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タイトル:小泉ヤクザに怯え、お笑い東国春のヒトラー型“恍惚劇場”で国民を誑かす自民党の腎虚・老化政治  2009/06/24


[机上の妄想]小泉ヤクザに怯え、お笑い東国春のヒトラー型“恍惚劇場”で国民を誑かす自民党の腎虚・老化政治


<注記0>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090624


<注記1>当内容は、下の記事★を時局に合わせて換骨奪胎(リライト)したものです。

★[民主主義の危機]タレント知事でヒトラー流“政治の恍惚化”の代用へ傾く連立与党の腎虚・老化的右傾化、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080130

<注記1>「腎虚」については下(URL)を参照 → 

http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/kenkou/kanpou_040902.html

【画像1】プラハ国民劇場(Narodni divadlo)・・・この画像はウイキメディアより。

f:id:toxandoria:20090624213122j:image

・・・チェコがオーストリア(神聖ローマ)帝国の一部であった時代の1880年、チェコとオーストリアの妥協を求める政治状況の中でボヘミア出身のターフェ(Eduard Taaffe/1883-1895)が首相になると漸くチェコ民族文化の復活が最盛期を迎えます。この頃にネオ・ルネサンス様式で建てられたのがプラハ国民劇場です。

・・・それまでプラハにあった劇場はドイツ語だけのものだけでしたが、チェコ人の悲願が実る形で、プラハ市民の寄付(チェコ文化を守るという目的で集められた)だけで建てられたものです。しかも、1981年の完成直後に火災で全焼し、再び寄付が集められ、漸く1981年にこけら落としが行われました。スメタナ、ドボルザーク、ヤナーチェクなどチェコ人による誇り高い民族オペラが上演されています。

・・・しかし、チェコ芸術の特徴はチェコ民族の個性が普遍的でユニヴァーサルな高い精神性とリンケージしており、今や、それが世界中の人々から受け入れられ愛されていることにあります。このような点を、日本の保守政治家・高級官僚そして財界人らはもっと謙虚に学ぶべきと思われます。巨額の国費で「麻生マンガ喫茶」を建てるような発想しか生まれない精神レベルの貧困も困ったものです。

【画像2】ティントレット『ヴァルカヌスに見つかったマルスとビーナス』

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Tintoretto(1518-1594)「Vulcanus Takes Mars and Venus Unawares」1550 Oil on canvas, 135 x 198 cm Alte Pinakothek 、 Munich

この絵画は、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク(http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/)にある、ヴェネチア派の巨匠ティントレット(Tintoretto/1518-1594)の名画です。この絵のテーマは、アポロ(光明・医術・音楽・予言を司る理知的な神)に情報を与えられたヴァルカヌス(大神ゼウスの子でローマ神話の“火の神”/噴火山、ヴァルカン半島の語源)が妻ビーナスの不倫(お相手はローマ神話の屈強な“軍神マルス”/間抜けにも右奥のベットの下端から兜の頭が見えている)の現場に踏み込んだ瞬間の描写です(伝承ではヴァルカヌスが二人の不倫の現場に網を仕掛けた)。そして、この絵についてのアカデミックでオーソドックスな美術史上の解釈は「天網恢恢疎にして失わず」(天の網は広大で、その目は大まかなようだが、実際は何一つ取り零すことはない)、つまり妻たる女性たちの不貞への戒め(=貞節の愛がすべてに勝る)ということになっているようです。

ところが、このようなアカデミズムの解釈に対し現代フランスの美術史家ダニエル・アラス(Daniel Arasse/1944-2003/ヨーロッパで著名なイタリア・ルネサンスを専門とする美術史家)は異を唱えます。著書『なにも見ていない』(宮下志朗・訳、白水社刊、原著:Daniel Arasse『On n'y voit rien、Descriptions』、Publisher Denoel、2000)の中で、彼は次のようなことを述べています。

