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[暴政]「戦前を取り戻す」に潜む三島由紀夫と橋川文三が共有するアキレス腱 (追憶のカルトなる近世日本の伝統テロリズム)(1/2) [副題]シリーズ、安倍自民党アナクロニズム観察用資料(2/n)「戦前の日 本を取り戻す」に潜む三島由紀夫と橋川文三が共有するアキレス腱(追憶のカ ルトなる近世日本の伝統テロリズム)(1/2) <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130822 (プロローグ) ■近世日本の伝統テロリズム論(本居宣長の誤解)による高々で約1千万人程 度の偽装極右シンパの暴走を絶対多数国民が傍観する奇怪な風景 安倍総理大臣は、日本会議(加盟団体会員数、約800万人)、神道政治連盟国 会議員懇談会(安倍晋三・会長、会員国会議員数202名/なんと、国会議員・ 衆参合計722人のうち約3割が奇怪なミソロジー『原発(ウラニウム・放射能) アニミズム神話』の信者!?)、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)ら 偽装極右派(現人神天皇制をめぐる伝統“密教”テロリズム派/詳細後述)を コアとする安倍自民党の“熱烈支持層” 約1000万人の思し召しに応じ、万難 を排して<国策靖国英霊崇拝と戦前の軍国主義日本>および<国策原発推進/ 原発(ウラニウム・放射能)アニミズム神話>の取り戻しを謀っている。 他方、去る7月21日・参院選での自民党得票は約1500万票(2012年12月16日、 衆院選の自民党得票は約1800万票)、棄権者5000万人弱(総投票権者数は1億 人強/2012年12月16日、衆院選・棄権者数は4000万人強)という余りにも異常 な国政選挙の状況(日本の伝統に潜むテロリズムの論理(本居宣長の誤解)に 拘る安倍晋三・首相ら高々で1000万人程度の国民層の超リスキーな暴走に引き ずられ、それを絶対多数派の国民層が傍観するという奇怪な現象?が続いてい る。 これこそが、深刻化するばかりのフクシマ汚染水流出問題、東電経営の再検討、 賠償スキームの見直しなど最重視すべき根本が放置される一方で、原発再稼働、 原発輸出、インドへの核技術支援プラン(核拡散の積極推進!)などが安倍政 権によって堂々と進められつつある原因となっている。 *「戦前の日本を取り戻す」ための奇怪な風景、アラカルト f:id:toxandoria:20130822152513j:image <原発輸出目的で世界一の安全技術を騙る安倍・自民党(国策)>への盲従は いい加減にせよ!むしろ、一気にレベル6以上に上げ世界中から技術支援を受 けるべき段階でないか!! ⇒ タンク汚染水漏れ レベル3に引き上げへ 規制委、評価見直し 東京 http://urx.nu/4Rle 【嗚呼! レ・ミゼラブル、ニッポン!! 安倍総理大臣は、そんなコト知っ たこっちゃネ〜、で<国策靖国英霊崇拝と戦前の軍国主義日本>を取り戻す !!】 ⇒ いつまで続くフクシマ汚染水の流出? でも海水浴場はオープン /ユーロ・ニュース(8月12日)http://urx.nu/4PDr Cf. ⇒ <現状と課題>方式でのんびりやってる場合か? ブルーム・バー グ、ビル・ペセック氏(当記事の末尾記載)の提言のとおり、日本政府自らが 世界の知見の助けを得て、解決へ早急に取る組むべきだ! ⇒ タンク汚染水 漏れで管理課題に NHK(8月21日)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130821/t10013914151000.html via ついっぷる 2013.08.21 06:17(画像『いわき市・四倉海水浴場の様子』は当 記事より転載) Cf. ⇒ <東電と賠償スキームの見直しがメディアのタブー>は、目下、原 発玉砕戦争の出問題」で、これだけ東電が事故処理の当事者能力も賠償・除染 費用の支払能力も喪失しているのに東電と賠償スキームの見直しがメディアの タブーになっている。