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[暴政]奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平和主義を捨て、「反知性 主義」で第三次グローバリズムの佳境を突き進む安倍サイコパス一派/付、聖 母の真実ならぬ魔女の受胎告知と化す日本の惨状(7/n) <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://urx.nu/6ZNu 3−2 「靖国・原発国策融合カルト」なる狂想(可視歴史観の経済推進エン ジン)に頼る「アべノミクス」の正体は“花見酒の経済” (1) 安倍首相が無視する「グローバリズムの原点」(“文化・精神+ビジ ネス”のWinWin交歓・取引)と「日清〜ベトナム戦争迄のアジア史」の視点 先に、カルロ・クリベリ『聖エミディウスがいる受胎告知図』の説明のところ (1−1)で、英国の女流美術史家リサ・ジャルディ−-ヌの記述を参考にしつ つ、<『長い16世紀』と呼ばれる揺籃期グローバリズムの時代(ほぼ第一次グ ローバリズム時代の中央部分に重なる)に行われていた取引は一方的価値観の 押し付けではなく「精神とビジネス」という、いわば<二つの次元でのWinWin 交流・交歓フェスタであった>と述べたが、アダム・スミスも著書『国富論』 のなかで同じようなことを述べている。 <注記>第一次〜第三次グローバル時代の定義について ◆第一次グローバル時代・・・『長い16世紀』(揺籃期)を挟む15世紀半ば〜 17世紀半ばにかけての時代で、ほぼ「大航海時代」に対応する。 ◆第二次グローバル時代・・・18世紀〜19世紀にかけての時代で、アダム・ス ミスが生きた「産業革命」の時代とほぼ重なる。 ◆第三次グローバル時代・・・ほぼ20世紀以降の現在までの時代で、我われが 今生きている時代。特に20世紀末〜21世紀以降はIT化の進化に伴いスピードが 更に加速しつつある。 ・・・ 1776年3月9日に刊行された『国富論』のなかで、アダム・スミスは「ある取引 行為の妥当性」を判定するために「同感」(sympathy)という概念を用いて説 明するが、佐伯啓思氏(京都大学教授、経済学者)はこの「同感」(sympathy) と「神の見えざる手」に重要な関連性があると考えている。また、佐伯氏は、 一定の「富」と「徳」を備えた中流階層が社会秩序の形成に貢献すること(そ のような形で経済が成長すること)をスミスは期待していたとも述べている。 また、このようなアダム・スミス『国富論』の原点を踏まえて、浜矩子氏(同 志社大学教授、経済学)は、次のように語っている(出典:浜矩子著『新・国 富論』-文春新書-)。 ・・・スミス的感受性を身につけた上で、現代のグローバリズム経済に我われ が見出すのは、国境を越えた分業の大パノラマだ。 ・・・モノづくりのためのヒトの役割分担が、いまや、「グローバル・サプラ イ・チェーン」(メーカーの事例で見れば、ある製造物の部品が世界中の関連 or下請メーカーに発注される「WinWin(共に利得が享受できる)関係」)とい う複雑で強大な構図のなかに組み込まれている。 ・・・また『東アジアにおける域内投資と貿易』についてのWinWin関係は以下 のとおりである(↓*)←この“域内投資と貿易”の部分は只野親父の補足。 ・・・そこで、カネはヒトによるモノづくりの世界と袂(たもと)を分かち、 勝手な一人歩きに余念がない。 ・・・そこで起こっているのが「需要の漏れ」ということである。言い換えれ ば、それは「自国企業の収益増が自国(国家)経済としての収益増につながら ないことが多くなる」ということだ。 ・・・つまり、様々なケースが想定されるが、例えば某自国企業の儲けが他国 に移された本社へ帰属するケースでは、出身国の富は増えず、その国の収益が 国外へ漏れ出てしまう、ということになる。 *東アジア域内における投資と貿易の変化(グローバリズムは『一日経済圏』 を生み出す/それがアジア経済の一体化を進めている)出典:進藤榮一著『ア ジア力の世紀』―岩波書店― ◆日中韓三国間の貿易総額 ・・・5525億ドル(2010)に達し、わずか5年間で6割増加した。 ◆域内貿易比率 ・・・1980年代当初の30%未満から、2010年には50%を超えた。その顕増ぶりは、 縮小する対米貿易比率や、低水準下の対EU貿易や対ラテンアメリカ貿易と好 対照をなしている。 ◆域内直接投資比率(FDI比率/域内投資国から域内受入国へのFDI総額が域内 FDI総額中に占める比率) ・・・1980年代初頭の20%から2000年代60%台へと、三倍増を記録した。 ・・・ 然るに、対中国・韓国のみならず肝心の同盟国である米国へすら、まるで喧嘩 を売る如き粗暴な「国家主義的」言動を繰り返す安倍政権(安倍総理自身、お よびその御友達の仲間たち)については、その余りのも独善的な外交姿勢(外 交感覚の不在ぶり!)に対する全世界からの眼差しが日毎に厳しさを増してい る。 ただ、この問題については、国民に対し最も大きな影響力がある肝心のNHKが、 そのトップ(会長、経営委員)を安倍一派に抑えられてしまったこともあり、 殆ど報じていないので、それほど多数派層の一般国民はリアルに、この「日本 の危機」を意識していないようだ。 そもそも、現代史を少し振り返れば分かることだが、まず安倍政権自身が積 極的に「日本が決して暴力的事態(日中開戦を契機とする東アジア戦争の勃発) に巻き込まれる」ことのないように外交努力を積み重ねるのが肝心だ。加えて、 第三次グローバル時代の佳境に差し掛かろうとする今だからこそ、中国・韓国 を中心とする東アジア域内での「WinWin(共に利得が享受できる)関係」構築 へも努力を傾注すべきである。 そして、「日清戦争〜太平洋戦争〜中国(国共)戦争〜朝鮮戦争〜ベトナム 戦争迄のアジア史」に関わる俯瞰的視点にこそ、そのための重要なヒントが隠 れている。おおよそ、この「日清戦争〜ベトナム戦争迄のアジア史」の時期 (1894〜1975)における東アジア諸国は、いわゆる「否応なしに打ち続き繰り 返される動乱・戦乱・戦争の真っ只中」にあり続けたのだ。 だから、東アジア諸国には太平洋戦争に至るまでの日本軍国主義を正当かつ冷 静に批判する余裕さえなかったともいえる。他方、太平洋戦争の惨禍という悲 劇の道をかいくぐることはあったとしても、日本はこの「東アジア戦争のエポ ック期」(約80年間)にこそ<1960年代の高度成長期をピーク>とする大経済 発展という栄華の(経済大国へ向かった)歴史を経験したのである。 |