メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:アベノミクス&国策原発の玄宮で蜷局(とぐろ)を巻く「神道政治連盟」なる自民党御用達・・・(1/2)  2013/01/17


[日本のアキレス腱]アベノミクス&国策原発の玄宮で蜷局(とぐろ)を巻く
「神道政治連盟」なる自民党御用達「極右ウロボロス神」の現象学的考察
(1/2)

<注記1>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130117

<注記2>玄(げん)
・・・老子によれば、玄は「奥深い道理、事物の根源、最も重要な場所」など
を意味する。色としての玄は黒を意味し、それは奥深くてよく見えない色、天
の色である。古代中国・四神の一つとされる玄武は北方の神で黒帝と呼ばれる。
従って、玄宮は最も肝要な政治権力が潜む最重要の宮殿・神殿・神座あるいは
官僚組織などの一部分を指す。

【プロローグ1/参考画像】ワシリー・カンディンスキー「Yellow-Red-Blue」
Wassily Kandinsky(1866-1944)『Yellow-Red-Blue』1925. Oil on canvas.
 127 x 200 cm. Musée National d'Art Moderne, Centre Georges Pompidou, Paris, France

・・・ポール・オーディ著、川瀬雅也訳「ミシェル・アンリ/生の現象学入門」
(勁草書房)によると、アンリには『見えないものを見る/カンディンスキー
論』という著書がある。

・・・アンリは、この本で<絵画とは、決して表象的世界のあり方やそうした
あり方の本質を描出しようとするものではなく、画家の「生」のあり方のリア
リズムを描くものだと述べている。

・・・無論、ミシェル・アンリが言う「生」は現象学的な意味であるが、それ
は<生涯にわたり恰も美しい音楽を演奏し続けるかの如く内面で成長しながら
未来挑戦的に生きる状態/いわば、持続的に自己創生し続ける生命現象そのも
の>のことである。また、ミシェル・アンリはカンディンスキーも此のことを
確信しており、彼は自らの絵画作品のプロセスでそれを探求し実証し続けたの
だ>という意味のことを述べている。

・・・ポール・オーディはアンリが「生の現象学入門」の中で<人間の現象学
的「生」は生涯を通し活力を増し、増大し、成長する(無論、それは当人の努
力しだいという面もあるが)>とし、その作用をアンリが「主観性のトロピズ
ム」と名付けたことを紹介している。

・・・一般的に、トロピズム(tropism)とは生物の細胞・生理・心理・精神
作用などが特定の外来刺激に対し一定方向に屈曲・指向する性質でプラスとマ
イナス二方向の反応がある。つまり、+では刺激へ向かい、−では刺激と逆方
向へ屈曲・指向することになる。

・・・これをミシェル・アンリの「生の現象学」的に敷衍して理解すれば、生
物(人間を含むあらゆる生き物)はトロピズムによって時間(今を生きる内在
的な時間意識と歴史観念)を絶えず更新し、時々刻々と変化する環境と適正な
距離範囲(日々に創造されるメゾスコピック(mesoscopic/個々の生命にとり
必要最小限の空間)で皆が喜びつつ共生し得る新たな知見(正常な時間と経験
の認識、および歴史観)を絶えず身に付けて内在的に成長し続けることになる。

・・・このため、想定上の存在であるゾンビ(内在的な経験の流れと時間観念
が停止したままの「生」に安易に妥協する似非人間)は、その意味で人間とし
ての正常な「時間認識」と正常な「経験・歴史認識」を持てないはずだ。

・・・従って、例えば<フクシマ3.11原発過酷事故の貴重な経験を無視して再
び国策原発推進へ急旋回を謀る安倍総理大臣や同類の自民党多数派議員>らの
如く、<世界中で何処にも捨て場が無く、原発が稼働する限りとめどなく増え
続けて溜まる一方の核燃料廃棄物や放射能汚染拡大などの超リスクと平和裡に
共存できると主張する原発推進派>の人々は、解決不能な堂々巡り状態で何ら
解決にならぬ現実を前向きの建設的解決だと強弁する<詭弁&自己矛盾のウロ
ボロス・ゾンビ>であることになる(ウロボロスの画像は、
http://urx.nu/319g より転載)。

