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[情報の評価]隷米「ご都合主義改憲」を謀る石原・維新ら偽装極右と原子村 の野合を「第三極」と騙る主要マスコミの無責任(1/4) <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20121103 武士の一分 / 藤原道山×冨田勲 (剣法(剣法型正統保守 ← toxandoria補 足)の神髄は戦わずして勝つことである、宮本武蔵/出典:井上ひさし、樋 口陽一『日本国憲法を読み直す』) (プロローグ)ブリューゲル『イカロスの墜落』が問いかけること(本来あ るべきジャーナリズムの役割) 【参考画像】ブリューゲル『イカロスの墜落』 Pieter d. A. Brueghel(the Elder/ca1528-1569):Landscape with the Fall of Icarus、c. 1558 Oil on canvas, mounted on wood, 73.5 x 112 cm; Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique, Brussels ・・・以下は『2011-08-08toxandoriaの日記/モンゴル核廃棄物系暗部とつ るむ擬装安全型「原発ファシズム国」ニッポン、その技術神話を批判する「緑 の党」の役割(技術神話の限界についての論考)http://urx.nu/2mrJ』より部分 再録(一部、加除修正)・・・ ピーテル・ブリューゲル(父)の絵画『イカロスの墜落』について、実に興味 深い研究成果が明らかとなっている。ただ、このアカデミック研究の”落ち” は些か“尾篭な落ち(墜落)”だ。しかし、ここで紹介する“尾篭な墜落”は、 フクシマ3.11原発過酷事故を引き起こした日本原発の安全神話とは異なり、決 してヤラセではなく客観的な学術研究の「誠実な成果」である。だから我々は 其の墜落を勇気を出し直視しなければならない。それこそが民主主義社会の維 持のために必須の「クソ・リアリズム」の眼である。 主にアントワープとブリュッセルで活躍したピーテル・ブリューゲル(父)が 当時としては格段の知識人であり、彼の絵には社会的な矛盾や時の暴政の真相 (スペイン帝国によるフランドルへの過酷極まりない圧政など)を暴き、それ をリアルに伝えようとした強い意志の存在が潜むことが知られている。しかし、 今回、改めてこの『イカロスの墜落』を観て再認識させられたことがある。 一般に、ピーテル・ブリューゲル(父)の初期の作品、例えば『狂女フリー ト』(参照⇒http://bit.ly/rdVC79 )などは明らか にヒエロニムス・ボッ スの影響を受けており、幻想的かつ悪魔的で「奇怪な世界の風景」を描いてい る。そして、その絵の地平で赤々と燃え盛る血のような空の色はフェリペ2世 による「スペイン帝国の圧政がもたらす残酷な戦争」を象徴していると考えら れる。 15世紀後半からフランドル地方の支配者はブルゴーニュ公家からハプスブルグ 家へ代わるが、特に、16世紀前半に父カール5世から当フランドル地方の統治 を引き継いだスペイン王フェリペ2世の強権的な中央集権支配と新教徒への弾 圧は過酷で阿鼻叫喚を極めた。一方、そもそも13世紀頃から自治都市の伝統が 根付いてきたフランドル地方は、欧州における二大交易圏(フランドル、北イ タリア)の一つとして近代資本主義的な経済発展の土壌を準備しつつあった。 中でも、16世紀前半のアントウエルペン(現代ベルギーのアントワープ )に はヨーロッパ中から貿易商人たちが集まっており、南ドイツのフッガー家、ウ エルザー家らの大商人や金融業者たち、あるいはメディチ家など北イタリア諸 都市の金融業者らの支店や代理店が立地し、ヨーロッパはもとよりアフリカや 中東方面からやってきたムーアやアラビアの商人たちも加わり大変な賑わいぶ りを見せていた。 ピーテル・ブリューゲル(父)が生きた時代は、このように「圧政・抵抗・戦 争・内乱」と「広域グローバリズム経済の急速な進展」という二つの異なる顔 を見せる激しく、過酷でありながらも非常に多様なダイナミズムに満ち溢れた、 まことに激しい時代であった。 ところで、『イカロスの墜落』の上半分の左奥には繁栄する自治都市(おそらく アントウエルペン)が見えており、右手の中央には活発な交易経済(グローバ ル化した市場・貿易経済活動)を象徴する大帆船が描かれている。他方、画面 は右下がりの対角線によって上下にハッキリと分かれており、画面の左半分 (下)を占めるのは牧歌的な田園風景だ。 そして、画面の右下の海面では、<糸と蝋で鳥の羽根を繋ぎ固めて作った翼> で太陽へ向かおうとして、無謀にも太陽へ接近し過ぎたため、その蝋で出来た 羽が溶けて墜落したイカロス(ギリシア神話で“科学技術知の祖とされるダエ ダルス”の子)が溺れかかっている。それにしても、この傲慢で愚かなイカロ スのエピソードは、なんと現代日本の<原発絶対安全神話の失敗>に酷似する 出来事ではないか! 画面の左半分(下)には、そもそも殆どグローバリズム経済とは無縁と思われ る農夫の日常生活、つまり農夫の仕事の日常風景が描かれている。彼は、この絵 の主役(普通の人々、庶民の象徴)であるらしく、そのため一番大きく描かれ た人物像であるが、彼は、日常の農作業に夢中であるためか、イカロスが海中 に落ちた時の水音(傲慢と化したグローバル市場・貿易経済の暴走がもたらす悲 劇・悲惨・過酷事故の叫び声)などは全く聞こえず、まるで我関せずの印象があ る。 