・・・via web2013.08.20 07:37只のオッサン(脱原発への急転向者)さん他、119人が リツイート https://www.facebook.com/photo.php?fbid=426781410772487&set=a.110630322387599.11985.100003218947947&type=1 *そもそも戦後は本当に終わったのだろうか? f:id:toxandoria:20130822154447j:image 【動画】20130815テレビ朝日 そもそも総研 そもそも戦後は本当に終わったの だろうか? こちらをクリック! ⇒ http://urx.nu/4PoH ・・・ ・・・以下は、本ブログ記事の中から一部分の抜粋・・・ ・・・ともかくも、三島由紀夫は内面化された戦前の天皇現人神の物語、いわ ばアナクロニズム重傷者の凶器を背負ったまま前に進み、己の過去の誤りを絶 対に認めぬままで生活プロセスを歩むこととなり、遂には自決という“死なね ば”の悲劇に至ったと考えられる。言い換えれば、その現人神天皇への愛(愛 国の情念/一種の“政治的恋愛”(恋闕/れんけつ)の情念は孤高の文学者の <死の美学>として実践・昇華されたということである。しかしながら、三島 は同じプロセスを、つまり現代日本の<安倍晋三ら勘違い偽装極右一派>の如 くに全ての日本国民を道連れにして、再び、国民玉砕的な「近世日本伝統のテ ロリズム(追憶のカルト)」の道を歩むべきだとは、微塵も思っていなかった に違いない。 ・・・他方、同じ性質の愛国を感じながらも、橋川文三は、正しいと教えられ て今まで信じてきた己自身の出発点へ引き返す道(“生きねば”の決意)を選 び、厳しい姿勢で原点を緻密に反省し再検証することで、その戦前の誤りの傷 がもたらすトラウマと闘いながら、軍部独裁と戦争という政治的極限形態の過 酷さ、あるいは一切の批判的言説から逃避したとされる保田与重郎が代表する 戦中期における日本ロマン派が抱えた“奴隷の思想”の問題(現代日本におけ る約5千万人の国政選挙・棄権(傍観)常習者層の問題に重なる)の解明に成功 しつつ新たな愛国の形(世界の人々と共に“生きねば”という“グローバル世 界にも通用する“正統保守の復権”の可能性)を示すことに成功した、といえ るだろう。 (関連記事) 安倍自民党アナクロニズム観察用資料(1/n)三島由紀夫「憲法改正草案」、 43年の封印解き全文公開/暴走化する安倍政権の深層、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130807 安倍自民大勝で擬装極右・追憶のカルト幻想に罹患の日本、だからこそ未来を 見据え今をリアルに生きぬこうとする緑の党の生命の息吹(安倍政権ナチス化 の毒消し)が肝要、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130801 ・・・ 1 三島由紀夫と橋川文三が共有したアキレス腱、それは「本居宣長の誤解」 の上に築かれた亡霊の如き「近世日本における伝統テロリズム」(追憶のカル ト)の精神構造 どうやら、特に明治維新期以降の日本における理念や理想は、決して自律的な 個人が内面化する種類のものではなく、その時々に、ただ個々の生活の形に応 じて“器用”に選び取られる(驚くべきことに、最大の責任が伴う国民自らの リアルな生死や倫理に関わる根本思考さえもが、そのメニュー選択の有力候補 となる)フィクション(虚構、幻想)としてのみ存在してきた、ということの ようだ。 