・・・言い換えれば、彼ら原発推進派の人々は、恐るべきことに見かけ上も生
理機能も人間そっくりなのだが、その中身(霊感成分も含めた情感的精神環境)
が実は殆ど空虚でヴァーチャル(金銭打算的・機械形式的・羊頭狗肉的)な
<詭弁ウロボロス・ゾンビ>の人間モドキであるということだ。

・・・往々にして「これらの自称スピリチュアル人種」なる人間モドキたちは、
自分こそが<濃厚霊感に満ち溢れた美しい情感と愛情に富むスーパー人間>な
のだと声高に、しかも厳かに如何にも予言者風の態度で自己主張する。しかし、
そのように人を食った横柄な態度こそ<彼らが紛れもなく詐欺霊感商法ないし
は金銭亡者的カルト政治教団の一員か、ないしはその眷属>である証拠なのだ。

<注>ミシェル・アンリ((Michel Henry, 1922 - 2002):ドイツ観念論の
研究から出発し、メーヌ・ド・ビラン、フッサール、ハイデガーらの影響を受
けながら、「生」と「主観性」の問題について独自の「生の現象学」を構築。
1976年には「マルクス主義とは、カール・マルクスに対してなされた誤解の総
体である」と宣言し、独自のマルクス解釈を展開した。レヴィナスとほぼ同じ
20世紀後半のフランス哲学界において重要な役割を果たしたが、生涯孤高の哲
学者として南仏に留まり、晩年はキリスト教(カトリック)に接近した。近年、
漸く、日本でも其の重要性が理解されつつある。

【プロローグ2/見当違いの「神」を奉斎する故のウロボロスの呪いか?/い
ま比較的高く支持されているアベノミクス(大胆金融緩和、機動的財政出動、
民間投資喚起型成長戦略なる「3本の矢」とする経済政策)】

2013.1.15/安倍内閣の支持率 64%、支持しない24%、NHK支持率調査、http://urx.nu/31Sa・・・NHKが行った世論調査によりますと、先月発足し
た安倍内閣を「支持する」と答えた人は64%だったのに対し、「支持しな
い」と答えた人は22%でした。NHKは、今月12日から3日間、全国の
20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話
をかける「RDD」という方法で、世論調査を行いました。・・・以下、報道
内容は省略・・・

記者クラブメディアが報じるところによれば、今の安倍内閣は国民から比較的
高く支持されているらしいが、「アベノミクス」なるワンフレーズ政策を牽引
する「三本の矢」が仏教で言う「三毒」(最も根本的な三つの煩悩、貪・瞋・
癡(とん・じん・ち))から放たれたものでないことを願うばかりだ(貪=強
欲、瞋=猜疑・憤怒、癡=無知)。

それは、安倍総理大臣を強く(強引に?)支持し、上昇気流を押し上げる強力
な政治権力基盤の中枢(玄宮)に鎮座するのが、そもそもの日本列島創生期
(記紀に書かれている地球科学ないしは地質構造学的意味も含めた開闢期)い
らいの伝統を誇る<かしこくも神憑るやんごとなき祭政一致型の政治・宗教団
体>であるらしいからだ(委細は後述)。

ただ、懸念されるのは、万が一にも、この事実上の祭政一致の聖殿で奉斎し崇
め奉る、『日本書紀』、『古事記』出自の神々についての解釈と式例のあり方
に根本的過誤が隠されている場合には、事実上、奉斎そのものが逆に衆生への
呪詛の類となりかねないので、下手をすると日本国民は、一切何も意識せぬま
まに、例えば原発過酷事故と放射能汚染拡大が無限に続く恐るべき煉獄の中で
堂々巡りするウロボロスなる出口なしの罠(目先の経済のため原発由来の過酷
放射能被曝を永遠に強制される状態)に嵌られている可能性が高いということ
だ(ウロボロスの画像は、http://urx.nu/326l より)。

1 「原発推進自民党」(原子村政治局)の骨太な御柱(おんばしら)「ジン
ドウ」が掲げる原発擁護の御都合主義的詭弁に「原子力科学アカデミズム」が
追従するのは何故か?

