メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:“小泉・竹中偽装改革劇場”(ヤクザの仕事?)に今も翻弄され、カルトの空気に包まれる日本社会の悲惨  2009/06/19


[歴史の評価]“小泉・竹中偽装改革劇場”(ヤクザの仕事?)に今も翻弄され、カルトの空気に包まれる日本社会の悲惨


[副  題] 2009年春/チェコ・プラハの印象(2)/「EU懐疑主義」と格闘する欧州/左派離れが喧伝される欧州議会選挙の深層(1)


<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090619


(プロローグ)


●当記事は、普通より些か長めであることをお断りしておきます。それは、「EU懐疑主義による欧州の混迷」と「現代日本政治の混迷」(例えば、鳩山大臣更迭で麻生・支持率暴落?)のように、一見では無関係そうに見える物事に通底する問題点や意外な関係性(or反面教師性)を読み解くには、どうしても経路依存的な観点から物事を見る必要があると思われるからです。従って、読むだけ時間がムダと思われる向きは、途中の章を飛ばして、一気に第5章へ進んでください。


● 経路依存的な観点とは、比較制度分析を専門とする経済学者・青木昌彦氏らが提唱する比較的新しい、問題発見のための思考のトポスです。これは従来の歴史主義に似ていますが、それよりも、検証対象(歴史or経験的事実)と観察者の視点の関係軸をより一層柔軟に、多視点的に移動し、その組み合わせ方法にヴァリエーションを与えつつ新たな事実や知見を発見するという方法です。ただし、当然のことながら“歴史事実そのものを改竄する”ような、どこかの国の犯罪的国策政治(善良な過半の国民をぺテンにかけた偽装郵政改革、同じく国策捜査など)のように正義にもとる悪辣行為はやりません。


●喩えるなら、建築写真などでよく使われる、大判カメラの蛇腹の特徴を活かした「アオリ(煽り)撮影」に似ています。これは、意識的に「光軸」と「フィルムの中心」の位置関係(普通は同一線上にある)をズラしたり、それに加えて「レンズ面」と「フィルム面」が並ぶ角度に変化を与えたり(普通は並行の位置関係)して、普通の視覚では捉えられないリアリズム、美しさ、面白さなどを発見できる撮影手法です。


・・・なお、ご関心のある向きは、下の参考資料◆をご覧ください。新しい世界が広がるはずです。


◆建築写真 アオリ撮影のテクニック(写真徒然)、http://www.kenchikusha.com/tsuredure/hard05.html
◆アオリとは?、http://www.mediajoy.com/mjc/camera_review/horseman/aori.html
◆アオリ効果の事例:Tilt-shift Miniature Fakes、http://www.flickr.com/groups/tilt-shift-fakes/pool/
◆アオリテイストの事例1:TILT SHIFT、http://www.youtube.com/watch?v=Elc_xs-RPAU
◆アオリテイストの事例2:Time Lapse、http://www.youtube.com/watch?v=3A-unBigvoY


【画像1】聖ヴィート大聖堂(Katedrale Sv.Vita/209.3.21、撮影・・・12枚目はウイキメディアより)


[f:id:toxandoria:20090619094824j:image]、ほか

・・・聖ヴィート大聖堂は、プラハ城の内側にあるプラハ大司教の主座で、多くのボヘミア王の墓があります。ボヘミア公・ヴァーツラフ1世(Vaclav 1/位:921-935/聖王、ボヘミアの守護聖人)が初期ロマネスク様式の円形建築を建てた(925)ことがその始まりです。その後、1344〜1929年の約600年にわたる改築で現在のゴシック様式の姿となったチェコで最も大規模の教会です。礼拝堂のステンドグラスはアルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha/1860-1939)なども手がけています。


【画像2】カレル橋・旧市街の風景、ア・ラ・カルト(209.3.21、撮影・・・1枚目はウイキメディアより)


