メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:点描ポーランドの風景/ワルシャワ編、2010.7(第二部)(2/2)-2  2010/11/12


[副 題] 点描ポーランドの風景/ワルシャワ編、2010.7(ポーランドから衆
愚政治に踊る日本への手紙)(第二部)(2/2)-2

(本 論) 

1 戦略的に個人の名誉と誇りを守るポーランド型自由原理が現代日本へ問
いかけるもの 

1−1 ポーランドの歴史から一貫して教えられること 

ポーランドの歴史から一貫して教えられるのは、個人と、その対極にある国
家との非常に過酷な緊張関係が存在してきたということである。言い換えれ
ば、それは「私」と「公」との間の<歴史時間的スパンの苛烈な鬩ぎ合いの
継続>がポーランド史の特徴であるということだ。 

20世紀において「ポーランド国家」が成立していたのは僅か33年間(両大戦
間期21年、1989年以降11年)のみで、同じく19世紀は驚くなかれ同0年(そ
の全てが外国列強の占領による三分割期)、18世紀は同71年間(1772年の一
次分割以前)だけである。 

つまり大国であった「ポーランド・リトアニア連合王国(1385〜1569)〜同連
合共和国(1569〜1771(95)/両者とも多言語・他民族共存時代)」を除くポー
ランド人の歴史では、<個人>と<国家>の立場(関係)が殆ど<国家⇔国
民>という形で一致しないことが多く、両者の関係では常に厳しい意識的選
択が求められ続けてきたことになる。 

このため、それ故にこそ、ポーランド人の歴史においては「統一権力の象徴
である国家」と「戦略的に個人の名誉と誇りを守るという意味での自由意志」
が<全く対等な関係>を持続できたということにもなり、このことは世界史
的に見ても、欧州史としても、稀だというより非常にユニークである。 

より厳密に言えば、それは、国家が消滅すること自体は歴史的に珍しいこと
ではないが、<ポーランドとしての一定の国家観念を共有する個の集団=シ
ュラフタ層の人々>が、その何度も消え去った<先進民主主義を実現した理想
の祖国>を長大な歴史時間の中で同時観念的にシッカリ持続させ、しかも最
終的に見事にそれを<現実の民主主義国家として>復活させたというユニー
クさである。 

その歴史的に長大な時間のなかで、<ポーランドとしての一定の国家観念を
共有する個の集団=シュラフタ層の人々>に強靭な持続力を与えたのは、他
でもないポーランドに特有な「戦略的に個人の名誉と誇りを守りとおすとい
う意味での自由の尊重=ポーランド型自由原理」の意志であった。 

そして、このポーランドに特有な「戦略的に個人の名誉と誇りを守るという
意味での自由意志=ポーランド型自由原理」の現実的な制度化の第一歩が
1652年のセイム議会で成立した「リベルム・ウェト(自由拒否権)」であった。
それ故に、これ以降のセイムでは一人の議員が反対すれば、審議自体が停止
することとなったのである。 

一般的な意味では、この「リベルム・ウェト」が、それ以降のセイムを機能
不全に陥らせ、それがポーランド国家の存亡を左右したという現実も全く否
定はできないかも知れぬ。しかし、この完全合意の国家運営が当時の不安定
な多民族国家の崩壊を防いだという事実も見逃すことはできない。しかも、
この「自由拒否権」は、現代の国連安全保障理事会における常任理事国の拒
否権として生かされている民主主義の一つの知恵のあり方でもある。 

なお、米国の公共経済学者ジェームズ・M・ブキャナン(新自由主義の立場
から小さな政府を提唱)は、この「自由拒否権」が象徴する非常に慎重きわ
まりない民主主義の伝統を踏襲するポーランドの議会制民主主義(当然、そ
れは最終的に『大きな政府』と釣り合うはず←ブキャナンの指摘)は、必然
的に民主主義の赤字を大きくして非効率なので、同じ<自由原理>でも、そ
れは現代アメリカのリバタリアニズム的自由原理とは異質で、後者の自由原
理の方が正解だとシュラフタ民主主義を批判している。 

ところで、既に触れたことだが、やがてプロイセン・オーストリア・ロシア
の3国による第一次ポーランド分割(1772)が行われた後の1791年(第二次分
割は1793年)に、“ヨーロッパで最初の成文憲法”とされる「5月3日憲法」
が制定され、そこで多数決制が導入されたため、この「自由拒否権」は廃止
された。 

