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雲は遠くて <17> 8章 美樹の恋(その2) 陽斗(はると)から、 ≪みーちゃん、映画でも見に行こうよ≫と、 美樹(みき)のケイタイにメールが来た。 ≪いいよ。はるくん。いい映画やってるかな?≫ ≪いまは、話題作とか、なさそうだけど、 なにか、いいのあるよ、きっと・・・≫ ≪わかったわ。行こうよ。楽しみ!≫ と、ふたりは映画に行く約束をした。 2013年、4月、 松下陽斗(まつしたはると)は、東京・芸術・大学の、 音楽学部、ピアノ専攻の3年の20歳(はたち)。 美樹は、早瀬田(わせだ)大学の、教育学部の3年の20歳だった。 ふたりは、10時に、下北沢駅で待ち合わせをした。 高校のころからの、さわやかで、 いつもどこか照(て)れくさそうな、陽斗(はると)の笑顔が、 美樹には、高校のときと同じように、 ちょっと眩(まぶ)しくて、うれしかった。 ふたりが向かった映画館は、渋谷駅から、青山学院大学方向に、 500メートルほど歩いたところの、シアター・イメージ・フォーラムであった。 3月30日から始まったばかりの、 『グッバイ・ファースト・ラブ』という映画の、 午前11時30分からの上映を、 美樹(みき)と陽斗(はると)は、観(み)にいった。 この映画の監督(かんとく)と脚本(きゃくほん)は、 1981年生まれの、女優や批評活動をしてきた、 ミア・ハンセン=ラブという名の女性であった。 2007年に、1作目を発表して、2作目の作品で、 カンヌ国際映画祭で、審査員特別賞を受賞していた。 『グッバイ・ファースト・ラブ』は、自伝的な三部作の、 3作目の作品であった。 監督自身の、10代のころの初恋を、モチーフにした物語で、 繊細(せんさい)な、心と体が、揺(ゆ)れ動いてゆく、 そんな感受性ゆたかな、少女が、おとなへと成長してゆく過程、 その瞬間を、南フランスの、季節の移(うつ)ろいのなかを、 美しくとらえてゆく、そんな映画であった。 舞台は、1999年パリ。高校生のカミーユと、シュリヴァンは、 おたがいに愛しあっていた。シュリヴァンは、17歳、 ほとんど学校に行かず、9月に退学して南アメリカに行こうと考えていた。 カミーユは15歳、彼に夢中で、勉強もなかなか身が入らなかった。 夏になって、ふたりは、のんびりゆったり過(す)ごせる、 南フランスに、ヴァカンスにゆき、情熱的に愛しあう。 しかし、夏が終わると、スリヴァンは、カミーユのもとから去る。 数ヵ月後には、スリヴァンからの手紙も途絶えてしまう。悲しみに打ちひしがれた カミーユは、次の春を迎える頃、自殺未遂を起こす。 その4年後、建築学に打ち込むようになったカミーユは、 著名な建築家、ロレンツと恋に落ちる。 ふたりは恋人同士となり、強い絆(きずな)で結ばれる。 しかし、カミーユの前には、かつて愛したスリヴァンが現(あらわ)れる。 「この映画は、人間の持つ矛盾(むじゅん)を積極的に容認しています。 そしてそうした矛盾こそが、人生の重要な構成要素だと思います。 ヒロインのカミーユは、同時に、ふたりの男を愛し、 そのアンバランスな関係に、バランスを見いだすのです」 ポップコーンやソフトドリンクといっしょに買ったパンフレットの ミア・ハンセン監督のそんな言葉が、・・・オトナの世界って、 やっぱりそんなものなのかなあ・・・と、心にしみる、美樹だった。 ふたりの男性を、同時に愛してしまうなんて、特別なことでも ないのよね、きっと。 わたしの場合は、はるくんと、しんちゃん・・・。 映画を観(み)ながら、ヒロインのカミーユと、 いまの自分の境遇(きょうぐう)が、 偶然の一致(いっち)にしても、不思議なくらい、 よく似ていると、感じる、美樹であった。 ≪つづく≫ |