2011年5月18日 特別増刊(第51号)
空中を自由に飛翔することは、人類にとって究極の夢かもしれない。二十一世紀に入って十年目が始まったばかりの頃、一人の日本人の少女が自分の夢を記録しようと決心した。それは「自分が空中にいる瞬間を捉えて、これまでにはなかった浮遊写真の日記を綴る」ということである。彼女は一眼レフカメラを持って東京のあちこちに行き、セルフタイマーを使って、自分が「浮遊する」写真を一枚、一枚と撮っていった。エレベーターの中、交差点、改札口、さらには浴室の中など、印象的で不思議な、空中に浮かぶ彼女の写真が様々な場所で残された。詩情あふれる写真は心を洗い流してくれる。彼女はこの夢を少なくとも一年は続けようと思った。「地球の重力のように、社会のストレスは私たち一人一人に影響を与えています。空中に浮遊する写真によって、ストレスを感じている人々が少しでも自由を感じてくれるようにと願っています。」――natsumiという名のその少女はにっこりと微笑んだ。彼女は表情だけでなく、心の中でも微笑んでいるようだった。(yy取材、ff執筆)
日本語にも英語にも「地に足がついている」という慣用句がある。英語では「has one’s feet firmly on the ground」であろう。これらの言葉の意味は日本語でも英語でも、「実利的な人間であること(being practical person)」という感じであろうと思われる。しかしnatsumiさんは、自分は「practical person」ではないと感じている。人生は、すべてを実利的に処理するのは難しいからである。数字では割り切れない微妙なことがらや、複雑な人間関係に囲まれた我々の生活。毎日毎日、社会と個人との関係によって悩み、緊張した状態を感じている。それは地球の重力から絶対に自由になることができないのとよく似ている。

2年ほど前から、natsumiさんは「地球の重力から自由になった自分を写真で表現する」という考えを持つようになった。そして去年の秋から試験的に少しずつ撮影を始め、今年の1月1日に、日記としての浮遊写真の撮影を開始した。日記の最初の1枚は家の近くの川の岸辺で撮影したが、それは水面に映った自分と実際の自分を同時に撮ろうと思ったからである。浮遊写真を初めて撮った時も川辺だったが、その時に、明るいレンズとデジタルカメラの高感度設定を組み合わせると、ジャンプした瞬間を捉えることができるのではないかと考えたことから浮遊写真撮影が始まったのだった。

浮遊写真の撮影を始めてから、写真と他のメディアとの違いを次第に感じるようになっていった。写真は絵画とも違うし、動画(movie)とも違う。それは当然のことのようだが、浮遊写真を撮る前には考えたことがなかった。もしかすると、最もリアルな浮遊を表現できるのは写真というメディアだけなのかもしれない。natsumiさんの浮遊写真はだいたい1/500秒〜1/1000秒のシャッタースピードで撮影されている。これは我々の日常の感覚からすると、非常に短い時間である。だが完成した浮遊写真を見ると、それが一瞬のできごとだとは思われない。だから浮遊しているように見えるわけで、本当に不思議なことである。例えば19世紀に撮影された古い写真を見ると、浮遊写真を見た時のような不思議な気持ちになる。百年前に生きていた人々が、現在もそこに生きているように思えるのだ。過ぎ去った一瞬が再び目の前に現れ、時間の流れを取り戻したような気持ちになる。そのため、浮遊写真を撮り始めてから、natsumiさんにとって写真はタイムマシーンになったのだという。

natsumiさんは、浮遊を絵に描いた場合は、写真とは意味が違ってくると言う。まさに写真だからこそ面白いのだ。実際の現場ではジャンプしているだけなのに、写真の中では浮遊に変化するからである。また、写真であるために、鑑賞者に「本物だ」と感じさせることができる。一枚の絵に写真のような説得力を持たせるのは非常に難しいだろう。浮遊写真が登場する街も人々もすべて本物であるため、彼女自身も正真正銘の本物なのである。

彼女は、人の多い場所で雑踏や喧騒を離脱するような感覚も好きだが、爽やかな気分の公園や人の少ない場所で自由奔放な感じを表現するのも好きである。ごく普通の街の中でふと発見した空き地、あるいは林立する新しい高層ビルの間に建っている古い民家などが、彼女の好む撮影場所だ。浮遊が表現するのは、現実の瞬間を非現実の時間に変化させることなので、撮影場所としては日常と非日常の境界である場所を選んだほうが、浮遊の雰囲気が生まれてくるのである。