そして、この「1791年5月3日憲法」こそがポーランドに特有な「戦略的に個
人の名誉と誇りを守るという意味での自由意志=ポーランド型の自由原理」
の現実的制度化の第二歩であった、といえるはずだ。しかも、この欧州初の
憲法であるポーランド「5月3日憲法」は仏革命(1789)と啓蒙思想の影響を
受けて国王とマグナート・シュラフタ(大貴族)の権利制限(上位権力に対
する授権規範性)、資産制限はあるものの氏素性(生まれ)に依らぬ参政権、
国権最高機関としての国会、地方主権、国民主権などを定めた非常に先進的
かつ画期的なものであった。 

しかしながら、現代における理想の民主主義を先取りしたともいえる「1791
年5月3日憲法」が誕生して「ポーランド・リトアニア連合共和国」が本格的
な立憲君主制への改革に乗り出した僅か2年後の1793年1月23日に、プロイ
センとロシアによる「第二次ポーランド分割」が行われたのであった。 

この列強諸国による二度目の蛮行にもかかわらず、戦略的に個人の名誉と誇
りを守る<ポーランド型自由原理>を強烈に意識したシュラフタ層を中心と
するポーランド・エリートらによる国家の独立回復と本格的な民主主義政権
を樹立しようとする意志は高まるばかりで、1794年には愛国者コシチュシュ
コのクラクフ蜂起(対プロイセン・ロシア連合軍)が起こったのである。 

1−2 現代ポーランドにも生きる、戦略的に個人の名誉と誇りを守るシュ
ラフタの伝統 

ポーランドのシュラフタは欧州諸国の貴族制とは似て非なる身分制である。
そのシュラフタには「マグナート・シュラフタと「と呼ばれる土地等の大資
産を所有する階層から「裸のシュラフタ」と呼ばれる殆ど無資産で農業に直
接従事するシュラフタまで、その資産規模については多様なヴァリエーショ
ンがあり、大シュラフタたる「マグナート」が西欧諸国の貴族にほぼ匹敵す
るとされる。 

シュラフタ身分の最大の特徴は、カジミエシュ3世(位1333〜70)による国内統
一が終わる14世紀中頃から始まるセイム(ポーランド伝統の身分制議会)で
一人一票の全く平等な投票権を資産の有無を問わずに持つ(資産格差がある
にも拘わらず大〜小シュラフタの間で平等な権利の共有意識が存在した)と
いう点だ。無論、一気に現代民主主義並みに「普通選挙権(庶民層も含めて
資産・収入の大小、性別、年齢等の制限を解除する)」の実現と迄はゆかず
先ずシュラフタ層内での一人一票であり、「1791年5月3日憲法」でも未だ
に<有産ブルジョアジー>止まりの一人一票ではあったが・・・。 

ともかくも、ポーランドの国内統一が成る14世紀中頃から始まった、このセ
イムにおいて全シュラフタが直接選挙で国王を選ぶ「自由国王選挙制度」が、
“ヤギエウオ朝で男系が断絶しヴァロワ家のヘンリク・ヴァレズィ(後のフ
ランス王アンリ3世)が異国のフランス貴族の中から選ばれた1573年(実に
英国清教徒革命の69年前!)に始まった”という、その歴史的に非常にユニ
ークで先進的な事実に先ず注目すべきなのだ。 

つまり、真に驚くべきことだが、これは、英国の「権利の章典(1688)」よ
り100年以上前の16世紀末のポーランドで「権利の章典」に匹敵する「立法
・行政・司法および課税」と「軍の規模決定と開戦手続」の議会承認制(後
者は軍罰法と呼ぶ)という<王権に対する現代の民主憲法的意味での授権規
範>が既に制度化されていたことを意味するからだ。 

のみならず、更にヘンリク・ヴァレズィ王と議会の間では「ヘンリク条項」
と呼ばれる“普遍的”という意味で真に“現代憲法的な協約”が結ばれ「信
教自由の原則、国王に対するシュラフタと貴族(マグナート・シュラフタ)の
抵抗権」などが明文化され、いわゆる「シュラフタ民主主義」の基本が、既
にこの時点で確立していたのである。 

しかし、かくの如く先進的でユニークな「シュラフタ民主主義」も1795年の
「第三次ポーランド分割」で完全消滅したかに見える。従って、三度におよ
ぶ<ポーランド分割なる列強諸国による国際犯罪>の目的が、この<非常に
先進的な民主主義を潰すこと>にあったとする歴史解釈(考え方)も一概に
は否定できないことになる。 

しかも、第一次世界大戦が終わり成立した「第二共和国憲法」(1918/国家
元首:ユゼフ・ピウスツキ)下でポーランドが復活するとともに<シュラフ
タ身分制>は同憲法で完全廃止されたにも拘わらず、その完全消滅から200年
以上の時間を経た現代ポーランドの各重要エポック(共産党独裁から自由主
義への体制転換、EU加盟などのとき/詳しくは下の<注記>を参照乞う)に
<ポーランド社会の指導的精神文化>として立派に復活していたのであった。
それは具体的にどのようなことを意味するのか? 