(田中俊一・原子力規制委員会委員長/2013.1.11、朝日新聞・オピニョン『原
発規制のかじを取る:新しい知識出れば常に反映させる、事業者も耳傾けて』
より部分転載、プラス『仮想Q&A』)

Q 原発は安全だという根拠のない神話をなぜ社会は受け入れてきたのでしょ
うか?(記者)

A 原発の安全を保つ科学技術は不完全なものです。そのことを気に留めてお
かないと安全神話に繋がってしまいますが、国民もそうした不完全さを受け入
れてこなかった面があります。原発は絶対に安全にできるというのも、神話的
な考え方です。外国にはない日本独自の誤った価値観のように思えます。(田
中俊一・原子力規制委員会委員長)

Q(場外からの仮想質問) フクシマ3.11原発過酷事故については、安全神話
を要求した国民側にも責任があるというのですか? それに「・・・原発は絶
対に安全にできるというのも、神話的な考え方です。外国にはない日本独自の
誤った価値観のように思えます。」のご発言で、「外国にはない日本独自の誤
った価値観」とは具体的に言えば、どういうことなんでしょうか?
(toxandoria)

A  ?????(無言/田中俊一・原子力規制委員会委員長) ← 知って
るけど〜、余りにもアレなんで答えられないんでしょう、違いますか?(toxandoria、補足)

・・・

2 ジンドウ(神道)とは何か?/日本神仏習合史、神道史(シントウシ)の
概観

直近の日本文化および神道史の研究成果によると、日本神仏習合史の知見に関
しコペルニクス的転回を連想させる新しい発見が、特に海外の研究者らから出
始めており、日本国内でもその再検証が進みつつあるようだ。

従来、『日本書紀』についての解釈から、自律的な神道の伝統がかなり早い時
期から存在していたとみなされ、それゆえ後の世紀においても途切れずに続い
てきた日本古来からの伝統として神道の歴史を描くことが保証されてきた訳で
ある。ところが、2008年に、ノルウェー・オスロ大学のマーク・テーウェン
(Mark TEEUWEN)は、このような旧来の常識が明らかな誤りであることを明快
に指摘した。

つまり、今までの考え方では、仏教が伝来した時に、日本の土着の宗教に当て
る用語が発明されなくてはならず、この用語が「神道(しんとう)」であった
と語られてきたが、実はこのことに対する疑念が大いに深まりつつあるのだ。
それは、マーク・テーウェンが次の三つの点を指摘したことによる。

(1)「神道」は、元は中国で用いられていた用語だが、それがそのまま古代
日本に導入されたもので、その読みも当初は濁音(5〜6世紀の呉音)の「ジ
ンドウ」であった。

(2)そして、古代日本に導入された当時のジンドウ(神道)は、「仏教下の
神々」をさす仏教用後であった。

(3)この「ジンドウ(神道)」が、密教などの影響を色濃く受けるようにな
った室町期の14世紀頃の日本で、清音標記による「シントウ」へと転換した
のであり、その時に神々を意味する集合名詞「ジンドウ(仏教下の神々)」か
ら抽象名詞「神道(シントウ)」へ転換したと考えられるのだ。

そして、マーク・テーウェンは、日本古来の神社の神々を指す公的な用語とし
て好まれていたのは「ジンドウ(神道)」よりも、むしろ「神祇(ジンギ)」
であったとしている(以上の出典は、マーク・テーウェンの論を紹介した下記
▼による)。

▼井上寛司著『神道の虚像と実像』(講談社現代新書)

更なる実証的論拠の委細は省くが、このような新しい見方を補強するため以下
のことを書いておく。(2013.1.13My-FB、http://urx.nu/314N からの転載)

【ヘビ年なのでウロボロス(堂々巡り)的妄想を一つ/自民党圧勝キャンペー
ンで年を越し2013年が明けてから、今まで以上にネット空間でデマ、フェイク、
囮(おとり)情報、子供騙しのようなワンフレーズ(一言主神信仰を強制する
如き風潮、例えばアベノミクス、アベデュケーション、特定安全施設で過酷事
故を制御、など)が急速に跋扈・氾濫しつつあるような気配を感じる今日この
ごろですが皆様は如何でしょうか?】(ウロボロスの画像は、ウイキメディア
より)

(関連要参照情報)

