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[暴政] フランス「原発依存大幅引下の決断etライシテ」とフクシマを無視し 「美しい戦争と世界一安全な原発」を取り戻す安倍政権の脳髄が「靖国&複合 カルト」汚染なる倒錯型「超リスク」の深層(4/n) http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140701 2 仏の政教分離原則「ライシテ」と仏「エネルギー転換法/原発依存大幅引下げ!」/日本でもカルト政治の洗脳を解く(アンチ呪縛の)ため、「ライシテ (厳格政教分離の観念同時)」の理解が肝要、との教訓! 2−1 フランスの政教分離原則『ライシテ』/左右派イデオロギーの垣根を超 えた「正統“宗教・文化”VS“カルト”」の防波堤(神と悪魔が紙一重である ことの国民共通理解が徹底) (政教分離の原則に無頓着な安倍晋三・一派のアナクロニズムは世界の中の孤 児であり、日本国民の恥!!) 「フランスにおける立憲民主主義(政教分離の原則)の確立」までのプロセス (一応、2004年を完成期と見なすとして)から我われ日本国民が学ぶべきポイ ントは、フランス革命(1789)から実に約230年もの長きに及ぶ<民主主義の 基盤(その根本としての“政教分離の原則”についての観念同時的な理解)を 普及・完成させるまでの長大な歴史時間をフランス国民は持続的・歴史的に受 け入れてきた>という現実があることだ。 この歴史的事実と、それを徹底的に理解するまでに要した長大な時間と比べれ ば、<太平洋戦争の過酷な犠牲を経て漸く手に入れた立憲民主主義憲法・・・、 それが出来てから僅か70年足らずで、今度はその日本国憲法を『政治が何も決 められないミットモナイ憲法だと衆愚(ポピュリズム)迎合的観点からこき下 ろし、「憲法改悪と解釈改憲」を謀る安倍晋三首相の率いる自民党政権が如何 に幼稚で奇怪な反歴史イデオローグ(全体のための個(国民一人ひとり)の存 在意義を根底から否定する靖国顕幽論ご用達のカルト・イデオローグ!)であ るか』が理解できる。 つまり、安倍晋三・一派は、世界の孤児にしか見えない異様なアナクロニズム ・カルト(靖国顕幽論)の狂信徒である。付け加えれば、彼らは決して国民の 側に立つ正統保守の代表などではなく、日本原子村、日本会議、創生日本ある いは神道政治連盟国会議員懇談会などに連なる、ごく一握りの特権的な、複合 カルト汚染状態の実行権力層・代理人たる擬装極右集団に過ぎない。 (フランスにおける政教分離原則の概要) 「自由、平等、博愛」などフランス共和国憲法の理念の根底の、より奥深い所 に置かれた礎石が「政教分離の原則」である。「政教分離の原則」は、ヨーロ ッパにおける市民革命の変遷の中で、次第に明確な意識となり析出してきた概 念であり、その具体的なあり方は国によって異なるが、フランスの「政教分離 の原則」が最も厳格なものとされている(画像は参考イメージ/当記事の内容 とは無関係です!)。 それには、フランス革命以前のアンシャンレジームの殆んどが、事実上、カト リックの高位聖職者たちによって牛耳られていたことへの反動とする説もある が、フランスの「政教分離の原則」のルーツはフランス革命の時に出された 「人権宣言/Declaration des droits de l’homme et du citoyen」(1789年8月 26日)まで遡る。そして、この「人権宣言」には、「政教分離の原則」について 凡そ『次のような意味の記述』がある。 『“国家は人の自然権(人権の根本)を保全するための永続的に消滅すること がない体制(民主憲法に支えられた)”である。また、国家は世俗的目的(現 代風に言えば公共空間or市民社会)を実現するための政治的団結であり、それ は神への喜捨や神の意志(神の真理)への奉仕にではなく、自由で平等な自律 的個人の意思の上に基礎づけられたものである。ここで考えられる個人は、 <信教の自由を持ち、宗派にかかわりなく平等である>ことを保障された、そ して諸宗教から解放された世俗的存在(現代風に言えば、公共空間で生きる自 律した市民)である。』← 従って、自民党「日本国憲法改正草案」の如く 「基本的人権(生存権)を削除する/律令制時代へ回帰するつもり?」のは狂 気の沙汰である。 ところで、フランスの「政教分離の原則」を表わすライシテ(laicite)とい う言葉がある。これは、<宗教からの厳格な独立を意味する言葉であり、国家 体制と市民の公共空間から一切の宗教性を排除することで、逆に市民個人の私 的空間における信教の自由を保障するという考え方>である。また、これは移 民同化政策の根本ともなっており、英米流の「アバウトな共存を前提とする政 教分離」や日本の「殊更に曖昧模糊としながら激しい差別意識を隠し持つ政教 分離」とは異なる厳しい定義で、特に「靖国神社参拝」問題(これは、宗教と いうよりも顕幽論カルトの問題!)などが頻繁に起こる日本とは対極にある考 え方だ。なお、この言葉の歴史上の初出は1870年代の初め頃とされている。 「人権宣言」(1789)が書かれた後のフランスの政治体制は18〜19世紀をとおし て共和制、反動体制、復古主義、帝政、共和主義・・・と言う具合で目まぐる しい紆余曲折を繰り返す。そして、概ねこれは最高政治権力をめぐる<王党派 と共和派の揺り戻しと暗闘の歴史>であるが、その根底には.「キリスト教 (カトリック)」と「政教分離の原則」の対立軸が複雑に絡んでいた。 このプロセスの終わりごろ、つまり1870年代(第三共和制の時代)になって漸 く“政教分離の原則に基づく政治と宗教の具体的なあり方を規定する言葉”と してライシテが造語された(ローマ・カトリック教会権力に対抗する“世俗的、 俗人的”を意味するlaiqueを名詞化してlaiciteとした)のである。そして、 この時に意図されたのは、フランス国内で安定的に政治と宗教が共生・共存す ることであり、未だその頃は外国から入って来る移民の問題は想定されていな かった。そして、このライシテが初めてフランス共和国憲法の中に現れるのは、 「パリコミューン(1871)後に制定された第三共和国憲法(制定1875)が1884年に 改正された時」である。 <補足>フランスのライシテについての理解を深めるには、さらに『19世紀以 降のフランスにおける政教分離の原則に関する法制関連のトピック』を概観す べきだが、スペースの関係から省略するので、その委細はコチラを参照乞う。 ⇒ [2013-06-20toxandoriaの日記/首脳会談で露呈した日仏「原発推進」の 病理、そこで突出するfoolhardy安部晋三「憲法改悪&アンチ政教分離」の意 思] http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130620 |