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タイトル:若林元農水相 代理投票ばれてついに議員辞職  2010/04/02


嗚呼代理人生! 若林元農水相 代理投票ばれてついに議員辞職 

  

若林元農水相、議員辞職願提出 参院本会議での代理投票問題の責任をとって
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1270168865/-100

≪自民党の若林正俊元農水相は2日午前、参院本会議での採決時に席をはずしていた青木幹雄前参院議員会長の投票ボタンを押していた問題の責任をとり、議員辞職願を江田五月参院議長に提出した。 ≫

青木氏がトイレにでも行きたくなって、「代わりにボタンを押しといてくれ」と頼んだのだろうか?
人のいい若林氏は「ほい来た合点!」と軽いノリで引き受けたものと思われる。尤も、青木氏は「知らない。驚いている」などと惚けてはいるが…。

≪若林氏は3月31日の参院本会議で、NHK予算案の採決の際、隣席の青木氏の「賛 成」ボタンを押していた。≫

議案は対決法案でも何でもない。青木氏の票はおそらく無効票になったと思われるが、「全会一致」法案である。

≪その場面が写真撮影され、発覚。民主党は1日、「国会の議 
決を不正行為によってゆがめた前代未聞の事案だ」として参院議長に懲罰動議を提出した。≫

ごたごた続きの民主党にとってこの敵失は、まさに恵みの雨であった。当然のごとく鬼の首を取ったように騒ぎ出した。

国政における投票の場での一見常識では考えられない不正行為だが、おそらくこの程度のいい加減な採決は日常茶飯事だったのだろう。

若林正俊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%9E%97%E6%AD%A3%E4%BF%8A

若林氏は御年75歳。今回のチョンボでも判るように、少し認知の気も出てきている。今回あっさり辞任したのは、もともと今期限りで引退し、地盤を息子に譲る予定だったからだ。
何のことはない。予定が少し早まっただけの話である。

≪2006年、安倍内閣で環境大臣として初入閣を果たす。2007年5月28日から6月1日まで、松岡利勝農林水産大臣の死去に伴い、臨時代理を務めた。これは松岡の外国訪問中にはおおむね若林が臨時代理に指定されていたことなどによる。

8月1日、赤城徳彦農林水産大臣の辞任に伴い、農林水産大臣を兼任。8月27日の内閣改造により閣僚を退任したが、遠藤武彦農林水産大臣の辞任に伴い、7日後の9月4日に専任大臣として再度就任。≫

若林氏は農水省出身のキャリア官僚で、絵に描いたような出世コースを歩んだ人物だが、親分肌ではなかった。
政治家になってからは見事なくらい代理役に徹している。
もともと側近タイプの御仁なのだろう。

本来小物政治家であった若林氏が、大舞台に出てきた背景には、一年足らずでコロコロ首相の首がすげ替わった異常事態があった。
その場の間に合わせを真骨頂とする若林氏は「抑えの切り札」「ミスター・リリーフ」と呼ばれ重宝がられたのである。
先発がだらしないとリリーフが頑張るしかないのは政治も野球も同じである。

≪2009年の第45回衆議院議員総選挙で自民党下野が決まった後の9月16日には、内閣総理大臣指名選挙で自民党の首班候補となり、119票を得た(民主党代表の鳩山由紀夫は327票)。≫

これが、彼の代理人生上の華だったのだろう。自民党の首相候補が全員逃げ出して、他に代わりもなくまたしても若林氏が指名されたのである。勿論勝ち目のない投票ではあったが…。

その半年後に自らの政治生命を終焉させることになったのだが、果たして息子が地盤を引き継げるかは極めて厳しい。

もともと若林氏に対する地元の信頼は薄く、選挙でも度々落選していたし、いくら民主党が凋落しても、凋落合戦なら自民党も負けていない。何せ、利権政党のくせにほとんどの利権を小沢氏に奪われてしまっては、相手にしてくれる者も少ない。自民党の代紋を背負ってでは勝ち目が薄いのである。

更に悪いことには、ナンミョウさんが今ではすっかり与党のつもりでいることだ。支持率を失った民主党としても選挙協力せざるをえない事態になっている。ナンミョウさんを味方に付けた選挙がどんなに強いかは自民党が一番よく知っているだろう。一方自民党は支持率を失ったまんまである。
批判票もみんなの党あたりに持って行かれてしまうかもしれない。
みんなの党も中途半端な政党で、そこそこに批判票は集めるが、「当選させるまでには至らない」という、自民党にとっては妨害候補以外の何ものでもない。

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