・・・・・・・・・・ 

<注記>現代ポーランドにおける重要エポックの概観 

・・・「社会主義体制崩壊→円卓会議→自由選挙実施→共産党独裁政権崩壊
→非共産党政権誕生→急激自由化政策と財政改革(格差拡大)→中道左派へ
回帰(社会的弱者への配慮)→中道政権へ回帰→EU加盟と現代民主主義確立
→現在に続く欧州でトップクラスの経済成長を確保」の各重要エポックで機
能したものこそが“現代的意味” で国民主権へ十分に配慮したシュラフタ民
主主義の伝統だ。別に言えば、それは一部特権階層の民主主義であったシュ
ラフタ民主主義そのものが観念同時レベルで今も進化しつつあるということ
だ(ポーランドの欧州におけるトップクラスの経済成長等の実績については
右を参照⇒★点描ポーランドの風景/ポズナン編、2010.7(ポーランドから衆
愚政治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/201)。 

・・・・・・・・・・ 

たしかに、シュラフタ身分制は1918年の「第二共和制ポーランド国家の復活」
とともに憲法上で完全廃止された。しかし、ポーランド国家が全く消え去っ
た約100年間とされる19世紀を挟む前後にほぼ重なる18世紀後半〜20世紀初頭
にかけてのポーランド人社会(国家としての形は殆ど存在しなかった時代)
において、実は、シュラフタ層からその他の多様な職業層へ向かう人的遷移
を伴う社会階層の変質(社会的地位⇒社会階層への再編成)が起こっていた
のである。我われは、この事実と併せて、シュラフタ層の全ポーランド語人
口に占める比率が10〜12%ほどの可也の大きさであることも想起しなければ
ならない(下図◆を参照乞う)。 

【画像】◆田口雅弘:19世紀ポーランドにおける社会階層の成立、http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/kansai/tag2002.htmより『図1』
を転載 

[f:id:toxandoria:20101111154115j:image:right] 

つまり、国家が消滅していた19世紀を挟む約100〜150年間のポーランド人社
会では、それ以前のポーランド国家における事実上の指導層(しかも欧州で
最も先進的な民主主義意識に基づく議会制民主主義を実現していた)である
シュラフタたちが大土地所有者、政治家、キャリア官僚、企業家、自由業、
知識人、都市ブルジョアジー、手工業者、工業労働者、農場経営者、自作農、
農業労働者など、ありと凡ゆる現代的な職業・社会階層へ遷移していたので
ある。 

因みに、16〜18世紀頃のシュラフタ層が全ポーランド人口に占める割合は
、「ポーランド・リトアニア連合王国(1385〜1569/多言語共存の時代)〜「同
連合共和国(1569〜1795/同前)」で7%程度、これをポーランド語人口に限
れば、10〜12%程度になるという推計が一般的である。対使用言語人口比で
10%程度は決して小さな数字ではない。例えば、ほぼ同時代のフランス貴族
の対全人口比が2〜3%程度であることからすれば全ポーランドに対するシュラ
フタの役割と影響力はかなり大きなものであることが理解できる。 

そのシュラフタの伝統は、例えば、「ポーランドの社会主義政策」が行き詰
った時に政府と反体制勢力らの関係打開の対話の場として約2ヶ月にわたり実
施された「円卓会議」で、ポーランドが実質的に「共産党一党独裁から新た
な二院制議会と大統領制へ向かう移行期」において、そして「自由主義経済
へ移行する転換プロセス」で、あるいは又「EU(欧州連合)への加盟プロセス」
などの肝要なエポックの場面で隠然たるリーダーシップを発揮して、幾度と
なく緊急事態を凌いだのであった。 

