メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:隷米「ご都合主義改憲」を謀る石原・維新ら偽装極右と原子村の野合を「第三極」と・・・(3/4)  2012/11/03


[情報の評価]隷米「ご都合主義改憲」を謀る石原・維新ら偽装極右と原子村の野
合を「第三極」と騙る主要マスコミの無責任(3/4)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20121103

2 大本営発表報道と原発報道の相似性、原発推進へ回帰する主要マスコミの超
無責任体質

2−1 「2.26事件」なる国体維新(真姿顕現)の企て/「虚無のオーラ」なる
国民主権不在のファシズム権力の前に平伏した戦前・戦中のマスコミ

昨今の我が国における「戦争と平和、そして原発問題を巡る余りにも異様な社会
的雰囲気の広がり」を近代史の中で探ってみると、我が国を取り巻く諸条件や環
境が当時とは全く異なるとはいいながらも、それは我が国でも愈々ファシズム思
想が強まりつつあった1930年代の空気に非常に良く似ていることが分かる。

そして、この二つの時代に共通する現象の一つは新聞等の主要メディアが時の実
効権力側(現在でいえば、石原・維新らの偽装極右、原子村、電力&原発メーカ
ー系財労等の交尾・野合勢力)へまるで進んで這いつくばり傅(かしず)くかの
ように、その殆んどが自ら飲み込まれ、嬉々として実効権力側からの統制を受け
始めたように見えることだ。

特に、最も影響力が大きい現代メディアの代表であるテレビは傅くどころか率先
し(ごく一部の例外はあるが・・・)、しかも喜び勇んで時の実効権力の広告塔の
役目を担っているようにさえ見える。その結果、ごく少数の人々の“客観的で冷
静な眼”を除けば、一般の普通の日本国民にとってはとても分かりづらく理解し
がたい、そして異様に閉塞的な原発推進へのリバウンドの空気が日本国中にジワ
ジワと滲み出し充満しつつある。

ところで、1930年代の日本では、軍部が中心となってファシズム思想が強まり、
彼らは「昭和維新」(昭和の改革)を合言葉にファシズム的な国家改造を夢見てい
た。彼らは、ワシントン体制(1921年のワシントン会議と四カ国条約を前提とし
て日本の独占的な中国進出が抑えられた/1930年代の東アジアを巡る国際協調体
制)を前提としつつ英米と協調しながら日本の国際外交の展開を構想する国際派
の政治勢力を「現状維持ないしは守旧派」として蔑み、自らを「改革派・革新派」
と位置づけて胸を張った。

そして、彼らは、対外的には軍備強化による東アジアでの強圧的、制圧的、支配
的な軍事力の形成を目指し、国内的には神格化された天皇を前面に押し出して
立憲主義的な政党政治(議会制民主主義)を掲げる一派を押さえ込もうとした。

一方、このファシズム体制の中核となった日本陸軍の内部では「皇道派」(天皇直
結の昭和維新を実現しようとする、やや観念的・直情的な青年将校らが中心の勢力)
と「統制派」(日本の伝統神学的な意味で観念的な皇道派に対し、ファシズムへの
現実的プログラムを持つ一派/その中心は東条英機、片倉衷、永田鉄山らで、い
わばこちらこそが確信犯的な「明治維新の流れを汲む本流ファシズム」であった)
の対立が深刻化していた。

そして、遂に1936年2月26日(昭和11年)、右翼(北一輝、西田税ら)と結び
皇道派の軍事政権樹立を目指した青年将校たちが、歩兵第1・第3連連隊及び近衛
歩兵第3連隊ら千数百名の兵士を率いて、クーデタ「2・26事件」を引き起こし
た。彼らは、内大臣・斉藤実、大蔵大臣・高橋是清、陸軍教育総監・渡辺錠太郎
らを殺害し、首相官邸・東京朝日新聞社などを占拠した。

