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[原理主義の罠]“ランディアンカルト感染症への警戒”の勧め <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090824 [副題/Souvenir] 2009年春/チェコ・プラハの印象(1) 仙台近郊、8月の風景(2009.8.24) [f:id:toxandoria:20090824124859j:image] [f:id:toxandoria:20090824124858j:image:right] [f:id:toxandoria:20090824124857j:image] [f:id:toxandoria:20090824124855j:image] (Souvenirヘのプロローグ/“ランディアンカルト感染症への警戒” の勧め) 8月21日にバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長が“世界的 な経済成長の回復への見通しは短期的に良好”だとの認識を示した と報じられたが、これは、景気回復が近づいているという考えを FRB議長が正式に表明したものとみられている(情報源 → http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-11131020090821)。 しかし、米オバマ政権の中枢には「国家経済会議」(NEC/National Economic Council)委員長のローレンス・ヘンリー・サマーズ(首 尾一貫してグローバル市場原理主義を強く主張してきた人物)に限 らず“国家的ポンジー・ビジネス(リーマンブラザーズ・小泉・竹 中・ホリエモン・村上ファンドらが囃したネズミ講型詐欺ビジネス) の考案者”と思しき人物らの多くが巣食っており、経済回復への兆 しが見えるとともに、これらネオリベ(新自由主義思想)派の蘇生 と「小さな政府」への揺り戻しが必ず起こると見るべきである。 その証拠に、アメリカの内政面では、オバマ政権が、今や「医療保 険改革=国民皆保険制度の導入・案」に対する予想以上の国民(= 製薬会社等のロビイスト活動とネオリベ派の先導に乗せられた国民 層)からの猛反発で窮地に立たされていると伝えられており、ここ には建国時いらいのアメリカン・ポピュリズム(自由原理主義)の 根深い伝統が影を落としている(関連参照、下記◆)。 ◆【緯度経度/産経】ワシントン・古森義久/医療保険改革 オバマ 支持を減らす、 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090822-00000056-san-int ← この記事は、ネオコン支持派の古森記者が、いつものごとく 「オバマ政策への批判」のスタンスで書いているが、却って、その 奥底に潜む“ネオコン派の自縄自縛的な矛盾”が垣間見えて興味深 い。 アメリカン・ポピュリズム(自由原理主義)の根深い伝統とは、言 い換えれば『私的所有権の最優先、利潤動機の最大限の肯定、個人 経済活動の最大限の評価』の三つの価値観を徹底的に追及するとい う「アメリカ保守主義」の特異性であり、これがアインランド哲学 と融合して過激化したのがネオコンである。従って、それは欧州伝 統のメジャーな保守主義(conservatism)と全く異質な地点に立つ 精神環境である。しかし、この点こそが一般の日本国民にとっては 最も分かりにくいところであろう。 しかしながら、「私的所有権、利潤動機、個人経済活動」の三つが “一定のガバナンスの範囲で節度よく実行される”のであれば、そ れはむしろ望ましいことなのだが、市場を介しつつ強欲ハゲタカら の為すがままにこれらを投機方向へ無限大に拡張できるとする傲慢 な暴走思考がアメリカン・ポピュリズム(自由原理主義)の問題点 なのだ。そして、それを根底から支えるのが、『徹底した利己主義、 差別主義、歴史的近代性の否定』を強化したアイン・ランド(Ayn Rand、本名Alisssia Zinovieva Rosenbaum/1905-1982)の「客観 主義哲学」(Objectivism)である。 一言でいえば、アイン・ランドの精神環境とは「人間の傲慢で独善 的な利己意識を究極まで濃縮したカルト」であり、その「客観主義 哲学」なるものの主柱は次の六本である。 ●社会など或る集団の上に立ち、人々の上に君臨する「共通善」な るものは「偽善」に過ぎない ●歴史的に見ると、平和主義・博愛主義・利他主義の宣言によって 行われた革命なるものの行く末は血の海であった ●他人に対して行い得る唯一の「善」は「触れるな!干渉するな!」 ということである ●人類の歴史は、人間が独創(創造)したものを自然に対して付け 加えることで進歩してきた ●この人間の独創は“良きものを創造したい”と願う人間の「個人 的欲望」から生まれる ●「自分中心主義」は「偽善に満ちた利他主義」より優れている (関連参考情報) ▼2005-03-26toxandoriaの日記/ 作家アイン・ランド、米国ユニラテ ラリズムのもう一つの『源流』、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050326 ▼ジャパニーズ・ランディアンカルトの腐葉土の一つ? → http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/590.html このため、アメリカでは共和党(アメリカン保守)、民主党(リベ ラル)の別を問わず、ランディアン・カルトと呼ばれる「客観主義 哲学」(Objectivism)に深く毒された人々が数多く存在しており、 ブッシュ政権に巣食ったネオコンはそのような精神風土から巨大化 して生えた怪異な毒茸のような存在である。しかも、このランディ アン・カルトの恐ろしさは、先ずはとりあえずヒッソリと物静かに 恰も皮膚感覚を通すかのようにヒトの心身へ浸透するところにある。 我われは、オウム真理教・統一教会・真光教あるいはSK学会らの如 くに、必ずしもケバい「ヒカリもの」だけがカルトとは限らぬこと に留意すべきである。 今、わが国では「8/30総選挙」で“民主党圧勝・予測 → 政権交代 可能性の拡大”が殆どのメディア情報を席巻している。日本でも漸 く民主主義の前向きの流れへのワンステップが胎動し始めたという 意味で、この政権交代が実現するのは、それはそれで結構なことだ。 しかし、「小泉・竹中改革劇場」がもたらした<偽装改革劇の真 相>が実は日本社会への<米国型ランディアン・カルト>の「年次 対日改革要望書」を介した注入であったという現実があること、そ して<とりあえず今のところは物静かそうに見えるランディアンカ ルトの信者・信奉者・シンパ>たちが民主・自民両党の奥深くに潜 伏しつつ拡がっていることを忘れるべきではない。 この視点を忘れると、たとえ民主党政権が実現しても、再び、わが 国で「強欲資本主義」と「社会保障(≒国民皆保険制度)破壊主義 と格差拡大主義」の嵐が吹き荒れる恐れがある。従って、今やオバ マ政権が「医療保険改革=国民皆保険制度の導入・案」に対する予 想以上の米国民(=民間保険業界・製薬業界等のロビー&広報活動 で洗脳された多くの国民層)からの猛反発で立ち往生していること を、それはアメリカの出来事だと看過すべきではない。そして、竹 中平蔵らの言葉を信用してアメリカを手本とする「社会保障(≒国 民皆保険制度)破壊主義と格差拡大主義」を日本に招き入れること だけは絶対に許すべきではない。 因みに、ランディアンカルト感染についての自覚が希薄だという点 からすれば、文化環境(一般国民の皮膚感覚)を通して、つまり“政 治的衛生観念の希薄さ”を侵入口として密かに心身へ深く浸透する類 のカルトへの免疫効果が期待されるのは、現在も、チェコ(ボヘミア) 文化に確固として息づく15世紀「ヤン・フスによる強烈な批判精神の 伝統」である。そこで、この「ヤン・フスの強烈な批判精神の伝統」 を取り上げた記事、[2009年春/チェコ・プラハの印象(1)] を以 下に再掲しておく。 ・・・・・ 【画像1】ヤン・フスの「肖像」、「フス火刑の図」、「ボヘミアの 位置図」 [f:id:toxandoria:20090605052031j:image] [f:id:toxandoria:20090605052032j:image:right] [f:id:toxandoria:20090605052033p:image] ・・・一枚目の画像は、 http://www.ceskatelevize.cz/specialy/nejvetsicech/dokumenty _osobnosti_husより、二枚目は、http://www.britannica.com/ EBchecked/topic-art/149152/75633/Jan-Hus-at-the-stake- coloured-woodcut-from-a-Hussiteより。 ・・・三枚目の画像はウイキメディアより。図中の右はモラヴィ ア地方(Moravia)になる。 【画像2】プラハ、旧市街地広場のヤン・フス像(2009.3.21、 撮影) [f:id:toxandoria:20090605052039j:image] [f:id:toxandoria:20090605052040j:image] ・・・二枚目の画像は、 http://www.richard-seaman.com/Wallpaper/Travel/Europe/ index.htmlより。 【画像3】ティーン聖母教会(Matka Bozi pred Tynem)(2009. 3.21、撮影) [f:id:toxandoria:20090605052038j:image] ・・・旧市街広場の近くにある「Tynem(税関)の前に建つ聖母 マリア教会」の名が付く教会です。12世紀に建てられ、14世紀 に現在のゴシック様式に改築されました。15世紀にはフス派の 本拠地となった教会です。 (プロローグ) 一般に、あの余りにも有名な中世後期のボヘミアで起こった「フ ス派の運動」について、わが国では未だに“未熟で早すぎた宗教 改革”(ドイツ・ルターの改革に約100年も先駆けた)ないしは “階級間闘争の先駆け”(ドイツ社会と融合し渾然一体化した当 時の特殊なボヘミア史上の出来事)と見なす傾向が強いようです。 しかし、近年の歴史研究ではこのような見方が平板過ぎることが 明らかになりつつあります。それによれば、「フス派の運動」の 直接的な誘因は「余りにも硬直化して市民意識(=社会の底辺で 生きる一般市民層の現実と生身で生きる人間の生活の実相)が理 解できなくなるまで麻痺・堕落(強欲化・ポルノクラシー化)し、 しかも異様なまで官僚化(制度&精神環境ともに)したローマ教会 そのもの」への強い変革要求であったというのです(Ex.参照、 下記◆)。ボヘミアの「フス派の運動」は、明らかにその意味で 16世紀宗教改革の先取りであったと思われます。 ◆薩摩秀登「教会改革者と革命・・・ヤン・フスの教会改革論と その位置づけをめぐって」(一橋論叢)、 http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10603/1/ronso1220400880.pdf このような理解は、あくまでも未だ仮説的であるとしても、正統 宗教であればこそ人間そのものの観察について鋭敏であるべきと する立場からすれば、自ずから「過剰な官僚化なるものの恐るべ き弊害」に気づくのは当然でしょう。例えば、渦中の「“政・官 ・財・学・マスゴミ・暴”の談合・結託がもたらした偽装民主主 義の象徴たる裁判員制度・記者クラブ制度・麻生国営漫画喫茶の 三つの癒着事例」は、現代日本の「支配構造の恐るべき官僚化に よる麻痺・堕落」と見なすことができます(参照、下記▲)。 ▲裁判員制度、記者クラブ制度、麻生・国営漫画喫茶/三つの癒 着事例に見る、“暴政”日本のおぞましき潜在光景、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090601 それどころか、現在、ヘロヘロで断末魔の麻生内閣を直撃しつつ ある「日本郵政・西川社長問題」も、その直接原因が「小泉・竹 中偽装改革劇場」であったことを想起するなら、そして、結局は この「小泉・竹中偽装改革劇場」なる大方の国民の熱狂を巻き起 こしたバカな空騒ぎも「“政・官・財・学・マスゴミ・暴”の談 合・結託がもたらした偽装民主主義の象徴」であったことを見据 えるならば、根本的な日本の病巣(民主主義を騙り続ける権力機 構全体の深刻な官僚化=一般教養と一般市民の存在を見捨ててき た日本のエリート層の重度頭脳硬化現象)に対する治療の手立て が未だに何も行われていないことが分かります(参照、下記▼)。 ▼麻生内閣は、なぜ西川社長続投をごり押しするのか(保坂展人 のどこどこ日記)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/c709d9b8043a56f9594f876dcc0b50f1 <参考関連情報> 「記者クラブ制度」で官僚組織の一部と化(権力の番犬化)し、郵政 ・西川社長の擁護で一致団結している朝日新聞など日本のマスゴミ は世界の笑い物になっている? ↓ そこまで露骨かと世論沸騰(ネタりか)、 http://netallica.yahoo.co.jp/news/80590 日経の露骨な西川(笑っちゃう小泉構造改革の悪だくみ)擁護・社 説 → 首相は西川氏続投で事態収拾に動け(6/5)、 http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090604AS1K0400304062009.html [小泉・竹中・中川秀直&西川社長らによる郵政民営化の悪事]を[鳩 山総務相の暴走]にすりかえる<提灯マスゴミ>の暴走 → 【郵政 社長人事】鳩山氏ボルテージ 中川氏も参戦「私も戦う」(産経)、 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090605/plc0906051848011-n1.htm 「堂々と内閣から去るべき」と鳩山総務相に辞任を求めた自民・中 川秀直元幹事長=“ドロボーを捕らえようとする警官は辞任すべき” に等しい暴言! → [郵政発言]自民内で批判相次ぐ 鳩山総務相 に辞任要求も(毎日)、 http://news.livedoor.com/topics/detail/4189119/ 郵政民営化は、小泉・竹中に群がる財界・企業人らが、国有資産の 切り売り&山分けでを企んだ。その悪事が「かんぽの宿」問題で表 面化した。なのに、マスゴミ連合はその疑獄事件を暴くどころか、 彼らとグルになり鳩山総務相を攻撃している。 → 大マスコミの 歪曲報道 これは鳩山総務相の方が正しい(2005.2.5ゲンダイネ ット)、http://gendai.net/?m=view&c=010&no=22297 (宗教改革の先駆者ヤン・フスの時代が現代に問いかけること) 15世紀の初め(1415.7.6)にドイツのコンスタンツ(Konstanz/ 現在はバーデン=ヴュルテンベルク州( Land Baden-Wuerttemberg) の州都)で火あぶりの刑に処された宗教改革者ヤン・フス(Jan Hus /1369-1415)の存在は、今でもチェコ人(Bohemia(神聖ローマ帝 国史ではBoehmen)の西スラブ人)の誇りの象徴となっています。 ある意味で、今も、チェコ人たちは過去の歴史と絶え間なく活発に 対話し続けているのです。 イングランド・ヨークシャーのウイクリフ(John Wycliffe/ca1320 – 1384/宗教改革の大先駆者)の影響を受けていたフスは、ベツレ ヘム礼拝堂(Betlehemska Kople/チェコ人の大商人が寄進した礼拝 堂/17世紀に一時的にカトリック教会となるが現在はプロテスタン トの礼拝が行われている)で1402年から1412年まで、チェコ語(チ ェコの民衆語)で説教を行いカトリック教会の改革を訴えました。 また、フスは一般民衆が話す口語(チェコ語/当時、教会聖職者・ 富裕市民層などにはドイツ人が多く、上層・支配階級ではドイツ語 が使われていた)を書き言葉用に改良(チェコ語の発音を簡略表記 する記号を考案)したことでも良く知られる存在です。 フスがローマ教会から異端者の烙印を押され処刑されてから、チェ コ(ボヘミア地方)とポーランドは「フス戦争」(1419-1434)の時 代に入ります。フスの火あぶり刑を奸計で操ったルクセンブルク朝 の神聖ローマ皇帝ジギスムント(兼ハンガリー王/皇帝位:1410 – 1437、後にボヘミア王も兼ねる)は、フス派を鎮圧するため十字軍 を送りますが、逆にフス派軍(首領ヤン・ジェシカ)に敗北を喫し ています。 フスの宗教改革は、ドイツのそれに約100年も先行した出来事です が、間違いなくフスはマルチン・ルターのドイツ宗教改革へ大き な影響を与えています。そして、フスの改革から約140を経た1555 年に、ルター派プロテスタントは一部の問題を残しながらも「アウ グスブルクの宗教和議」でカトリックと同等の権利を獲得します。 しかも、その流れは止まらず、16世紀中にはスイスのツビングリ、 カルバンらによる宗教改革の実現に結びつきます。 後継者がなかったジギスムント王のあと王位は暫く空白となります が、やがてボヘミア中小貴族の熱烈な支持によってフス派の貴族の 中からイジー・ポジェブラト(Podebrad Jiri/1458-1471)が国王 に推戴されます。優れた行政能力と広い視野を持っていたイジー王 は、フス急進派(タボル派/Taborite)を押さえて、ボヘミアを穏 健フス派で纏めることに成功します。 驚くべきことに、非常に慧眼であったイジー王は、東方から迫るオ スマン・トルコの圧力に既に注目しており、これに対抗するため 「全欧州連合構想」を創案しました。