林志玲を語る
フジテレビのゴールデンタイムに放映されているドラマ「月の恋人」での木村拓哉との激しいキスシーン、人気雑誌「MEN’S NON−NO」の表紙を飾った親密な雰囲気のツーショット・・・。今、日本列島を沸かせている外国人と言えば、まず林志玲(リン・チーリン)が挙げられるだろう。木村拓哉ファンは不満かもしれないが、ネット上の掲示板やブログ、特にツイッターでは、彼女の美しさを称える声が高く、彼女のために台湾に行こうという日本人も少なくないという。
美しくて清純な顔立ちと、すらりとした体型。「台湾第一名模(台湾のナンバーワンモデル)」と呼ばれる林志玲は、7年前に「第一美女(ナンバーワン美女)」として人気が沸騰した。それ以来、数多くのブランドの広告への登場、様々な授賞式での司会、テレビコマーシャルや写真広告への起用、大作映画「レッド・クリフ」への出演、さらには上海万博で台湾館の親善大使に任命されるなど、瞬く間に人気者になり、芸能界の神話となった。学者たちが「林志玲現象」と呼んでいるほどである。
私は、林志玲の成功の理由には、天性の美しさの他に、後天的に形成された「三つの意識」があると思う。まず、第一は「国際意識」である。台北生まれで、中学卒業後はカナダに渡って高校教育を受け、トロント大学に入学し、美術史と経済学の学位を取得した。母語だけでなく英語もかなり流暢で、日本語と広東語も話すことができる。このことによって、彼女は世界を見渡す視野と世界人としての感覚を身につけたのである。
第二に、「プロ意識」である。彼女は自分のイメージやブランドを打ち立てる重要性を常に感じている。今や人気絶頂の林志玲は、モデルの世界から司会の世界に足を踏み入れ、司会者として名声を高めた後、さらに映画界へと進んだ。そしてどの仕事をする時も、常人を超えたプロ意識を持って真剣に取り組んだ。このことによって彼女の芸能界での足場は次第に安定し、多くのモデルたちのようにあっという間に消え去るということにはならなかったのである。
そして最後に、「強固な意識」である。柔らかい外見の裏に、不屈の精神があるのだ。おそらく、彼女ほど多事多難なスターは少ないだろう。林志玲は大連で広告撮影をしていて落馬し、肋骨を6本も折るというアクシデントに見舞われたが、傷跡を残さないように手術はせず、4ヵ月後には美しい笑顔でみんなの前に現れた。その後、中国のネットユーザーによる「林志玲とその広告製品をボイコットする40万人の署名」活動が起きた際にも、誠実に対応し、落ち着いて解決した。
2004年から2006年までの3年間、林志玲は「VISIT JAPAN CAMPAIGN」の台湾親善大使に任命され、テレビ番組「YOKOSO JAPAN」の司会を務め、写真満載の「林志玲日本再発見」という本を出版した。筆者も以前は、林志玲のサイン入りのこの本を所持していた(その後中国にいる熱心な読者に贈呈した)。今、その本はどこかの書棚にあって、声なき声で古い格言を裏付けているかもしれない。「本物の美というものは、常に永遠のものなのだ」(姚遠執筆)
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