特に、現代においては“国民の中の約5千万人の国政選挙「棄権(=傍観)」 常習者層の中に、このようなアイデンティティー放棄とでもしかいい様のない 不可解な傾向(実効権力層による一種の観念のもてあそびに対して、リアルな 自分自身の命(身体)の一切を任せてしまう傾向)が強く出ていると思われる。 かつて、橋川文三はこれ似た自己放棄の例として、『次』のとおり旧日本軍の 特徴を辛辣に批判している(出典::宮嶋繁明『三島由紀夫と橋川文三』‐弦 書房‐)。 『敵の実感、敵の実体を持たない日本軍は、それならただ抽象的暴力として、 人間的存在とかかわりない亡霊集団として、大陸アジアに荒れ狂ったというこ とになるのであろうか?それこそヘーゲルのいう悪魔的破廉恥であり、悪魔的 な無邪気さであろう。(それは、言い換えれば“奴隷の思想”ということであ ろう!←toxandoria、補足)』 ・・・ しかも、この日本政治という舞台装置には常に「いわゆる1%派」を自負する (現実には、高々でも人口の10〜15%程度を占めるにすぎぬ)仕掛け人たる実 効特権層(現代で言えば原子村に連なる人々など)が存在してきたと見るべき であるだろう。だから、一般の国民層の多くが個々の生活の形に応じて“器用” に選び取るのは、その仕掛け人たる実効特権層が提供する選択肢(メニュー) の中からだけということになる。 従って、太平洋戦争の敗戦のとき、人々は<万世一系の現人神天皇>という <非常に強固なカルト同然の国家主義(長い歴史時間において持続してきた単 一優秀民族であることを誇るナショナリズム、いわば追憶のカルトの)物語> から、<戦後の新しい物語>、つまり「民主主義国家日本」という<新しい物 語>へ、意外にもやすやすと飛び移ることができた訳だ(以上の考え方のヒン トは、竹田青嗣著『現代批評の遠近法』(講談社学術文庫)から借用)。 ところが、これは殆ど奇跡的なことであったのだが、終戦後の時代において、 その“器用さ”をやすやすと発揮できない、つまり二つの物語の間を簡単に飛 び移れぬという意味で稀少な、そして真に不器用な日本人の典型とでも言うべ き人物が二人存在した。それが、ほぼ同時期に生きた三島由紀夫(1925 –1970 )と橋川文三(1922 – 1983/政治学・政治思想史研究者、評論家、明治大学 政経学部教授を務めた)である(画像は、http://urx.nu/4QtB より転載)。 しかし、結局、この二人の生き様は水と油の如く異なる、というよりも全く二 人のベクトルが異なる方向のものであることが分かった。つまり、それは<三 島由紀夫が戦後の自らの人生を罪と見なす(戦前の自己を絶対肯定する)>の に対し、<橋川文三は戦前の自己を罪と見なした(戦後の現実に生きる自己を 肯定した)>ということである。無論、それにもかかわらず、部分的な合否は ともかく両者の間にはお互い掛け替えのない理解者であるという意味での共感 が存在したと考えられる。 ともかくも、三島由紀夫は内面化された戦前の天皇現人神の物語、いわば<ア ナクロニズム重傷患者の凶器>を背負ったまま前に進んだため己の過去の誤り を絶対に認めぬままで戦後の現実的な生活プロセスを歩むこととなり、遂には、 必然的に自決という“死なねば”の悲劇(三島流秘儀の実践)に至ったと考え られる。 言い換えれば、その現人神天皇への愛(愛国の情念/一種の“政治的恋愛” (恋闕/れんけつ)の情念は孤高の文学者の<死の美学>として実践・昇華さ れたということである。しかしながら、三島は同じプロセスを、つまり現代日 本の<安倍晋三ら勘違い偽装極右一派>の如くに全ての日本国民を道連れにし て、再び、国民玉砕的な「近世日本伝統のテロリズム(追憶のカルト)」の道 を歩むべきだとは、微塵も思っていなかったに違いない。 