その内容は、今日の「国際連 合」(ないしは欧州連合)の考え方に極めて近いものでしたが、これ は余りにも先見的であったが故に、そして何よりもフス派は「超官 僚化したローマ教会」が異端と見なす存在であったために、その優 れた構想が「時の欧州諸国」から受け入れられることありませんで した(この部分の出典:→ http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/tyere9.htm)。 その後に続くポーランド系ヤゲロー朝(Dynastia Jagiellonow/ヴ ラジスラフ・ヤゲロンスキー/Vladislav Jagellonsky/ 1471年〜) 時代〜ハプスブルク朝時代(ヤゲロー家の娘、アンナの夫となるフ ェルディナンド1世(ボヘミア王位:1526-64)の時代以降)の王権 は神聖ローマ帝国の枠内に留まる選択をしたため(もっとも、こ れは10世紀のプシェミスル朝・ヴァーツラフ1世・聖王(実質は大 公国、Vaclav 1/位:921 - 935)以降の伝統であったが・・・下 記・注記1◆、参照)、中・東欧諸国の中で最もドイツの影響を 受ける地域(神聖ローマ帝国のベーメン地方)となり、王権がや や抑制されつつ安定化します。このため、特に15世紀〜16世紀の ボヘミアはプロテスタントへの改宗者が増え続ける比較的平和な 時代となります。 (注記1) なお、プシェミスル朝・オタカル1世(Premysl Otakar 1/1198 – 1230)は、1198年に初めて世襲の王号を獲得し、次いで1212年 にはボヘミア王国の独立が神聖ローマ皇帝から正式に承認されて います。やがて、ヤゲロー朝ボヘミア王・ウラースロー2世 (Ulaszlo 2/位:1471-1516)の娘アンナの夫であるハプスブルク 家のフェルディナンド1世(Ferdinand 1)がボヘミア王を継いだ 後のボヘミアは実質的にオーストリア・ハプスブルク(神聖ロー マ帝国)の支配下に入りますが、王国としての形態は1918年まで 続くことになります。 (注記2) ◆フスの宗教改革とフス戦争にはドイツ化に対するボヘミア人の 反撃の意味もあった ・・・百年戦争中のフランス宮廷で成人したルクセンブルク朝の ボヘミア王カレル1世(神聖ローマ皇帝としてはカール4世、カ レル4世/皇帝位:1346 - 1378/母親がプシェミスル朝の血を引く) は、ハプスブルク家の躍進を危惧したドイツ諸侯によって皇帝に 選出されている。 ・・・このボヘミア王カレル1世は、チェコを欧州第一の国家に 押し上げたという功績が称えられ、後世のチェコ人から<祖国の 父>と呼ばれた。また、その時代は<チェコの黄金時代>とも呼 ばれており、シェレジェンなどの領土拡大とともにフランス・ド イツ・イタリアの文化がプラハに集まるようになり、パリ大学を 模した帝国内初のカレル大学(通称プラハ大学)が創設(1348)さ れ、新市街とカレル橋の建設などプラハを帝都へ変貌させるため の大事業が行われた。 ・・・なお、これに先立つ時代(13世紀末〜14世紀初め頃)のプ シュミスル朝・オタカル2世(Otakar 2/位:1253 - 1278)は、 ドイツ移民を積極的に招きいれて産業振興と銀・貴金属などの鉱 山業の振興を図るとともに中央集権化を進めた。また、オタカル 2世は、神聖ローマ帝国の「大空位時代」(1253-78)と「オース トリア空位時代」(1246-82)の隙に乗じてボヘミア王国の領土を 北海からアドリア海に跨るまで拡大し帝位をうかがうまでなった。 しかし、結局は帝都がチェコへ移転することを恐れたドイツ諸侯 の工作により、その野望は挫かれ、アルザスの小領主ハプスブル ク家のルドルフ1世(Rudolf 1/位:1273 - 1291)が神聖ローマ 皇帝に選ばれている。 そして、16世紀中にはフスの努力(聖書のチェコ語への翻訳、チ ェコ語表記法の整理など)が見事に結実し、チェコ語文法が体系 化され、ボヘミアの公用語としてチェコ語が使われるようになり ます。そして、現在のプラハ城内に残るゴシック後期の建造物群 やルネサンス風の大広間などは、この時代の空気を良く伝えてい ます。 ところで、時代は一気に飛びますが、1968年の春から夏にかけて 当時のチェコスロバキアのドプチェク党第一書記の下でとられた 一連の自由化政策が『プラハの春』です。が、1968年8月20日の 深夜、ソ連が率いるワルシャワ条約機構軍は、チェコスロバキア 全土に侵入し、この『プラハの春』を軍事的に制圧しました。 