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[ウロボロス的妄想]ある“強い意志”に従い益々“疑似自民党化”する民主党 に安堵し偏差値教育の呪縛に無頓着な赤心の日本臣民 <注記0>当記事の画像は、下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100916 <注記> ●当内容は[9.15/続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつと めている意味、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100915 の[本題]と[副題](下記★)を逆転させるつもりでいたものを更に[改題]し、 <関連情報を二つ>付記したものである。 ★[9.15本題] 続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつとめ ている意味 ★[9.15副題] 民主党代表選を巡る多様な雑音で観察されたのは我々が「教育 =受験勉強」なる作為の偏差値信仰に体よく騙されていること ●なぜなら、この<二つの関連情報(下の“付記情報1&2”)>を高みから 併せて俯瞰すると、[明治20年前後に日本の国制に巧妙に仕込まれた非公式実 効権力システム(主犯:伊藤博文)たる司法をプロイセン憲法型の王権神授説 の 司祭と位置づけつつ、超時代的にかつ未来永劫にわたり、それを世襲させよう とする“日本超支配への意志”を共有するグループ、及びその最有効手段とし ての偏差値教育(=認証官を頂点とする中央官僚システム)原理主義の悪意に 満ちた非民主主義的な意味]がリアルにイメージ化できるからだ。 ●この特異な日本の[国制と司法の馴れ合いの構図]を一言でいえば、それは[そ もそも日本の国制が明治期以降から今に至るまでアノ北朝鮮型であった]とい うことだ。それに気がつかず、その原点回帰(=改革政党である筈の民主党が 自民党化すること)への動向に大いに安堵する日本国民の多くは、まさに“赤 心の日本臣民”という他はない。 ●従って、この[司法(裁判・検察・法務官僚ら)と、この“非民主主義的な 日本支配の意志”の馴れ合いが仕組んだ巧妙な洗脳システム]をリセットし、 そのマインドコントロールから日本国民を真に解放するために有効なのが、 ポーランド伝統の[シュラフタ民主主義という歴史的に見ると非常にユニーク な知見]だと思われる。 ●無論、シュラフタ民主主義の始まりはシュラフタら特権階層(エリート層) のためのものであった。しかし、これがユニークなのは、その後の過酷なポ ーランド史(ポーランド分割による国家の消滅、それどころかポーランド民族 とポーランド語が消滅する危機さえあった)の過程でエリート階層の優れた 「観念同時」的精神作用が、その民主主義の理念自体を現代民主主義の方向 (全ての国民主権を確保できる方向)へ着実に深化させてきたという歴史的事 実があること、そして、それだけでなく今もそれが進化中だという点にある のだ。 ●それは、<日本国憲法が下賜型『偽装民主主義』の司祭たる“偏差値的意 味で優秀”な官僚組織・官憲・官房らを正統化する唯の安証文と化した日本 (最高裁判所が違憲審査を忌避し続けていることを意味する)、いわば多剤 耐性菌化した悪性『偽装民主主義病』に侵された現代日本>の治療には、日 本の教科書的な意味での<英仏米型の市民革命のプロセスが育んだ現代民主 主義>なる学校優等生型の精神環境(理想)が、もはや有効性を失ってしま った状況と余りにも対照的である。 ●このように歴史を大きく俯瞰する意義が理解できぬ向きには、もう一度 「近世から近代へのターニングポイントとされるフランス革命の歴史」をお 浚いすることをお勧めしておく。ともかくも、1789年7月14日のバスティー ユ牢獄襲撃は、そのあと約90年もの非常に長い時間を経てたうえ、「第三共 和制」(憲法制定/1875/二院制での普通選挙実施)下で一つの区切りを迎え、 更にそれから約30年後の「政教分離の原則」(1905/Loi de separation des Eglises et de l'Etat)が確立することで漸く現代民主主後の形となったの だ。 ●更にそれよりも、バスティーユ牢獄襲撃の主役とされた、赤いフリジア帽 が象徴するサンキュロット(sans-culotte)、つまり最下層の労働者階層の人 々が、1793年のジロンド派の粛清と1794年のジャコバン派、ロベスピエール のギロチン処刑とともに失墜してしまった(フランス革命の主役から消去さ れた)という厳しい現実があることを凝視すべきだ。