[f:id:toxandoria:20090619095942j:image]、ほか


・・・1〜3枚目の画像はカレル橋(Karluv most)の風景、4枚目はカレル橋(全長516m、幅9.5m、計16のアーチと17世紀以降に造られた30体の聖人像がある)の旧市街側の端にあるボヘミア王カレル1世(位:1347-1378/神聖ローマ皇帝カール4世/カレル橋の建造者)の銅像です。5枚目は聖ミクラーシュ教会(Kostel Sv. Mikulase/18世紀後半の建造)、6枚目は15世紀末頃に建てられた火薬塔(Prasna brana)です。


第1章 概観、チェコ史1:建国〜黄金のプラハ・カレル1世の時代


歴史資料でボヘミア辺りにスラブ人が現れるのは6世紀ですが、BC1世紀には先住ボイイ人(Boii/ボヘミアの語源とされるケルト族の一派)を圧迫しゲルマン人が居住していたと思われます。彼らが4世紀末〜6世紀の大移動で西進・南下した後にスラブ人が移住し西スラブ族を形成しました。


また、このボヘミア辺りには最古のスラブ人を主体とする国家=サモ国(現在のフランス中北部サンス(Sens)出身とされるフランク人の商人Samo(?〜658)がスラブ族を中心に束ねた多部族国家)が7世紀に存在したことが知られています。


9世紀前半〜10世紀前半には大モラヴィア国(or大モラヴィア王国/Veľkomoravska risa)をスラブ人が建国します。4代続いたとされるこの王国の領土は今のチェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリーに跨りますが、その範囲は未だ正確に特定されていません。


大モラヴィア国の第二代君主ラスチスラフ(Rastislav ?−870)は、カロリング朝フランク王国に対抗するためビザンツ帝国に接近し、テッサロニケ生まれの宣教師兄弟、キュリロス(Cyril)とメトディオス(Methodios)を宮廷へ招聘し、キュリロスは自ら考案したスラブ文字でギリシア正教を布教しました。


しかし、やがてフランク王国の巻き返し工作でビザンツの宣教師らは追放され、この辺りはローマ教会化し、10世紀初頭には西進するマジャール人の侵入で大モラヴィア国は滅亡(906)します。特に、マジャール人の支配に完全に服したチェコ東部(現在のスロバキア)は、その後、約1千年に及ぶハンガリー人の支配下でチェコ人と異なる民族個性が形成されます。


10世紀末までにチェコ人を中心とする強固な民族国家を打立てたのがプシェミスル朝(Dynastie Premyslovcu)で、特に4代目のボヘミア大公ヴァーツラフ1世(Vaclav 1/位:921-935/聖王、ボヘミアの守護聖人)は、ドイツ(東フランク王国=当時の呼称(神聖)ローマ帝国)の覇権を利用しつつカトリックの国内への布教と諸貴族への支配力の強化を実現し、聖ヴィート大聖堂 (Katedrala svateho Vita)の基となる聖堂を建立しました。


プシェミスル朝・ボレスラフ2世(Boleslav 2/位:967-999)の時代には、マインツ大司教・監督下でプラハ司教座が置かれ、10世紀後半のプシェミスル朝の支配はボヘミア・モラヴィア・南ポーランドまで及ぶことになりますが、あくまでもその支配権は(神聖)ローマ帝国内にとどまったため、ボヘミアを中心とするこの地域は東欧の中で最もドイツ化した地域、つまり(神聖)ローマ帝国のベーメン地方(Boehmen)となります。


11〜13世紀頃、プシェミスル朝・ヴラティスラフ2世(Vratislav 2/位:1061-92)〜オタカル2世(Otakar 2/位:1253-78)の時代のボヘミアは、銀および貴金属鉱山(ボヘミア銀山)が発見されたため欧州における金融・商業・交易活動の中心地としての地位を高めます。特に、ボヘミア銀の産出量はヨーロッパ随一を誇り、ボヘミア鋳造の高純度銀貨は当時の国際通貨の役割を担っていました。