また、少し歴史を遡れば、18世紀後半に支配層身分であったシュラフタの中
で「ポーランド国民」の自覚と意志(一種のナショナリズム)が強化された
ときのことだが、「第一次ポーランド分割」(1772)の直後に「国民教育委
員会」が創設され、意識的に<ポーランド語を教育言語とする学校改革>が
行われるようになったことは余り日本では知られていない。この動きは寛容
文化政策を採ったハプスブルク(オーストリア)支配下のクラクフから始ま
りワルシャワ(ここでは主に地下活動家したが)まで拡がっている。 

[f:id:toxandoria:20101111154300j:image]そして、ドイツ語やロシア語を押
しつけたプロイセン・ドイツやロシアが領有した地域では、ポーランド語教
育の学校が密かに地下活動として実行されたことが知られている。ただ、オ
ーストリアが領有したクラクフが中心のポーランド南西部では言語・文化に
ついて寛容政策が採られたためポーランド語による教育とポーランド伝統文
化がウイーン(ハプスブルク)文化と融合してむしろ深化・成熟した。そし
て、この成熟したクラクフ文化がポーランド文化の近世と現代を結ぶ中継地
点となったことも記憶に留めるべきである(関連で下記★を参照乞う/画像は
クラクフ・チャルトリスキ美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチ『白貂(て
ん)を抱く貴婦人』)。 

★点描ポーランドの風景/クラクフ編(1)、2010.7(ポーランドから衆愚政
治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100731
★点描ポーランドの風景/クラクフ編(2)、2010.7(ポーランドから衆愚政
治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100803
★点描ポーランドの風景/クラクフ編(3)、2010.7(ポーランドから衆愚政
治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100806
★点描ポーランドの風景/クラクフ編(Appendix)、2010.7(ポーランドから
衆愚政治に踊る日本への手紙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100811 

また、このようにポーランド文化を保守する動きには、国家づくりの主柱
(国民主権、地方分権、弱者救済)を支える必須条件として<教育・文化の
最重視>を勧めたフランスの啓蒙思想家J.J.ルソーの影響もあったとされる。
ともかくも、シュラフタら指導層の人々が、たとえ国家が消えてもポーラン
ド語を教育言語とする学校教育が続く限りポーランド国家は必ず復活可能だ
という信念を観念同時的に共有していたことは間違いがない。その意味でシ
ュラフタ民主主義の伝統はポーランド文化を継承する強い意志と誇りの共有
の賜物であったということができる。 

1−3 ドイツとポーランドにおける『公』と『私』のあり方の共通点 

ところで、「戦略的に個人の名誉と誇りを守るポーランド型自由原理が現代
へ問いかけるもの」の冒頭で述べた「公」と「私」の相克の問題は(無論、
それはポーランドとは別の意味でのことなのだが…)ドイツにも存在する。
そして、それは大戦後のドイツが、歴史的に連続するドイツ国家たる『公』
の立場に立ちつつ、非人道的なホロコーストなどのナチスによる犯罪を個々
のドイツ国民へ夫々の分に応じて配分した責任範囲で処罰したことを意味す
る。 

なぜなら、歴史的に連続するドイツ国家(公)の司法(具体的にはワイマー
ル憲法下のドイツ国家の司法)がナチス犯罪を理由に「公」たるドイツ自身
(オールドイツ、つまりドイツの全国民)を有罪・極刑で裁くことは出来な
いからだ。それ故に自殺者以外の生存ナチス幹部やナチス党、SS隊、軍等
の要職にあった個人は国家権力を不法行使した無法分子として、純然たる
「私」(犯罪を犯した個々のドイツ国民)の資格で「公」(ワイマール共和
国(民主)憲法下におけるドイツ国家の司法)によって徹底処罰されたのだ。
 
このような意味で、契機となった歴史次元がドイツとポーランドでは全く異
なるものの、両国にはかくの如く厳しく苛烈なまでに「公」と「私」を峻別
しつつ、<国家>と主権者たる<国民>のあり方について理解するという次
元での共通点(=先ず、ドイツとポーランドで夫々の全国民が共通観念共有
するという前提)があるからこそ、両国間で「持続的歴史教科書対話」(参
照⇒http://www.polinfojp.com/kansai/pdrcznk.htm)などの良好な外交関係
が復活できたという現実があるのだ。 

言い換えれば、その原因と結果が全く異なるものとはいいながら、ドイツで
もポーランドと同様に(特に第二次世界大戦のナチス犯罪の処罰問題につい
てだが)非常に苛烈な「公」と「私」の相克が存在したのである。これこそ
がドイツとポーランドにおける「過去の克服」の大きな特徴である。翻れば、
我が日本において、連続する国家意志(「公」、より厳密に言えば民主主義
を志向するという日本国家の意識)が示す<責任ある意志>としての戦争犯
罪処罰がなされていないことが、「私」たる日本国民一人ひとりの<戦争犯
罪違法意識の薄弱さ>という現況を齎してしまったといっても過言ではない。 

