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タイトル:憂国通信  2009/12/02


悲愴!絶体絶命の邪馬台国九州説「卑弥呼は九州」佐賀女子短大学長熱演 


長年邪馬台国の所在地は学会で議論され、それほど専門知識も必要としないことから、一般の歴史ファンまで巻き込んで大論争が続いていた。
その推定地としては素人は好き勝手なことを言っている。東北や沖縄まで主張する者がおり、中にはシベリアだ、エジプトだ、インドだと言い出す者がいる始末である。
学者は概ね、近畿説か九州説のどちらかである。

「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 高島学長が講演 
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1485053.article.html
 
≪「邪馬台国九州説」の佐賀女子短大、高島忠平学長(69)が29日、佐賀市のアバンセで講演し、勢いづく「近畿説」を時代・習俗に合わないと一蹴した上で、「卑弥呼という存在は北部九州でしか成立しえない」と持論を展開した。 ≫

奈良県桜井市の纒向遺跡の巨大建物跡発見により、俄然劣勢に立たされてしまった九州説であるが、絶対不利の状況下で、悲愴感が漂っている。

「九州説は無理…」新井白石以来の邪馬台国論争ゴール近し 纒向遺跡
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091111/acd0911111059006-n1.htm

“卑弥呼の柱”別の宮殿にリサイクル? 奈良・纒向遺跡
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091111/acd0911111147007-n1.htm

最近の発掘成果により近畿説でほぼ決定と言っていい邪馬台国であるが、どうして九州説がしつこくこだわるのか?

理由は簡単、派閥争いである。日本の考古学界は東大派と京大派に分けられ、その親分子分関係で成り立っているのである。学者も暴力団も縄張りを張りたがる本能においては猿と大差ない。
京大は当然近畿説、東大は対抗して九州説という図式である。(関東説もあるがさすがに恥ずかしくて言い出せないのだろう)
邪馬台国は日本の考古学の花形である。ここで手柄を立てるか否かで論功褒賞が大違いなのだ。これは予算の分捕り合いの意味合いもある。だから、子分も必死というわけだ。九大系のセンセイも当然九州説である。九州で近畿説を唱えたら村八分だろう。

で、邪馬台国の所在地に関して、実際のところはどうなっているのか?

邪馬台国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD

≪魏志倭人伝には、魏の領土で朝鮮半島北部に当時あった郡から邪馬壹国に至る道程が記されている。

倭国に至るには、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。そこから海を1,000余里渡り、対馬国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国に至る。また海を1,000余里渡ると末廬国に至る。東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。東南へ100里進むと奴国に至る。東へ100里行くと不弥国に至る。南へ水行20日で投馬国に至る。南、女王の都のある邪馬壹国に至る。水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。≫

これが文献的には唯一絶対の資料になる。
この中で、一大国(壱岐)までの説明は比較的正確である。この行程からすると、末廬国から不弥国に関しては九州のどこかだろう程度のことは誰でも予想が立つ。
当時の1里は約100mである。つまり、魏志倭人伝を信用すれば邪馬台国への距離は帯方郡から1200Kmということになる。
帯方郡は現在の平壌のあたりだ。狗邪韓国に関しては位置が特定されていないが、釜山周辺と推定される。
対馬・壱岐間は対馬の北端から計測すれば約100kmある。
末盧国が佐賀県の松浦半島であることは有力だが、そうだとすると、次の伊都国の位置が問題になる。福岡県の糸島半島が有力なのだが、これだと方角が合わない。方角通りにすれば、有明海沿岸地域になる。
魏志倭人伝を読む限り、実際には奴国や伊都国、不弥国には行かず、単に末廬国を起点とした距離を述べただけとも解せる。
松浦半島を起点に考えると、奴国は熊本、伊都国は大分県の日田あたりと推定される。
全行程1200Kmのうち、末盧国で既に1050Kmを消費している。残りは150Kmである。
魏志倭人伝を信頼する限り邪馬台国九州説は有力なのだ。

問題は「南へ水行20日で投馬国に至る。南、女王の都のある邪馬壹国に至る。水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。」の部分だ。

残り150Kmにしては大げさな日程である。
当然、投馬国はどこだかさっぱり判らない。
これを巡って、北海道から、沖縄、果てはエジプトまで候補地が出てくるのである。

文献通り松浦から南に150Km進めば、そこにあるのは甑島である。
でも、邪馬台国=甑島説は聞いたことがないな?

魏志倭人伝の記述を全面信頼する限り、近畿説はありえないが、記述の中で、「東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。」が問題になってくる。
前述したとおり、推定地として糸島半島が有力なのである。つまり、「東南」は誤りで実際は「東北」だったと解釈するのである。
中国の役人がどうして勘違いしたのかは不明である。
「南へ水行20日で投馬国に至る」を北と解釈すると、また朝鮮半島に戻ってしまうから、東と解釈すると、松浦から150Km東は大分だが、水行にこだわれば、方角を東北にして、到達地は山口県の防府か長門あたりになる。

しかし、近畿までの道のりは遠いなあ。

「邪馬台国=山口県」というと、超能力者?マクモニーグル氏が「卑弥呼は山口県出身でスカウトされて大和で女王をやっていた」とリモートビューイングしていた。いい加減な説だが、辻褄は合う。

卑弥呼の出自は山口県?邪馬台国の秘密にマクモニーグルがリモートビューイング
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3789819.html

水行30日陸行1月の旅程だが、実際にどこまで行けるものか?
平安時代の紀貫之は高知県南国市から京都市まで2ヶ月かけて移動している。尤も彼の場合は接待がらみの寄り道旅行だったのであまり参考にはならないが…。

土佐日記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%97%A5%E8%A8%98

素人は魏志倭人伝を根拠に好き勝手なことを言っているが、学会はあまり重要視していないようだ。現在では発掘調査による時代考証が主流である。

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正真正銘の鉄の皮膚を持つ軟体動物公開 

“鉄壁の貝”生きた姿を展示…世界初
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091201-OYT1T00452.htm

鉄のウロコを持つ巻き貝を「スケーリーフット」という。
こんな生物は当然世界唯一である。
「スケーリーフット」は大群集でインド洋の深海に生息しているらしい。

スケーリーフットは体長約4センチで、貝殻から外に出た体部分が硫化鉄でできたウロコに覆われ、磁石にも反応する。ウロコで外敵から身を守っていると考えられている。2001年、米国の研究者によって発見され、インド洋の海域「かいれいフィールド」(水深約2420メートル)でしか確認されていない。

11月上旬、有人潜水調査船「しんかい6500」による同海域の調査で、数千個を発見、一部を採取した。20個を持ち帰ったが、生存している1個を展示することにし、同水族館は「低水温、低酸素の状態に保って、より長く飼育を試みたい」としている。

ウロコフネタマガイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%83%8D%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%A4

この鉄の鱗は磁性まで帯びているらしい。
また、この貝は海底温泉の噴出口に縄張りを作っており温泉好きとのことである。

食べても美味しくはなさそうだ。

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