2010年7月14日 特別増刊(第42号)
木漏れ日の中から語りかける森の妖精…。そんな表現が似合う、神秘的な雰囲気を持つシンガーソングライターの北村優希さん。主に都内で路上ライブ活動を続け、31歳というアーティストとしては遅咲きとも言える年齢にして昨年CDデビューを果たした。華奢な体からは想像もつかないような、圧倒的歌唱力と思いやりに溢れた優しい歌詞で、多くの人から支持を得ている。そんな北村さんの魅力を探るべく、インタビューをおこなった。(林愛香取材・執筆)

音楽は幼い頃からの夢

Q:音楽を志したきっかけは何ですか?

「音楽は幼い頃から私の喜びであり、夢でした…。実は、子どもの頃から漠然と、人生には辛いことがたくさんあるのだと感じていました。そんなとき、おそらく3、4歳の頃だと思うのですが、テレビの中でキラキラと輝きを放ちながら歌うアーティストに衝撃を受けて、自分もあんなふうに人々に元気を与えられる存在になりたいと思いました。その頃から今まで、その気持ちは揺らいだことがありません。」
 
幼い頃からの夢を叶えた北村さん。路上ライブを始めると多くの人が足を止め、その美しい歌声と胸に響く歌詞に聴き入る。そして北村さんのお陰で辛い時期を乗り切れた、いつも曲を聴くたびに勇気付けられるという人が、励ましと感謝の声を掛けていく。だが、そんな北村さんも、デビューまでには長い道のりと多くの困難があったという。

体育会系だった学生時代

Q:子どもの頃から夢を叶えるべく、音楽を習っていたのですか?

「いいえ、それが物心ついた頃からの音楽への思いとは裏腹に、特に楽器などを習っていたわけではありませんでした。父がホノルルマラソンに出場するなど、いわゆる体育会系一家に生まれた影響から、学生時代はテニス部とソフトボール部に所属していました。でも、学校の音楽の授業は本当に楽しくて、いつも人一倍張り切っていました。いつか歌手になりたいと密かに夢を膨らませながら、ノートの片隅に詩を書き連ねたりもしていました。しかし、それから今日のプロ活動に至るまで、かなり長い年月を必要としました。」

デビューまで-長かった道のり-

Q:高校卒業後はどんな進路を歩まれたのですか?

「高校卒業後も、まだ今のようなシンガーソングライターというビジョンがはっきりとは見えず、ミュージカル専門学校を卒業した後も、テーマパークなどで踊ったりお芝居をする仕事をしていました。しかし、次第に他人の楽曲を歌い続けることに矛盾を感じるようになり、このままではいけない、やはり自分の言葉で何かを伝えていかなくてはいけないと強く思うようになりました。そして一念発起して独学でピアノを始め、オリジナル曲を路上で歌うようになりました。
しかし、周りのアーティストが20代でメジャーデビューしていく中、私はこのまま続けていくことができるのだろうかと焦りを感じ、社会のプレッシャーに押し潰されそうになることもありました。でも、どんなに辛くても「自分のやりたい音楽を続けていられる自分は幸せなんだ」という原点に戻り、とにかくできることを毎日続けて行きました。デビューまで約7年間の月日を要しましたが、結果的にその苦労や焦り、素敵な出会いが私を成長させてくれ、より深みのある表現ができるようになったと思います。」

路上ライブから生まれた楽曲

北村さんは、普段の生活や路上ライブでふと気になったことを少しずつ心の中で温めていき、原石に固まった時点でピアノに向かい、曲を仕上げていくという。それぞれの曲にはどんな出会いや出来事が秘められているのだろうか。

Q:デビューシングル「泣いてもいいよ」とセカンドシングル「空になって」のエピソードを聞かせてもらえますか?

●デビューシングル「泣いてもいいよ」
「この曲はよく路上ライブに来てくれる女の子とのエピソードから生まれました。その子はいつも私の演奏を笑顔で聴いてくれるのですが、あるときライブの後、彼女のミクシィの日記を読んでみると、本当はその日とても落ち込んでいたということが分かりました。私の前では心配させないように無理して笑ってくれていたんだ…と分かったときに、『泣きたいときは泣きたいだけ 泣いてもいいよ 弱いところも大好きだよ 見せてもいいよ』という歌詞が浮かんできて、この曲ができました。もちろん頑張ることは大切ですが、頑張りすぎて自分を苦しめる必要はないと思います。辛いときは一人で溜め込まず、誰かに思い切り甘えてもいいのではないでしょうか。 」