他方、同じような性質の愛国心を感じながらも、橋川文三は、正しいと教えら れて今まで信じてきた己自身の出発点まで引き返す道(これからも強く“生き ねば”の決意)を選び、自ら厳しい姿勢で原点を緻密に反省しつつ再検証する ことで、戦前の自らの誤りの傷がもたらすトラウマと激闘しながら生きること にしたという訳だ。 その結果、橋川は軍部独裁に伴う玉砕戦争という極限政治の過酷さ、あるいは 批判から一切逃避して中立を装ったとされる保田与重郎(国家神道に批判的で あったともされる人物だが・・・)が代表する戦中期における日本ロマン派が 抱えた“奴隷の思想”の問題(現代日本における約5千万人の国政選挙・棄権 (傍観)常習者層の態度にも重なる)の解明に成功した訳だ。 つまり、これは見方しだいという可能性も残るが、橋川文三は「偽装極右派 (追憶のカルト)」ならぬ「新たな愛国の形」(世界の人々と共に“生きねば” という“グローバル時代に通用する“正統保守” 復権の可能性であり、その リアルな事例は、中道右派のメルケル首相(CDU党首)がフクシマ3.11の直後 に脱原発を決定した現代ドイツにある/詳細後述)を示すことに成功したとも いえるだろう。 結局、“誰も気がついてくれなかったのだよ、ぼくのしようとしたことを”と、 橋川文三に嘆いて見せた三島由紀夫について、もっとも奥深くからその意義を 理解していたのが橋川文三であった。というより、三島由紀夫と橋川文三の二 人は、同じ「戦前〜戦中期の日本の歴史」を合わせ鏡で木霊するイメージのよ うに共有する関係であったと考えられるのだ(出典:宮嶋繁明『三島由紀夫と 橋川文三』‐弦書房‐)。このことについて、宮嶋繁明氏は、同著書の中で 『次』のように語っている。 『そして、常識とは異なるかも知れぬが、三島由紀夫の天皇観に目立った変化 が現れるのは、「憂国」の発表から5年後の「英霊の声」(1966年/昭和41年 )辺りからである。それを1964年に刊行された橋川文三の著書『歴史と大権』 所収の、日本の右翼思想の「テロリズム信仰の底にある固有の霊魂感(幽顕思 想←toxandoria、補足)の政治的作用」を追求した秀作「テロリズム信仰の精 神史」と、神風連について触れた「失われた怒り」に顕著に見られるように思 う。特に「テロリズム信仰の精神史」は三島に“致命的”影響を与えたと私は 思う。』 しかしながら、三島由紀夫と橋川文三の二人が、これから述べる近世以降の日 本文化における<本居宣長についての誤解>という、これからも全ての日本国 民にとって<“致命的”となり得る深刻な問題>が存在することに気づいてい たか否かは、今のところ定かではない。 2 日本会議、安倍晋三ら偽装極右一派の詭弁型妄想、「戦前の日本(現人神 たる天皇が統治する)を取り戻す」の根にあるのは「本居宣長の決定的な誤解」 であり、同時に「その誤解の放置」は宣長の業績への冒涜でもある 2−1 本居宣長が完成させた「他国に優越する現人神(あらひとがみ)たる 天皇を世界万国の宗主と見立てる万世一系の皇国史観および国家神道論」は決 定的誤り 本居宣長が「他国に優越する現人神たる天皇を世界万国の宗主と見立てる万世 一系の皇国史観と国家神道を強く主張した」こと、および「それが戦前の全て の日本人の絶対的な精神的支柱であった」こと、<それ自体は紛れもない歴史 的事実>なのだが、宣長が「記紀が指し示す遠い過去の古伝説の中にのみ日本 の最高の歴史的真理がある(これが追憶のカルトの核心!←toxandoria、補 足)」として<日本型「華夷秩序」論=中華思想の反転>を内外へ強く主張し、 それを絶対的正義と過信したのは明らかに決定的な誤り(観念と現実の混同、 混濁、つまりこれが“追憶のカルト化”ということ!)である(本居宣長の画 像は、ウイキペディアより)。 