|
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140301 [暴政]奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平和主義を捨て、「反知性 主義」で第三次グローバリズムの佳境を突き進む安倍サイコパス一派/付、聖 母の真実ならぬ魔女の受胎告知と化す日本の惨状(5/n) 2 「長い16世紀」(グローバル資本主義経済の揺籃期)から現代日本が学ぶ べき視点 ヨーロッパにおける凡そ15世紀末〜16世紀にかけての時代は歴史学的に「長い 16世紀」と呼ばれる。それは、この時代が「資本主義の揺籃期」であり、また 「グローバル経済の雛形の形成期(揺籃期)」と見るべきであり、その後の資 本主義の発展に大きく貢献したと理解できるからだ。 その中心となったのがフランドル(アントワープを中心とする現代のベルギー 〜オランダを跨ぐ地域)とフィレンツェを中心とする北イタリア諸自治都市を 繋ぐ交易活動で、この地域における諸自治都市の上流〜中流市民層を中心とす る市民社会の形成(揺籃期のものとはいえ自由と市民(国民)主権を意識する 中間市民層(16〜17世紀のオランダで言えば主に中小の富裕なレヘント (regent/商人・海運業者等をルーツとする都市の門閥貴族層)が中心となる 階層)の興隆ということであった。 この時代の特徴は、萌芽期の市民社会であるとはいえ、当時の市民たち(中間 市民層の人々が中心)は活発なグローバル経済活動の中で、むしろ夫々の地域 の個性を維持・強化し、かつ交易・経済活動と精神・文化活動(カルトならぬ 正統宗教的、倫理哲学的、美学的、ディレッタント的価値観の育成と深化)を 調和させることに成功していたのである。その具体例を挙げれば、この時代に、 つまり16世紀のオランダに初めて本格的な画商が現れている。 そして、この「長い16世紀」のヨーロッパで起こった、16〜17世紀の「科学革 命」と表裏の関係にあると見るべき「絵画革命」と呼ばれる出来事があり、そ れは風景画・人物画・静物画などのジャンル絵画の誕生であった。つまり、そ れまでの絵画は、たとえ風景や人物や静物などが描かれたとしても、それらは 全て偉大なる宗教画の一部分であったのだ。 しかし、ルーマニア出身のイタリアで活躍する美術史家ヴィクトル・?・スト イキツア(Victor I. Stoichita/1949− )の著書『絵画の自意識』(ありな 書房)によれば、最初の静物画と呼ばれる、16世紀ネーデルラントの画家ピー テル・アールツェン(Pieter Aertsen/1508−1575年)が描いた『マルタとマリ アの家のキリスト』(1552)では、例えば、中央に描かれた子羊の腿肉は十字 架で犠牲になったキリストの象徴、左下の白い酵母の塊りも同じく受肉した (人間になった)キリストの暗示という具合で、その後の静物画といえども、 特に、その初期のものについては、概ねが宗教を内面化した宗教画であったこ とになる(上の『マルタとマリアの家のキリスト』の画像は松岡正剛著『千夜 千冊』、http://urx.nu/6TDt より)。 ともかくも、これらの歴史が意味するのは、「資本主義」(グローバル経済/ そもそも経済・交易活動はグローバルでなければ成立し得ないのは自明であり、 その領域の大小と交易活動のスピードが時代とともに拡大し、速くなってきた ことになる)が、そもそも「精神文化とビジネス取引の交流・交換・交歓(カ ルトならぬ正統宗教的、倫理・哲学的、美学的、歴史認識的、ディレッタント 的価値観の相互育成))」を基盤としつつ、WinWinで双方の文化と経済の厚み を増しながら発展して(経済を成長させて)きたという事実があることだ。 従って、その「グローバル経済発展の歴史」を事物の交換ないしは金融・マネ ー取引だけの側面から捉えることは誤りだということになる。 つまり、そもそも経済成長とは、それに伴う「広義の中間層」の「経済・文化 両側面の成熟が厚みを増すこと」が前提とされていた訳であり、この点につい ては<(1−2)『同時代のフランチェスコ・デル・コッサ『受胎告知』との 比較から見えてくること/“一見、完全無欠に見える美しい合理的説明”には 注意せよ!』>で触れたとおりだが、同時に多くの“みえないもの”を内包す る文化・精神面には「神と悪魔orカルト」の双方が潜むことが自明とされてい たと思われる。 ともかくも、この揺籃期の資本主義(同グローバリズム)の流れは、やがて 「レンブラントの時代/黄金の17世紀(中心地はアントワープからアムステル ダムへ移る)」とも呼ばれる(命名は、19後半〜20世紀中葉に活躍したオラン ダの歴史学者ヨハン・ホイジンガ)17世紀のヨーロッパで、その時代は一つの 頂点の時を迎え、やがて、その主役はロンドンを中心とする18〜19世紀のイギ リス(大英帝国と産業革命の時代)に引き継がれてゆく。 因みに、アダム・スミス『国富論』の刊行(1776年3月9日)と同年の7月4日 に、アメリカ合衆国がイギリスから独立している。無論、この頃には中世末期 〜近世の自治都市における中間市民層の台頭と活躍ということに代わり、「立 憲主義」の政治観念の下で「自由と国民主権」を手に入れた国民(中間市民層 を中心とする)の新たな可能性を切り拓くための、絶対王政に代わる「基本的 人権と民主主義の理念に支えられた国民国家」の確立が資本主義の新たな課題 となっていた。 |