アベ霊感(自称?濃厚霊感スピリチュアル?)総理大神(大臣)の最大の欠点
は「主観トロピズム(ヒトたる情感の成長可能性)意識と正常な歴史観念」の
不在、故に、その性急な「隷米一本槍の姿勢」と「原発一穴(一極)アホノミ
クス」も「ホモダチ作戦or極右型愛国マスターベーション」だとオバマから誤
解(否、正しく理解?)されたようだw ⇒ なぜ安倍はニューヨーク・タイム
ズに酷評され(一月訪米が実現できなかっ)たかhttp://urx.nu/30fO

・・・
<注>画像『葛城一言主神社』(1〜2枚目)は、http://urx.nu/30JU よ
り、同『宇佐神宮』(3枚目)はウイキメディアより転載。4枚目『京都盆地
の古代豪族』は、京都市考古資料館にて2012.12.1撮影。

「2012.12.16総選挙」の自民大勝とネット環境への耽溺(←toxandoriaの自戒
も入るwww)で、主要メディア総がかりの素人ダマシ<一言主神(ひとことぬ
しのかみ)>信仰的な罠に嵌りつつある日本国民?今や、それを有効利用しよ
うとする原子村・安倍総理らの狡猾な(つもりの?)作戦かな?・・・そして、
この由々しき「まるで陰陽師?安倍晋三の御託宣に科学と真実がスッポリ支配
されたように異様な日本の動向」は何時まで続くのだろうか?

しかし、このような時こそ「(1)情報収集&発信、(2)関心空間共有/種
蒔・交流、(3)緊急・重要情報相互伝達、(4)自己啓発などの、目的を明
確化し絶えずリアル空間への種まきと回帰意識を持続させる」などの、いわゆ
る<ネット&情報>リテラシーの再認識が我われ一般の日本国民(特に、原発
批判派の)にとり最も肝要なことではなかろうか。

ところで、葛城山麓の奈良県御所市にある葛木一言主(ひとことぬし)神社は
全国の一言主神社の総本社となっている。一言主(一言主神)について、地元で
は「いちごんさん」と呼んでおり、一言の願い(例えば、『アベデュケーショ
ン』、『アベノミクス』あるいは『特定安全施設で制御』のような短いワンフ
レーズ/参照、下記*)であれば何でも聞き届ける神とされ、「無言まいり」
の神として広く信仰されている。例えば、奈良・春日大社内の一言主神社は平
安時代初期に興福寺境内に創建され、それが明治(神仏分離令期)以降になっ
てから春日大社の境内に遷座されている(http://urx.nu/314S )。

*@goubuku_fudou本日のお笑い報道?「アベデュケーション始動」、教育再生
会議という名目で、密かに国民統制のための教育制度作りが画策され始めた。
道徳という言葉だけでごまかし、実態は<明治維新で作られた国家神道による
国民統制のための教育>に戻そうとしている。それは安倍の本にもある通りの
時代錯誤のやり方だ via web2013.01.16 06:11只のオッサン(脱原発への急転
向者)さんがリツイート(画像は、http://urx.nu/328P より) ← 安倍晋三
・陰陽師は、道徳、道徳と言うなら、道徳・倫理的な観点から見ても、これか
らの子供たちのため<国策「原発」推進は、即刻に止めるべき>ではないか
?!(←只野親父、追記)

*素人ダマシの<一言主神>的なワンフレーズ・ポリテクスではないか?「制
御用ハコもの」を新たに建てるだけで過酷事故が制御できる保証はない!⇒原
発重大事故、「特定安全施設」で制御…原子力規制委員会 :(読売)http://t.co/6CHi0DBk hanachancauseposted at 18:02:23 2013年01月11日

・・・

因みに、わが国における神仏の交渉(神仏習合の下地になったと考えられる双
方交流の原初的なかたち)は、中央では欽名朝の仏教公伝(6世紀半ば)に始
まるとされるが、北九州宇佐地方にあっては、これ以前の時代に新羅系の渡来
仏教の影響下で起こったことが推測されている。

一方、宇佐神宮の縁起説の中には当地方が渡来人・秦氏の一大勢力圏であり、
また、秦氏の氏神が弥秦(いやはた)であったことから、平安時代になると当
地方は八幡(やはた)と呼ばれるようになったとする説があることも興味深い
ことだ。

