「普通」によって人生を語る
待ちに待った末に、まだインクのにおいのする「起業適齢期」をようやく手にすることができた。まず最初に読んだのは「プロローグ」と「エピローグ」だった。昨年4月のあの波乱の時期がなければ、「創業5年目の危機」を経験した著者が、自分の成功と挫折をどのように考え、「56歳での起業」以来の成功と失敗をどのように評価したのかをつづったこの本を一日も早く読みたいという気持ちは、一般の人に比べてこれほど強くはなかったかもしれない。
「プロローグ」は印象的な言葉で始まっている。「『普通』である、ということ。このどこにでも転がっていそうな事柄を、私は大切にしてきました。」その瞬間、この静かなナレーションのような言葉に、私は強く惹きつけられた。様々な荒波を経て深い経験を持つ著者が、説教めいた言葉を少しも使わずに、これまでの人生を生き生きと語り、その行間からは、「普通の心を大切にする」という人生に対する大きな悟りがにじみ出ていると感じたのである。
「起業適齢期」は経営の書であり、起業者の歩みを語る本として読むことができる。よく売られている経営書は、富豪や有名人に焦点を当てることが多く、読んだ後にはいくらかの原則的理論や人生論が残るが、どこから学んだらいいのだろうかという気分にさせられる。だが、「英語の話せなかった元銀行マンが56歳で起業した翻訳会社がなぜ大手メーカーから選ばれるのか?」という書籍紹介の言葉は、間違いなくドラえもんの不思議なポケットを覗き見るように、読者をその中へといざなってくれる。そして、我々は一人の「普通の人」と共に彼の人生のアルバムをめくり、そのわかりやすく親しみやすい経営感覚に共感するのである。
「起業適齢期」は自己啓発の書であり、人生の教科書として読むことができる。よく売られている啓発書は、長大な物語でドラマチックな大作となっているものが多い。理論的な著作は緻密で真摯に書かれているが、面白さに欠けていて、読むのも疲れる。だがこの本の著者は、「日本経済新聞」の人気連載「私の履歴書」のように、アラヤ株式会社の創業以来5年間の困難な道を、読者を飽きさせない語り口で語り、時には子供の頃や三井銀行時代などの思い出を挿入することによって、「誰にでもそれぞれ適齢期がある」という結論を自然に導き出してくれるのだ。我々は、生き生きとした物語とわかりやすい分析によって、自然のうちに啓発されるのである。
「起業適齢期」を読み終わった時、私の心に深く残ったのは「普通」という言葉だった。現代は、数少ない英雄が大変革を行うという時代ではなく、地球上に生きるすべての普通の人々こそが歴史を創造する原動力を持っている。著者は「普通」によって人生を語り、自身の経験を伝え、読者の思考を啓発することに成功している。同じような「普通の人」がこの本を読んで考えを深め、自分自身のまったく新しい人生を開拓していくかも知れない。とすれば、次につづられる本の主役は、間違いなくその人自身であろう。(姚遠執筆)
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