しかし、この事件の余波は、その後、ポーランドの「連帯」へ、 最終的には1989年の「東欧革命」へ結びつきます。 この事件の意義は“政党や国家とは異次元にある市民社会と市民 (一般の国民)意識の中にこそ<大いなる政治変革の芽=dynamo -objective couplingがもたらすもの/詳細、後述>が隠れてい る”という現実を世界中に知らしめたことにあります。そして、 ドイツ・フランスなど西欧諸国への影響(例えば、ドイツの真の 民主化を目指した「1960年代以降の司法改革」)にとどまらず、 ここから得られた貴重な知見はEU(欧州連合)の理念部分などへ、 今も大きな影響を与えています。 一方、『プラハの春』の偉大な教訓を見逃してきた我われ日本国 民は、1960年代以降から現在に至るまでの貴重な歴史時間を、ひ たすら「お上」(世襲化した“政治権力・官僚組織・財界・(暴) ・マスメディア”の癒着コングロマリット)の病巣が異常増殖す るがままに任せてきたため、その大きなツケ(ご褒美?)として 「偽装民主主義の重宝な道具として有効な“偽装”裁判員制度」、 「記者クラブ制度という名の官製談合ジャーナリズム」、「麻生 ・国営漫画喫茶という名の一般国民を小馬鹿にした国立ギャグ飲 茶施設」などを“有難いお上“(=一般教養を見捨ててきた日本 のエリート層の重度頭脳硬化現象がもたらす過剰に官僚化した複 合権力機構)から下賜される羽目となった訳です(この詳細は、 下記★を参照乞う)。 ★裁判員制度、記者クラブ制度、麻生・国営漫画喫茶/三つの癒 着事例に見る、“暴政”日本のおぞましき潜在光景、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090601 更に、ここで忘れるべきでないのは、1989年の「東欧革命」を遥 か500年以上も遡るボヘミア王国(フス派・国王)の時代に「国際 連合」ないしは「欧州連合」の原型となるような構想が、この地 ボヘミアに生まれていたということです。無論、その時代の国際 的な政治環境と生活環境は、現代とは別次元という意味で、過酷 ・野蛮・残忍・残酷であり、戦争・殺戮・流血・凌辱・半殺しの ような惨事が至極あたり前に市民生活の身近に転がっている時代 でした。 しかし、我々はここで次のことを見逃すべきではありません。つ まり、「国際連合」の原型のような斬新な構想がイジー王のボヘ ミアで生まれていたということは、地獄の如き過酷で殆ど逃げ場 がないような環境下でこそ、動的・選択的客観統合(dynamo- objective coupling/一種のプロセス重視型の状況認識の繰り返 し=過去の歴史・現在の周辺状況・底辺(生身の一般国民・市民 の存在)の鬩ぎ合いと葛藤/詳細、後述)が機能して、新たな知 恵・知見がもたらされるということを示唆しているということで す。 【画像4】プラハ、旧市街広場辺りの風景(2009.3.21、撮影) [f:id:toxandoria:20090605052041j:image] [f:id:toxandoria:20090605052042j:image] [f:id:toxandoria:20090605052048j:image] [f:id:toxandoria:20090605052049j:image] [f:id:toxandoria:20090605052050j:image] [f:id:toxandoria:20090605052051j:image] [f:id:toxandoria:20090605052052j:image] ・・・二〜六枚目は、旧市庁舎(Staromestske Nam)の展望塔 (二枚目)から撮った風景です。一枚目は、その旧市庁舎の「12 人の使徒像の天文時計」で、正時ごとに12人の使徒が動く仕掛け になっています。 【画像5】旧市庁舎・展望塔から見た「プラハ城の遠望」(2009. 3.21、撮影) [f:id:toxandoria:20090605052053j:image] 【画像6】プラハ城の風景(2009.3.22、撮影) [f:id:toxandoria:20090605052054j:image] [f:id:toxandoria:20090605052055j:image:right] [f:id:toxandoria:20090605052056j:image] [f:id:toxandoria:20090605052058j:image:right] [f:id:toxandoria:20090605052059j:image] 【画像7】プラハ城からの眺望/ヴルタヴァ(モルダウ)川(2009.3. 