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タイトル:雲は遠くて <120> 33章 新井幸平の誕生パ−ティー (2)  2014/03/16


33章   新井幸平の誕生パ−ティー (2)

「良さん、そうなんですか。個人の中に、馬と騎手がいるという比喩(ひゆ)って、仏教の開祖の釈迦(しゃか)もいっていますものね。釈迦(しゃか)は、騎手が馬をよく馴(な)らして、よく手なずけるように、己(おのれ)の神経や感覚器官を静めて、高ぶりを捨て、汚れの無くなった人、このような人は神々でも羨(うらや)むっていう言葉を残しているそうです。わたしもそんなブッダの言葉はとてもよくわかる気がするんです。仕事に追われたりして、感情的に興奮したり、取り乱した状態って、心にも体にもストレスとなって、良くないですもの。いつも楽しい気持ちや、晴れやかな気持ちでいるように努めることって大切ですよね」

「そうですよね、美咲さん。楽しい気持ちや晴れやかな気持ちかあ。ぼくも大切にしたいと思います。心が乱れていては、仕事の出来もいいわけがありませんよね。心にも体にも害になるだけでしょうし。脳の生理学者のマクーリンは、こんなことをいっているんです」

 そういって、両手を使って説明を始める森川良に、同じテーブル席にいる、美咲の左隣の清原美樹と小川真央と、森川良の右隣の松下陽斗(はると)と野口翼(のぐちつばさ)の5人は、聞き耳を立てるように集中する。

 先日の3月9日の日曜日に、住宅街にある一軒家のモアカフェ(moiscafe)で、フロイトの心や精神の話をした美樹と真央は、その日、店に遅(おく)れてやって来たきた陽斗(はると)や翼(つばさ)たちとも、その話で大笑いしたりしながら盛り上がったのだったが、きょうはその話に詳(くわ)しい美樹の姉の美咲に会えるのだから、もっと詳(くわ)しいフロイトの話を、直接聞いてみたいものだと、4人はなんとなく思っていたのであった。

「マクリーン博士は、人間の脳は進化しながら、3つの層に分かれているっていってますよね。片手で、握(にぎ)りこぶしを作ってみます。そして、もう一方の手で、その上から握りこぶしを包みこみます。これが脳の三層のモデルです。下になっているほうの手の手首が、原始的な脳の脳幹(のうかん)を表します。
脳幹は、生命維持に重要な機能の中枢部であります。脳幹は感覚神経や運動神経の通路にもなっています。いわゆる本能的な反応を司(つかさど)ります。具体的には、呼吸や心臓の鼓動などを維持したり、危険をすばやく察知したりする、原始的な本能をコントロールしています。誰かにあまりにも近寄(ちかよ)られると怒りや不快感を覚えるのは、この爬虫類脳によるものなんです」

 そういって、テーブルのみんなを、森川良は微笑みながら見わたす。

「良さんって、学校の先生みたいですよね」と、思わず美樹がいうと、みんなで声を出してわらった。

「ははは。美樹ちゃんにそういわれると、照れちゃうな。さて、そして、その握りこぶしが、大脳辺縁系(だい のうへんえんけい)といって、大脳皮質のうちの、旧皮質、古皮質からなる部分を表します。大脳辺縁系は、本能的行動や情動や自律機能や嗅覚を司(つかさど)っています。いいかえれば、ホルモンのシステムや、免疫システムや、セックスとか、感情とか、それと長期記憶などの重要な部分を担っています」

「フロイトの説の、イドと呼ばれる本能と、エゴと呼ばれる自我(じが)と、スーパー・エゴと呼ばれる 超自我があるいう、3つの分類に似ているお話ですよね」

 そういう美咲に、良(りょう)も、やさしく目を輝かせながら、微笑(ほほえ)むと頷(うなず)いた。

「そしてですね、この脳幹と大脳辺縁系の握りこぶしを包んでいるこの手が、大脳新皮質を表しています。この大脳新皮質は、大脳皮質のうちで、哺乳類(ほにゅうるい)で出現する部分です。カメとかワニとかトカゲやヘビなどの爬虫類(はちゅうるい)にはありません。大脳新皮質は、人間の知的活動に関与していると考えられている部分です。大脳新皮質はとても人間的な脳なわけでして、論理的思考や数学的思考や哲学的な思考などの、いわゆる知性を、人間の知的能力を司ります」

 そんな話をしながら、熱心に聞き入っているみんなを見わたすと、森川良は、ひと息入れた。

≪つづく≫

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