従って、明治維新期以降の日本の支配者たる『君側の奸』たち、特に太平洋戦 争へのプロセスを演出した山県有朋(日本国軍の父)の衣鉢を継ぐ軍部(中枢 は陸軍)が、本居宣長(1730 - 1801)の「古伝説」研究などに淵源する「他国 に優越する現人神たる天皇を世界万国の宗主と見立てる皇国史観と国家神道を 高く内外へ向けて掲げた」こと自体が、先ず根本的誤りであり(つまり、この 時に日本政治が追憶のカルト化したということ!)、それこそが、現在の安倍 ・自民党政権までも尾を引く諸悪の根源である。 それは<本居宣長が生きた時代の日本を巡る歴史環境についての根本的誤認あ るいは作為的誤解>に起因する一種の<国家創建にかかわる英雄神話と国策歴 史の創作/日本政治の追憶のカルト化>がもたらした悲劇と見るべきでもある からだ。 因みに、近年の客観的な歴史研究、あるいは考古学・文化人類学的な「先端科 学技術も動員した検証作業」によって、万世一系の皇国史観の前提となる天孫 降臨神話(天皇現人神論の根拠)の伝承が必ずしも記紀が代表する意味での日 本オリジナルではない可能性が高まっており、そのアーキタイプは東アジア全 体に広がる可能性が高い。 そもそも、日本列島全体の人口がたかだか20〜30万人程度(2〜3世紀頃で推 計)に過ぎなかった縄文時代末期〜弥生時代(〜3世紀頃まで)の倭人集団 (当時は、まだ東アジア日本海文化圏における一つの部族集団)が「世界の歴 史に冠たる万世一系の現人神天皇(神の真姿顕現たる存在)が支配する独自で 高度な文化をもっていた」と主張する古事記・日本書紀の殆どが荒唐無稽な “幻想or想像”であったことは確かだと思われる(因みに、奈良末期〜平安遷 都期あたりの推定人口は高々(at most)600〜700万人程度とされる)。 (関連情報)これまでの日本人の累計出生人口は、たったの5億人程度!(出 典、http://urx.nu/4R1p ) 昭和 平成時代―――1億2620万人 明治 大正時代―――――4490万人(59年間) 江戸時代――――――1億0790万人(266年間) 中世――――――――――8490万人(419年間) 奈良 平安時代―――1億0540万人(476年間) 弥生時代――――――――2380万人(古墳・飛鳥時代まで) 縄文時代後期――――――1500万人 縄文時代前期―――――――620万人 ・・・ また、例えば新羅の建国神話には天孫降臨の物語があり、伊勢神宮の起源に繋 がるアマテラスの源流と見なすべきホアカリノミコト(天火明命)のアーキタ イプが朝鮮半島〜中国〜東アジア全体に拡がっていることが理解されつつある。 また、従来は否定されてきた道教の神道への影響の問題も無視できないものと なってきている。しかし、これらの諸問題は当記事の主題ではない。 2‐2 本居宣長の思考回路に窺われる特有のプロトタイプ(原型と見るべき ドグマ) 周知のとおり、本居宣長の国学者・文献学者(医師でもあった)としての核心 的業績は、当時、正確な理解が不能となっていた『古事記』の解読に成功し 『古事記伝』を著したこと、次いで源氏物語の註解である『源氏物語 玉の小 櫛』および『玉勝間』などを著して「もののあはれをしる心」の情緒こそが日 本文学の美的本質であるとして、中国伝来の儒教の思弁的合理性が堕ち入り易 い陥穽の存在を批判しつつ国学(日本学)の源流を確立したことにある(画像 は、http://urx.nu/4QtO より転載)。 ただ、その日本固有の優れた情緒性、日本美学の原点と見るべき「もののあは れ(それを知る“やまと”心)」と、批判的にそれと対置した「唐文(からぶ み)の心(漢心/からごころ)」についての精緻な説明のため本居宣長が採っ たレトリック戦略の中には、宣長特有の“真姿”不可知論(結局は、これが大 日本帝国憲法・第三条の“天皇ハ神聖不可侵ニシテ犯スヘカラス”に繋がる) とでも呼ぶべきプロトタイプ(ドグマ的原型)の存在が指摘されている(出典 :子安宣邦著『本居宣長‐物のあはれをしる心‐/講座比較文学3、近代日本 の思想と芸術1(東大出版会)』/イメージ画像『もののあはれと日本の美』 は、http://urx.nu/4RkL より転載)。 