なお、プシェミスル朝・オタカル1世(Premysl Otakar 1/1198 – 1230)は、1198年に初めて世襲の王号を獲得し、次いで1212年にはボヘミア王国の独立が神聖ローマ皇帝から正式に承認されています。やがて、ヤゲロー朝ボヘミア王・ウラースロー2世(Ulaszlo 2/位:1471-1516)の娘アンナの夫であるハプスブルク家のフェルディナンド1世(Ferdinand 1/王位:1526-64/皇帝位:1556-1564)がボヘミア王を継いだ後のボヘミアは実質的にオーストリア・ハプスブルク神聖ローマ帝国の支配下に入りますが、王国としての形態は1918年まで続くことになります。


特に、プシェミスル朝・オタカル2世は、聖職者・商人・鉱山技師らのドイツ移民を積極的に受け入れつつボヘミアのカトリック権威の向上と産業振興を図るとともに、神聖ローマ帝国の大空位時代(1253-78)とオーストリア空位時代(1246-82)の間隙を縫って領土をアドリア海〜北海まで拡げつつ神聖ローマの皇帝位を窺うことになります。しかし、チェコへの権力集中を懸念したドイツ諸侯がアルザスの小領主、ハプスブルク家のルドルフ1世(Rudolf 1/位:1273-1291)を皇帝に選出しオーストリア公国(ボヘミア公を兼ねる)を継がせたため、チェコ人としてのオタカル2世の野望は潰えます。


プシェミスル朝・バーツラフ3世(Vaclav 3/位:1305-06/オタカル2世の孫)が後継争いで暗殺されると、それ以降はドイツ系の外来君主がボヘミア公となる時代(内乱期〜外来君主期)に入ります。この時代(別に言えば、多くのドイツ人が教会と世俗社会の支配層となり、ボヘミアが神聖ローマ帝国内で一領域化した時代)の中世チェコは14世紀・ルクセンブルク朝・カレル1世(Karel 1/位:1347-1378 /神聖ローマ皇帝としてはKarl 4/位:1346-1378)の時に繁栄の頂点を迎えます。


ハプスブルク家の余りの躍進ぶりを警戒したドイツ諸侯は、1347年、「英仏百年戦争」最中のフランス宮廷で7歳から青春時代までを過ごしたマルチリンガルの教養人カレル1世を神聖ローマ皇帝(カール4世)に選出します。カール4世は、「カール4世の金印勅書(1356)」(選帝侯にかかわる規定集)を発布しボヘミア公を7選帝侯の筆頭に位置づけて、神聖ローマ帝国の軸足をチェコに置きました。


このため、カール4世はアドリア海〜北海まで拡大した領土に更にシレジア(Schlesien)、ラウジッツ(Lausitz)、ブランデンブルク(Brandenbur)を加え、ボヘミア王国の領土はチェコ史上最大となるとともに、フランス・ドイツ・イタリア文化が帝都プラハに集まります。やがて、1348年には神聖ローマ帝国内で最初の大学であるカレル大学をパリ大学をモデルとして創立したため、その後のプラハは中・東欧における学問・文化の中心地となります。


更に、カール4世はプラハを大司教座へ昇格させ、商人・手工業者らへ居住地を提供するためプラハの小地区(プラハ城下のMale Strama)と旧市街(Stare Mesto)を結ぶカレル橋を整備しました。ブルタバ川を挟んで両地区の間に架かるカレル橋は、今も四季を通して多くの人々が常に行き交っており、その様子は都市プラハに風物詩のような麗しい景観を添えています。そこには、母方にプシェミスル朝(ボヘミアとポーランド王を兼ねたヴァーツラフ2世)の血が流れていることを誇りとしていたカール4世のチェコへの篤い想いが現れているようです。


後世のチェコ人たちは、このようにしてプラハを欧州第一の都会にまで押し上げたカール4世(ボヘミア王カレル1世)の功績を称えて、この中世末期の一時代を「黄金のプラハ・カレル1世の時代」と呼んでいます。しかしながら、この時代のプラハとチェコの繁栄は、あくまでも神聖ローマ帝国(ドイツ)の一地方ベーメン(ボヘミア)としての位置づけでもあるため、チェコ社会の支配層はドイツ系商工業者らが牛耳っていたことも事実です。そのため、カール4世時代のボヘミアの繁栄の陰にはドイツに対するチェコ民族の反動のエネルギーが鬱積していました。


