風の中の命のマフラー
日本の新学期は、いつもなら温かな秋風と、美しく輝く紅葉と、ふくよかな栗の香りと共にやってくる。この美しい島国では、「文化の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」という言い方があり、確かに人々が期待をもって迎える豊かな季節である。だが今年は夏の酷暑がいつまでも尾を引いて、つい昨日まで暑さが続いていたと思ったら、突然北海道から初雪のニュースが伝わってきた。今年の秋は消えてしまったのだろうか?――盛夏からいきなり冬に突入した日本列島で、おろおろしている状態だ。
この秋のなかった年に、一人の小学校6年生の少女が、苦しみの中で自分の幼い命を絶ってしまった。彼女は上村明子さんといって、母親が外国人であることなどから同級生のひどいいじめを受けていたそうだ。「きたない」「近寄るな」などと酷い言葉を投げかけられるだけでなく、給食の時間にも一人で食べざるを得なかった。そのため、父親が少なくとも10回は学校に解決を求めたが、何の進展もなく、来年の4月に中学に上がる時に転校するまでと我慢していた。しかし、明子さんの命はぷっつりと絶たれてしまった。
明子さんが自分の命を絶った道具は、彼女が心を込めて編み、母親にプレゼントする予定だったマフラーだった。――このことを知って、良識を持つ多くの人々が深く心を痛めたに違いない。アニメやネット、SNSやブログが溢れかえる現代にあって、何人の子供たちが自分の手で母親のために寒さを防ぐマフラーを編もうとするだろうか?――このように親思いな子供だったのだ!一方、その小学校の校長がいじめの事実を否定している様子を見たが、その終始責任を回避して自己弁護をする言葉は、人々を深い悲しみと怒りに駆り立てたことだろう。
もし私が明子さんの担任教師だったとしたら、給食の時に彼女が一人でいたら、他の生徒になぜ一緒に食べないのかと聞き、「また今度」などの拒絶の言葉に遭ったら、決してそのまま放っておくことはしないだろう。友情を強制することはできないということは分かっているが、少なくとも私は明子さんのそばに座り、「先生が一緒に食べよう」と静かに彼女に言っただろう。私が明子さんの両親だったら、聞きがたいようないじめの言葉を知ったら、彼女に困難に強く立ち向かうように言うだけでなく、自分を守ることを学ぶように彼女に教え、「お父さんとお母さんは永遠に明子を支えるよ」と言っただろう。……しかしすべては私の一方的な願いに過ぎない。失われた命を呼び戻すことはできないのだ。愛情がいっぱいこめられ、恨みもいっぱい込められたマフラーに寄せて、冷たい冬の夜に寂しく沈黙するだけだ……。
今年の秋は消えてしまったのだろうか?――盛夏からいきなり冬に突入した日本列島で、1人の幼い心がいじめの中で静かにその動きを止めてしまった。このような悲劇が再び起こらないようにと祈るだけだ。――冷たい冬の風に向かって、私はこうして心の底からの願いを捧げる。(姚遠執筆)
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