結局、これら青年将校らの反乱は鎮圧されるが、クーデタの勃発当初に反乱を容
認するかのような態度と措置を取った陸軍首脳部は、自らの失態を隠蔽し、事件
に対する国民からの非難を逸らすために、決起した青年将校らを速やかに極刑に
処す決定を下した。このため、クーデタにかかわった青年将校らは“一審制・非
公開・弁護人なし(一種のホモ・サケル状態)”の「特設軍法会議」で死刑の判決
を受け処刑された。

 <注記>ホモ・サケル(ラテン語Homo sacer/ "the sacred man(聖なる人間)
"の意味)

・・・イタリアのジョルジュ・アガンベン(Giorgio Agamben/1942‐ /哲学
者・美学者・政治学者・思想家)が提唱した概念で、元々は古代ローマにおいて
ある種の犯罪者を指して使われた言葉。その者を殺害しても誰も罪には問われず、
なおかつ生贄にすることは禁じられていた。つまり、犠牲化が不可能(当時の
神政社会にとって役に立つ生贄とすることは許されない)であるにも関わらず、
彼らを殺害することは許されるという真にフラジャイルな一種の非情な飼い主
の支配下に置かれてマゾヒズムを享受する異様なペット状態のような<生>を
宿命づけられた人間、それがホモ・サケルである。すなわち、ホモ・サケルとは、
例えばフクシマ3.11過酷原発事故で過酷な生命の危機に曝された過半の日本国民
のような存在であるともいえる。いわば其れは<法の限界、法の境界、法の不
在>において立ち現れる極限的な生の限界概念、生の例外状態をさすものである。

・・・

また、一連の粛清人事によって皇道派系の分子は悉く排除され、寺内寿一・陸相
らの「統制派」が実権を掌握し、次いで成立した広田弘毅・内閣のときには「軍
部大臣現役武官制」(1900年(明治33)に山県有朋・内閣で制定されたが、1913
年(大正2)の山本権兵衛・内閣で廃止されていた)が復活し、これ以降、軍部
は内閣の死命をその一存で制することになる。その後、広田弘毅・内閣は「国策の
基準」(軍事力による北方進出と南方進出という国策の基本構想)を決定し、その
ための大規模な軍事拡張政策を推進することになった。

この「2・26事件」の経緯から透けて見えるのは、一枚上手であった「統制派」
が観念的・直情的な「皇道派」のクーデタを狡猾に利用して“殆んど国民から
批判を浴びることなく、権力闘争におけるカウンター・クーデタ”を首尾よく
“合法的に成し遂げた”ということである。

この辺りは、ヒトラーが一般国民(ヒトラーの魔術的政治により殆どの国民は一
種の夢遊病的エクスタシー状態と化していた!)の圧倒的な支持の下で“合法的
にナチス政権を樹立した”プロセスと酷似していると見ることも可能だ。ともか
くも、統制派は此れによって「皇道派」を抹殺・粛清するとともに英米と協調す
る形での日本の国際外交の展開を構想するリベラルな政治勢力であった「現状
維持派」に対して圧倒的に優位な地位を獲得するとともに、国民一般から大きな
支持を得ることに成功したのである。

このことは、“本物”の「偽装極右(追憶のカルト/明治維新期に創設された国体
真姿顕現の観念で靖国信仰と重なる/但し、此れが後に皇道派、統制派に分裂し
た)」(日本の歴史の中で培養されてきた武断的・国家主義的・ファシズム的な思
想の系譜、但し此れは正統保守ではありない!)が非常に強(したた)かである
ことを示唆している。また、これら「偽装極右(追憶のカルト)」には想定される
一定時間内で結果を急ぐという短絡的傾向、及び一種のエリート主義・貴族主義
的な特権意識(=大半の一般国民を蔑視するという特異なアリストクラシー意識)
を持つという傾向が見られ、これは「イラク戦争への突入」を急ぎ過ぎたアメリ
カのネオコン一派の先制攻撃論的な傾向とも共通する精神環境である。