第2章 概観、チェコ史2:暗転する黄金のプラハ〜フス戦争〜イジー王・善政の時代


カール4世時代の繁栄の極みに潜んでいたチェコ人たちの民族意識の高揚は、「カレル大学・総長であったフスのローマ教会批判(宗教改革)」と、それに続く「フス戦争(1419-36)」が切欠となって大噴火を引き起こします。・・・「超官僚化しカルト化したローマ教会へのフスによる批判」〜「フスの火刑」〜「フス戦争」〜「フス派・イジー王の善政時代」の詳細については、下記★の記述を参照乞う・・・


★宗教改革の先駆者ヤン・フスの時代が現代に問いかけること(2009-06-05・toxandoriaの日記)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090605


フス戦争後、ボヘミアの中小貴族から推戴されたフス派のボヘミア王イジー・ポジェブラト(Podebrad Jiri/1458-1471)が聡明な王であり、東方から迫るオスマン・トルコの圧力に既に注目しつつ、これに対抗するため「全欧州連合」(現在の国連に近いアイデア)を構想していたということは前の記事(チェコ・シリーズ−1)で書いたとおりです。プラハの東方約50キロにあるポジェプラトの街にはイジーの居城が今も残っており、その生誕地とされる部屋の入口には国連旗が掲げられています。


一方、イジー王の時代には穏健フス派が主流であるにもかかわらず依然としてボヘミアのフス派を敵視するカルト化したローマ教会は、ボヘミアへ政治的圧力をかけ続けます。このため、イジー王は、ローマ教会と非常に困難な交渉を積み重ねつつ、王位の世襲を放棄することをローマ教会へ約束して「フス戦争」で荒廃した経済と平和の回復を図り、そして何よりもボヘミア地方の民生の向上に尽力しました。


<注記>


この時代のローマ教皇庁は、<官僚的硬直化>と<教皇権の暴走/シスマ/Schisma 参照 →
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/si/schisma.html>に特徴があり、その殆どカルト状態と化したローマ教会の底なしの堕落を辛うじて支えつつ、13世紀の教皇インノケンティウス3世(Innnocentius 3/位:1198-1216)の教皇権絶頂期を越えてから失墜するばかりであった教皇権の保全のため、厚化粧(偽装?)の正統性を強権的にムリヤリその批判勢力に対して押し付けたのが“フスの火刑”など過酷な断罪を決議した“コンスタンツ公会議”(1414-18)であった。


・・・これ以降の[概観、チェコ史3:自治権喪失=ハプスブルク支配〜三十年戦争〜民族意識復興の時代]は、次回の記事『2009年春/チェコ・プラハの印象(3)』へ続く・・・

第3章 近代的公共知へ昇華したチェコ民族意識/15〜17世紀ボヘミア&モラヴィアの先覚者たち−1


■ヘルチェッキー(Petr Chelcicky/ca1390‐ca1460)・・・フスのローマ教会批判の意志を継ぐボヘミア(モラヴィア)同胞兄弟団の創始者


ポジェプラットのイジー王がボヘミアの平和回復に腐心していた15世紀の半ばころに、聖書の中の“汝、人を殺すことなかれ”を原点としつつ“フス派を継承する平和主義者”ヘルチェッキーが「ボヘミア同胞兄弟団」(チェコ精神史上で最も注目すべき流れ)の理念部分の創始者となり活躍します。


「ボヘミア同胞兄弟団」の活動がモラヴィアで特に盛んだったため、それは「モラヴィア同胞兄弟団」と呼ばれることもありますが、ともかくも「ボヘミア同胞兄弟団」は、カトリックであれ、プロテスタントであれ、イスラム教徒であれ、いっさい宗教の如何は問わず万人は平等で同胞であるという信念を持ち、その精神を育成し維持するための基盤として教育と学問を重視しました。そして、この運動は15世紀後半〜16世紀の高度なチェコ文化の芽生えに土壌を提供します。


例えば、ニュルンベルクで発明されたグーテンベルクの印刷術が逸早く伝わり、1468年に“ボヘミア最古の本”とされる『トロヤ年代記』がプルゼニ(Plzen)で印刷され、15〜16世紀ボヘミアの印刷・製本術が非常に高度な技術水準に到達していたことが知られています。