また、中央に小さく描かれた羊飼いも墜落して海に堕ちたイカロスと反対側の 空をポカーンとした表情で見上げているが、彼は何をノンビリ見ているのだろ うか?このピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』でもう一つの大き な謎は、肝心のダエダルス(自分の息子イカロスに蝋で作った人工の羽を付け、 それで飛翔することを勧めた“科学技術安全神話”の責任者である父親)が画 中の何処にも描かれていないことだ。真犯人は何処かに隠れているのだろうか? しかも、この絵の全体には奥深い静寂と共に一種独特の清澄な空気に包まれた 不思議な美しさが、言い換えれば、<何か分らぬが殊更めき必要以上にクリー ンで清潔な空気>さえもが漂っているように感じられる。また、解像度の関係 からネット画像ではハッキリ見えないが、実際の絵では「大きな農夫」が進む 道の先の木陰(両側から木で挟まれた奥の部分)には、上向きに横たわる人間 (それも、死体らしい?)の恰も頭部のように丸い感じのものが描いてある。 そのため、このピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』のモチーフに ついては中世的<メメント・モリ/Memento mori、死を想え>の教訓、つまり <常に死と地獄を忘れず日々に善行を積み重ねて生きよ!>という、如何にも <大上段に構える脅迫宗教の婢(はしため)たる御用神学者らが語りそうな倫 理的教訓>を示唆する絵画だという、いわば<オーソドックスで上品な伝統ア カデミズム的解釈>がほぼ定着してきたのである。 ところが、驚くべきことに、近年の赤外線写真を使った十分に中立的な科学調 査と客観的で綿密な学術的検証の結果、その人間の頭部のように見えたモノが 実は死体の頭部などではなく、なんと<今まさに不潔で汚い野糞を垂れている 男の尻(悪徳まみれで強欲な実効権力者のボッス的象徴)>であることが分かっ たのだ(出典:ベルギー王立美術館発行の図録解説、p10記載)。 どうやら、この絵の修復時に、その草藪の中でムカつくように汚い野糞を排泄 する毛むくじゃらでグロテスクな男の尻が死体(人間)の頭部に描き変えられ ていたようなのだ。つまり、その大変な苦労を伴う緻密な描き変えの作業は、 このピーテル・ブリューゲル(父)の絵を修復した職人による余計な配慮であ った訳なのだが、お陰で、近年の美術史研究者の間では、この絵の不可解な謎 が却って益々深まるばかりとなっているようだ。 美術史上の専門的解釈はともかくとして、より自由な視点で、もう一度、この ピーテル・ブリューゲル(父)の絵を眺めてみる・・・と、どうやら<殊更に 美しく立派で無謬性を主張する価値観、もっともらしい科学知的や大義名分の 標榜(例えば、日米原子村発の絶対安全神話、脱原発不可能論など)』には十 分気をつけるべし、決して騙されぬよう注意せよ!>という非常に重い教訓が、 そこに隠れていると思われるのだ。 つまり、我われは、無責任な立場で超法規的特権を弄ぶ原子村の御用学者や電 力マネーにたかってきた政治家と政府高官、あるいは独占の立場で超高給を食 む電力会社の経営者らが、原発は最先端科学知と技術知の成果であり絶対安全 でクリ―ンで最廉価な電力供給源だと、その無謬性と完璧さを声高に叫んだと しても、原発は<まったく糞も垂れず、小便もせず、屁も放(ひ)らずなので 安全>である訳がなく、それどころか<原発の実像はトイレのないマンショ ン>ではないかと初めから強く疑うべきだったのだ。 (関連情報) BB45_Colorado@bilderberg54 @hirosetetsuo 再処理しないと、バックエンド問 題に火がついて、日本中の原子炉が止まり、使用済み核燃料があふれ返り、青森 から返品されて日本をさまよう。再処理をすると、余剰プルトニウムが溜まり続 けてNPT(核拡散防止条約)リスクhttp://urx.nu/2mTY は増大するし金が膨 大にかかる。via web2012.11.0112:06hanachancauseがリツイート ・・・ それどころか、ポスト3.11の今に生きる我われが、安全でクリーンなはずの原 発が全世界に向けてハイレベル放射性物質(原子炉が垂れる野糞、これに放射 性廃棄物も加わる)を凡ゆる方面(大気中、海中、土壌の中、河川、地下水系、 動植物の体内環境から食物連鎖系、そして我われ日本国民の体内環境系)へ撒 き散らすという恐るべき惨劇の目撃者となっていることは、もはや繰り返すま でもなく明らかなことだ。 だが、ポスト3.11の日本の現状に照らすと、このピーテル・ブリューゲル(父) 『イカロスの墜落』には未だ十分な救いがある。それは、仮にその<草藪の中 で野糞を垂れるムカつくほど汚い毛むくじゃらの男の尻>が<実効権力者らの 極悪の象徴(図像)>であったとしても、そこから<排泄されたオーガニックな 汚い野糞>は微生物により分解処理されて自然界の物質循環系の中へ取り込まれ るか、あるいは“運”よく其れを拾った別の農夫が滋味豊かな肥料として再利 用し得る余地があるからだ。 しかし、恐るべきことにハイレベル放射性廃棄物の捨て場所はこの地球上で未だ に見つからないのである。だから、少しでも早く、この現実に気づいて、其の恐 るべき事実を正しく客観的に報じるのが日本の主要メディアの責務ではなかった のか? |