いずれにせよ、戦前・戦中の日本のマスコミは、この統制派の流れを汲む軍部が
掲げた「国策の基準」(軍事力による北方進出と南方進出という国策の基本構想)
に基づく大規模な軍事拡張政策(実効権力側が仕掛けた圧倒的な“国策の基準”
という聖なる軍旗が発するオーラ)の前に平伏し、遂には、彼らマスコミ自身が
率先して開戦論を主張するようになり、やがては軍部の広報機関と化して、継続
的な「大本営発表報道」で一般の日本国民を戦争遂行から玉砕戦争の流れへと煽
り立て始めたのであった。

2−2 「日本国憲法並びに主権者」についての基本を軽視し、今度は原発ファ
シズムを国民へ押し付けようとする日本マスコミの罪深さ

橋川文三(政治学・政治思想史研究者/1922−1983)によると、そもそも日本固
有の伝統的信仰には基本的人権思想に馴染むような感性が備わっていないとされ
る。それは、本居宣長らの国学の「幽顕思想(顕幽論)http://urx.nu/2nuQ 」や
土着的な祖霊信仰の考えによれば、人間は死して初めて独立の自律的主体として
行動し得るのであり、生きているあいだは神々のロボット(あるいは低次元の精
神環境的存在)に過ぎないからだ。

つまり、日本人の宗教的感性の深奥には「幽事の世界である霊魂共同体に帰属す
ることによってのみ、人間はロボット(あるいは低次元の精神環境的存在)では
なく、人間そのものになる」という考え方が沈潜していることになる。だから、
現世で生きている個人の人権や責任などは成り立ちようがないということになり、
ここにこそ日本の伝統的神学があることになる。

そして、「2.26事件」を頂点とする軍部内権力闘争で敗者となった「皇道派」の悲
劇は、政治的テロリズムの原理を此の<日本伝統の死の神学/幽事(実は、虚無!)
の世界における主権の回復>へ向けて過剰に純化させたため現世(実は、統制派的
なテロないしはファシズムが支配しがちな!)における神格の主権者たる天皇に
より粛清された結果と見なすことも可能であるようだ(以上、其の凡その出典は、
田中順一著『政治の美学』‐東大出版会‐)。

しかしながら、だからといって日本国民が欧米流の国民主権的・授権規範的な人
権思想を受け入れ難いのだということにはならない。それどころか、<明治維新
から太平洋戦争、そしてヒロシマ・ナガサキに至る過酷な戦争経験>と、言い換
えれば<日本国民自身の血と汗の成果である歴史経験的な意味で代替不能な厳
然たる事実の積み重ね>と<欧米型人権思想のエッセンスの継承>を融合させ
る形で国家の基本構造(Constitutions)を構築し、漸く、日本国民は自らの手
で最も先進的な民主主義国家としての、そして自らこそが国家の主権者である
日本国憲法(The Constitution)を手に入れたのである。

余談ながら、この意味での日本の伝統神学的な感性の流れの中から、例えば東
山魁夷、平山郁夫あるいは大江健三郎らのように日本人を超えた東洋人一般な
いしは欧米人らも理解ができて広く世界的にも感動を与える可能性が高い美(文)
学と心象風景が成立しているので、日本伝統神学的な意味での保守本流の政治
が広く世界中の人々の共感を得る可能性は十分にあると思われる。従って、
<原発は些細なことと抜かす石原慎太郎の「追憶のカルト的虚無信仰」は、決し
て文(美)学などではあり得ず、その先に表象し得るのは、精々のところ殺人
的に超過密立地する原発がとめどなく排泄する高濃度汚染放射性廃棄物に塗れ
て歓喜の雄叫びをあげる変態スカトロジーの世界である(画像『東山魁夷のイ
メージ』は、http://urx.nu/2nuI より転載)。

(関連情報)

マスメディア<待望(太陽?)の季節>で更に原発を屹立させるのか?/放射能
垂れ流す原発54基の超過密立地でなにが美しい国土を守るだ!ならば石原はグン
ニャリして超危機的な4号機の傍に住んで国土保守と自らの一物保全の手本を見
せればよかろう!⇒石原80歳で大望(号外まで出したメディアの待望では?)
の季節、原発の雄々しき屹立(勃起)で国土を守る・・・で、何か文句あります
か?朝日新聞・全面扱10/26 http://urx.nu/2nuP