また、16世紀のチェコではヤン・ブラホスラフ(Jan Blahoslav/1523-1571/宗教改革家・音楽家)がチェコ語文法の研究を進め、聖書のチェコ語への翻訳も完成させます。このようにして、16世紀のチェコでは、かつてフスが形を整えたチェコ語(チェコ人の口語)がボヘミアの公用語としての地位を獲得するまでになり、フス、ヘルチェッキー、ボヘミア同胞兄弟団、ブラホスラフらの平和主義と高度な精神性が個性的なチェコ文化の実りをもたらしています。


■コメニウス(Johannes Amos Comenius/1592−1670/本名:Jan Amos Komensky)・・・モラヴィア出身の教育学者


17世紀に活躍したコメニウス(Johann Amos Comenius/1592‐1670)は、モラヴィア生まれの教育思想家で、フスの流れを汲むボヘミア兄弟団の僧職に就いていた宗教改革者でもありますが、現代の我われが当然視している<現代的な意味での公共知に支えられなければ存在し得ない民主主義社会>を維持するために必須の「義務教育の意義」(同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業による基礎教育の重要性)を発見した人物です。しかも、それだけではなく、驚くべきことに生涯学習・母親教育・幼児教育・ホスピスの意義なども発見しているのです。このため、彼の主著『大教授学(Didactica Magna/1657)』は世界最初の体系的教育学概論書と見なされています。


コメニウスは、「三十年戦争(1618〜48)」で神聖ローマ帝国軍に制圧されたボヘミアから亡命してヨーロッパ中を放浪する生活を送りましたが、著書『語学入門』(1631)で言語教育の革新者との評判を得てから各国へ招聘されて活躍するようになります。例えば、イギリスではローヤル・ソサエティの設立に参加し、ドイツではベルリン科学アカデミーを設立した時のライプニッツへ影響を与えています。また、実現はしなかったもののアメリカのハーバード大学総長職への誘いを受けたこともあり、ハンガリーでは学校改革・教育改革の仕事に取り組んでいます。


第4章 EU懐疑主義”と格闘する欧州の深層−1/カルト的空気への強固な警戒心


これまで見てきたとおり、15〜17世紀におけるチェコの先覚者たちに共通するものは「アンチ・カルトの精神」ということです。それは、殆どカルト化(超官僚組織化)していたローマ教会を徹底批判したフスの流れを汲むものであり、特に「ボヘミア同胞兄弟団」の役割は重要です。


無論、この「ボヘミア同胞兄弟団」もフス派プロテスタントの宗教教団であるので、そこに一種のカルト風の空気を読む向きもあるようですが、この教団活動にはカルト的な意味での“閉鎖性”はありません。宗教教団=カルト教団と理解するのは余りの短絡思考であり、それはA「理想としての民主主義」とB「現代日本の如きカルト風の偽装民主主義」を混同するようなものです。因みに、Aの条件は人間が“開放系”に位置するということであり、Bの条件は人間が“閉鎖系”(=囲い込まれ自縄自縛的になっている空気)に取り込まれているということです。


ところで、『新しい型の宗教組織による法の侵害に関するEC議会決議、およびフランスにおけるセクト教団の定義』(http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/cult_french.html)などを参照しつつ、カルトの主成分(条件)を集約してみると、次の三点になります。これを一言で言えば、やはり、人間が“閉鎖系”に取り込まれているということです。


●カルトの主成分1=限りなくタコ壺的・空論的な“観念世界を天高く飛翔し浮遊し続ける”超利己的な意識構造&ネットワーク(人間性の喪失1)


●カルトの主成分2=限りなく教条的な思考を杓子定規で当て嵌める“異常に自己目的化し内向化した”意識構造&ネットワーク(人間性の喪失2)


●カルトの主成分3=「主成分1」と「主成分2」を閉じ込める現実的装置としての超官僚組織の形成(人間性の喪失3/“閉鎖系”へ誘い込んだ人間の孤立化・奴隷化・ロボット化・サイボーグ化)