このため、例えば、今回の米中間選挙で「共和党」躍進のブースターとなっ
た<ティーパーティー運動(∞→ポピュリズム・無政府型自由原理主義)>
と<オバマ型リベラリズム(∞→欧州型社会民主主義)>のいずれが“より世
界戦争へ接近するものであるか”を理解できる主要メディアと日本国民が僅
少という現代日本の恐るべきほど悲惨な現実が生まれている。 

2 未だに「公と私の相克」が不在ゆえに米型・ポーランド型、二つの自由
原理の違いが理解できぬ日本の悲惨 

あのアレクシス・ド・トクヴィル(1805-1859/仏の政治思想家)が冷静に観
察し、その危機的未来を予見したとおり米国は徹底した自由原理主義の国で
あり、特に、ここ約10年来の「第一次小泉政権」以降の(厳密に言えば、昭
和57年(1982)の「第一次中曽根政権」以降の)日本が、大きく米国型の自
由原理主義(リバタリアニズムに基づく市場原理主義)へ舵を切ってきたこ
とは周知のとおりだ。
 
そして、米国は本質的にリベラリズムよりは自然的リバタリアニズム(個人
主義的無政府主義に限りなく近い『小さな政府』志向)へ限りなく近づきつ
つある。そして、そのことは今回の米中間選挙でオバマに一撃を喰らわせた
ティーパーティー旋風が見事に象徴している。 

2009年1月に就任したオバマ大統領の“チェンジ”(リベラリズム)が今回
の中間選挙で“ティーパーティー旋風”に敗北したということは、見方しだ
いではあろうが、このような意味でのアメリカの本質である自然的リバタリ
アニズムへ重心が傾いたことを意味する。そして、この先のアメリカが更に
どの方向へ向かうのか、それがどれだけの振幅と度重なる揺り戻しで蛇行し
続けるかは未知数である。ただ、少なくともいえるのは、金融市場原理主義
に関わる革命的なほどドラスティックな動きが大きな方向性を決めることに
なるだろう、ということだ。 

また、一つ考えられるのは、リバタリアニズムのなかから、「仕掛型戦争の
拡大、没落中間層の更なる拡大、貧富差と弱者層の更なる拡大」などの非常
に多大な人的犠牲と大いなる人的能力の無駄(人的・人材的資源の浪費)と
いう大迂回路を経由した挙げくにして、漸く「必要悪」としての政府の最低
限の介入を認める「最小国家主義」(右派リバタリアニズムの一種)か、あ
るいは「ポーランド型自由原理」を(再)発見することになるのではないか、
ということだ。 

ここで、我われはポーランド分割時代の19世紀末〜20世紀初頭のポーランド
人社会のエリート層で興った、あの「ポジティビズム(positivism)」を想
起すべきかも知れない。 

これは、まさにプラトン流の「賢人(哲人)政治」を連想させるものであっ
たが、既に見たとおり、この考え方の背景にあるのは「シュラフタ民主主義
の伝統」であり、更にその根底には<ポーランド人の歴史においては「統一
権力の象徴である国家」と「戦略的に個人の名誉と誇りを守るという意味で
の自由意志」が全く対等な関係を持続してきたという苛烈な現実がある>と
いうことであった。 


また、このプラトン流「賢人(哲人)政治」(≒シュラフタ民主主義)が西
欧の社会民主主義を基盤とする<社会下の経済の考え方>に近いものである
(というより、西欧の政治文化はヨーロッパの心臓たるポーランドから無意
識のうちに、かなり豊富な養分を吸ってきたともいえる)ことは論ずるまで
もないであろう。 

別にいえば、これは「私」と「公」との間の<歴史時間的スパンの苛烈な鬩
ぎ合い>がポーランド史の特徴であるということでもあった。そして、その
「私」と「公」との間の<歴史時間的スパンの苛烈な鬩ぎ合い>こそが、そ
の歴史的に長大な時間のなかで、一定の<個の集団=シュラフタ層(中間層
・賢人層・エリート層・開明層・倫理意識層)の人々>に対して「理想の民
主主義国家の復活・持続させようとする持続的で強靭な意志=シュラフタ型
のノブレス・オブリージュ意識」を与えたのであった。 

