「パンダ」から「林竹」を想う
日本の「タイム誌」とも呼ばれる雑誌「AERA」で、昨年12月に「中国に勝った100人の日本人」という特集が組まれた。赤と白の大きな見出し文字のそばで、センスのよいファッションに身を包んで、朝日に向かって瀋陽商業城を堂々と闊歩する日本人女子学生。美しい顔には自信いっぱいの笑顔が浮かんでいる。彼女こそ、5年前に医学を学ぶために中国に渡り、現在は中国の美を愛する女性たちの間でたくさんの熱狂的なファンを持つ魅力的なブロガー、TOKYO PANDAさんである。
沖縄生まれで東京育ちのTOKYO PANDAさんは、中国最大のオンラインショッピングサイト「淘宝」の「紅人館(購入した商品を展示するコーナー)」に登場したことで、一躍注目を集めることになった。彼女の個人ブログへのアクセス数は400万を越え、北京、上海、杭州、瀋陽などの女子大生、OLたちが彼女のコーディネートを真似し、彼女にファッションの相談をもちかける。まだ27歳の若さだが、通販利用者が1億人を超える中国で、「ファッションリーダー」とも言える、驚嘆すべき地位を獲得しているのだ。
ふと、もう一人の27歳の彼女の笑顔が浮かぶ。去年の12月、中国で最も人気のある、都市に住む若者のライフスタイルマガジン「城市画報」の表紙に、まったく無名の女性の写真が載った。テーマを「21世紀の青年の史記」としたこの年末特集号では、ネットでの募集→ネットでの投票→審査員団の最終審査という方式で、時代と共に歩む2人の青年男女を選出した。そこで最多の票を得た女性が、この林竹さんだったのだ。
東京で、林竹さんとネットを通じて連絡を取ったことがあるが、実際にお会いしたことはなかった。この四川省出身の女性が、北京広播学院アニメ専攻を卒業した後、東京学芸大学で平面デザインを勉強したことを知っているだけだ。彼女が日本の雑誌「グラフィティ」に連載した漫画を読んだ時、普通の留学生が体験するできごとが、彼女の絵筆にかかると非常に面白いものになるのを感じた。その後、様々な「東京留学漫画日記」は、中国の若者の注目を集めるようになった。ある日、にぎやかな浅草サンバカーニバルを見ていた時、友人が優勝者の表彰台に立った美しい女性を指差してこう言った。「彼女が林竹だ。」
「パンダ」から「林竹」へ。2人の27歳の女性が、同じように故郷を離れて異国に渡り、同じように21世紀の最初の10年間の最後の月に有名な雑誌に登場した。……私は、その事実の中に隠されている、言葉では表現できない複雑に絡み合った関連を感じたような気がした。そうだ。まさにこの魅力溢れる時代が、若いTOKYO PANDAさんと林竹さんの魅力のすべてを作り出しているのだ。――「城市画報」にあったように、普通の人の誰もが、他人にとっての「アイドル」になることができる。普通の人の一人ひとりが大きな注目を受けるべきだ。――これこそ、私たちの時代の本質ではないだろうか。(姚遠執筆)
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