そして、その宣長の戦略の核心を示すのは『結局、神の御心はよきもあしきも 人の心にてはうかがひがたき事にて』と、神への絶対的な随順と盲従を説くこ とにある。そして、この『漢心(からごころ)への批判から神の真姿について の不可知論を経て神への随順と盲従へ至る説明のあり方は、<本居宣長の古道 論と神道>(これが後の万世一系の天皇現人神論に繋がる国学系神道(垂下神 道)の核心)をめぐる詮議のなかで、しばしば出会う議論展開のプロトタイプ である』(詭弁とはいえぬまでも、宣長の一種の“癖”(“奴隷の思想”的な 発想?)とでも呼ぶべき特異な思考回路)だ、ということになる。 2‐3 本居宣長が生きた時代の日本を巡る国際環境についての理解が肝要 (確信犯的な本居宣長の天皇現人神論) 本居宣長が生きた時代を世界史的に俯瞰すれば、それは日本が大きな変革へ向 かわざるを得ない激しい時代の波が、つまりキリスト教(カトリック)という 外圧が大挙して押し寄せてきたころであった。このため、愈々<本格的な開国 へ向けての柔軟な準備>か、あるいは<日本自身(identity)の再確認による 高度な自己主張>か、という二つの大きな思潮(ideology)が国内に湧き出し た時代でもあった。そして、前者を代表するのが本居宣長とも交流があった上 田秋成(1734-809/江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、俳人)で、後者の 代表が本居宣長である。 実は、これも未だ余り周知されたことではないが、近世における国学と神道論 の発展のプロセスに対して、主に16〜17世紀頃に伝来したキリスト教(カ トリック)が大きな影響を及ぼしていたことが近年になり次第に明らかとなっ てきている(出典:小山悳子(神道学者、比較宗教学者)著『日本人の求めた 元神(カミ)』‐日本図書センター‐、ほか)。 例えば、本居宣長らの後を継ぎ、水戸学と共に幕末の尊皇攘夷の支えとなる思 想を準備した秋田(出羽)出身の国学者・平田篤胤が「現人神の天皇観」を更 に深く論じたことは良く知られているが、実は、キリスト教に通じていた平田 篤胤はこの「現人神の天皇観」を神の代理人たるローマ法王の存在と、その役 割から着想を得た可能性が高いとされる。しかも、その流れは篤胤の師である 本居宣長から引き継がれたと見るのが自然であるだろう。 そもそも、医師としての本居宣長については『医学史に照らしてみると、宣長 が履修したのは「今方(いまほう)」という室町時代にもたらされた朱子学を ベースとする理念的・保守的な学派である。一方、これを批判する実証主義的 開明的「古方(こほう)」学派があり、山脇東洋などはこれに属し、彼らはオ ランダ医学を摂取しつつあった。 本居宣長の時代はこれら両派が覇を競い合った頃であったが、宣長は、敢えて (←確信犯的? ←toxandoria補足)自らが履修した「今方」に止まり、西洋 近代科学の思想・手法に通じる道(方向性)には強い拒否反応を示した。/出 典 http://urx.nu/4Py2 』と、されるが・・・ ・・・本居宣長が西洋医学やカトリック、ましてや当時の“新しい漢方”(漢 心への批判から確信犯的に、敢えてそれは無視したのか?しかも、宣長が拘る 「今方(いまほう)」のベースとなる朱子学といえども中国伝来のものである 筈なのだが・・・。 ←toxandoria補足)についての知識が皆無であったと見 る方が不自然である。 