●セカンドシングル「空になって」
「これは、東北で路上ライブをしているときにできた曲です。東北の主要都市を一日一駅のペースで巡っていたのですが、あるとき3時間ほど歌い続けても誰一人立ち止まってくれない日がありました。とても孤独で寂しい気持ちになっていたのですが、その時ふと空を見上げたら、急に安らかになれたんです。そしてこの空の向こうに私を応援してくれている人たちたくさんがいて、今も私とこの空を通じて繋がってくれているんだなと感じました。そして私もこの空のように、人の心を穏やかにして、人と人とを繋ぎ合わせる大きな存在になりたいと思いました。普段傍にいてくれる大切な人たちと、離れてみたからこそできた曲だと思います。」

路上ライブの魅力

路上ライブの経験から曲を作り出すことが多い北村さん。だが夏も冬も連日路上ライブを続けるのは容易なことではない。

Q:路上ライブについて教えてください。どんな苦労や楽しみがありますか?

「場所は主にその日の天気や他のアーティスト仲間の情報を元にして決めます。あまりにも人が多すぎる場所は演奏に不向きなので、大きな駅の周りの、少し人が少なめの場所を選びます。最近のお気に入りは、池袋駅のメトロポリタン口や赤羽駅で、演奏時間は午後7時〜10時くらいです。同じ駅でも方面や時間、季節などで人々の反応も違い、様々な表情を見せてくれるのが面白いです。ファンの皆さんにはブログを通じて随時ライブ情報をお届けしていて、中には仙台など遠方から来てくれる方もいます。辛いのは、やはり外なので暑い日は汗だくになり、寒い日は凍えてしまうことです。冬はホッカイロをたくさん貼って何とか寒さを凌ぎますが、暑い日はキーボードやアンプなどの機材を抱えて歩くだけでも体力を奪われます。でも多くの方に応援してもらい、いつも逆に元気をもらっています。一人でも自分の歌を聴いてくれる人がいる限り、どんなに辛くても歌い続けたいと思っています。 」
 
誰かのためにいつも歌い続ける、強い意志と情熱を内に秘めている北村さん。近年は路上だけでなくライブハウスやイベントでも演奏し、活動の幅を広げている。またテレビやラジオで取り上げられることも多く、今後の活躍がますます期待されている。できることを毎日続けていくことで、ついに夢を叶えた北村さん。そんな北村さんのライブに足を運び、心の奥まで染み渡る透き通った歌声と、繊細ながらも芯の強さを感じさせる演奏を是非生で味わってほしい。

音楽は「命」

Q: 最後に…、北村さんにとって音楽とは何ですか?

「音楽とは、私にとって『命』です…。文字通り、これなしに生きていくことができないものです。だから、私を応援してくれる家族やファンの皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも自分にしか歌えない歌を歌い続けていきたいと思います。」

7月17日(土) 長野  ミサコの被爆ピアノin信濃町
7月23日(金) 長野  TOWER RECORDS長野店15th Anniversary 「NO LIVE, NO LIFE.」
7月26日(月) 代々木Bogaloo
8月4日(水)  うえの夏まつり みずどりのステージ(不忍池・水上音楽堂)
8月7日(土)  渋谷O-WEST
8月13日(金) 北村優希 ワンマンライブ Vol.4”
8月22日(日) ライブ小屋 Next Sunday
8月24日(火) 東京キネマ倶楽部
9月19日(日) お茶の水 KAKADO
10月8日(金) 四谷天窓.comfort
※詳細は北村優希さんオフィシャルサイトをご覧ください。

長野県出身のシンガーソングライター。18歳のときに上京。主に東京都内で路上ライブなどの音楽活動を続け人気を博し、2009年3月に「泣いてもいいよ」でCDデビュー。2010年3月セカンドシングル「空になって」をリリース。テレビ朝日系列のインディーズアーティスト応援番組「The Street Fighters」(現在は終了)の人気投票では、ユニット「あおぞら」として最高で全国3位(関東地区2位)にランクインするなど、知名度を上げ、その後ソロとしてあらゆる方面で精力的に活動中。
北村優希さんオフィシャルサイト http://www.rey-s-in.co.jp/you-ki/
「泣いてもいいよ」動画 http://www.youtube.com/watch?v=OMxf0EbRuAQ&NR=1
「空になって」動画 http://www.youtube.com/watch?v=5pEl-fy7FQE&feature=player_embedded#!
South to North Recordsオフィシャルサイト http://www.south-to-north.net/
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めろんぱん(TEXT)、RSSmag(RSS)

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