そして、驚くべきことですが現代のチェコ社会にも<カルト的空気への強固な警戒心>の役割を果たす“カルト予防ワクチンとしての歴史的フス体験”が存在します。フスは、そのような意味で再びチェコの民族的英雄として尊敬されており、チェコ人は自らを“フス派の流れを汲む民族”と理解することでフスをチェコ人のアイデンティティと尊厳の中核にしているのです。


因みに、現代チェコ人の特徴の一つとして“未来志向型の分析的・論理的思考を優先させながらも、最終的に彼らは経路依存的(歴史・民族・地域特性等との十分に多角的・多視点的な照らし合わせという意味で経験主義的)に厳格な判断を併せて行う”ということが指摘されています。ここには、彼らが「フス体験という歴史経験」から学びとった“カルト的な要素を極力排除する知恵”の存在が窺われます。


2008 年秋のチェコ憲法裁判所による“チェコが批准することについての合憲判決”とチェコ上・下院の議決を得たばかりで、後はチェコとポーランド大統領の署名、ドイツ憲法裁判所の判決、アイルランドの第2回国民投票を乗り越えれば発効するところまで漸く到達した「EUリスボン憲法」について、チェコのバーツラフ・クラウス大統領は批准書への署名を未だ保留していると報じられています。


もともと新自由主義思想の信奉者(?)と目されるクラウス大統領ではあっても、EU(欧州連合)の現況が、市場主義へ傾斜しつつも「戦時を含む凡ゆる条件下での死刑廃止を規定する欧州人権条約・第13議定書の署名国であることがEU加盟の条件になっている」ことに象徴されるとおり、<資本主義の有効なツールとしての市場主義>と<人権意識と生命倫理の確保・維持>との絶妙なバランスを維持しようと努力するEU(欧州連合)への本格参加は望むところのはずです。


しかし、実は、チェコ国内には国民レベルで根深い“反EU感情”と“EU加盟なくしてチェコの経済社会の将来発展はあり得ない”という知識人レベルが主導する考え方との歴史的な葛藤があるのです。そこへ、昨年秋以来の米国発金融・経済パニックが襲った訳ですから、チェコのみならず、なべて東欧諸国が海外からの債務額が大きいことを考慮するならば、今回の異常事態(パニック)への対処が如何に困難であるかが理解できます。なお、このように責任感旺盛な、そしてコメニウスの先見性の伝統を引き継ぐチェコ知識人らの存在は羨ましい限りで、それは日本における竹中平蔵らの如き無責任で軽薄で“さもしい”御用学者連中の口先「ペラペラ、ヘラヘラ&ヘロヘロ」の比ではありません。


<参考データ>


西欧が中・東欧等へ貸し込んだ主な債務額 [(  )内は対GDP比、出典:2009.3.31朝日新聞]
・・・チェコ1859億ドル(106%)、ハンガリー1450億ドル(105%)、セルビア241億ドル(61%)、ブルガリア397億ドル(100%)、ルーマニア1188億ドル(725)、ウクライナ534億ドル(38%)、ラトビア406億ドル(149%)、ロシア2147億ドル(17%)・・・合計 8222億ドル、約82兆円(minimum !)


そして、ここに見られるような自国内における非常に困難な葛藤と八方塞(ふさがり)であるかに見えるジレンマのなかにこそ、あの「自らを“フスの民族”と規定することでフスをチェコ人のアイデンティティと尊厳である」とみなす「経路依存を尊重するチェコ人流の合理性」が存在しているのであり、また、それこそが「宗教ないしイデオロギーのカルト性」を徹底的に見抜き、それを排除しようとするチェコ人の強い意志の現れであると言えるかも知れません。そして、チェコをはじめとする中・東欧諸国の国民は次のような点で、従来の米国流市場主義より EU型市場主義が優位であることを見抜いているはずです。