ところで、今回の中間選挙でオバマ大統領に痛烈な一撃を与えたのは“ティ
ーパーティ”であるが、その名の起こりである「ボストン茶会事件」(1773)
は、そもそも当時の宗主国・英国が長期化した米植民地戦争の過重な戦費負
担を米植民地側住民へ輸入関税の形で押しつけたことへの抵抗であり、ここ
にも形を変えた「公」(宗主国)と「私」(米植民地住民)の間の苛烈な相
克が存在したのだ。 

無論、その後の米国史と経済社会の流れはリバタリアニズム、アイン・ラン
ドの客観主義哲学などに毒されつつポピュリズム(衆愚政治)への道を辿っ
てきた訳だが、漸く、ティーパーティーがオバマのチェンジを現実的に否定
した挙げくに、しかも今後予想される多大な人的犠牲と壮大な人的・人材的
浪費という迂遠な道を経由して、漸く、<ポーランド型自由原理>の意味が
分りかける方向へ向くかも知れぬという微妙な歴史へ踏む込みつつあるかに
見える。 

然るに、我が日本では、このような意味での「賢人(哲人)政治」方向への
中枢を担うべきエリート層の代表たる主要な記者クラブ・メディアは相も変
わらず「小沢の政治とカネ」という実効権力側がでっち上げた虚構のプロパ
ガンダ的ニュースバリューの追っかけに終始し、肝心の菅民主党政権は、尖
閣ビデオ問題の“あたふた”とTPPを初めとする米型自由原理主義の外圧に煽
られるばかりで日本の未来を先導する経済的・人材的パワーを根こそぎ浪費
し尽くした<憔悴・腎虚のブザマ政権>と化しつつある。 

また、本来であれば、民主主義国家・日本における三権分立の一角で「公」
と「私」の相克の公正なる審判者となるべき「司法」(法務省・裁判所・検
察)が「司法権力」自身の余りにも阿漕で狡猾な<人間的欲望にかかわる諸
問題(証拠改竄、検察&裁判所裏ガネ問題など)>で<大信用崩壊のリーマ
ン型ショック状態>の蟻地獄に嵌りつつある。 

<関連参考ツイッター情報> 

Hanachancause 2010.11.09 23:23
検事総長←これこそ仕分けしたら? 税金で「麻布に800坪の大豪邸」暮
らし『週刊現代、11/20号』 

hanachancause 2010.11.09 23:17
hatatomoko続き 事務次官18人・外局長官級34人計52人。検察庁の同額年収
は59+82=141人、裁判所185+251=436人。各府省8.3%、検察庁22.4%、裁
判所69.3%。各府省局長61人の年収は約1,900万で同額年収は検察庁166人、
裁判所290人。ここまで高給の必要なし。 

hanachancause 2010.11.09 23:19
司法が法律違反? RT @penate3: @leonardo1498 @yurikalin @cinamochan @rolling_bean @hanachancause @hanayuu みんな1800万円の上限以上だ。 

hanachancause 2010.11.09 23:18
RT @yurikalin: 国民から財産と人生を搾取する為だけの巨悪組織!国民を食
い物にする敵!怒RT @leonardo1498司法官僚は高級官僚の巣窟cinamochan@rolling_bean@hana@hanayuu' target='_blank'>http://bit.ly/cKka53@cinamochan@rolling_bean@hana
@hanayuu 

hanachancause 2010.11.09 23:16
RT @leonardo1498: 1200人が「小沢復活コール」のデモ、日刊ゲンダイ http://t.co/IgRmDrA :@niftynews @yurikalin @cinamochan @rolling_
bean @hanachancause @hanayuu 

hanachancause 2010.11.09 23:15
驚愕の現実! RT @leonardo1498: 司法官僚は高級官僚の巣窟。事務次官級
長官級年収2,100万以上577人。国民の税金で冤罪作yurikalin@cinamochan@rolling_bean@hana' target='_blank'>http://bit.ly/cKka53@yurikalin@cinamochan@rolling_
bean@hana @hanayuu 

hanachancause 2010.11.09 18:49
leonardo1498高級官僚の巣窟。@hatatomoko:ポスト・現代、検察官高給記
事。事務次官級年収約2,300万の検事正・高検次席等59人、外局の長官級年
収約2,100万の最高検検事・検事正等82人。裁判所は、次官級の判事185人、
外局長官級の判事251人。裁判所と検察庁が霞が関最高権力者 