結局、更なる紆余曲折 はあるものの、この後のフランス革命史の立役者はブルジョアジーと労働貴 族たちということになる訳だ。 [付記情報1] 『菅氏再選「評価」81%、内閣支持率71% 本社世論調査(菅首相続投は国 民の大多数が支持しているのです!)』、http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/193.htmlより転載 日本経済新聞社とテレビ東京が14、15両日に実施した緊急世論調査で、菅直 人首相が民主党代表に再選されたことについて81%が「よかった」と答えた。 理由(複数回答)では「首相が頻繁に代わるべきでない」の72%が最多で 「小沢一郎氏に首相になってほしくない」の46%が続き、消極的支持が多い ことも浮き彫りになった。 菅内閣の支持率は71%と8月の前回調査から17ポイント上昇した。 内閣支持率は菅政権発足を受け6月上旬に実施した調査の68%をも上回り、 昨年9月の政権交代直後の鳩山内閣の75%に迫る高さ。不支持率は前回調査 を13ポイント下回る24%だった。 菅氏の再選を「よくなかった」と答えたのは16%。理由を複数回答で聞くと 「指導力がない」(52%)が1位。 「政策が悪い」(35%)、「小沢氏が首相になってほしい」(31%)と続い た。 小沢氏の政府や党の重要な役職への起用については「起用すべきでない」が 61%に達し、「起用すべきだ」の29%を大きく引き離した。「政治とカネ」 問題を抱える小沢氏への拒否感が依然、強いことがうかがえる。 首相が消費税率の引き上げなどについて超党派で議論する意向を示している ことには「賛成」が46%。「反対」の44%をやや上回った。 民主党の支持率は46%と前回から6ポイント上昇し、菅政権発足直後に次ぐ 水準まで回復した。 自民党は横ばいの23%だった。みんなの党は7%と2ポイント低下した。 調査は日経リサーチが全国の成人男女を対象に、乱数番号(RDD)方式に より電話で実施。有権者のいる1553世帯から952件の回答を得た。回答率は61.3%。 日経新聞 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E3E7E2E 18B8DE3E7E2EBE0E2E3E29F9FEAE2E2E2 [付記情報2] 小沢氏敗退の意味するもの(永田町異聞、2010.09.15))、http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10649096051.htmlより転載 菅直人氏は3ヶ月ちょっとで総理交代というぶざまな事態を免れた。 「総理がコロコロ変わったら外国に信用されない」と本気で信じている人た ちも納得できる結果になった。 小沢総理の誕生を恐れた官僚たちや、「政治とカネ」のウソをつくりあげた 検察、マスメディアもひと息ついた。 その代わり、この国の人々はひょっとしたら、大きなチャンスを逃したかも しれない。 小沢一郎氏の言う政治主導が、巨大な霞ヶ関を自在に動かすことができるか どうかという、歴史的な実験を見るチャンスを、である。 アムステルダム大学教授で、ジャーナリストとしても著名なカレル・ヴァン ・ウォルフレン氏が中央公論に寄稿した論文を思い出してみたい。 「小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひ とりである。ヨーロッパには彼に比肩し得るリーダーは存在しない。政治的 手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点 で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない」 外国の識者がこれほど絶賛する政治家が、日本においては、ダーティなイメ ージを塗りたくられて不当に貶められている。 その首謀者はウォルフレン氏が言う「非公式な権力システム」である。 「あらゆる国々は公式の政治システムに内在する実質的な権力システムとい うべきものを有している。軍産複合体や巨大金融・保険企業の利益に権力が 手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この10年間のアメリ カの政治など、その典型例だといえよう」 日本における「非公式な権力システム」とは、政治家の力を骨抜きにして、 官僚が国家を支配する仕組みだ。 