清水久和のフルーツ時計
芸術の美は自然の美から生まれた。古代ギリシャのアリストテレスは、芸術は自然に対する模倣に過ぎず、自然は何よりもすばらしい芸術的創造力を持っており、他のすべてのものより完璧であらゆるものを内包している自然と比べたら、最も手の込んだ芸術も遠く及ばないと考えた。自然界の美には様々なタイプがある。春の花や秋の露は精緻ではかない美、枯れ果てた蔓や夜の烏はもの寂しく深遠な美、実った作物は豊かさと安逸の美である。甘酸っぱくて香り豊かであると同時に、収穫の喜びを象徴する果物も、同じように抵抗しがたい独特の美を備えていると言えよう。
果物店の店先でビニールのバスケットいっぱいに盛られていた瑞々しいフルーツが懐かしく、フルーツが与えてくれるイメージを表現してみたくなった。2011年夏に、デザイナーの清水久和さんはフルーツをテーマとして、セラミック製のスイカとメロンの時計と、ガラス製の様々なフルーツの形のランプをデザインした。これらの爽やかで甘い雰囲気のある作品は、2011年にスイスとオランダで展示された。そして2012年3月末から4月上旬にかけて、1925年創業の果物の老舗「サン?フルーツ」の六本木のフラッグショップ、ミッドタウン店で、開店五周年を記念してスイカとメロンの時計が展示されている。明るく美しい色彩、軽快な造型、温かく可愛らしい二つのフルーツ時計が本物のフルーツと並んでいるのを見ると、調和している一方、ユニークさも感じられる。ちょっと見たところは全く違和感がないが、ちょっと珍しい感じも与えてくれるのだ。
果物の美しさは、その豊かさにあり、明るさにあり、安心をもたらしてくれる収穫の楽しさにある。展示してあるこれらのフルーツをテーマとした小さな作品を見ると、デザインの巧妙さと見た目の美しさを感じると同時に、心が開放され、ゆったりした気持ちになれる。もし一つ購入して家に置いたなら、普段は緊迫感を与える「時計」のイメージが変わり、時間を知ることができると共に部屋の装飾効果も生まれ、我々も次第にフルーツのように活力と生気に満ちてくるかもしれない。この可愛いフルーツ?クロックは製造数も限られており、価格が高いだけでなく、たとえ財布を取り出したとしても家に持ち帰ることはできないかもしれない。しかし、果物店の果物をすべて食べられる人はいないが、それでもいっぱいに盛られた果物の瑞々しさに惹きつけられて思わず見つめてしまうのと同じように、美しさとは本来心に深く染み入るものであって、手に入れなければならないわけではないのだ。
スイカとメロンの時計は軽快で明るいデザインだが、デザイナーの清水さんはちょっと考えさせられることを語っている。「フルーツをテーブルの上に置いておくと、どんどん熟してきて、放っておくとやがて腐ってしまいます。それも考えようによっては時計みたいじゃないですか。」正にフルーツのように、すべてのものは無から生まれ、盛んな時代から衰退してやがては消えていく。だが正にフルーツのように、人生の持つ意味も、必ず全盛期を迎えて、活力いっぱいに真っ直ぐな力を発揮して、他者を楽しませ安心させる爽やかで甘い香りを放つことにあるのではないだろうか?(李薊執筆)
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