これら由々しき諸問題の根本は<日本社会にポーランド型ないしはドイツ型
という意味での「公と私の厳しい相克」の観念が欠落している>ことにある
と考えることができよう。すでに見たとおり、ドイツ・ポーランドの両国に
は歴史時間的な意味での次元の違いはあっても、ポーランド・ドイツのいず
れもが自らの国の歴史のなかで「公と私の関係について苛烈なまで思考を深
めた結果として、自らの国家の存亡を自律的に決定してきた>という本物の
<国家経営パワーの伝統>を持っている。 

ところで、このまま筆を置けば観念的話題に終始したことになるので、共産
党一党独裁体制が崩壊して自由化した後の<ポーランド経済の現況>に少し
だけ触れておく(以下は下記◆で書いた内容からの一部転載である)。 

◆日本が学ぶべき、解放&EU加盟で“貧農国・欧州の片田舎”の偏見を払拭
した現代ポーランド人の冷静な歴史観、国民主権意識、少数意見尊重(解放
後、一貫して好調な現代ポーランド経済の核心にあるモノとは何か?)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100901 

毎年6月上旬にポズナンで開催される国際産業見本市(Innovations-
Technologies-Machines ITM Poland)は、2004年のEU加盟以降、その開催規
模が年々拡大している。そして、このことは近年におけるポーランド経済の
好調と無関係ではない。 

つまり、1990年の解放(共産主義から自由主義経済へ体制転換する)以前に
民間企業がポーランドのGDPに占める割合は僅か7%で残りの93%は国有企
業であったが、それから約20年を経て、今漸くその民間比率が70%程度に達
したところだ(情報源、http://www.jetro.go.jp/jfile/report/05000492/05000492_002_BUP_0.pdf)。 

これは東欧諸国のなかで最も遅い達成率であるが、その間、シュラフタ民主
主義の伝統たる少数意見を尊重するコンセンサス重視型のポーランドの政治
状況は外部から観察する限りでは一進一退で殆ど停滞し続けているように見
えた。 

にもかかわらず、世界不況に見舞われた2009年の経済成長率1.2%は、ポーラ
ンドが欧州連合(EU)の中で唯一成長を達成した国であることを明確に示し、
同国の1人当たりGDP(国内総生産)も2009年の「EU平均の50%相当額」から
56%レベルへ拡大しており、これは過去最高の伸びとなった。 

経済協力開発機構(OECD)の発表でも、経済成長率は大方の予想をはるかに
上回る1.8%と判明し、ポーランドは2009年の欧州連合(EU) 加盟国でプラス
成長率を達成した唯一の国となった。OECD加盟国でポーランドの他にプラス
成長を達成したのは韓国 (0.2%)とオーストラリア(1.3%)の2カ国のみで、
2009年のポーランドはOECD加盟国の中で最高の成長率を見せた。 

また、ポーランド国立銀行(中央銀行)は、世界金融危機(リーマンショッ
ク)前の非常に早い時期(2001年頃)において既に深刻なバブル崩壊(世界
的金融パニック)の到来を察知・予想しており、既にその頃からポーランド
国立銀行が市中銀行に対し様々な貸し出し規制策を導入してきたことが知ら
れている。 

更に、物価下落から生じる購買力拡大を調整した1人当たりGDPで見ても、今
のポーランドは欧州で6番目に大きな経済規模を誇る国となっている。そのう
え、ポーランド経済の明るい要素として、もう一つ挙げておくならば、それ
は国民の間で起業(ベンチャー)精神が旺盛になっており、それが益々活発化
していること、そしてベンチャー企業に対する国の支援体制が非常に充実し
ていることだ。 

実は、このように凡そ解放後20年目にあたる今のポーランド経済が好調であ
ることの深奥には、大方の“悲観的な予想”に反した「ポーランド農業問題
の好転」という事実があるのを見逃すべきではないだろう。 

我々は、旧共産党政権時代の、あるいは第二共和国時代(20世紀初頭)の、
あるいは更に遡りポーランド分割時代(18〜19世紀頃)の“貧農国・欧州の
片田舎ポーランド”というドグマを今や払拭すべきなのだ(この類のドグマ
に囚われた“最も悲観的予想”の実例には下記★がある)。 