・・・この絵のヴァルカヌスのしぐさと目つきは、道徳の勧めなどよりも、むしろアレティーノ(Pietro Aretino/1492-1556/イタリアの風刺文学者、劇作家、艶本作者)の卑猥さを連想させる。ヴァルカヌスは自分が何を探しにきたのかすっかり忘れている。ヴァルカヌスには、妻のソレしか見えなくなっている。このことは、ベルリンにあるティントレットの下絵で証明される。だから、その次の瞬間に何が起こるかを知りたければ、ヴァルカヌスの背後にある大きな鏡を見れば済む。この絵は定説のような教訓の押し付けではなく、実は風刺的でコミカルな、或いはパラドキシカルな作品なのだ。つまり、その意は「貞節の愛がすべてに勝つ」ではなく、「“情念・妄想・欲望的”な愛は“省察・理知・静観的”な愛”に必ず勝つ」という「人間世界(≒政治的世界)のリアリズム」(=Political Correctness/政治権力が権力で保証する正統性こそが全てに勝つ(喩え、それが欲望のもたらすものであったとしても)という冷厳な現実)を描いているのだ。・・・つまり、我われ一般国民は、このような意味での原点から「政治権力」と「民主主義のあるべき姿」の関係について深く考える必要があるです(例えば、カルト・ワクチンとしての歴史体験=フス戦争が意味すること/参照 →2009年春/チェコ・プラハの印象(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090621)。

・・・・・・・・・ここから本論・・・・・・・・・・

かつて、福田・総理は大阪で橋下タレント知事が誕生したことについて“ダブルスコアの勝利だ、すばらしいパフォーマンスだった!”とほめ称えつつ絶賛し、橋下タレント知事も“(自民・公明連立与党さまの)おかげで勝てました!”とお礼のコトバを返したようです。

また、この大阪でのタレント知事の圧勝ぶりを見て、早くもその頃から、政治の世界では“やはり選挙はテレビに出ている人だ、お笑いか美女でなければダメダ!”との声が上がり、いよいよ本格化する衆院選の準備のため<B層向けの魑魅魍魎のタレント候補>の争奪戦が始まったとも報じられていました。

かくして、無辜の一般国民の生活苦など屁の河童で、いよいよ本格的な「お笑い&お色気民主主義」、つまり「政治のお笑いバラエティショー化」と「政治の性事化(ポルノクラシー)」の時が始まってしまったようです。

大阪で橋下知事が誕生したとき、産経新聞・朝日新聞等が報じたところによると、その大阪知事選での投票関連のデータ(概数)は下◆のとおりでした。が、この数字を見て、なんら“大阪府の民主主義の異常性”を感じ取ることができなかったとすれば、そのこと自体がとても異常なことであったと思わなければならないようです。

◆(当)橋下 徹(1,832,759)熊谷 貞俊(999,054)梅田 章ニ(518,400)高橋 正明(21,955)杉浦 清一(20,030)合計(3,392,198)

◆投票率=48.95.%% 棄権率=51.0% 有権者数=6,929,924 棄権者数=3,537,726 当選者得票率=54.0% 

メディア一般の論調では、この時の大阪知事選は、過去の実績データと比べると、過去最低だった前回(2004年)の40.49%から8.46ポイントも投票率が上昇したとして大いに評価するという分析が多かったようです。しかも、<その原因は候補者の“お笑いタレント性”にこそある>と見做しています。これは、驚くべきほどノーテンキで無責任なジャーナリズム感覚、というより見事なマスゴミ感覚です。

一般に投票率60%未満の選挙が、その正当性を疑われるというのは統計学上の常識であり、本来であれば再投票の対象となるべきほどの結果です。例えば、この場合も、仮に棄権者総数の約1/2が熊谷 貞俊氏へ投票したとすれば当落は逆転する可能性が出てきます。

ついでながら、このようなタレント候補をめぐる異様な熱狂で無党派層の多くの有権者が、そのタレント候補へ一気に雪崩れ込むという現象は明らかに、あの忌々しい「小泉ヤクザ劇場」の再現です。そして、その「小泉ヤクザ劇場」が使った手法こそがヒトラー流の『政治の美学化戦略』(=B層・弱者層のルサンチマンを結晶核にして集団恍惚催眠(集団オルガスムス/Kollektiv-orgasmus)を出現させる戦略)です。

それは、強引かつ恣意的に何らかの対立構図を演出し、タレント性のある候補者の方へB層・弱者層らのフラストレーションとルサンチマン(怨念の情)を引き寄せて異常に高い支持を集めるという、あの余りにも忌々しい手法です。しかも、そこで留意すべきは、このB層・弱者層のルサンチマン意識が、実は、「親方日の丸意識」(利権構造の主である権力者側への隷属願望意識=常に“強く太いもの”に巻かれて安心していたいと願う他律的意志)と親和力が大きいという真に残念な現実があることです。別に言うならば、それは、おおむね過半の一般国民層は他力本願的で意志薄弱な存在だという真に過酷で冷厳な現実があるということです。