ただ、宣長の遺品類のなかに西洋(オランダ)医学や当時の“新しい漢方”な どに関わる文献類が存在しないことは確かなようだ。しかし、だからといって 宣長の医学が「今方」に徹したもので、当時の外来の新しい医学知識が皆無で あったという証拠にはならないはずである。 つまり、本居宣長は当時におけるキリスト教(カトリック)の根本的性質 (15〜16世紀のイエズス会に代表される戦闘的な側面、あるいは古く13 〜15世紀に過激なポーランド植民に明け暮れたドイツ騎士団の如き軍事侵略 的本質)をズバリ見抜いていた可能性があるのだ。 そして、そのことへの危機感から、あえて日本伝統の神道を世界の中心となる 唯一無二の正義だと強弁し、しかもローマ法王に敗けぬほど武断的・軍事的で 神聖な天賦(天孫として)の権威だと主張するため天皇を排外的・排他的な国 家権力の上に超然と君臨する、強力な軍神性をもたせた「神の真姿顕現たる万 世一系の現人神」へ押し上げた可能性が高いと考えられる。 (驚くべきことに、同時代の伊勢神道・神職である出口延佳は『天皇・人民平 等論』を説いた) 一方、同じキリスト教の影響でも、天皇家の精神基盤(それは持統・天武期に 確立した)である神宮(伊勢神宮)の神道学者(神職)・出口延佳の場合は宣 長と全く正反対で、神の前での平等な恩寵というキリスト教思想の側面から大 きな影響を受けていたことが理解されつつある。このため、出口延佳は、それ までの神道学者より更に前へ一歩進んだ形での新しい観念、つまり日本古来の 伝統神道を正しく伝える者としての誇りから『天皇・人民平等論』を説いた (出典:小山悳子(神道学者、比較宗教学者)著『日本人の求めた元神 (カミ)』‐日本図書センター‐)。 このことは、元来、伝統神道には、外来文化について、排他性よりも包容力と 寛容性があることから、当然の帰結であったとも考えられ、古代から続く日本 の精神史にほぼ重なる<神仏習合の歴史>が其の何よりの証拠となっていると いえそうだ(神仏習合の歴史の委細については、下記◆を参照乞う)。 ◆toxandoriaの日記/アベノミクス&国策原発の玄宮で蜷局(とぐろ)を巻く 「神道政治連盟」なる自民党御用達「極右ウロボロス神」の現象学的考察 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/2013011 このため、天皇の政治的利用による日本近代化の実現を謀った、そして当時の 「1%派(勝てば官軍たる実効権力層)」を代表する『君側の奸』らから成る 明治維新政府は、この古来から続く日本伝統の神道の宗教的寛容性(縄文文化 を受け継ぐ古来の神道精神と、その影響を深く受け続けてきた日本国民一般の 心性)は日本の本格的近代化にとっては有害と見なした挙句に<廃仏毀釈>と <キリスト教排除>の蛮行に走ったと考えられる。しかし、特に、後者は明ら かに失敗に帰した。 (最上級の日本伝統文化のエスプリを表現した上田秋成による、本居宣長の日 本型「華夷秩序」論(本居宣長に潜む“伝統テロリズムの論理/追憶のカルト” たる天皇『現人神』論)への厳しい批判) 近世日本文学の代表作「雨月物語」で知られる上田秋成(1734 -1809)である が、本居宣長と異なり、上田秋成は「絶えず一歩うしろへ引くだけの視線上の 余裕があり、日本と日本民族の文化を広く客観的に、かつ冷静に世界的視点か ら見る目」を持っていた(上田秋成の画像は、http://urx.nu/4Qud より)。 そして、上田秋成は「世界地図の上で見ても、こんなにも小さな日本が記紀の 『古伝説』だけで一方的に自らこそが万国の宗主だと日本型「華夷秩序(万世 一系の天皇現人神論を前提とするアベコベ中華意識)」論を声高に主張しても 無意味だし、そんなことは何処の相手国に対しても通じるはずがない」と本居 宣長を厳しく批判している。 |