・・・

一方、明治維新政府が誕生した頃とほぼ時を同じくして創作された「国体論(真
姿顕現思想による)と靖国神社信仰(明治政府は1879年(明治12年6月4日)
に国家神道の中枢として日本の伝統的神学ならぬ、主権者たる天皇を神と奉じる
靖国神社を創設)」を継承する統制派の合法的カウンター・クーデタ(ファッショ
・テロリズム)こそが、日本を爾後の悲惨な太平洋戦争へ引きずり込んだ 犯人と
の見たてが可能である。

因みに、「国体論」(または国体思想、真姿顕現思想)とは「開闢以来の日本の国
のあり方が世界の中でも特殊な存在であり、しかも、その国家としての優秀性は
他に比類がなく、万世一系の天皇の統治こそがその正統性を保証する」という、
まことに強固ながらもナチスのゲルマン民族意識に匹敵するエキセントリック
で偏狭な信念を主張するものである。

些か脇道へ逸れるが、1850年(国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世、宰相サ
ヴィニーのとき)に、王権に対する「授権規範性」が意図的に排除され、「ゲルマ
ンの純血と民族・伝統精神」への憧れと「神聖ローマ帝国の栄光」の復権という
二つの根本原理をアウフヘーベンした「新しいプロイセン・ナショナリズムの熱
気」(ナチズムへ向かう予兆のような空気)が仕込まれる形で「プロイセン憲法」
が制定されている。

この「プロイセン憲法」の大きな特徴は次の3点(★)にあるが、やがて、この
独特の「プロイセン憲法に潜むナチズムへ向かう予兆のような空気」が、当時の
プロイセンを訪ねた伊藤博文らを介して「大日本帝国憲法」のなかに流れ込むこ
とになる。因みに、下記の三項(★)の中で<国王(皇帝)>を<天皇>に読み
替えれば、そのままで「大日本帝国憲法」の根本理念となることにも驚かされる
はずだ。例えば<国王(皇帝)の大権>は<天皇の大権>と同義になる。


★国王(皇帝)の権力は神の恩寵によって授与されたもの(神権政治としての最
高権力)と規定されている。
★立法権は国王(皇帝)と両議院(衆議院・貴族院)が共同でつくるものである。
(見かけだけの立憲君主制)
★しかし、行政権は国王(皇帝)のみにあり、国王(皇帝)は法案の拒否権を持
つ。また、国王(皇帝)は緊急勅令を出すことができ、大臣を任免する大権を持
つ。(国王(皇帝)の権力はすべての政治的権力の頂点にある)

ともかくも、1882年(明治15)に伊藤博文らは、「大日本帝国憲法」(1889年公
布)起草の参考とすべく、憲法事情及び西欧各国の諸制度(軍制、法制、官僚制、
機密事務を扱う官房など)の調査を目的に、ある意味で、このように異様な政
治的空気が満ちた時代のプロイセン王国(その国王がプロイセン・ドイツ第二帝
国の皇帝)を訪ねたのであった(プロイセン憲法を巡る問題についての詳細は
下記◆を参照乞う)。

◆toxandoriaの日記/点描ポーランドの風景/トルン・マルボルク編、2010.7  

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100912

閑話休題 ともかくも、このような「国体論」の考え方が国家経営のための理念
として明確に姿を現したのは明治維新政府が誕生した頃だ。そして、この「国
体論」が国家の柱として重視するのが次の3つの内容で、ここから「忠君愛国」
という、かつて太平洋戦争を戦った時の日本国民の絶対的な義務を当然視する
特殊観念が導出された。結局、この「忠君愛国」の精神によって天皇を頂点と
する日本国の「国体」を守るために軍事力を行使し須らく日本国民は一兵卒とし
て「国体」のために戦う義務があるという考え方が「軍事的国体論」ということ
になる。

