メルマガ:作家&出版人育成マガジン「パウパウ」
タイトル:作家&出版人育成マガジン『パウパウ』第117号  2009/12/30


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      作家&出版人育成マガジン『パウパウ』第117号
   2009年12月30日発行(不定期発行)(2000年3月7日創刊)
      発行元 出版人コム http://www.shuppanjin.com/
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●巻頭言 ● 上ノ山明彦
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 今年の反省と来年に向けた決意を込めて、スティーブ・ジョブスの言葉
を引用したいと思います。
「人生は短い。他人の人生を生きることで、時間を浪費してはならない。
ドグマ(教条)に捕われてはいけない。それは他人の人生観に従って生き
ることを意味するのだ。他人の意見という雑音によって、自分の内なる声
を押しつぶしてはならない。
 最も大切なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つこと。本当にあな
たが望んでいることを、あなたの心はとっくに知っている。他のことはす
べて二次的なことにすぎないのだ」
(2005年10月スタンフォード大学での演説より、上ノ山明彦訳)
 2009年は皆様に取ってどういう年だったでしょうか?私はただ反省する
ばかりの年でした。いつ死んでも悔いのないように一日一日を充実させた
いと考えておりましたが、あまりできませんでした。
 来年は強い決意で実行します。皆様、良いお年をお迎えください。
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●有名作家はいかにしてプロになったか     上ノ山明彦
  池波正太郎の素顔 第1回 証券マンから作家へ
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 「池波正太郎の世界」という雑誌が、12月3日、朝日新聞社から創刊され
た。それを機に池波正太郎という作家を研究することにした。すると、イ
メージとはだいぶ違った池波の素顔が浮かんできた。そこには非常にたく
さんの発見と学ぶべきことがあった。それについていくつかに分けて掲載
することにしたい。
 創刊号は「鬼平犯科帳」の誕生秘話とともに、池波の人生にも触れている。
池波正太郎は、浅草で生まれ育った。いわゆる下町育ちである。十三歳で
証券会社に奉公に出された。つまり小学校しか出ていない。戦前のことだ
から、それは庶民の家では普通のことだった。池波は、特に自分だけが苦
労したわけではないと語っている(「私の歳月」、講談社文庫)。
 株屋ではかなりお金が儲かったようで、遊び歩いたり食べ歩いたりして、
ぜいたく三昧の日々だったという。池波の映画好きや美食嗜好は、この当
たりにルーツがあるのだろう。
 ただ遊んでばかりいたわけではない。この時期にジャンルを問わず岩波
文庫を片っ端から読んだり、吉川英治や大佛次郎の時代小説を読んだりし
ていた。トルストイやドフトエスキーの全集も読破したというから相当数
読んでいたようである。そのことは本人のエッセイや雑誌記事にある関係
者の話で知ることができる。この時期、芝居や映画も相当な数観たと言っ
ている。この頃作家になる夢が育まれたのではないだろうか。
 この多感な時期に池波の芸術的素養が形成されていったものと思われる。
 そういう日々も、やがて時代の流れに打ち砕かれていく。戦争が始まり、
池波も徴兵される。この時期のことを本人が書いている。軍隊に取られる
ことがわかっていたから、軍隊生活を耐え抜くために、池波はきつい山歩
きをたくさんして体を鍛えたという。
 彼は海軍兵学校に配属となった。そこには新兵をいじめること好きな上
官がいた。池波はそのいじめにがまんがならずたてついてしまった。その
仕返しで、彼は下の歯を全部折られてしまった(「新私の歳月」)。
 逆に、この人の命令なら死んでもいいと思える上官にも出会っている。
その人は寒さで凍える新兵の手を取って、自分の手でさすって温めてくれ
たという。
 こうした出来事を書いたエッセイは、池波正太郎の実直な人柄をよく表
していると思う。
 戦争が終わり、戦場から無事帰ってきたが、占領軍の命令で株の売買は
禁止されていた。仕事を探していたときにふと新聞で戯曲募集の記事を見
た。「ひまだったから応募してみたら、それが入選した。好きな芝居の世
界で生きていけるならと、劇作家になる決意をした」と、本人のエッセイ
でいう(私の歳月)。
 これについては疑問がある。池波は「少年倶楽部」に掲載されていた吉川
英治や大佛次郎の小説を読み作家になる夢を持った。「それは遠い遠い夢
だった」、と書いている。「ひまだったから応募した」というのはメディ
アへのリップサービスだったのだろう。
 劇作家になった池波正太郎は、この世界で人生の師となる作家、長谷川
伸と出会い弟子にしてもらう。それがその後の池波の人生に大きな影響を
及ぼすことになった。 池波が小説を書くようになったのも、戯曲だけで
は食えない、小説を書けという長谷川伸の勧めによるものだ。とはいえ、
作家になることは、子供の頃に「遠い夢」として持っていたのだから、い
い機会が訪れたということなのだろう。
 池波は短編作品を発表するうちに、1957年『錯乱』で第43回直木賞を受
賞した。それでもしばらくの間は、劇作家の仕事が主体だった。転機が訪
れたのは、雑誌に「鬼平犯科帳」を連載し始めてからだ。これが大評判と
なった。
 こうして池波が作家になるまでの足取りを大まかに追ってみた。次回は、
彼の作品に込める想いや人生観を追ってみたい。そこには実に深みがある
話がたくさんある。(続く)
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●この名著を読め! 
   池田雅之著  『ラフカディオ・ハーンの日本』  
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 日本に憧れ、日本に来て日本人女性と結婚し、家庭を持ち、日本に絶望
し、日本を愛し、日本に帰化し、小泉八雲と名乗り、日本に骨を埋めた男、
ラフカディオ・ハーンの半生をまとめた本である。
 著者は翻訳家であり早稲田大学教授でもある。
 著者はまえがきで「このささやかな本が読者にハーンと共にいるという
感覚を感じてもらえたらと願っている」とあるように、ハーンが日本で何
を見、何を感じたのか、克明に追っている。
 ハーンの書いた作品がこのような生活の中で書かれたことを思うとき、
嬉しくもあり悲しくもあり切なくもある複雑な感情に見舞われる。
 あらためて日本人はハーンという作家が日本に来て才能を開花してくれた
ことを誇りに思うべきであると思う。(角川選書)
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 編集後記
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 加藤和彦氏のご冥福をお祈りしたい。彼は私を音楽と詩に目覚めさせて
くれた最初の人である。憧れの人だった。フォーククルセイダーズのアル
バム「紀元二千年」を初めて聞いたとき、私の全身に電流が走った。ユーモ
ア、きれいなメロディ、心に響く詩に魅せられた。その後大きな流れとな
るニューミュージックの原点がそこにあった。彼はその後もずっと時代の
最先端にいた。私は実績を積んだら加藤和彦詩にインタビューするつもり
だった。聞きたいことがたくさんあった。その夢は突然消え去ってしまっ
た。今はただ彼の冥福を祈るのみである。
 来年は経済的に明るい兆しが見えつつある。本当に明るい年になるよう
に、微力ながら私も力を尽くしたい。皆様よいお年を。(かみのやま)
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 編集発行人:上ノ山明彦
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