時には、駅の改札口などの見慣れた場所でさりげない撮影をしたくなる。浮遊には似合わない場所に思われるが、写真の中で日常と非日常が衝突して、思いがけない雰囲気の作品が生まれるかもしれないと思うのだ。しかし実際には、こうした場所での撮影は非常に難しく、理想的な作品はなかなか生まれない。自分ひとりで完成させる作品もあるが、最近はよりすばらしい作品を撮るために、友人にシャッターを切るのを頼むことが多くなってきたそうだ。雑踏の中で、遠いところから望遠レンズを使って撮影したり、連続的に何回もジャンプしたりする時は、一人で撮影するのは難しいので、友人に手伝ってもらうのである。

公共の場所で浮遊写真を撮る時、natsumiさんはたいへん緊張する。多くの人がいる場所で浮遊写真を撮るのは非常に難しい。駅のホームや有名な観光地で、突然200回以上ジャンプすると、周囲の人に恐がられてしまう。みな直接声をかけることはなくても、小声でささやく人はいる。最も面白かったのは、観光名所で撮影していた時、おみやげ屋の店員が「あの娘は精神的に病気なのか?」「警察に電話した方がいいのでは?」と騒ぎ出したことである。100回ぐらい跳んだら、本当に電話しそうになったので、natsumiさんは店員に声をかけることにした。「ごめんなさい。今、結婚パーティーの余興の写真を撮っているんです。」すると彼らは「まあ、おめでとう!もっと跳んでください!」と言ってくれた。またある時は、街の中で撮影していたら、ちょうど親子連れがそばにいて、二人の子供が大喜びで彼女と一緒にジャンプを始めたのだそうだ。両親はちょっと迷惑そうだったが、子供たちは楽しくて幸せそうだった。しかし、普通はこのような状況では、納得のいく写真を撮るのは難しい。

生活の一瞬を切り取ることは、日常の中の非日常を捉えることであり、ある程度のリスクを覚悟しなければならない。幸いなことに、natsumiさんはこれまでに階段から落ちたことはないが、「もっといい浮遊写真を撮ろうとして、着地を考えないで無謀なジャンプをしてしまうことがあり、その結果バランスを崩して転んでしまうこともしばしば」だそうだ。そのために、彼女の身体は青あざがたえないという。

「浮遊」写真を撮るためには、まず撮影場所を探し、場所に合わせて構図を考える。先に構図を決めてから撮影場所を探すこともできるが、偶然見つけた場所で撮影するとポーズや状態のバリエーションが増えるので、いつも撮影機材を持ち歩くことが非常に重要だ。

セルフポートレートの撮影で最も大切なのは、美しい光を見つけることである。街の中で、ビルとビルの間の路地に信じられないぐらい美しい光が差し込んでいることがある。よく見ると、午前中の透明な太陽の光がちょうど良い角度で反対側のビルのガラス窓に反射しており、「太陽の光+ビルの反射光」という二重の光に包まれて、その場所を美しくしているのである。こうした時はためらうことなくその光の中に入って、すぐに撮影する。コンパクトなものでもいいので、三脚が絶対必要である。カメラはできれば手動でピントを合わせられるものがよい。オートフォーカスだと、ピントを合わせられないことがあるからだ。セルフポートレートはファインダーを見ながら撮影することができないので、たくさん撮影することが成功の鍵となる。

シャッター速度を1/500秒より速くする(暗い場所では1/320秒まで)と、画面がぶれにくくなる。背景はシンプルな場所を選ぶか、レンズのボケの効果を用いて浮遊している人物が手前に浮き出すようにする。これは撮影する時の光とも関係があり、natsumiさんは逆光を薦めている。露出をオーバー気味にして撮影すると、人物のシルエットが明るく光って、浮き出して見える。また、人物の表情も重要だ。浮遊写真を撮る時、実際にはジャンプしているのだが、うまく撮影すると浮遊しているように見える。しかし顔の表情に力が入っていると、ジャンプしているようにしか見えない。できるだけ冷静な表情でジャンプする必要がある。ジャンプの最初の瞬間だけ力を入れ、足が地面を離れたら全身の力を抜くのだ。しかしこのやり方は非常に危険である。地面に降りたときに、バランスを崩して転んでしまうこともあるからだ。だが、浮遊写真は着地の瞬間を写さないので、これでいいのである。