21、撮影) [f:id:toxandoria:20090605052100j:image] (日本核武装論なる官僚型・硬直思考の堪えられぬほどの存在の 軽さ) 喩えるなら、日本核武装論者の脳の働きは、古典的「パペッツの 情動回路」(参照 → http://jp.blurtit.com/q993753.html) とほぼ重なる大脳辺縁系の機能が極端に低下したような状態では ないかと思われます。別に言えば、それは余りにも巨大な恐怖感、 あるいは図抜けた泥酔状態で強制終了させられると「海馬記憶と 脳全体の情動回路が完全麻痺状態に嵌るようなもの」です。より 具体的に言えば、それは巨大な目前の脅威(例えば、北朝鮮の核 弾頭の脅し)にビビって瞬時に正常な判断能力を失い、大小便を チビる寸前のような状態ではないかと思われます。 しかし、平和を維持するため何よりも大切なことは、どのように 苛烈な状況下においても、一定の冷静さを保ちつつ健常な判断力 を失わぬようにできる工夫を死を恐れず歯を食いしばって創出し、 それを持続させることです。これは、健全な民主主義のメンテナ ンス(維持)のためにも必要なことですが、特に「開戦か平和維 持かの火急の選択」を迫られた時には、待ったなしの<瞬時への 対応>が決め手となるだけに、だからこそ、常日頃から、このよ うな極限プロセスにおけるスナップ・ショット的機序の意味を客 観的に深く理解しておくことが肝要です。いったん「先制攻撃的 な物理的手段」に頼れば、あとは“血の海”と“阿鼻叫喚の地獄 絵図”の拡大から後戻りすることが容易でなくなります。 そして、ここで、もうひとつ想起すべきは下記の著書◆のこと です。 ◆デーヴ・グロスマン(DaveGrossman/http://en.wikipedia. org/wiki/Dave_Grossman)著『戦争における人殺しの心理学』 (安原和見・訳/ちくま学芸文庫) デーヴ・グロスマン(米国陸軍中佐、レンジャー部隊、ウエスト・ ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州 立大学軍事学教授を歴任した人物)は、自らの過酷な実戦体験と 戦争の悲惨と残忍な戦場の修羅場(=殺戮現場と血の海)を体験 した多くの兵士たちの証言を基にこの本を書いていますが、その 核心部分に次のような記述があります。 『・・・兵士たち(その証言が本書の根幹をなしている)は戦争 の本質を見抜いている。彼らは「イーリアス」に登場するどんな 人物にも劣らぬ偉大な英雄であったが、それにもかかわらず、本 書で語られる彼ら自身の言葉は、戦士と戦争が英雄的なものだと いうあの神話を打ち砕く。他のあらゆる手段が失敗し、こちら (兵士たちの側)にその「つけがまわって」くる時があること、 「政治家の失敗と誤り(Ex.→“敵基地攻撃能力の保有を提言 〜自民小委<6/3 19:52>、 http://www.ntv.co.jp/news/136867.html” の類のコト)」を正すため、そして「国民の意志」を遂行するた めに、自分たちが戦い、苦しみ、死なねばならぬ時があることを、 兵士たちは理解している・・・』 ここで肝要なのは、このグロスマンの言葉を抽象的・観念的にで はなく、より具体的・現実的に理解することです。核爆弾を落と され一瞬にして死ぬこと自体に痛みや苦しみが伴うことは想像で きませんが、地球全体を一瞬にして壊滅させるような事態にでも ならぬ限り、必ず、一定範囲内の戦場での殺し合い(殺戮・殺傷) 現場または核爆弾の投下で一瞬にして蒸発し消え去る一定地域の 周辺には数限りないほどの、半殺し状態で生々しくも悲惨な状態 (=生と死の狭間に放置された地獄図そのままの悲惨な周辺状況) の負傷者が大量に出現するはずです。 この点、どんなに迫真のリアリズムを売り物にするアクションま たは戦争映画であっても、不死身で恰好よいイケメン・ヒーロー の刀や銃弾でバタバタと敵が一瞬にして死んでゆくシーンは、ま さに麻生首相好みの「マンガ的で荒唐無稽なフィクション」です。 現実の殺戮現場では、全身に帯びた見るに耐えがたいグロテスク な生傷だらけか内臓が飛び出した半殺し状態で、血の海の中で苦 しみもがく悲惨な負傷者の山(ヤマ)ができている筈であり、そ れこそ阿鼻叫喚の生き地獄の出現(それは彼岸の一部ともいえる “地獄”以上の惨たらしさ!)