王国(1385〜1569)〜同連合 共和国(1569〜1771(95)/両者とも多言語・多民族共存時代)」を除くポーラ ンド人の歴史では、<個人>と<国家>の立場(関係)が殆ど<国家⇔国民> という形で一致・対応しないことが多く、両者の関係プロセスでは常に厳しい 意識的選択(自律したポーランド国民としての自覚)が求められ続けてきたこ とになる。 このため、それ故にこそ(逆説的になるが!)ポーランド人の歴史においては 「強力な統一権力の象徴である国家」と「戦略的に個人の名誉と誇りを守ると いう意味での自由意志」が<全く対等な関係>を持続できたということにもな り、このことは世界史的に見ても、欧州史としても、稀だというより非常にユ ニークである。 より厳密に言えば、それは、国家が消滅すること自体は歴史的に珍しいことで はないが、<ポーランドとしての一定の国家観念を特に「観念同時」的に共有 する個の集団=シュラフタ層の人々>が、その何度も消え去った<外国の占領 下とはいえ先験的な民主主義を実現した理想の祖国/1791年5月3日に議会(セ イム)で採択された『5月3日憲法』はフランス革命(1789)に先立つ出来事で ある>を長大な歴史時間の中で共有観念的にシッカリ持続させ、しかも最終的 に見事にそれを<現実の民主主義国家として>復活させたというユニークさで ある。 その歴史的に長大な時間のなかで、<シュラフタ層の人々>に強靭な持続力を 与えたのは、他でもないポーランドに特有な、この「ポーランド型自由原理」 に関わる強い意志であった。そして、この個性的な「ポーランド型自由原理」 の現実的な制度化の第一歩が1652年のセイム議会で成立した「リベルム・ウェ ト(自由拒否権)」であった。それ故に、これ以降のセイムでは一人の議員が反 対すれば、審議自体が停止することとなったのである。 一般的な意味で、この「リベルム・ウェト」がそれ以降のセイム議会を機能不 全に陥らせ、それがポーランド国家の存亡を左右したという現実も全く否定は できないかも知れぬ。しかし、この完全合意の国家運営が当時の不安定な多民 族国家の崩壊を防いだという事実も見逃すことはできない。しかも、この「自 由拒否権」は、現代の国連安全保障理事会における常任理事国の拒否権として 生かされている民主主義の一つの知恵のあり方でもある。 プロイセン・オーストリア・ロシアの3国による第一次ポーランド分割(1772) が行われた後の1791年(第二次分割は1793年)に“ヨーロッパで最初の成文憲 法”である「5月3日憲法」が制定され、そこで多数決制が導入されたため、 この「自由拒否権」は廃止された。なお、この「自由拒否権」に近い民主主義 の合意形成のあり方は、相互拒否権(アラーム・ベル/実態は、強力な意義申 し立て、あるいは警告権)として「補完性原理」(国家統治と地方自治の均衡 を保証する原則)を重視するEU憲章・ベルギー憲法などに採り入れられてい る(参照 ⇒http://urx.nu/9DO9 )。 ところで、この欧州初の民主憲法であるポーランド「5月3日憲法」は、国王 とマグナート・シュラフタ(大貴族)の権利制限(上位権力に対する授権規範 性)、資産制限は伴うものの氏素性(生まれ)に無関係な参政権、国権最高機 関としての国会、地方主権(補完性原理)、国民主権などを定めた非常に先進 的かつ画期的なものであった。 |