★森本暢:ポーランドの農業問題/EU加盟に向けての課題、http://www.polinfojp.com/kansai/moriki1.htm 

現代の日本人の多くは、“理念追求と客観性の保全”そして“本来の責務で
ある相互批判・検証の義務”まで放棄して“サルのマスタベーション(エン
ドレスの自画自賛とマッチポンプ常習犯)”状態と化した主要テレビ・新聞
等の“ヤラセ型マスゴミ”に日々に洗脳され、悪意に満ちた“プロパガンダ
放射能”で日々に脳ミソが被爆し続けている。そして、日本における「国民
の一般意志」はポーランドと対照的にひたすら流動化し、多次元感覚が劣化
(衆愚化・ミクロ化・平準化=地べたを這うアリの如く、その視覚は二次元
化)するばかりである。 

かくの如く、今や東アジア辺境(極東)の“閉鎖的で貧相な片田舎”と化し
つつある我が日本は、“かつて貧農国・欧州の片田舎と揶揄された”時代か
ら現在に至るまでの「ポーランドの政治・経済・言語・文化の並々ならぬ過
酷と苦闘の歴史」を真正面から凝視し、それを他山の石とすべき時なのだ。
まして、ポーランドは未だに“ド貧農国で欧州の肥やし臭い片田舎だ”との
時代錯誤観念にドップリ浸かる向きは、その眼球を覆う暗いドグマの薄皮を
ひんむき、縮れた剛毛が覆い尽くすドス黒い穴の奥から巨大なドグマの耳垢
をかっぽじり出すべきだ。 

[f:id:toxandoria:20101111154941p:image:right]いよいよ2011年7月
には、ポーランドがEU議長国(任期6ヶ月の輪番制)になる予定で、ポー
ランド日刊紙「ガゼタ・ヴィボルチャ(Dziennik Gazeta Prawna)」によれ
ば、ポーランド外務省は、EU議長国になるにあたり、1.1億ユーロを費や
すとされる。が、EU盟主国の筆頭格であるドイツ・フランス両国はシュラ
フタ精神の伝統を引き継ぐポーランド指導層の人材的貢献にこそ期待をかけ
ていることが伝えられている(関連参照⇒
http://www.bashotsu.jp/299/)。 

ともかくも、このような訳で、現代のポーランドは、米国型とは異なる、も
う一つの自由原理のあり方、つまり<ポーランド型自由原理(中間エリート
層が詭弁政治型ならぬ賢人(哲人)政治型の自由を徹底的に追求する方向)>
が可能であることを歴史経験的に学び、国家そのものを持続させるエネルギ
ーにまでそれを高め、かつ具体化(政策化)することに成功しつつあるとい
える。 

しかも、そのことの気づきと全国民をその方向へリードする意志と高い倫理
観をポーランド(およびEU(欧州連合)の盟主国であるドイツ)のエリート
層が、それぞれ観念同時的に共有していることが窺われる。これに比べれば、
我が国におけるエリート中のエリートである司法官僚らが根っこから腐敗・
堕落していることは真に致命的で悲惨だ。無論、その悲惨(巨額の無駄な税
負担、中間層と雇用の大崩壊、超貧富差拡大、超低賃金層の拡大、健全な資
本主義発展可能性の阻害etc)を背負わされているのは我われ一般国民であるが・・・。 

(エピローグ) 
堕落しきって眼が曇り、人が生きる三次元空間が見えなくなった司法官僚・
記者クラブメディアら日本のエリート層へ贈るコトバ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101107より転載 

◆秋の風景、そして記憶のエコノミーについての断章=『人間の政治・経済
学の可能性を零れ落ちる秋の錦繍美の豊かさのなかに感じる・・・』 

・・・(前、略)・・・もちろん私たちはあらゆる出来事を記憶することは
できない。 

そこには不可避的に「記憶のエコノミー」が働かざるをえない。 

この「記憶のエコノミー」は、現実のエコノミー(市場原理)と同様に、き
わめて残酷な側面をあわせもつ。 

ある種の有効性の原理、ほかでもない、その出来事をいっそう忠実に記憶し
てゆくうえでの有効性という原理のもとで、零れ落ちてゆくもの、あるいは
意図的に排除されてゆくものが無数にあるのだが、我われは、その零れ落ち
てゆく錦繍の美にこそ癒されるのではないか・・・。 

・・・後、略・・・表題および末尾の一行以外は、[笠原一人・寺田匡宏=編
:記憶表現論(昭和堂)]より部分転載 
Caruso - Lucio Dalla & Luciano Pavarotti
[http://www.youtube.com/watch?v=tRGuFM4DR2Y:movie] 

[f:id:toxandoria:20101111160300j:image]ほか

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。