が現実のはずです。 生身の普通の市民感覚、というか普通の人間の率直な感覚からす れば、よほどのマゾヒスト(Masochist)でもない限り、一瞬にし て生命が途絶えて意識が消え去るよりも、惨たらしい生傷と半殺 しによる瀕死状態、手足や内臓の一部がグシャグシャにあるいは ドロ〜リと飛び散った状態、半ばクラッシュした頭蓋から脳みそ が流出した状態、焼け焦げ爛れた皮膚を熱風に晒しつつもがき苦 しむ状態、あるいは、それらの後遺症で末永く生涯の苦痛と不具 の運命を授けられる方が余程恐ろしいはずであり、殺戮戦や核爆 弾の恐ろしさの現実的な意味はこちらにこそ大きなウエイトがあ るはずです。 もうひとつ付け加えるなら、昨今、「日本核武装論」(または敵 地先制攻撃論など)を唱える人々の脳裏からカキ消えている決定 的なことがあります。それは上で述べた凄惨な戦場のリアリズム とも重なりますが、「境界・間合い・辺縁の意義」についての理 解ということです。彼らの脳裏ではこれが欠けているのです。別 に言えば、これは「生身で生き続ける人間の皮膚感覚的な意味で の記憶」の問題であり、今も生きている「歴史」についての理解 の問題です。一般に歴史と言えば、教科書的で平板で当たり障り がなく無責任で他人事のような記述、あるいは中世キリスト教的 ・家父長的な装いの年代記(Chronicle)、または権力側の公文 書記録(Archive)などを想像するかも知れません。が、人間の 歴史(民主主義の歴史=戦争と平和の意味についての理解の深化) を考えるとき、それだけでは内容が不十分です。 ここで十分に書く余地はありませんが、歴史の前提条件は「先ず、 でき得る限りの客観的事実の記録(ecriture/エクリチュール) ということ」であり、次に「現代から未来へ生き続ける我われ一 般国民・市民が過去の歴史記録と現代の世界環境との関わり合い 鬩ぎ合いの中における底辺(生身の一般国民の生活)も含めた動 的・選択的客観統合の作業(dynamo-objective coupling/一種 のプロセス重視型の状況認識の繰り返し=歴史・状況・底辺(生 身の一般国民・市民の生活)の葛藤)から新たな歴史観と新しい 知見を絶えず獲得し続ける永続的な作業だということです。換言 すれば、それは「歴史・歴史遺産および現在の人間社会における 生命因果プロセスのスナップ・ショットを凝視しつつ新たな知恵 の創出・発見を持続させる」ということです(詳しくは、下記▲ を参照乞う)。 ▲2009年春/ドナウの真珠、ハンガリー・ブダペストの印象(2/2)、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090515 このような観点からすれば、いま主要メディアが持ち上げる「田 母神・将軍」(元航空幕僚長/元・軍在籍で軍のことが分らぬ人物 ?)、「クライン孝子・女史」(在独評論家/在独でドイツのこと が分らぬ人物?)、「ヘロヘロ中川元財務相」(間歇型急性アル コール中毒症の人物?)らが、近年かまびすしくアチコチで吹き まくる「日本核武装論or先制敵地攻撃論の提言」なるものの“堪え られぬほどの存在の軽さ”(=天空高く舞い上がった偽装エリート 主義的な抽象論・観念論=脳の機能が硬直化した、一種の精神的官 僚主義シンドロームの軽薄さ)が理解できる気がします。 従って、たとえ我われ一般国民が如何に善良で無垢で無知な(企ま れた情報欠落状態=権力サイドの意図的・圧力的な情報非対象操作、 つまり重要で肝心な情報の秘匿・隠匿・歪曲によリ結果的に無知状 態にさせられる恐れが絶えず付きまとう/Ex.参照、下記◆)立場 に置き去りにされているとしても、ユメユメこれら「大小便たれ流 し寸前まで肝っ玉or金玉が縮み上がった思考=限りなくその存在が 軽く、しかも精神的に硬直した官僚主義の怯懦(Cowardice)と愚か しさ(Stupidity)」に惑わされるべきではないと思われます。 ◆「NHK番組の偏向検証」自民有志(偽装極右の美しい領袖?= 安倍元首相ら)が議連結成(よく飽きもせず、よくも懲りずに、NHK 等メディアへの圧力議連を再び?)へ、 http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090604/biz0906041938016-n1.htm 【エピローグ】Lara Fabian - Broken Vow [http://www.youtube.com/watch?v=ogpeU3s8U2I:movie] |