その起源をたどれば明治20年前後にまで、さかのぼらねばならない。 大久保利通ら藩閥の大物が亡くなったあと、政府の実権を握るようになった のは伊藤博文と山県有朋だった。 「非公式な権力システム」の構築者は山県有朋だ。 富農層の政治参加要求がもたらした自由民権運動は、憲法制定と議会開催を 求めて盛り上がり、各地の演説会場はあふれるほど聴衆がつめかけた。 山県はそれまでの支配構造を脅かすこの運動に危機感をおぼえ、運動を弾圧 し、憲兵を設け、警官にサーベルをもたした。オモテに立つ伊藤は立憲君主 制を唱えたが、ウラで山県は統制、規制、刑罰を強めた。 政府は明治23年の憲法施行、帝国議会開催を約束したが、それまでの間に、 山県有朋は周到に、自分たちが握ってきた太政官の権力を温存する仕組みを つくりあげた。 「天皇の軍隊」「天皇の官僚」。軍隊や官僚は神聖なる天皇のために動く。 政治の支配は受けない。そんな魔法をかける杖を制度の中に埋め込んだ。 天皇の神格化を進めるためにつくられたのが「軍人勅諭」や「教育勅語」 だった。 昭和になって、統帥権の名のもとに軍部の暴走を許したのも、その魔法の 杖が働いたからである。 戦後、新憲法が制定され、国民主権が謳われても、天皇の官僚は、国民の 官僚とはならなかった。 「天皇」に代わって「国家」という概念を掲げた官僚は、いぜんとして、 支配者であり続けた。 国民は主権者ではなく、国民に選ばれた政治家は、官僚に操られる存在で あり、大臣は省庁のお飾り的な代弁者に過ぎなかった。 記者クラブを通じて、官僚機構はメディアも掌中にした。国民主権の議会 制民主主義は名ばかりのものであった。 ウォルフレン氏は言う。「日本の官僚機構に備わった防御機能は、まるで 人体の免疫システムのように作用する」。 免疫システムが働くと、動き出す暴力装置が「検察」であり、その宣伝機 関が「マスメディア」である。 「検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。 彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を 探し、場合によっては架空の事件を作り出す」(ウォルフレン氏) そのターゲットになったのが、いうまでもなく小沢一郎である。 マスメディアは軽々しく「二重権力」という言葉を使うが、「公式」な政 治システムを闇で動かす「非公式」な権力システムの一翼を担っているの がメディアそのものであるという認識が、まったく欠落している。 さて、この「非公式権力システム」を解体し、権力の真の一元化をはかる ためにこの20年近く奮闘してきた小沢氏は、まさにこの非公式権力機構 に洗脳された移り気の世論によって排除された。 菅直人氏に、恐るべき「非公式権力システム」に立ち向かう勇気があるだ ろうか。少なくともこの3ヶ月を見る限り、悲観的にならざるを得ない。 「中央官僚が握る権限と予算を、地方へ移さなければ、根本的な改革はで きない」という小沢氏の主張を、菅首相は代表選の期間中、繰り返し聞い たはずである。 官僚が嫌がることでも果敢に実行しなければ、この国のかたちはいつまで も変わらない。官僚にほめられることは心地よいが、それでは政治を快楽 主義に陥らせ、小手先の戦術を弄するもととなる。 頭脳集団としての官僚組織をいかに生かすべきかを菅首相には今一度、よ く考えてもらいたい。 最後に、メディアに対するウォルフレン氏の警鐘を引用し、締めくくりと したい。 「日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より 健全な民主 主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のよ うにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げる のを止め、国内と国際政治 の良識ある観察者とならなければならない」 ・・・・・・・・・・ ■[ウロボロス的妄想] 民主党代表選を巡る多様な雑音で観察されたのは我 々が「教育=受験勉強」なる作為の偏差値信仰に体よく騙されていること [副 題]続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官をつとめて いる意味 ・・・・・以下は[続、竹内外務次官(当時)が、いま最高裁判所裁判官を つとめている意味、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20100915]と同じ内 容なので省略。・・・・・ |