(1)絶対的な天皇主権は永劫不滅である
(2)日本国統治の基盤は、天皇を頂(いただき)とする温情豊かな情誼に基づ
く君臣関係(お上の寵愛を拝受することに感謝しつつ低い身分の者が上の者に盲
従する関係)である
(3)日本文化史の頂点を飾るのは、大和民族という優秀な単一民族が万系一世
の皇室の下で築き上げた、他に類を見ぬほどの優れた伝統を誇る国風文化である 

そして、この「国体論」が頂点を極めたのが、1931年(昭和6年)の「満州事
変」勃発以降に明確となった「日本軍国主義」体制(軍事的国体論の実践体制)
であり、それに続く出来事が「太平洋戦争」への突入であり、結局それは「第
二次世界大戦」の敗戦、ヒロシマ・ナガサキという近代人類史の悲劇的エポック
につながったのである。

従って、いまマスメディアが総掛かりでポスト野田政権の受け皿と見立てる<明
らかに偽装極右(追憶のカルト)型の発想で石原らが掲げる国体維新並びに原発
推進を謳う第三極>を煽り立てるのは異常である。そこには、第三極なるものの
理念と具体的な諸政策についての検証・批判がスッポリ欠落している。つまり、
現代日本の主要マスコミは、現行の「日本国憲法並びに主権者」についての基本
理解を完全に無視ないしは軽視していることになる。

それどころか、どんなに少なく見ても、国民の過半以上が脱原発の意思を持つこ
とが明らかであるにも拘らず、ここにきて主要マスコミが<明らかに偽装極右
(追憶のカルト)型の発想で石原らが掲げる国体維新並びに原発推進を謳う第三
極=原発ファシズム国家(国体維新)の実現>を煽り立てるのは余りにも異様で
あり、無責任の極みである。このオゾマシイ光景が日本の現実だとすれば、それ
は、<大本営発表報道>と<原発安全神話報道>の失敗の飽きもせぬ繰り返し
ということに他ならない。

また、これは些か穿った見方となるかも知れぬが、いまや主要メディアが「第三
極」の中核として必死で煽り立てる石原慎太郎や大阪維新の「偽装極右(追憶の
カルト)的精神環境の不可解な側面/ご御都合主義にも、彼らの場合は米国型の
過剰な市場原理主義とも共存している?」は、あの「統制派」に近い一種の打算
と道具主義的な狡猾さが感じられ、少なくとも三島由紀夫の美学(皇道派の国
体維新に近い精神環境)とは無縁であるようだ。

(関連情報)

都議会新会派「東京維新の会」(民主・自民を離党した3人プラス、)は4日都議
会第3回定例会最終本会議で戦前の<大日本帝国憲法の復活を求める請願>に
賛成。請願は日本共産、民主、自民、公明、生活者ネット・みらいなどの反対
で不採択。http://t.co/XxPbx8H3  hanachancause

posted at 11:44:14 2012年10月05日/維新、自民の本性は時代錯誤穴クロ!⇒
@tokaiama<大日本帝国憲法復活請願>に「東京維新の会」が賛成
http://t.co/p2iAjJIP 占領憲法と占領典範の無効確認を東京都議会に求める請願集
会(ここに自民党の西田昌司参院議員の名が・・・)
http://t.co/pYPYSriV  hanachancauseposted at 04:43:47 2012年10月09日

・・・

ともかくも、今や此の無責任でオゾマシイ光景は単なるマスコミや原子村の失敗
の繰り返しということでは済まされぬ非常に深刻な状態となっていることを指摘
しておかなければならない。それは、<野田総理のフクシマ収束宣言>にも拘ら
ず、現実には、日本列島に立地する50数基の原発並びに原発関連施設がもたら
しつつある現実の脅威によって、<日本国民の殆どが一種のホモ・サケル状態=
法の限界、法の境界、法の不在において立ち現れる極限的な生命の危機へ確実に
陥れられている>ことになるからだ。

・・・以下は、<日本国民の殆どが一種のホモ・サケル状態=法の限界、法の境
界、法の不在において立ち現れる極限的な生命の危機へ確実に陥れられている>
ことを示す事例である。