遠くの方を見ながら落ち着いた表情でジャンプするのは、比較的易しい。難しいのは、後ろを振り返りながらジャンプすることだ。ジャンプした瞬間に身体を無理にねじるので、遠くを見る余裕はないし、どうしても苦しそうな表情になり、何度も撮り直さないと理想的な写真が得られない。

立体浮遊写真の撮影方法】2台のカメラに同じレンズを取り付け、できるだけ近づけて水平に三脚を設置し、カメラにリモートシャッターを付ける。二台のカメラのISO感度、焦点距離、シャッター速度、色温度バランスの設定を同じにして、同時にシャッターを切る。

立体浮遊写真の鑑賞方法】主として平行法(parallel viewing)と交差法(cross viewing)の二種類がある。平行法は右目で右の写真を、左目で左の写真を見ると、正面に写真が重なって立体感が生まれる。交差法は左目で右の写真を、右目で左の写真を見ると、視線が交差して立体感が生まれる。写真を見るときには、自分に適した、奥行きが感じられる方法を選ぶとよい。*第ニ章の右上、階段の浮遊写真をクリックして、立体浮遊写真の世界を体験できる

natsumiさんの全装備】カメラボディ:Canon EOS 5D Mk2。レンズ:Canon EF50mm Fl.2L USM、EF24−70mm F2.8L USM、PENTAX 67用レンズ(アダプター使用)。三脚:GITZOのラピッドポール式三段+ボール運台(80年代製)

「私の浮遊写真は、セルフポートレートであり、日記です。自分の浮遊写真を見ると、自分ではない他人のように見えます。とくに良い浮遊写真が撮れたとき、その気持ちが強いです。」

「浮遊・セルフポートレート・日記の三つがセットになって、私のプロジェクトが成立します。日記であるためには、少なくとも一年間は撮り続けなければならないと考えています。今は他の撮影計画はありません。それから、セルフポートレートの方法にはいろいろあると思います。たとえば、人にシャッターを押すのを頼んで、ものすごく遠くから撮ってみたり……これもセルフポートレートだと私は思いますので、自由にいろいろ試してみたいと思っています。」

「通行人と一緒に浮遊写真を撮るのは壮観な感じになるかもしれませんが、一枚の浮遊写真のためにたくさんジャンプしなければならないので、通行人の方に突然お願いするのは申し訳ないですし、初めての人にいろいろお願いするとなると私自身が緊張してしまい、撮影に専念できなくなるので、今は通行人の方にお願いする予定はありません。」

「ときどき海外で撮影してみたいと思うこともありますが、写真発表の手段が日記なので、自分が普段生活している場所で撮影したいと考えています。もちろん、海外旅行をする機会があれば、海外でも撮影するでしょう。ただ、日記のためにわざわざ海外旅行を計画しようとは考えていません。どんな写真を撮るときも、撮る時は「一瞬」ですが、この「一瞬」を「永遠」にするために努力して撮影しています。今撮った写真を100年後の誰かが偶然見たらどう思うのかなと考えるとワクワクします。」

【名前】yowayowa camera woman = natsumi
    (yowayowaは日本語で「ひ弱な」という意味)
【暮し】東京。2匹の愛猫と一緒に生活。
【家族】父親は編集者、母親は保健師、両親共に健在。
【職業】フリーランス・フォトグラファー。アーティストのアシスタントをしながら、自分の作品を撮影している。
【仕事】主に浮遊セルフポートレート写真と、浮遊していない猫の写真を撮影している。
【趣味】子供の頃にモダンバレエを習った。怪談は苦手だが、父親の影響で水木しげるさんのマンガを読んでから、妖怪が好きになった。
【経験荒木経惟さんの「100人の女性を撮る」というプロジェクトで、100人の一人に選ばれた。写真は美術館に展示され、その後「東京恋愛」という写真集にも収録された。
【影響原久路さんの作品が好き。何となく見ると絵のように見えるが、よく見ると紛れもなく写真で、一歩離れて見ると、また絵のように見える。一万年前の洞窟壁画の時代にさかのぼれるような気持ちになる。「写真ならではの表現」として浮遊に魅力を感じたのも、原さんからの影響が大きい。
【ご縁】東京の恵比寿にある老舗中古カメラ店「大沢カメラ」。珍しいカメラやレンズがたくさんあり、とても親切な対応。店主の大沢さんには、数年前からレンズのことを教えてくれて、一緒に写真を撮ったりしている。

写真提供:Natsumi Hayashi

natsumiのBlog 「yowayowa camera woman diary」 http://yowayowacamera.com/ (日、英)
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