<参考情報>


・・・米国よりEU型グローバル市場経済の方が優位と見るべき観点・・・


●歴史・文化・宗教・地政学的つながりから、欧州に比べ中・東欧における米国の存在感は薄い


●中・東欧など発展途上国が求める、きめ細やかな基本生産財(後述のミーディアム・ハイテク分野)あるいは生活必需品の生産で米国企業には比較優位が見当たらない


●米国が得意な「先端的IT部門」だけで中・東欧およびバルカン諸国の国民経済建設の支援は不可能


●EU諸国には中・東欧諸国の重化学工業化を促進してきた実績がある・・・特に、ミーディアム・ハイテク分野(medium high-tech=生活環境支援型の製造業・流通業・金融業分野)で・・・


●EUの東方拡大がもたらす果実の方がEU10(新たに加盟したチェコ、キプロス、エストニア、ハンガリー、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキア)の政治・社会的不満を凌駕している


●歴史的・伝統的社会を地盤とするEU諸国(EU15→+EU10)には「巨大な所得格差」や「人権保護・福祉制度の崩壊」は許さぬという強い意志が存在する


●拡大EUの基本には、米国が捨ててきた「グローバリゼーションと地域主義(リージョナリズム)」の均衡を重視する視点が存在する


●同じく、EUには「新しい経済社会モデル」(=ロバート・B・.ライシュのコトバで言えば暴走する資本主義(参照、下記◆)とは異なる資本主義モデル)を提起するという動機が潜んでいる


◆国民主権を侵す「資本の暴走」を「政治のチェンジ(変革)」に擬装する連立与党らの犯罪、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080726


・・・以上の●は、下記◆より再録した内容。


◆2009-05-16・toxandoriaの日記/“政府御用達型”民主主義・日本の対極にあるハンガリーの飽くなき「民主化への意志」の歴史、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090516


第5章 “小泉・竹中偽装改革劇場”(ヤクザの代理仕事?)に未だに翻弄され、邪悪なカルトの空気に包まれる日本社会の悲惨


このように見てくると、いまだに“小泉・竹中市場原理主義カルト劇場”に翻弄され続けており、しかも、その“小泉・竹中市場原理主義カルト劇場”の約6年間を挟み、この10年間に発生した累計30万人以上(年平均3万人以上)におよぶ自殺者数を誇る(?)日本社会の混迷度は、ある意味でチェコなど中・東欧諸国に比べても悲惨であり、余りにも異常過ぎます。


そして、一つの見方ではありますが、この「日本の悲惨」の根本にあるのが日本社会に蔓延ってきた「カルトまたはカルト的なもの」に対する無防備な日本社会という、あの「歴史的なフス体験でカルト・ワクチンを打ってきたチェコ社会」と非常に対照的な現実の姿です。そして、ここで特に留意すべきは、カルトまたはカルト的な存在が必ずしも宗教的な姿を帯びているとは限らないということです。


それは、例えば米国型市場原理主義の如き「偽装知的イデオロギー」、「偽装政治思想」、「日本の政権中枢に寄生するSGKの如き偽装カルト教団」、「日本の政治家を操るヤクザ等アウトロー組織」、「“幸福・統一・御光”何とやら等を唄うズバリ・カルト教団」、「超官僚化ヒエラルキー」、「文学モドキ(1Q84の如きプチ・オウム現象?) orマスゴミ化ジャーナリズム」、「ファッション&サブカルチャー」、「マルチ・ビジネス、あるいはネット型仮想セクト現象」等々・・・という具合で、それは有形・無形の別を問わず社会と個人生活の凡ゆるフィールドに拡がり、我々の心身のバリアを食い破り、その奥深くへ浸透しつつあります。


先に掲げた「カルトの三つの条件」を考慮しつつ点検してみるならば、我が国におけるカルトの浸食が如何に深刻化した段階へ到達してしまったかが分かるはずです。そして、その典型であり、かつ巨大な存在こそが「小泉・竹中による郵政民営化」という、過半の日本国民を根底から騙くらかした“偽装改革劇場”の問題であり、それはまことに想像を絶することかも知れませんが、この悪辣な「小泉・竹中による偽装劇場」のロングランをゴリ押す“カルト政治勢力”(小泉純一郎・竹中平蔵・中川秀直・西川善文ら)の更にその背後では、米国金融資本カルトのみならず、IN会・SM会など「国政選挙参謀格のアウトロー・カルト」が采配を振っているふしがあるのです(関連参照、下記★)。