(1)『日本は事実上の原発戦場=日本列島の殆どは原発から100km圏内に収
まる』

添付画像は、http://urx.nu/2krG より転載。・・・原発の緊急防護措置準備区域
(UPZ)が30キロ圏内に拡大されたが、福島原発事故では200キロ離れた
所まで高濃度放射能汚染が広がった。仮に、日本の各原発から100キロ圏の円を
描くと、北海道の一部を除き、日本列島では50数基の原発が立地する限り安全
な場所はほとんどないことが分かる。つまり、日本列島は<全国民の命が人質に
取られた形での事実上の原発戦場>なのだ。

つまり、メディアがポスト野田政権を見据えるかの振りをして、その中身を一切
語らず、ひたすら外形的に第三極を煽る立てるという今の日本の異様な空気の中
で<原発ファシズム国家>が現実化する可能性が高まっているといえるだろう
尤も、それも此れも全ては全国民自らの覚醒しだいなのであるが・・・。ともか
くも、ここにきて、急転直下で主要マスメディアが<『石原・橋下維新・安倍自
民・立ちやがれ・みんな』ら偽装極右型・第三極の勇ましさ>を喧伝し始めたこ
とには、明らかに隠された意図があると見るべきだ。

結局、それは真に残念なことではあるが、我われ一般国民自身が敗戦(太平洋戦
争経験)、ヒロシマ・ナガサキ、フクシマ3.11という真に過酷な現実経験をすら
他人事視するばかりで、それが買弁(隷米)型支配の賜物であれ何であれ、只管、
お上に縋り付く親方日の丸方式へ頼るしか能がない非自律的な性(さが)を背負
う民族であることの証左なのかも知れない。

従って、<惨事便乗型資本主義(過剰な市場原理主義http://urx.nu/2mEN )へ
傾斜しすぎたため政治・外交・財政・経済的に困窮化した、そして未だに原子村
・産軍複合体マネーに政治が牛耳られる宗主国・米国>が、まことに御都合主義
的に手のひらを返して日本の改憲勢力を脱原発運動の封じ込めに利用しようとし
始めたことにすら殆どの日本国民は気がつかないのだ。

例えば、<UPZ(緊急防護措置準備区域)設定による原発事故想定の住民避難訓
練>は、それ自体の必要性はあるというものの、根本から考えれば、先ず<其れ
自体=UPZ設定による原発事故想定の住民避難訓練>が真に不可解なことに見
えなければウソの筈だ。フクシマ3.11原発過酷事故にも拘らずという観点から見
れば・・・。

つまり、何故に日本の全国民(いつ収束するかも分からず(野田の収束宣言は真
っ赤なウソ!)、今も続くフクシマでの過酷な放射能汚染の現実を考えれば30km
圏の設定など子供騙し程度の意味しかないというのに!)が此のような一種の非常
事態(臨戦状態)下に置かれているかを考えれば、先ず、慌てず冷静に<脱原発
の目標をシッカリ決めることが肝心であること>は火を見るより明らかだ。そし
て、先ず脱原発を決めてからの<原発事故想定の住民避難訓練>は十分に有意義
なこととなる筈だ。

だから、<此の大きな矛盾点の明らかな放置>の中にこそ<安倍自民党ら偽装極
右型・第三極の憲法改正案の核心=憲法から授権規範を消去して首相への全権委
任を規定する/非常時における与党以外の非合法化、同じく選挙の無期限停止、
立法権、司法権を含めた完全な首相独裁制の制定=日本原発ファシズム国家の完
成>という内外(日米)原子村勢力と深く野合した実効権力側の野望(隠された
狙い)がハッキリ見えていることになる。

(2)【菅さんへの好悪の感情は脇へ置くとして、あの時(フクシマ3.11直後)
の宮城県住民としての個人的に追い詰められた逃げ場ナシの恐怖感を振り返れば
(同条件でも無関心な人々が意外と多いことにも驚く!これでは御用メディアと
原子村&電力会社の餌食だ!)、客観的に傾聴すべき内容だ!しかも、4号基問題
は其の儘だし!】たしかに、殆どの国民が電力会社・原子村によるアンチ脱原発
の空気拡大策略にメディア総ぐるみで嵌められた可能性が大きい!RT @umeko23:
 モーニングバード、菅さんに、ぎりぎりのインタビューしたな。たかじんの番組
でもそこまで突っ込めたか?http://urx.nu/2mF1(参照、下記◆)
◆最高責任者が直面した原発事故の恐怖とは?(そもそも総研、たまペディア)
http://urx.nu/2mAR ← お手数ですが、ここをクリックして動画(Daily Motion)
をご覧ください!!