従って、それは決して大阪府だけに限ったことではありませんが、今ほど「残酷で悲惨な劣化社会」を日本へもたらしてしまった根本は、世界で唯一の正統的な権威であると騙ってきた<米国型市場原理主義(国家機能の一切、国民の生存権とプライバシー保護などの悉くをデュー・デリジェンス(Due Diligence/リスク選好へ委ねる考え方))>と<自己責任を当然視する倒錯した価値観>が量産するファースト・フード型の陳腐な情報の氾濫(=経済のマネーゲーム化と公正・公共意識の放棄=異常分配システムの放任)であったことは明らかです。そして、そこでは獰猛な<格差拡大の牙>が弱者層、若年層、高齢者層だけでなく中間層をも襲いつつあります(無貯蓄世帯の割合が1/4→1/3へ着実に接近中)。

言うまでもなく、このような「日本の悲劇」の始まりは「大衆迎合的パフォーマンスと様々なセックスアピールのための小道具類を有効活用した小泉ヤクザ劇場」(“竹中B層戦略チーム”に導かれた国策詐欺/参照、http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-557.html)であり、その“乱痴気騒ぎ(=おセレブな酒池肉林の宴)の結果として、国立マンガ喫茶構想やもっともらしいネオリベ型司法改革(裁判員制度、検察審査会・関連法改革、株式会社立法科大学院など)の欺瞞政策が、「小泉→安部→福田→麻生」とバトンタッチされた、まことに無責任な連立与党政権によって国民へ下賜されたことは周知のとおりです。

このような観点からすれば、麻生漫画政権下で、事実上の“民度の劣化が更に促進”してしまった流れの中で、再び、B層と弱者層をネギ・カモにした“政治のお笑い化戦略”をブチかまそうとするのが、今や郵政・西川社長問題で窮地に立たされ右往左往するた自民党政権のホンネのようです。このような訳で、今回、自民党が東国春・宮崎県“お笑い知事”へ急接近したことは、再び日本の国政における「小泉ヤクザ劇場(=ヒトラー型・大衆恍惚化劇場)」の再現可能性を予感させて不気味です(関連、下記▲を参照乞う)。

▲東国春から足元を見られたか? 自民党/東国原知事、気持ちは国政へ、http://www.asahi.com/politics/update/0624/TKY200906230471.html

▲東国原知事“ナメた要求”の裏事情 自民党は次期総裁候補条件をのむ(内外タイムス)、http://npn.co.jp/article/detail/81867879/

▲大英断!? 夕刊紙「内外タイムス」が紙面から"エロ"を一掃した!、http://www.cyzo.com/mt/mt-search.cgi?blog_id=1&tag=%E5%86%85%E5%A4%96%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9&limit=7

また、毎日新聞(6/24)が自民党の与謝野氏と渡辺喜美氏に先物取引会社が多額の迂回献金(二人、計9000万円)を行っていたと報じていますが、これは民主党の「西松=小沢・秘書逮捕事件」とほぼ同じ構図であるので、今後の検察の動向が注目されます。ここで検察が何らかの不自然な動きを見せれば、“自民党の二階へ捜査は及ばない”(漆間発言)の繰り返しとなり、「自民(小泉)⇔検察」の蜜月関係が“スカシ屁”を放つ以上の臭い関係であることを疑われても仕方がなさそうです(参照、下記▼1)。また、驚くべきことですが、その西松建設へ検察からの天下りの噂も流れています(参照、下記▲2)。

▼1 与謝野氏側に迂回献金?=先物会社元オーナーの政治団体−社員給与の天引き分原資か、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090624-00000086-jij-soci

▼2 西松と検察の蜜月関係の証拠? → 

http://www.nishimatsu.co.jp/press/2009/20090515_1.pdf

(関連参考情報)

察審査会・関連“法改正”に漂う「小泉⇔検察」蜜月が漏らしたスカシ屁の名残、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090623/p1


西川善文「背任パンドラの箱」が開いた!/政官財の巨大利権、内部資料入手(2009.7.3号・週刊ポスト、記事)、http://www.zassi.net/mag_index.php?id=51・・・鳩山総務大臣更迭の切欠となったと見るべき稟議書と郵政改革利権に群がる某企業グループの存在、周辺にちらつく小泉・竹中の影、更なる深い闇の暗示などが報じられている。

(DISINFECTION)

Laura Pausini e Lara Fabian - La Solitudine Live in Rome

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