★日本郵政“新疑惑” 不可解不動産取引、野党が調査(保坂展人のどこどこ日記)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/751a3fd33d69cd74af59cd338f4e8950


★西川社長が「辞任するべきだ」との回答も75.5% 麻生総理が世論を敵に回して自民が勝てるわけがない(株式日記と経済展望)、
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/b52c0e7526ee5dece5408a84e3e34435


★2009-06-13・toxandoriaの日記/ “麻生=アホウ、小泉・竹中・西川=悪党”の演繹的証明、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090613


★『ヤクザが介在する日本の人身売買』に対する対策は二流?、外国人女性が犠牲に(米国務省)、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090617-00000299-yom-int


最後に、直近になって漸く意識され始めた「超官僚化した検察(司法)カルト」の問題を取り上げておきます。それは「裁判員制度」と対をなす司法改革の一環とされる「憲法審査会(一般市民11人が審査する制度)にかかわる法改正」にともなう<検察審査会の権限強化>の問題です。なぜか、この問題はマスコミが殆ど取り上げていませんでしたが、6/17の「NHKクローズアップ現代/検察が問われる」が取り上げています(参照 → http://www.nhk.or.jp/gendai/)。


それによると、『検察審査会は、検察が容疑者を不起訴にした場合、被害者などの申し立てを受けて、その検察の不起訴判断の是非を一般市民11人が審査する制度であるが、従来は、その議決に強制力がなく、起訴相当との決議があっても検察は判断を変えないことが多かった。ので、今回の法改正では、これを改めて“ 起訴相当の決議”が2度出れば、自動的に起訴されることになった』ということです。


しかし、それでも残る問題は『“起訴相当の審査会の議決”が2度出て、自動的に起訴されることになった』ときに起訴・公判を担当するのが検察官ではなく、裁判所が選ぶ特任弁護士がそれを担当することになっているということにあります。なぜ問題になるかというと、この特任弁護士は法的に<捜査権が与えられていない>からです。つまり、特任弁護士が再捜査の必要性を判断しても、その捜査の仕事そのものは検察官へ依頼しなければならないことになっています。結局、そこでは、当然のこととして検察官僚組織を保全・保守する意志が最優先されることになり、殆どの場合は、検察官がその再捜査の仕事を拒むことになると思われるのです。これは、まさに羊頭狗肉の“偽装法改正”に他ならず、特任弁護士による公判がいかに難渋を極めることになるかが目に見えるようです。


つまり、ここに透けてみえるのは「形だけの新しい制度」を一般国民へ下賜して国民の司法参加を唄いつつ、実は<司法官僚組織のヒエラルキーそのものの保全にこそ狙いがあるのではないか>という疑いをもたれている「裁判員制度」と文字通り瓜二つのもの、言い換えれば「法務・検察官僚組織のカルト化した邪悪な意志」の存在ということです(この問題の詳細については、下記記事▼を参照乞う)。

▼2009-06-01・toxandoriaの日記/ 裁判員制度、記者クラブ制度、麻生・国営漫画喫茶/三つの癒着事例に見る、“暴政”日本のおぞましき潜在光景、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090601


つまり、いかにも「審査会関連の法改正」で検察審査会制度の改善を図った風を装いつつ、実はその真の狙いが<法務・検察官僚組織の合法を装った超法規的保全>という、まことに邪悪で傲慢な<検察官僚組織の絶対閉鎖的意志>にこそあるのではないか、という疑念が浮上するのです。ここに見えるのは、まさに恐るべき程までカルト傾向が重症化した日本司法制度(法務・検察官僚組織)の姑息で腐臭漂うまで病み爛れた実像ではないでしょうか。


(関連参考情報)


検察審査会制度改正の概要、
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/saibanin/pc/0130kokkakuan_s3.pdf


検察審査会の権限が強化 救われる事案もでてくる(?)、
http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2008/05/post_918.html


DISINFECTION、Lara Fabian - J'y Crois Encore
[http://www.youtube.com/watch?v=Y_1jrHBj7mA:movie]

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