仕事のない探偵社二年目のある日、夜遅くに電話が鳴った。
「葉隠れ探偵さんですね。迎えの車で拙宅にお願いします」老婆の声だった。窓
から駐車場を覗くとベンツらしい車が見えた。駐車場では運転手が恭しくお辞儀
をし私を乗せた。不気味なものを感じながら三十分ほど乗ると、大きな邸宅の前
に停まった。玄関先には品の良い老婆が立っており、
「造作をかけます。こちらへ」と先に立った。廊下だけがぼんやり明るく、どの
部屋も暗い。やがて天井の高い応接間に通された。
「これは前金です」老婆は紙袋をテーブルに置いた。中をのぞくとそれは札束だ
った。
「どんな調査かは分かりませんが、これは法外です。調査後に請求書を出します
ので」押し返そうとする手を止め、
「これは手付けです」と言った。
「それでは、とりあえずお話をうかがいましょう」初めての大口の仕事に私は身
を乗り出した。
「詐欺事件です」老婆は言った。
「振り込め詐欺ですか。それじゃ警察のほうが」興奮気味に言うと、
「警察がいうには詐欺は成立しないそうです。それに詐欺師達は私の命を支えて
くれたし」とつぶやき、ぽつりぽつり話し出した。
老婆の話はこうであった。
老婆がこの屋敷に嫁に来たのは六十年前で、医者であった舅は女癖が悪く、姑
はそのせいで気が立っており嫁である自分に辛くあたったという。
「あなたが、その舅達に何かだましたとか」ぶしつけだとは思ったが、過去に犯
した犯罪の懺悔をしたくなったのではないか、そんなことを思って聞いた。
「いいえそれが出来たら楽でしたよ」ため息をついた。
老婆は三人の子供の成長を生き甲斐に、毎日を堪え忍んだという。
二十年ほど経ち舅達は病気で他界したが、その頃、親の後を継いで医者だった
夫も愛人をつくり、その愛人に女の子を生ませたという。ところがその子が七歳
の時に愛人が死に、子供を引き取ることになったらしい。夫はその後も新しい女
をつくって家に寄りつかなかった。それでも彼女は子供の成長だけを楽しみに堪
え忍んだようだ。やがて子供達が成長し家を出払ってしまうと、自分がたえてき
たのは何の為であったか分からなくなったという。そして半年前、夫が事故死し
た。
「それが事件なのですか」私は言った。
「いいえ、女の家の階段から落ちたのよ。それよりこれを見てくださいな」
四通の手紙を見せてくれた。四人の子供達からであった。長男は、
「外国にいるから帰れないので、母さんは弟の所で暮らしてくれ」と言う趣旨だ
った。
二番目の娘からは、
「夫の事業が軌道に乗るまで親の面倒はみられない。それより資金がいるので
財産分与を速くしてくれ」と言うものだった。
末の弟は売れない画家で、
「食べる物にも事欠く始末だから早く財産分けをしてくれ」と書いてあった。
最後の一通は引き取って育てた娘からで、
「兄達や姉から『芸者の子』と侮辱され、のけ者扱いをされたけれど、これか
らは家から離れて暮したい。遺産だけは兄弟並にいただくわ」そんな文面であっ
た。勝手な子供達だと私は思った。
手紙を読み終わり、顔を上げると、何とそこには老婆の姿はなかった。応接間
の片隅に祭壇があり、そこには今まで話をしていた老婆の遺影が飾られていた。
私は一瞬息を飲んだ。老婆も亡くなっていたのだ。その霊が私に話をしたのだろ
うか。そう思うとぞっとした。
それにしても、老婆の命を救ったとはどういうことか。生き甲斐であった子供
達の存在を意味するのだろうか。では詐欺とはなんだろう。子供達に見捨てられ
たと言う意味か。では私に何をして欲しかったのだろう。
私は急いで外に出ると、そこにあったのは私の軽自動車であった。握りしめて
いた紙包みを確かめると、中は古い写真の束だった。
数日後当家の墓地を探して訪れた。子供に期待を掛けても、返ってくるのか思
い出だけで、感謝の気持ちとは限らない。それが詐欺に似ていると老婆は思った
のではないだろうか。だから思い出の写真を、取り寄せたかったのかも知れな
い。そう思い私は、墓の一角に写真の束を葬ったのであった。