(3)原発立地に纏わりつく「二つの距離の問題」http://urx.nu/2mGK

原発立地に纏わりつく「二つの距離の問題」とは「原発立地の物理的距離」と
「時間的距離」の問題である。まず「原発立地の物理的距離」についてだが、
これは更に「文字どおりの物理的距離」と「意識距離」の二つに分けられる。
前者の典型は、先に述べたフクシマの過酷化による首都圏3千万人の避難の問
題であり、直接的な原発立地地域に限れば、その典型は此の章の冒頭で取り上
げた、東日本大震災による津波で外部電源を喪失し冷温停止まで3日以上かか
った東海第2原発に関わる緊急防護措置区域(UPZ)と予防防護措置区域
(PAZ)のような問題である。

この「原発の物理的距離」とは、原発立地によって<日本国民全員が、表面的な
平和状態の日常生活にもかかわらず、いつ何時にそれが現れるか見当もつかぬう
ちに、突然、原発に由来する局地戦の状態が出現・拡大し、それに否王なしに我
われ自身が巻き込まれることになるという国内から勃発する核戦争への臨戦状態
が常在する異常環境に曝されている>ことを意味する。しかも、いったん、この
原発による局地核戦争が勃発・拡大すれば、国民主権は言うまでもなく、地方自
治主権も、国家主権も瞬時にして失われてしまうことは明らかである。

そして、その物理的距離がもたらす脅威から逃れることが如何に困難を極めるこ
とになるか、あるいは瞬時にしてそれが国際規模の避難問題に発展する可能性が
あるということについては、先に見た東海第2原発の危機に起因する茨城県の避
難計画の恐ろしいほどの困惑・混乱ぶりと、フクシマ3.11に起因して今も続くと
見なすべき首都圏3千万人以上の避難可能性についての危機的状況が、その典型
事例を提供している。

もう一つの「時間的距離の問題」とは、原発問題では、放射性物質の半減期など
について我われの日常性と非常にかけ離れた数字が出てくるということだ。しか
も、このことは、原発労働者や原発立地近隣の住民らにとっては周知の事実であ
った訳だが、東京などの大都会に住む人々にとっては日常感覚的に縁遠い問題で
あったという意味で、「心理的な距離、心理的な地域落差」の問題にも重なる。
しかし、これらの問題が常在するという恐るべき現実(つまり、原発立地イコー
ル核戦争の臨戦状態であること)をフクシマ3.11は一気に切り裂き抉り出したと
いうことになる。

ところで、野田政権の<新エネ・原発ゼロ政策(閣議決定ナシ)>に対して、米
国が、中国などが日本に比べ核技術拡散防止に取り組まなくなる可能性があるな
どの理由で反対しているということが盛んに報じられているが、この一連の報道
には、なにやらとても居心地が悪い一種のヤラセ的な空気が漂っており、遂には、
ヤラセどころかアーミテージが露骨に恫喝の姿勢を見せ始めている。そして、そ
れこそが生政治権力が牛耳るメタ日米安全保障条約とでもいうべき<暗黙の相互
補完的意志が仕掛ける、そして米日中に跨る原発安全保障(潜在核保有戦術)型
のマクロ・エンクロージャー戦略>の証だと見なすべきだろう。

・・・米・産軍複合体が日本国民の命を質に取る「生政治」戦略型の冷酷な強
迫!←<唯一の有効撃退法はフクシマ3.11の現実を直視し続けるぞという明快
な国民意思>の表明!⇒「日本は原発を放棄するな」“アーミテージ報告書”驚
愕の内容 | ビジネスJ. http://urx.nu/22t3

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。