つまり、宇佐神宮(神社)の起源も渡来系出自(新羅系土俗信仰、同仏教、古
神道(これを古“シントウ”と呼ぶべきかは?)などの習合?)の可能性があ
る。なお、7〜8世紀の秦氏は山城(京都)地方の西南部(鴨川の西側から南
部辺り/参照、添付画像の4枚目)でも大きな勢力を持ったことで知られ、上
賀茂・下鴨両神社(賀茂氏は秦系か?)、法輪寺(嵐山)、松尾大社(嵐山)、
伏見稲荷神社なども起源は秦氏(特に、秦河勝は平安遷都時の経済・財政的ス
ポンサーで聖徳太子の指南役を務めており、平城京遷都以降の桓武天皇の御所
(現在の京都御所)は其の河勝氏の大邸宅が提供されたものとされる)との関
係があると推測される。

また、『日本霊異記』(平安時代初期に書かれ伝承された最古の説話集で正し
くは『日本現報善悪霊異記』)が拾う雄略朝〜奈良期の神仏奇譚等によれば、
わが国の神祇信仰・修験道のルーツとされる一言主(ひとことぬし神)、ある
いは役小角(えんのおづの)なども渡来系の神(or渡来系で実在の誰かをモデ
ルにした仮想のスーパーマン?)であることを窺わせる。(以上については、
下記資料◆、ほかを参照した)

◆村山修一著『集合思想史論考』(塙書房)

◆菅原信海著『日本思想と神仏習合』(春秋社)

◆日本歴史学会編・井上満郎著『秦河勝』(吉川廣文館)

・・・2013.1.13My-FBの転載は、ここで終わり・・・

実は、海外諸国における日本思想と日本文化の古層についての実証研究(一
次文献・資料等の解読に基づく地道な研究)は一般の日本国民が考えている以
上に進んでおり、例えば、少し前のことになるがオランダ・ライデン大学の日
本研究者らも以下のような注目べき研究成果を発表している。(toxandoriaの
日記、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060904 より部分転載)

『Jan van Bremen(ヤン・ファン・ブレーメン)論文「オランダにおける
神道研究」の指摘=日本アカデミズムにおける自民族中心主義
(ethnocentrism)化(極右化)の問題』

オランダにおける400年を超える日本研究の実績を背景としてオランダにおけ
る現代の日本学研究者たち(オランダではプロテスタント・カトリック両系統
の神学者らが神道・靖国・英霊などの研究に熱心に取り組んでいる)の中から、
明治期に創建された靖国神社(明治2年に、後に靖国神社と改称される招魂社
が創建)や英霊の問題に関する日本国内における最近の閉鎖的な研究傾向(「ethnocentrism/自民族中心主義」化の傾向/現財の安倍政権あるいは日本
維新の会らの極右化に繋がる流れ)に対する批判の観点が提言されている。

彼らの研究の凄さは、徹底的に日本語の歴史的文書・古文書類を読みこなすと
いう文献学的研究に徹していることである。彼らにとって日本は未だに幕末期
の「開国以前の状態(後期水戸学派らの影響を受けた尊王攘夷派と新しい天賦
人権説を信奉する開国派らが入り乱れる混乱期)」同然に見えているかも知れ
ない。言い換えれば、フクシマ3.11原発事故もそうなのだが、このような点か
ら見れば、<安倍極右アホノミクス政権の誕生>は人文・社会・科学・日本思
想・芸術・文化・文学・倫理・宗教など日本の全てのアカデミズム分野に跨る
戦時体制期への深い反省と斬新な戦略観念の不在から帰結した、一種の<日本
型構造災害>であると言えるのかも知れない。

いずれにせよ、我が国のアカデミズム・出版・情報分野及び文化振興等に関す
る<広範な領域をシッカリ押さえた上での日本国民のための国家戦略とリスク
管理意識>の欠如と、その視野狭窄ぶりに依る右往左往ぶりには余りにも悲し
むべき点が多すぎるようだ(ライデン大学における関連研究の詳細は下記◆を
参照乞う)。

◆ライデン大学教授Jan van Bremen、論文『オランダにおける神道研究』(国
学院大学、21世紀COEプロジェクト・特別セミナー)、http://urx.nu/314Z

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